オン・ザ・ビーーチ
過去に戻る前に高校へ上がったとき、家の事情のあれこれでじいちゃんの家から通えるところを受験して入学した。
山奥で駅前以外はなーんもないド田舎から、海沿いの街へ進出できて俺は幸せだった。
コンビニが本当に言葉の意味通りの便利な場所にあるという感動を一生涯忘れることはないだろう。
仮に受験に落ちていたなら両親の引っ越しに付き添って、もっとなーーんもない離島に渡るはめに陥るはずだったから当時は必死だったな。
なんで田舎から更なる人外魔境の地へわざわざ行かないといけないんだ。島流しの刑かよ。
何度かあの島も訪れはしたが、思わずサバイバル生活かよとツッコミを入れたくなる環境だった。
まあ俺は努力の結果、より文明的な生活を手にいれたわけだ。
今回も当然、同じ高校に進学するルートを選ぶつもりだ。
そして泉たちとサッカー部で、あの試合にリベンジする。
泉が言うにはあのときのチームメイトが揃って過去に戻っているってことだった。
あの悔しさを味わった仲間がいる。それが心強い。
きっとみんな前よりも強くなってくるはずだ。
──俺はひとりじゃない。
泉みたいに人付き合いが得意なわけじゃないし、サッカー部の全員と仲良かったわけじゃない。
それでも今は不思議な絆で結ばれたやつらがこの世界にいるんだって、そんな気がしている。
◇
「ちょっと、海まで行ってくる」
「んー。日が暮れるまでには戻るんだぞい」
「うーい」
さすがにじいちゃんは5年ばかり若くてもじいちゃんだ。
夏休みに俺は何日かの泊まりで、じいちゃんの家に遊びに行かせてもらうことができた。
開閉の感覚が記憶に親しんだ立て付けの悪い玄関の扉を開けて、俺は外に繰り出した。
変な話だが、未来に過ごすことになる街が懐かしい。
離れていたのは半年だが。
ここはやはり風の匂いが違う。
俺はまだ知らないはずの街を迷いもなく歩く。
この時期にはまだ無かった店の以前の建物とかが散見されて、そんな変化の発見が面白い。
まだ知り合う前の知り合いとすれ違ってニヤニヤしてたら、変なやつを見る目を向けられてしまった。
のちに我が家になるじいちゃんの家だが、この頃はまだ親父の弟にあたる叔父夫婦が同居していたりしていまいちくつろげない。
俺の部屋になるはずの大きめの和室も今は占拠されていた。
まあそれは今のうちは仕方ない。
この街を訪れたのは単なるバカンス目的やノスタルジーに浸るためじゃないわけだし。
──あいつらに会うためだからな。
・
・
・
「あ、先輩っ!」
「おう」
目的の海岸の前で俺は誰かと再会した。
少し眺めたら、2年のフォワードだった植井だとわかった。
俺がポストプレーでボールをキープして、すばしっこい植井がゴール前に飛び込んでシュートを決めるのが黄金パターンだった。
だからツートップを組んだ相棒みたいなもんだ。
高2の植井もたいがい細かったが、今の植井は更にヒョロくて小さい。
今はまだ小学生ってことになるのか。
「てことは植井、ランドセル背負ってるのか」
「そりゃそうでしょう」
「恥ずかしくないか」
「そういうのは考えたらダメですよ~」
くだらないことを話しながらふたりで海を目指す。
浜が見えるところまで出ると、もうほとんど仲間が集まっているのが見えた。
砂浜でサッカーをやっている。
なんか楽しげだ。
「おーい、こっち~!」
俺と植井を発見した泉が手を振る。
「植井、行くぞ!」
「おっけーです、先輩!」
俺たちは駆け出して乱入し、ボールを奪う。
ツートップの連携が健在だってことを、まずはみんなに証明してみせた。
◇
「なぜこの11人なのか」
落ち着いたところで榊田が話を始めた。
俺たちの頭脳みたいなやつだ。サッカーの戦術オタクでヨーロッパのトップリーグで流行っている作戦とかをチームに持ち込んでは色々やっていた。
難し過ぎてうまくいかなかったのも多かったが。
監督が自主性に任せるというか放任主義なところもあり、スタメンを決めるとか大事なこと以外はかなり榊田が仕切っていたチームだった。
練習メニューとか、よく考えられていたから榊田がいたおかげで上手くなった仲間も多い。
「そりゃあ、やっぱあの試合のメンバーだろ」
誰も何も言わないので俺が榊田が投げ掛けた言葉に反応する。
みんな当然だよなって顔だ。
「うん。だがこの11人はスターティングメンバーじゃないんだ」
「終わったときの……だよな」
榊田が言いたいのは、誰が巻き戻っていて誰がそうはなっていないかってことだった。
「あのとき、試合終了の時点でピッチにいた者だけが精神を過去に飛ばされたらしい。途中交代で抜けた、葉山や江川には記憶はないみたいだ」
「監督やマネージャーもな」
泉が榊田の解説をフォローする。
積極的に声をかけて記憶の有無を確かめたのは主に泉らしい。ピッチに居たって条件ならと、対戦したチームの高校の連中にもそれとなく当たったらしいけど記憶なしだったそうだ。
泉くらいのコミュ力がないと、俺には無理そうな芸当だ。
「俺の推測では、あの試合で流した悔し涙がキーファクターになって巻き戻しが起きているとみている」
榊田は俺たちに起きた不思議現象をわりと詳しく調べていた。
昔から、そういうことするやつだったな。
たぶん理系なんだろう。この手の人間が人類にほどよく混ざって生まれてくるから我々の文明は栄えているんだと思う。
とはいえ俺たちに起きたことは中学生の身の上で研究して解き明かせるほどありふれた簡単な現象じゃない。
当然、科学的には説明がつかないってオチはついてきたが。
もちろんわかったこともある。
それぞれの話を聞くと、戻った時間は5年から7年と個人差が意外とあることが判明した。
どうやらそのくらいの時期で、悔し涙を流していた過去のタイミングに戻っていると。
俺の場合はクラブのテストに落ちてからしばらくして、親父から「もうサッカーはいいのか?」ってデリカシーのない言葉をかけられたときだったわけだ。
それを思うと、あのときはみんな揃って泣いていたんだな。
「でも葉山を差し置いて俺だなんて……」
そう言ったのは茅場だ。
途中交代で葉山と代わった中盤の選手。
ベンチにいることが多かった茅場だが、チームの中心だった葉山がいないのに自分がここに入っていることに肩身を狭く感じているらしい。
「そういうの気にしてもしょうがないって」
「泉……」
たしかに茅場はそんなに試合に出してもらえない控え選手だったけどサッカー部でも練習とかをかなり頑張ってたほうだ。
だから何でこいつが混ざってるの、なんて思う仲間はいない。
たしかにここに葉山がいないのはちょっと寂しい感じはあるけど、茅場が場違いだなんて思うことはなくていい。
「複雑なのは俺も同じだ。正ゴールキーパーは江川だったんだからな」
あのとき江川の負傷交代で出場した蒲江も、茅場に似た立場だ。
それにしてもキーパーの怪我や、普段はスタメンだった選手の病欠なんかも重なった……今思い出しても不運が連続した試合だった。
審判のジャッジも何故か逆風だったし。
しかしそれだけの悔しい思いをしたことが原因で、この巻き戻りが起きているんだろう。
でなければ、このメンツであることの説明がつかない。
「蒲江は前から、いつかは江川からキーパーの座を奪うって言ってたじゃないか。だからこれはチャンスだろ。今から頑張っとけば、さすがに江川に勝てるんじゃないか」
「そうなんだけどよ……それって、なんかズルくないか」
蒲江の言葉に何人かが唸る。
たしかに言われてみれば何年か分の経験でリードできてしまうだけにフェアじゃない感じは否定できない。
特に、ひとつの枠しかないキーパーのポジションを競うともなればなおさらか。
「何を言ってるんだ」
榊田が口を挟む。
なんかスイッチが入ったモードだ。
「なら蒲江は江川と対等に正ゴールキーパーの立場を競うためにはどうするつもりだ。しばらく手を抜くのか」
「そうじゃねえけど」
「与えられた条件下で最大限のことを積み重ね、実力をつけるのはスポーツをする者には当たり前のことだろう」
「まあ……そうかな」
よくわからん剣幕で早口にまくし立てる榊田に蒲江はタジタジしている。
俺が絶対に口論したくないと思っている唯一のやつが、この榊田だ。
「才能が平等ではないのと同じで、環境も平等ではない。天才だからと努力しないやつを俺は見下すが、せっかくの場を活かそうとしない人間も愚かだと断言する。この場合、江川に悪いと考えることは江川に対して失礼にもあたる。力をつけた蒲江との競争を前に、江川がより以上の潜在能力を発揮しないとは考えられないか? 江川からポジションが奪えて当たり前だと考えているならとんだ思い上がりだぞ!」
榊田からの言われように、蒲江はかえって萎んでしまった。
まあ、ああ言われて「そっか俺、本気モードで正キーパー奪うぜ! ポジション、ゲッツだぜ!」とすぐに切り換えられるほど単純じゃないのが人間だよな。
でもまあ榊田の考え方もわかる。
あんまり巻き戻りのことをチートだからとか考えて引け目を感じなくてもいいんじゃないかとは思う。
俺はもともと、せっかくだから大いにサッカーに活かしちゃう気だったけど。
どうせなら目一杯、与えられた時間を有効利用する。
じゃなきゃ、戻った意味がないよな。
「この11人でサッカー部のレベルを上げたらさ、絶対にあのときみたいな負け試合にはならないって」
俺はとりあえず前向きな感じの話をすることにした。
空気を読んで、場を明るい方向にもっていこうとするなんて俺も気を使えるようになったもんだ。
普通に5年前なら黙ってるだけだった。
「それどころか、もっと先に──選手権に県代表で出ていいところまで行くのもできるかもしれない」
何人かが頷いてくれた。
さすがに夢見すぎじゃないかって顔のやつもいるけど。
何故か、泉の顔が曇ったのが気になった。
平常モードなら今の俺を遥かに凌駕するポジティブ発言をしてくるところなはずだが。
「──その話なんだけど」
言い出しにくそうに切り出したのは、左サイドバックのレギュラーだった盛戸だ。
「みんなさ、泉の呼び掛けでここに集まったと思うんだけど、これって俺が泉に頼んだことなんだ。みんなが揃ったところで、ちゃんと話しておきたくてさ」
盛戸は俺たちの顔をひとりずつ沈痛な感じで見ていく。
なんかあんまりいい話じゃないことは嫌でもわかる。
泉がそっと、盛戸の背中に手を当てる。
しばらく波の音が11人の沈黙のかわりに囁いていた。
「──俺だって、あの試合のことは悔しい」
砂まみれのサッカーボールに視線を落としながら盛戸は言った。
「だけど俺は……また同じサッカー部には入らないよ」