201話:本気と本気
長い時間……に思われた僅かな時間のあと、エキルスは静かに、そっとその口づけを離す。
だがその表情は暗く、オレから視線を逸らしたまま今も涙を流し続けている。
身体は小刻みに震えており、閉じた口の中からは小さくガチガチと歯が鳴る音が聞こえる。
まるで恐ろしい物を見て怯える子猫のように、エキルスはその身を小さく畏縮していた。
先ほどオレの頭の中に流れてきた光景はエキルスの記憶だ。
身体の動きを封じた術のことも含め、舞踏神様と剣神様が神気によってエキルスに与えた限定的な力のようだ。
神眼でエキルスの状態を隈なく調べたが、今はその神気も全て失っている。
どうやらエキルスは神気の力を使ってまで、このオレに自分の想いを伝えたかった様子だ。
しかしなんでこんなことをまでして?
ツララとの一件だけが原因の全てではないだろう?
「……エキルス」
オレはそれを確認しようと、今も震える彼女の肩をそっと触れようとしたが、エキルスは体をビクッと震わせると、益々その身体を小さく縮込ませて怯えるだけだ。
「……めんなさい…………」
「え?」
「…………ごめんなさい…………ソーマ様…………」
駄目だ……まだちょっと落ち着いて話せそうな状態じゃない。
神眼で精神状態を見たが、神気の力を使ったことに対する軽いショック状態が起きているようだ。
神眼すらも欺く隠蔽・隠密能力は神姉さんズがエキルスに「施した力」だ。
その力が行使されていても、エキルス本人に影響はない。
しかしオレの身体の動きを封じ、且つ自分の記憶を他者に流し込むような力は、エキルス自身に「宿らせた力」なので、その力を行使すると実行者の身体に作用が働く。
オレのような特殊な体質を持つ人間以外がこんな力を行使すると、あまりにも精神的な負担が大き過ぎるのだ。
そりゃそうだ。普通に人に限定的にといえ「神の力」を行使させるのだからな。
いかに身体能力に優れた獣人とはいえ、その精神力の根本は人族や他の種族と大差はない。
そんな精神力で神の力に耐えられるわけがないのだ。
ライラやソルムのようなオレの眷属ならば、多少の耐性は付くのかもしれないが……。
ともあれ、そんなことを実行した結果が、今の怯えるエキルスの姿だ。
まったく……こうなることが解っていながら、なんであの二柱はこんなことをエキルスに?
そう思った時、オレは舞踏神様の言葉を思い出した。
『エキルスは本気なのだよ』
その言葉の意味と、エキルスが自分の進退すらも顧みずにこのような行動に及んだ理由は…………さっき見せてもらったエキルスの記憶で十分に伝わった。
エキルスって……本当にオレのことを好いてくれているんだな……。
しかもライラやシルフィー、ソルムや他のメイドたちとは一線を画す意思がそこにはある。
それはオレにとっては少しこそばゆいものだけど、エキルスにとってはとても大事な気持ちだ。
『エキルスは貴方を愛しています』か…………うわぁ~~!! あの記憶の声を思い出しただけで凄く恥ずかしくなってくる!
人に対する好意の究極の言葉が「愛」だからな……。
そんな言葉を投げかけられたことなんて一度もないから、嬉しさ半分、困惑半分だよ。
こりゃ下手な言葉で返事できないぞ? どうするオレ?
でもエキルスは真剣だ。
そうでなければ、ここまではやらない。
オレも少し真剣に考えながら返事をするしかないな……。
「エキルス……上手く言えないんだけど……その……凄く嬉しいよ。そこまでオレのことを好きでいてくれてさ」
オレはそう言いながら、今も怯えるエキスルの頭をそっと撫でてやる。
しかし彼女の反応は変わらずだ。
だけどオレはそれに構わず、エキルスの状態が落ち着くまでその可愛らしい猫耳の頭を撫で続けてやった。
それから五分ほどの時間が流れ、ようやくエキルスの身体の震えが治まった。
だけど涙は止まらないままだ。
「エキルス? どうしてそんなに泣いているんだ?」
「…………私……あんな無茶をやっておいて…………今になって怖くなったんです…………」
「怖い?」
「ソーマ様に対する気持ちは今も変わりはありません。ですが……今まで私に愛情を注いでくださった人々の期待を裏切って…………自分に課せられた責任を放棄して…………。あまつさえ、愛に生きたいなんて自分勝手なことを言っておいて……今になって全てから逃げたことが怖くなって…………。そのうえソーマ様にまで私を拒絶されたらと思ったら…………頭が真っ白になって……………う……ううう…………」
そう言いながら再び泣きだすエキルスの姿を見て、オレは思わず彼女の身体を包み込むように抱きしめてしまった。
哀れみや同情なんかじゃない…………。
オレは今のエキルスに対して、とても強い親近感を抱いていた。
前世のオレなんかに比べたら、エキルスの歩んできた二七年間の人生はとても立派なものだ。
しかしその中でもやっぱり嫌なことはある。
立ち向かおうともしたが、なかなか上手くもいかず、ちょっとした絶望感もあった。
そんな時に僅かな光明が見えたら……そこに逃げ出したくもなる。
オレの場合は大した目的も持たず、ただ両親と離れて一人で生きること自体に光明を見出そうとしたので、エキルスのそれとは根本的に違う。
だけど過去の全てをかなぐり捨ててまで、その光明に「逃げ出した」という、その浅はかな考えは殆ど同じだ。
多分今のエキルスも、その浅はかなところを悔やんで怯えているんだろうな……。
オレも実家を飛び出した時は嬉しさ半分、怖さ半分で少し体が震えたもんなぁ……。
エキルスはオレという光明に頼り、過去を捨ててでもオレにその残りの人生を委ねようとしている。
自分の記憶という過去を全てさらけ出してまでだ。
正確にいえば、それはエキルスが無理やりオレに押し付けたものではある。
しかし彼女の過去や悩みを知ってしまった以上、無視するなんて真似はオレには無理だ。
そこまでオレは無情にはなれない。
エキルスの悩みはいまだに根強く蔓延する、人族によって歪まされた亜人種に対する偏見による差別だ。
それは他の獣人族や亜人種の人々でも、今も大半は抱えている悩みだろう。
もちろんサーシャやクレイトの一部の人たちように、そんな偏見を持たない人々が今は大半らしいが、それでもそんな差別が多いと感じるほど、人族そのものの全体数がこの世界には多過ぎるのだ。
オレ自身はその差別問題を初めて知った時、文化ハザードを起こしてでも駆逐してやりたいと思った。
だってケモ耳娘って超可愛いじゃんよ?
萌えの至高の一つだぜ?
そんな可愛い存在を差別して虐げるなんてありえない話だ。
当然そんな趣向はこの世界では稀有な考え方なのだろうが、そんなことはオレには関係ない。
可愛いものは可愛い。
そして今のオレにはそういうものを守ってやれるだけの力もある。
そんな可愛い存在の一人であるエキルスが、今まで嫌悪の対象であった人族であるオレを本気で好きになり、最大級の好意を寄せてオレを頼ってきた。
その好意を安易な気持ちで拒んだら……多分それを「男が廃る」っていうのだろうな……。
だったらどうする?
考えるまでもないだろう。
その本気に対し、今の本気の気持ちで応えるだけだ。




