179話:重曹講座 ★
「ソーマ様、この度はお休みのところ、大変失礼を致しました」
一〇時過ぎ頃に屋敷へやってきたオリバ氏が深々と頭を下げる。
聞いた話では、商人というものは基本的に定休日とかは定めておらず、その時の状況で平日に休暇をとるものらしい。
ゆえに今日のような世間一般的な休日に休暇をとる感覚が疎く、今回のようなこともしばしばあるそうだ。
「いやいや、仕事上それは仕方のないことだよ。むしろ今回はこのタイミングで連絡してくれて助かった。明日から少しのあいだ出かけることになっていたからね」
「そう仰っていただければ幸いです」
ちなみに小豆と餅米は両方とも注文通り各一トンが納品された。
現在下男の人たちがホールに荷降ろし中だ。
「しかしお出かけというのは?」
「実は明日からセイルとファーベストにね……」
「なんと! その距離でしたらお帰りは相当先になるのでは?」
「その辺りは大丈夫だよ。うちには彼らがいるから」
オレは応接室の隅で、神獣モードで控えるキャストとガドラを指差す。
「た、確かに神獣様の脚で御座いましたら……」
「それよりも今回見せたい物というのは?」
「おっと、そうでした!」
オリバ氏が慌てて手持ちの袋から一つの容器を取り出す。
以前もこんなことがあったな? 今日はデジャブの多い日だ。
「それでこれなのですが……」
蓋つきのガラス製の容器の中には、白い顆粒状の物体が入っていた。
その正体はAR表示ですぐに判明した。
「これは……重曹!?」
「相変わらずソーマ様の御慧眼には驚かされますな……。ええ、仰る通り、これは重曹と呼ばれるものです。しかし私にはどう扱えば良いのかさっぱりでして……」
これもオリバ氏と取引しているカスガ国の商会「ヤマツカミ商会」からサンプルとして送られてきたものらしいが、今回に限ってはオレに名指しで手渡して欲しいとのことらしい。
「以前お教えいただいた小豆と餅米の調理例を知らせましたら、向こう側も大層驚いた様子でして……。それでソーマ様ならこれの扱いに関しても、何か良き御知恵を拝借できるのではないかと考えたようです」
オリバ氏はそう言いながら、ヤマツカミ商会から送られてきた手紙をオレに手渡す。
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この度は不躾な書をお送りする無礼を、まずはお許し下さい。
私はソルナーク商会様と贔屓にさせていただいております、カスガ国のヤマツカミ商会会頭をしております「センバ・ヤマツカミ」と申します。
この度、斯様な書を認めさせて頂いたのは、オリバ氏よりお知らせいただいた小豆と餅米に関する調理法に、大変強い感銘を受けたからでございます。
聞けばその製法はソーマ様が御存知であったとか?
お話は伺っておられますでしょうが、件の穀物は我が国でもここ近年で、ようやく安定した栽培に成功したものであります。
ゆえにその有効的な調理例は数少なく、当商会としてもその扱いに少々頭を悩ませておりました。
そんな時にソーマ様からお教えいただきました「善哉」なる料理を試作してみたところ、周りで大変な評価を賜りました。
まさか小豆と砂糖がここまで馴染むとは。
まさか餅米を蒸して潰すと、斯様な食感になるとは。
そしてこの二つがここまで互いの味を引き立て合うとは。
驚きを通り越し、ただただ当方の知識不足を痛感させられる次第でございます。
そこで今回、恥を忍んでソーマ様にお願いがございます。
今回お送りした「重曹」でありますが、これは北大陸から流通してきた物でございます。
聞いた話では調理に使えるものらしいのですが、当方ではどう扱えば良いのか皆目見当もつきません。
もしソーマ様にこの重曹の有効的な使い方が御存知であれば、どうかその御知恵を拝借したく存じます。
それでは此度はこれにて失礼させていただきます。
もしソーマ様が我が国にお越しになられることがございますれば、その時はどうか是非、我が商会をお尋ね下さいませ。
その時が来ることを心より願っております。
追伸
小豆と餅米の件に関しての謝礼といたしまして、今回御発注いただきました小豆と餅米の卸値は、全て半値とさせていただきます。
詳しい価格についてはオリバ氏と御相談下さいませ。
ヤマツカミ商会・会頭 センバ・ヤマツカミ
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「ということでございまして……小豆と餅米の前金としてお預かりした王銀貨四枚ですが、卸値が半値となりましたので、販売価格も半値として御提供させていただきます」
オレが手紙を読み終えたことを確認したオリバ氏がそう言いながら、テーブルの上に王銀貨を四枚並べ、その内の二枚をオレの方へ差し出す。
「オレにこの手紙を見せずに黙っていれば良かったんじゃないの? それに卸値が半値になったからって、価格まで半値にしちゃったらオリバさんの利益が減るんじゃないのかい?」
「ハハハッ! 駆けだしの若い商人なら斯様なこともしておりますでしょうが、幸い当方は既にソーマ様とは良き商いをさせていただいております。となれば、今必要なのは目先の利益などではなく「信用」に他なりません。それに気付けぬ者には商人としての未来は長くありませんよ」
オレの少し意地悪な言葉に、オリバ氏は屈託なく笑ってそう答える。
うん、この人は商売に関しては信用できる。
そう思ったオレは、差し出された王銀貨二枚のうちの一枚をオリバ氏の元に返した。
「ソーマ様? これは?」
「オリバさんの信用に対し、オレからのささやかなお礼だ。遠慮なく受け取って欲しい。そして今後とも宜しく頼む」
「ふぅ……どうやらソーマ様は商人としても、良き才覚をお持ちの様子ですな……。不肖オリバ・ソルナーク。今後ともソーマ様の御贔屓にさせてもらうために頑張らせていただきます!」
差し出した王銀貨を遠慮なく引き戻したオリバ氏とオレは、その場でしっかりと握手を交わした。
「ところで旦那様、この重曹……ですか? これって何に使えるんですか?」
「「あ……」」
オレとオリバ氏。
お互いに商売の空気に取りつかれていたが、ソルムの言葉で我に返った。
そういや重曹の事をすっかり忘れていたよ。
オレたちは厨房へ移動し、早速重曹を扱った調理を始める。
まずはパン作りだ。
休日でも料理研究に余念のない料理長に、いつも通りのやり方でパン生地を作ってもらい、そこに重曹を適量混ぜ合わせて練りこむ。
「まず重曹なんだけど、パン生地に混ぜ合わせることで、焼き上げる時に二酸化炭素を発生させるので、ふんわりとしたパンに仕上げることがきるようになる」
「「「「「「「「「「二酸化炭素?」」」」」」」」」」
ソルムに料理長やオリバ氏、そしてメイドたち全員が首を傾げる。
…………メイドたちまでなんでここにいるのかな?
まぁそれは置いといて、やはり科学的な用語を使っても通じないか……。
「簡単にいえば、生地の中に小さな空気を発生させるってこと」
そう説明しながら、焼き上がったパンを皆に手渡す。
「コレは⁈ なんという軽い口当たりでしょうか⁈」
「凄い……重曹というのも入れただけで、あの固かったパンがこのように……」
「「「「「美味しい~~♪」」」」」
驚愕するオリバ氏と、丁寧に咀嚼して食感を確認する料理長。
そして幸せそうな声をあげるメイドたちと、三者三様のリアクションが楽しいね。
「とまぁ、このように固くなってしまうものを、柔らかくする作用が料理における重曹の主な効果だ」
「料理における? といいますと?」
さすがは一流の商人だ。
オリバ氏はこの言葉の意味を見逃さなかったようだ。
「例えば紅茶の色が移ってしまったカップ……そういう汚れを茶渋っていうんだけど、それをぬるま湯で溶いた重曹液の中に浸け込んでおくと、その汚れを落とす効果もある」
「本当ですか⁈ 旦那様! 少しその重曹を分けていただいてもよろしいでしょうか!」
「え? ま、まぁ別にかまわないけど……」
サーシャが凄い勢いで迫るので、実際に重曹液を作ってサーシャ愛用のティーカップを浸け込むこと約三〇分……。
「す……凄いです! 本当にあの頑固だった汚れが綺麗に取れてます! 嗚呼……なんて幸せなことなんでしょう~♪」
サーシャが綺麗になったカップを上に掲げながら、踊るようにクルクルと回っている。
なんかこんな風にはしゃぐサーシャを見るのは新鮮だな~♪
まぁなんにせよ、喜んでもらえたようで何よりだ。
「と、こんな風に頑固な汚れを落とす効果もある」
オレはそう言いながら、カップを浸け込んでいる間に作ったドラ焼きをソルムに差し出す。
パンケーキやドラ焼きの皮は、重曹を使ったお菓子の代表格だからな。
「んんんんん~~♪ ふんわりとした甘い生地に小豆の優しい甘みが合わさって至福ですぅ~~♪」
ソルムが尻尾をブンブンと左右に振りながら、ドラ焼きを美味しそうに食べている姿を見て、他のメイドたちもドラ焼きへ殺到したのは言うまでもない。
とまぁ、そんな感じで、重曹講座と称した試食会も終えた頃には一三時を少し過ぎた頃だった。
思ったより時間がかかってしまったな……。
「いや~♪ さすがはソーマ様です! このことをヤマツカミ商会に知らせれば、今後の取引もより良きものとなりましょう! 皆さん、例のものをここに」
「「「「「へい!」」」」」
重曹の扱い方を知ったオリバ氏がニコニコ顔で下男に指示し、屋敷の玄関前に止めてある荷車から一斗缶くらいのサイズの容器一〇個を降ろしてオレに差し出す。
「これは?」
「先ほどと同じ重曹です。もし今回ソーマ様から良き御知恵を拝借できたのなら、これを無料で進呈して欲しいとヤマツカミ商会から言われてまして……」
「ああ、そういうことね」
「そういうことです」
つまりこれは情報料ってことだ。
まぁこの程度の情報で四〇〇キロ近くの重曹をいただけるのなら安いものだ。
まだ全ての使い道を教えたわけじゃないしな。
「ではソーマ様、本日はこれにて失礼させていただきます。旅からお帰りになられた際は、また是非にお声をおかけ下さいませ」
「ああ、帰ったら必ず連絡するよ。他に頼んである穀物も届き次第、屋敷の方へ預けといてくれ」
「かしこまりました。ではこれにて!」
前回同様、ホクホク顔でオリバ氏は去っていった。
下男の皆さんも、帰り際に進呈したドラ焼きを食べてニコニコ顔の様子だ。
「うんめぇ! なんだこりゃ!?」
「こんな美味い菓子は初めてだ!」
「パンみたいな生地なのに、すげぇ柔らかいぞ⁈」
「前回もそうだったが、この屋敷に来ると美味いものにありつけるから最高だぜ!」
「荷物多くて荷降ろし大変だけど、次もここの仕事させてもらおう……」
「ソルナークの旦那! また次、ここの仕事があったら必ずオレっちに声かけてくれよ!」
「俺も!」
「オレもだ!」
「ハッハッハッ! 解ってますよ♪」
なんて声が、遠ざかってゆくオリバ氏一行から聞こえてくる。
大層喜んでもらえて何よりだ。
また次来た時は美味い物を御馳走してあげるよ~。
そんなこんなでオリバ氏との商談も終え、オレは早急にお出かけの準備を始めた。
「さて……思ったより時間かかっちゃったけど……。ソルム、準備いいかな?」
「ハイ♪ 私はいつでも大丈夫です♪」
「じゃあみんな、ちょっとソルムと北側の浜辺まで出かけてくる。陽が沈むまでには戻るつもりだけど、遅くなるようだったら必ずキャストかガドラに連絡するから心配しないようにね」
「今度は絶対にお願いしますね、旦那様」
エキルスが念を押すようにそう答えた。
「またエキルスに怒られたくないから、今度はちゃんとするよ♪」
「もう……昨夜のことは忘れて下さいまし……。旦那様は本当にいけずです……」
オレの一言でエキルスの顔が茹蛸のように真っ赤っかだ。
「ハハハ♪ ごめんごめん。じゃあ行ってきます! マーク!」
「御意!」
号令と共に、オレとソルムを乗せたマークが勢いよく屋敷から飛び出し、一路王都北側の浜辺へと向かっていった。




