VSモンスターハウス10
黒川の死から二日が経った。相変わらずテレビのワイドショーはその件で持ち切りである。
山崎とエリナは、ある場所へ向かうため、車を走らせていた。いつものようにエリナが運転し、山崎が助手席に座っていた。
「そういえば、山崎さんに頼まれてたこと、昨日のうちに調べて来ましたよ」
「どうでしたか?」
「まず、莉音さんと大雅さんですが、一昨日の夜は確かにコンビニにいました。アルバイトの店員さんが覚えてました。モンスターハウスの人たちはそのコンビニをよく利用するそうなので、顔も知っているそうです」
「そうですか」
「ただ、これまでイートインコーナーを利用することはあるものの、今回のように三時間も長居したのは、その人の知る限りは初めてだそうです」
「なるほど……」
「それから蘭さんですが、こちらも裏が取れました。一昨日の夜九時半頃から、モンスターハウスの近くの公園で電話をしているところを、近隣住民が目撃しています。相当な剣幕で怒っていたそうで、かなりの数の目撃証言が取れました。そして、目撃者全員が、こんなことは初めてだと証言してます」
「……」
「あと、これを」
エリナは運転しながら、運転席の脇に置いてあった書類を山崎に手渡した。
山崎はそれを受け取ると、中身をじっくりと黙読した。
「……いかがですか?」
「ありがとうございます。良い報告が聞けました」
「これぐらいお安い御用です。そろそろ着きますよ」
「了解です」
やがて車は、ある建物の前に停まった。
車から降りた山崎とエリナは、建物の中に入ると、エレベーターに乗り、最上階である七階へと向かった。
エレベーターのドアが開き、外へ出ると、そこには天井の高い部屋の中に、数十人の男女。そしてコンクリートの壁には、赤や青、黄色の、歪な形をした石のようなものがいくつもくっついていた。
初めて見る光景に少し驚いてる山崎とエリナに、「こんにちは」と話しかける女性がいた。声のした方を見ると、そこにいたのは歩美だった。
「ああ、歩美さん。どうもこんにちは」
「山崎さん、でしたよね?」
「あ、すみません。私の名前、『やまざき』ではなく『やまさき』なんです」
「ああ、ごめんなさい」
「いえ、べつにどっちでもいいんですけどね」
「で、そっちはーー」
「東堂です。先日はお世話になりました」
エリナはお辞儀をしながら言った。
「いえ全然」
「しかしすごいですねえ。ボルダリングって、テレビで見たことはありましたけど、実際に見るとこんなに高いんですね。ここを昇って行くんだからすごいです」
「プロは確かにすごいですけど、私含めここにいる人たちはみんな趣味でやってるんで、遊びみたいなもんですよ」
「そうですか。それにしても難しそうですね」
「そんなことないですよ。ちょっと練習すれば、初心者コースぐらいなら誰でもすぐにできます」
「本当ですか?」
「はい。やってみます?」
「うーん。私はいいので、東堂さん、やってもらえます?」
「え!?何でそこで私なんですか!?ていうか、私が高所恐怖症なの知ってますよね!?」
「知ってますよ。だからやってみてくださいと言ってるんじゃないですか。面白そうだから」
「嫌ですよ!何で山崎さんを楽しませる為に怖い思いしなくちゃいけないんですか!」
「お願いします」
「嫌です!ご自分でやられたらいいじゃないですか!」
「お願いします」
「何度言われても嫌なものは嫌です!」
「お願いします」
「だから嫌だって……」
「お願いします」
「いや、だから……」
「お願いします」
「……」
「お願いします」
「……」
「お願いします」
「怖い!急に壊れないでくださいよ!」
「お願いします」
「何でRPGの村人みたいになってるんですか!他のことも言ってください!」
「お願いします」
「もうやだ!」
「お願いします」
「……」
「お願いします」
「……分かりましたよ」
「ありがとうございます。では歩美さん、準備の方を」
「分かりました。東堂さん。こちらにどうぞ」
「もう怖い!この人たち!サイコパス!」
そんな流れで、エリナは初めてのボルダリングに挑戦する運びとなった。
歩美は慣れた手つきでエリナの体に器具を取り付け、あっという間に壁を登る準備は整った。
「いいですか。高く登るコツは、とにかく上だけを見ることです。下を見ると途端に怖くなりますからね」
「はあ……。何でこんなことに……」
「東堂さん、頑張ってください。下から応援してますから」
しかしエリナは山崎の言葉には答えず、ただ山崎を睨み返すのみだった。「このドS上司、いつか一泡吹かせてやる」と、エリナは心の中で強く決心した。
そしていよいよ、エリナは壁を登り始めた。歩美のアドバイスの通り、エリナは真っ直ぐ上だけを見て登って行った。
すると、意外にもエリナは次々と石に指をかけて行き、どんどん上へ上へと登って行った。
下から並んで見上げていた山崎と歩美は、意外な展開に驚いた。
「すごいですね、あの方。本当に初心者ですか?」
「はい。本人も言っていたように、東堂さんは高い所が苦手なので、初めてのはずなんですが」
「へえ。ボルダリングは、指の力ももちろんですけど、どういうルートで登るのが一番効率的か、瞬時に判断する能力も必要なんです。あの人、さっきから迷いなく石を選んで登ってるんです。これは初心者じゃなかなかできないことですよ」
「そうなんですか。まあ、ああ見えて優秀なんですよ、うちの部下は」
嬉しそうに言う山崎の横顔を、歩美はちらりと見た。
「お腹の具合はいかがですか?」
「え?」
山崎の突然の質問に、歩美はそれがどういう意味なのか、すぐには理解できなかった。
「一昨日皆さんのお宅に伺ったとき、あなたが何度かお腹を痛そうに押さえる仕草をされてたのが気になったんです。それでモンスターハウス近くの病院を調べてみたら、あなたが昨日診療に行っていたことが分かりました。警察の権限を使ってカルテも見せてもらいました」
「……」
山崎は懐から折り畳まれた一枚の紙を取り出し、それを広げて内容を読んだ。それは、さっき車の中でエリナが山崎に手渡したものだった。
「肋骨にヒビが入ってるそうじゃないですか。大丈夫ですか、ボルダリングなんかして」
「……お医者さんには許可をもらってます」
「そうですか。良かったですね、そこまで重大な怪我じゃなくて」
「……ええ」
「ちなみに、このカルテによれば、骨のヒビは、誰かに殴られたか蹴られたような入り方だとあるんですが、どなたかと喧嘩でもされたんですか?」
「まさか。私、趣味でキックボクシングもやってるんです」
「へえ。運動がお好きなんですね」
「はい。ヒビはそのときに入ったものです。キックボクシングの先生には何だか申し訳ないので話してませんけど」
「そうですか。軽傷ならその方がいいかもしれませんね」
「……ええ」
「あ、そうだ。あと、黒川さんの遺書の件なんですが。皆さんのLINEグループに送られた」
「ああ」
「あのメッセージが送られた夜の九時半頃、歩美さんがどこで何をしていたか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「……あのときは……ネットカフェにいました。モンスターハウスからバスで三十分ぐらい行ったところにある、駅前のネットカフェです」
「ネットカフェ?お一人で?」
「はい」
「何でまた?」
「一人になりたかったんです。モンスターハウスから脱落することになって、軽くパニックになってたから、一晩モンスターハウスから離れて、冷静になろうと思って」
「そうですか。しかし、一昨日私がモンスターハウスに伺ったとき、あなたもいらっしゃいましたよね?」
「クロちゃんが自殺したって連絡もらって、慌てて帰って来たんです。バスはとっくに終わってたから、走って帰りました」
「バスで三十分の距離をですか?」
「大した距離じゃありません。普段からランニングとかよくするので、一時間もあれば帰れます」
「……なるほど」
二人が話しているうちに、いつの間にかエリナは随分高い位置まで登っていた。
「おお!すごいじゃないですか東堂さん!さすがです!」
山崎の声が聞こえたのか、エリナは思わず後ろを振り返り、山崎に答えようとした。
その瞬間、エリナは自分が今いる高さを認識し、次の瞬間には「ぎやあぁぁぁあ」と、広い部屋中に響き渡る声で叫んでいた。
山崎はそれを見て、嬉しそうに笑っていた。
歩美は、何も言わず、ただその場に立ち尽くしていた。




