VSモンスターハウス9
都内にある某撮影スタジオに蘭はいた。
緑色の壁をバックに、様々なポーズを取っていた。その周りでは、照明器具や反射板、髪をなびかせる為の扇風機を持つカメラアシスタントが数人と、モデルの蘭に何度も賞賛の声を送りながらカメラのシャッターを何度も切るカメラマンがいた。
さらにその後ろには、蘭をキャスティングした企業の人間であろう中年ぐらいの男性が数人、少し離れた所に蘭のマネージャーらしき若い女性が一人、あとはどういう関係者なのか分からないスーツの男性が何人か。皆蘭の撮影の様子を見守っていた。
そんな緊張と緩和が入り交じった空間に、新たな人間が二人入って来た。一人は黒いスーツに身を包み、姿勢良く歩いている。テレビに出ている俳優か何かと思えるほど、身長は高く、容姿も申し分なかった。
その隣にいるのは、こちらも驚くほどの美しさを持った女の子だった。隣のスーツの男の腕に自らの腕を回している。
この二人がここのスタジオで行われている撮影の関係者だとは、とても思えなかった。それ故に、新たに入って来た新参者の二人に、その場にいた者たちは異様な物を見る目を向けた。
「あの、どちら様でしょうか?」
二人に問いかけたのは、蘭のマネージャーである石原だった。見た感じ、歳は二十代前半ぐらいだろう。かなり若そうに見える。
「あ、すみません。私こういう者でして」
そう言って、黒スーツの男は懐から警察手帳を取り出した。それを見て、石原マネージャーは驚いた表情を見せた。
「警察の方……。蘭にご用でしょうか?」
「えっと……はい」
「分かりました。今雑誌の撮影中でして、もう少ししたら休憩に入るので、それまでお待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。すみません、急にお伺いして」
「では……」
それだけ言い残して、石原は元いた場所へ戻って行った。
黒川の死は、既に各局のニュースで取り上げられ、日本中に知れ渡っていた。それもテレビ番組の企画の中で起こったことということもあって、テレビだけでなく、ネットや雑誌など、様々な媒体で批判や主張が行われていて、もはや黒川の死を悼むことは忘れ去られていた。
石原からしてみれば、思わぬ形で自分が担当するタレントのイメージに傷が付いたのだから、心中穏やかではないだろう。その証拠に、さっきの山崎を見る目には明らかに敵意が滲み出ていた。
山崎とカオルは、スタジオの隅に置いてあった小さな椅子に腰掛け、撮影が休憩に入るのを待った。
それから十五分ほどで撮影は休憩に入った。すると、石原が蘭に何やら耳打ちしているのが、山崎たちがいるところから見えた。さっきまで笑顔で撮影していた蘭の表情が瞬く間に固くなっていくのが確認できた。
石原が蘭から離れると、蘭は山崎たち見つけ、真っ直ぐそっちの方へ歩き出した。やがて、山崎の目の前にたどり着いた。
「すみません。突然お邪魔してーー」
「場所変えましょう」
立ち上がって挨拶しようとする山崎も聞かずに、蘭は山崎をスタジオの外へと連れ出した。
蘭が連れて来たのは、机や椅子がいくつか並べられた小さな会議室だった。
「刑事さん。ここ一応私の仕事場なんですけど。こんなとこに急に警察の人が来たら、みんな不安になるじゃないですか」
「ああ、すみません。気が回りませんで」
「はあ……。まあいいです。どうせ昨日のことはもうみんな知ってるし」
「……」
「みんな明らかに私に変に気を遣ってて。何か笑いそうになっちゃいました」
「何と声をかけていいのか、判断しかねているんでしょう」
「こんなこと、普通無いですもんね。……私も初めて……」
蘭は自嘲気味に笑った。
「で、今日はどうしたんですか?何か私に聞きたいことがあって来たんですよね?」
「はい。そうなんです。実は、黒川さんが書いたと思われる遺書が見つかりまして。あなたもご存知ですよね?」
「……心当たりはあります」
「おそらくそれで間違いないかと。皆さんのLINEグループに黒川さんが例のメッセージを送ったのが夜の九時三十八分だったんですがーー」
「その時間何をしていたか、ですか?」
「察しが良くて助かります」
「いえ。昨日のその時間は、確か電話をしてました」
「電話。それはどなたと?」
「マネージャーです。さっきいた小さい女の子」
「お仕事の話ですか?」
「マネージャーと仕事以外の話するんですか?」
「……いえ」
「嘘だと思うならマネージャーにも聞いてみてください」
「分かりました。ちなみに、その電話は家でされてたんですか?」
「いえ。モンスターハウスの近くに公園があるのでそこで。仕事の電話は、みんなの前ではしないようにしてるんです」
「なるほど。電話は何分ぐらい?」
「結構長電話だったと思います。多分、九時半ぐらいから一時間ぐらいはしてたかも」
「その後は?」
「そのままその公園にいました。多分零時過ぎぐらいまで」
「お一人でですか?」
「はい」
「そんなところで何を?」
「別に何も。スマホを見たり、考え事したり。たまにそういうことあるんです。一人になりたい時間というか。特に昨日はいろいろあったから」
「……なるほど。そうですか」
「他に聞きたいことは?」
「いえ、結構です。その代わり、マネージャーさんから少しお話を聞きたいのですが」
「分かりました。呼んで来るんで、ここで待っててください」
「ありがとうございます」
「いいですよ、それぐらい」
そう言うと、蘭は会議室から出た。それから一分ほどで、蘭が石原マネージャーを連れて戻って来た。
「あの、私にお話ということですけど……」
石原は少し怯えた様子だった。
「はい。まあそんなに固くならず。簡単な質問をいくつかさせていただくだけですから」
「は、はい……」
山崎は石原に優しく微笑みかけたが、石原の緊張を解くには至らなかったようだった。
「ではまずお聞きしたいのですが……」
山崎はそう言いながら、部屋の中にある長机の一つに腰掛けている蘭を見た。
蘭はその視線に気付き、山崎を見返した。
「あれ?もしかして、私いない方がいいですか?」
「できれば。まあそんなことはないと思うのですが、蘭さんがいらっしゃることでマネージャーさんが話しにくいことがあるといけませんので」
「……なるほど。確かにそうかもしれません。分かりました。ちょっと出てます」
「すみませんがお願いします」
「……すみません」
石原はぼそぼそと呟くような声で言い、蘭に頭を下げた。
「じゃあ、終わったら教えてください」
そう言って、蘭は部屋を出て行った。会議室には、山崎と石原の二人だけが残された。
「石原さん、でしたね?」
「は、はい」
「昨日の夜のことについていくつかお聞きしたいのですが、よろしいですか?」
「……はい」
「一応言っておきますが、くれぐれも正直にお話しいただきますようお願いします」
「はい。分かりました」
「ではまず、昨日の夜、蘭さんと電話で話されたというのは本当ですか?」
「はい、本当です」
「それは何時から何時まで?大体で構いません」
「えっと……多分、九時半から十時半をちょっと過ぎるぐらいまでだったかと」
「一時間と少しですか。随分長電話でしたね」
「……はい」
「電話は蘭さんの方から?」
「はい、そうです」
「どんな内容でしたか?」
「……」
「何か話しにくいことでも?」
「いえ、別にそういう訳では……。ただ……」
「ただ?」
「あの、これはオフレコでお願いしてもいいですか?蘭さんのタレントイメージに関わってくることなので。もちろん今の時点で世間のイメージはかなり悪いですけど、これ以上悪くしたくないんです」
「分かりました。お約束します」
「ありがとうございます。ではお話しします。実は昨日、蘭さんはご自分のオフの日について私を叱る電話をかけて来たんです」
「オフ?お休みということですか?」
「はい。蘭さんはいつも、毎週必ず二日はオフが欲しいとおっしゃってるんですが、先週はたまたま一日しか取れずで。それでかなりお叱りの電話を……」
「ほう。あの、こんなことを言ってはなんですが、そんなことで一時間以上もお叱りになるんですか?」
「私も正直驚きました。こんなこと初めてだったので」
「そうなんですか?」
「はい。オフが週に二日欲しいっていうのは、あくまで可能ならという話で、これまでも週に一日とか、オフ無しのときだってあったんです。それに先週オフが二日取れなかったのは、お世話になってるスポンサーさんのお仕事で、どうしても受けざるを得なかったんです。蘭さんもその辺のことには理解がある方なので、これまでも特に怒ったりはしなかったんですが……」
「お休み以外のことで蘭さんがそれほど怒ったことはこれまでありましたか?」
「ありません。昨日が初めてです」
「……なるほど……。ありがとうございます。よく分かりました」
「あの、こんなのでよかったんでしょうか?」
「はい。とても貴重なお話が聞けました。感謝いたします」
「……あの、蘭さんは……その、クロちゃんさんが亡くなった件に関わってたりしませんよね?」
「それは、今は何もお答えできません」
「蘭さんは、見た目はちょっと派手だったりしますけど、本当はとてもいい方なんです!たまに態度が悪かったりすることもあるけど、それはただの人見知りで……。だからーー」
「石原さん。そう思うのなら、蘭さんを信じてあげてください」
「……はい。すいません。取り乱して」
「いえ、大丈夫です」
「では、出ましょうか」
そう言って、山崎は石原を会議室の外へエスコートした。
二人は一緒にさっきの撮影スタジオへ戻って来た。てっきり蘭の撮影が再開されているかと思っていたが、蘭は入口の近くで何かを見ながら立っていた。その視線の先を見てみると、そこにはさっきまで蘭がポージングをしていた場所で、カオルが同じように様々なポーズで写真を撮られていた。
「カオル?何してるんだ?」
山崎は驚いて思わず尋ねた。すると、すぐ近くにいた蘭が答えた。
「私も驚きました。戻って来たらこんなことになってて……」
すると、山崎に気付いたカオルが、撮影途中なのも気にせず山崎の方へ駆け出した。
「お兄ちゃーん!」
「カオル。いつの間にか姿が見えないと思ったら、何してるんだよ?」
「あのね、あのカメラマンのおじさんが私を撮りたいって言うから、撮らせてあげてたの!」
「撮らせてあげてたってーー」
「お兄さんですか」
そう言って近付いてきたのは、さっきまで蘭とカオルを撮っていたカメラマンだった。
「はい、そうですが」
「いやあ、妹さんはモデルの才能がありますよ。顔は美形だし、スタイルも抜群。それにどんな服も着こなすポテンシャルもある。カオルさん、だったね?僕の知り合いの事務所を紹介してあげるから、是非モデルとしてやってみないか?君なら何千万を稼げるモデルになれるよ」
「カメラマンさん。さすがにそれは褒めすぎですよ」
「いやお兄さん、これは本当ですよ」
興奮するカメラマンに、蘭は少し当惑した。山崎はため息をついていた。自分の妹が何でもできてしまうが故に面倒なことになるのはいつものことだった。
「どうかな、カオルちゃん。やってみる気はない?」
カメラマンはしつこく尋ねた。
「うーん。別にいいや!カオルはお兄ちゃんと結婚して、専業主婦になるから!」
「せ、専業?」
困惑しているカメラマンたちを置いて、カオルは山崎の元へ駆け寄り、腕を掴んだ。
「お兄ちゃん、お話は終わったの?じゃあもう帰ろう!」
「あ、ああ。そうだな。じゃあすみません。我々はこれで失礼します。どうもお邪魔しました」
「さよならー!」
そう言うと、山崎はカオルに引っ張られるようにスタジオを出て行った。
カメラマンは心底残念そうな顔をしていた。




