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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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山崎のいない日5

 新幹線が新横浜を出て十五分ほどが経った頃、恵は暇を持て余していた。元々一時間以上も新幹線に乗っているつもりなどなかったのだ。暇潰しの道具など、スマホぐらいしか持って来ていない。

 とりあえず、恵は化粧を直すことにした。今朝は化粧をする時間がほとんど無いに等しかったから、タクシーの中で軽く下地を塗り、香水は振ったものの、恵の顔はほぼすっぴんに近い状態だった。普段ならそんな状態で外に出ることなど考えられないが、状況が状況なだけに、恵は甘んじてこの顔を外に晒すことを受け入れたのだった。むしろそもそも自分の顔など誰も見ていないと開き直れば、大した苦ではなかった。

 恵の化粧が終盤に差し掛かった頃、「すいません」と恵を呼ぶ女の声が聞こえた。恵は一旦化粧の手を止め、声の方を向くと、そこには白地に花柄のワンピースを着た、若く美しい女が立っていた。そのスタイルは、引っ込むところは引っ込み、出るところは出るという理想的な体型が服の上からでも見て取れ、恵は思わずその若い女を羨んだ。

「隣、座ってもいいですか?」

「はあ…どうぞ」

 恵が答えると、女は嬉しそうに恵の隣の座席に座った。他にも空いている席はたくさんあるだろうに、どうしてわざわざ自分の隣の席に座るのか、恵には謎だったが、時にそういった、距離感のおかしい人間に出くわすことはある。恵はその女のことは気にしないことにし、化粧の仕上げに取り掛かることにした。

 しかし、その途中でまた隣の女が話しかけて来た。そのせいで、恵は化粧の手を止めざるを得なかった。

 この女は自分が化粧しているのが見えていないのだろうか。それとも、それほど化粧に対して重要性を感じていないのだろうか。そりゃあこの女ほどの若さと素材があれば化粧など必要ないに等しいだろうが、自分はそうではない。恵は化粧を邪魔されるのがたまらなく嫌いだった。

 毎朝男と自分の体裁の為にこんな面倒なことをせねばならず、夕方や夜頃に崩れてきたらまた直さねばならない、この「化粧」という文化が、恵は時にたまらなく嫌いになるのだった。しかし、人から美しく見られたいのも事実で、また自分の年齢では、もはや化粧無しで外に出ることは、裸で外を歩き回るほどに恥ずかしいことだった。女に生まれてしまった以上、この"呪縛"からは逃れられないのだと、恵は既に諦めていた。

 しかし、この隣に座っている女にはそんな苦労など理解できないのだろう。見たところ、歳は十代後半か二十代前半だろう。肌は磨いたように真っ白で、思わず触りたくなるほどつやつやしている。おまけに顔も驚くほどの美人で、スタイルまで良いと来ている。恵も自らを、一般的には美人の部類に入ると自負しており、事実周りからもそう思われているのだが、この女と比べられては立つ瀬がないと思った。

 女として負けを認めたくない恵は、できるだけ窓の外を眺め、隣の女が視界に入らないようにした。そのときだった。

「お姉さんは、これからどこに行くんですか?」

「え?」

 隣の女が話しかけて来た。まさか話しかけられるなど予想していなかった恵は、思わず女の方を見てしまった。女はにっこりと笑って、もう一度「どこに行くんですか?」と問いかけて来た。

 ついさっきこの女とは関わりたくないと思ったことを悟って、敢えて話しかけて来たのだろうか。そんなことを考えてしまうほど、女は意味ありげな表情で尋ねて来た。

「えっと…名古屋に」

 女の発する「圧」のようなものに押されて、恵は思わず答えてしまった。

「へえ!名古屋かあ!私たちは京都まで行くんです!その後城崎温泉に行くんですよ!あ、私たちっていうのは、私と、私のお兄ちゃんと、お兄ちゃんの職場の人たちなんですけど」

「ああ、そう」

 何だこの女は?聞いてもないことをペラペラと。もしかしてわざわざ自分の隣に座ったのは、誰か話し相手が欲しかったからなのか? それならそのお兄ちゃんか、お兄ちゃんの職場の人たちと話せばいいだろうに。それともあまり仲良くなくて、何時間も一緒の空間にいるのが息苦しいのだろうか。

 恵がそんなふうに考えを巡らせていると、その女が更に話を続けて来た。

「名古屋には旅行ですか?」

「え?…ええ、まあ」

「お一人で?」

「…悪い?」

「全然!いいと思います、一人旅! 私はしないけど」

 最後の一言はいらないだろう。

「でも、旅行にしては荷物が少ないくないですか?その小さいバッグ一つだけ? 他に鞄も持ってないみたいですけど」

「それは…向こうに友達がいるのよ。必要なものはその友達が用意してくれてるの」

「着替えまで?」

「全部じゃないけどね。多少は向こうで買ったりするけど」

「えー、何かもったいなくないですか?別に持ってる服を持って行けば…」

「いいでしょ、別に。それが私なりの旅行の楽しみ方なの」

「ふーん。変なの」

 この女、妙に鋭い。何か知っているのか?いや、あのトイレに自分がいたことを示すものは何一つ残していないはずだ。自分が疑われる要素はない。仮に疑われたとしても、今鞄の中に入っている凶器さえ見られなければ、犯人が自分だという証拠もない。恵は冷静さを取り戻すよう努めた。

「そういえば、さっき使ってた化粧品」

「え?」

「結構良いやつでしたよね? それに今つけてる香水も、多分結構高いと思うんですけど、どうですか?」

「…まあ、それなりにね」

 恵は、悪い気はしていなかった。自分がこだわっているものをきちんと気付いてもらえるのは、相手が初対面のよく分からない人間だとしても、嬉しいものだった。これが女の性なのだろうかと、恵は思った。

「それ、どこで買ったんですか?」

「これは、銀座だったかしら」

「銀座かあ。あ、銀座と言えば、あれがありますよね!」

「あれ? あれって何?」

「ええっと、何だっけ…」

「何よ」

「ちょっと待ってくださいね。えっと…。あ! 思い出した! あれだ! 富士宮商事の本社だ!」

「…!」

「前にあそこ通ったことあるんですよ! すっごく大きなビルですよね!」

「…さあ。行ったことないから…」

「あ、そうなんですか! すいません。何か勝手に盛り上がっちゃって」

「いえ、別に…」

 恵は口から心臓が飛び出そうな思いだった。何でここで富士宮商事の名前が出て来るのか?確かに田辺と恵が働いている富士宮商事の本社は銀座に巨大なビルを構えてはいるが、だからといって銀座のランドマークという訳ではない。この女、やはり自分を疑っているのだろうか? だとしたら、絶対にボロを出す訳にはいかない。恵は、とにかく冷静になるよう努めた。

 しかしこの女、何か見覚えがある。どこかで会ったような…。そうだ!

 恵が気付いた瞬間、女はまた話しかけて来た。

「ところでお姉さん」

「え?」

「ちょっと聞きたいんですけど、いいですか?」

「…え、ええ。何?」

「お姉さんさっき、十一号車にいましたよね?」

「え?」

「さっき見たんですよ。十一号車でお姉さんが、怖い顔して歩いて行くの。それでその後、今度は五号車で私とすれ違いましたよね?覚えてますか?」

「…ごめんなさい」

「そうですか。でも大丈夫です! 私は覚えてますから! 私、記憶力には自信があるんです!」

「…そうなの」

「はい! 最初は十一号車にいて、次は五号車にいて、そして今は一号車にいる。どうしてずっと新幹線の中を移動してるんですか?」

「それは…買ったチケットが自由席だからよ。新幹線の自由席は一号車から三号車でしょ」

「じゃあ何で最初は十一号車に? 随分遠くの車両から乗ったんですね」

「新幹線に慣れてなくて。どっちが指定席でどっちが自由席か分からなかったの。いけない?」

「いけないなんてそんな! 私はただ、何でかなって思っただけです。確かに新幹線って難しいですよね! 私もよく間違えます!」

「納得してくれてよかった」

「はい! あ、ちょっと待ってください…」

 女は懐からスマホを取り出して画面を操作した。どうやらメッセージが送られて来たらしく、内容を確認しているようだった。

「じゃあ私、この辺で失礼しますね!」

 女はスマホを懐に直し、座席から立ち上がった。そして恵に向かってにっこり笑うと、どこかへと去ってしまった。

 恵は呆気に取られ、しばらくどうすればいいのか分からなかったが、気を取り直し、また名古屋までの時間を潰すことにした。

 さっきの女のことは気にかかったが、気にしても仕方ないので、恵は何とか忘れようとした。

 すると、また「すいません」と恵に呼びかける女の声がした。恵は声の方を振り向いた。


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