山崎のとある休日5
神楽坂を先頭にして、三枝と山本は銀行の奥へと入って行った。高津と斎藤は拘束している客や銀行員が不審な行動を見せないか監視役を担っている。あの縛り方なら抵抗することはまず不可能だろうが、万が一のことがあったとしても、あの二人なら力ずくで抑えられる。それに対しこっちが相対しているのは小柄な女一人であるから、三枝と山本の二人で十分だった。
銀行の奥まで行き着くと、ドラマや映画で何度も見たような、巨大な金庫のドアが現れた。そこに、数字を打ち込むキーボードのようなものが付いていた。
三枝は、ドアの前まで来ると、神楽坂をキーボードの前に立たせた。
「開けてもらえますか?」
三枝が言うと、神楽坂は何も言わずにこくりと頷き、キーボードに十桁ほどの数字を慣れた手つきで素早く入力していく。
三枝はそれを後ろから眺めていたが、それよりも一歩下がったところで、山本がじっと三枝と神楽坂の二人を後ろから見ていた。というよりは、どちらかというと観察しているようにも見えた。その目つきに三枝は尋常ならざるものを感じたが、よくよく考えてみれば自分たちは銀行強盗の最中で、今まさに大金が手に入ろうとしているところなのだ。あんな表情になっても不思議ではない。何なら、気付いていないだけで、自分もあんな表情になっていたかもしれないと、三枝は思い直した。
やがて神楽坂がパスワードを入れ終わると、ガシャッという重厚な音と共に、金庫のドアがゆっくりと開いた。三枝は逸る気持ちを抑えつつ、ドアが開くのを待った。
やっと人一人入れるほどの隙間ができたときだった。突然三枝の後ろから人影が現れたかと思うと、一瞬で三枝を追い抜き、金庫の方へと一目散に走って行ったのだ。それは他の誰でもない、山本だった。
「ちょ、ちょっと!」
三枝の呼びかけにも答えず、山本は金庫の前の神楽坂を押し退け、金庫の中へと入って行った。三枝もそれに続いて中に入った。
金庫の中は殺風景なものだった。三枝は、もっと札束が所狭しと並べられた情景を思い浮かべていたが、実際は広い空間に紙袋が二つ置かれているだけだった。おそらくあの中に現金二億円が入っているのだろう。
先に金庫に入っていた山本は、紙袋の元へ急いで駆け寄り、中身を確認した。そして後から入った三枝に言った。
「三枝さん!すごいですよ!本当に二億円入ってます!これで今の貧乏生活ともおさらばだ!」
それを聞いて、三枝は少し安心した。山本があまりに血相を変えて金に飛びついたものだから、てっきり「この金は僕のものだ!」などと言い出して、自分たちを裏切るのではないかと思ってしまったのだった。人は見かけによらないものだと、三枝は経験から知っていたから、尚更その恐れは高まっていた。しかし、実際はそんなことはなく、山本はきちんと金を山分けするつもりらしい。三枝はほっと胸を撫で下ろし、手に持っていたアタッシュケースを床に広げ、山本と協力して金を詰めていった。二人でやるにはなかなか骨が折れる作業だったので、まだ金庫の外にいた神楽坂を呼んで手伝わせ、三人で金をアタッシュケースの中に詰めていった。
金は、見事なほどにケースぴったりに収まった。三枝は改めて今回の計画の緻密さに震撼した。金を全て詰め終えると、三枝がケースを持ち、三人は素早く金庫の外に出た。金庫の扉は自動で動くようになっており、神楽坂が開閉ボタンらしきものを押すと、開けたときと同じゆっくりしたスピードで閉まっていき、やがて完全に閉まると、自動で鍵がロックされた。
「よし、行きましょう」
「はい!」
三枝の呼びかけに山本が威勢よく答えた。金を手にしてからというもの、山本は人が変わったように妙に覇気があるように見える。まあこんな大金を手にすれば、気が大きくなっても仕方がないと、三枝は納得した。
二人の後ろから神楽坂がついてくる形で高津と斎藤がいる方へ歩いていると、「すいません」と三枝に呼びかける声が聞こえた。声の主はすぐに分かった。三枝の後ろから付いて来ていた神楽坂である。三枝と山本は立ち止まり、後ろを振り返った。
「あの、ちょっといいですかーー」
神楽坂は恐る恐る二人に語りかけた。
三人は元いた場所へ戻って来た。ここを離れていたのはほんの十数分ほどであったが、特に変わったところもなく、目隠しをされて手を縛られ、座り込んでいる人間が二十人ほど、その前にハローキティのお面をつけた高津と、仮面ライダーのお面をつけた斎藤が立っていた。
高津と斎藤は、三枝たちが戻って来たことに気付き、後ろを振り返った。斎藤が三枝に呼びかける。
「おう。どうだった?」
「ばっちりです」
三枝はアタッシュケースを持ち上げながら答えた。
「よし、じゃあさっさと退散しよう」
「はい」
斎藤の呼びかけに答え、三枝はアタッシュケースを床に置き、目の前にいる約二十人の拘束された人間を前に語りかけた。
「皆さん。ただ今をもって、我々は目的を達成しました。この度は皆さんに多大なる精神的苦痛を与えてしまったこと、誠に申し訳なく思ってます。この後我々はここを退散しますが、すぐに警察が到着すると思います。それまでしばらくその状態でお待ちください。では、我々はこれで」
できるだけ丁寧な口調で語った後、三枝たちはその場を立ち去ろうとした。そのとき、「あの、ちょっとすいません」と呼びかける声がした。声の方を見ると、三枝はどっと肩が重くなったような気がした。またあの男、山崎だった。普通、見知らぬ男に目隠しをされ、拘束されれば、大きな声で喚き散らすか、もしくはここにいる山崎以外の人間がそうであるように、静かに大人しくしているものだと思うのだが、この山崎という男だけは、喚くでもなく、静かにするでもなく、まるで拘束などされておらず、知り合いとでも話しているかのように落ち着き払って自分たちに話しかけてくる。それが三枝にとって気味が悪かった。
「またお前か!何回もしつこいぞ!」
反応したのは高津だった。
「すいません、強盗でお忙しいところ。ちょっとお願いがありまして。実は私、さっきからすごく喉が渇いてしまって。私の鞄の中にさっきコンビニで買ったお茶が入っているので、ちょっと飲ませてくれませんか?」
「知るか!もうすぐ解放されるんだから我慢してろ!」
「お願いしますよ。もう限界なんです。昨日から何も飲んでないんですよ。たった数秒です。それに私は拘束されています。あなたたちがここから逃げるのに何の障害にもならないはずです。お願いできませんか?」
山崎の懇願に高津はしばらく頭を悩ませ、そして「分かったよ」と諦めたように言い、山崎の方へ近付こうとした。三枝はすぐさまそれを止めた。
「ちょっと高津さん」
「大丈夫だよ。あいつも言ってたように、別に計画に支障は無いだろ?それに三枝さんも言ってたじゃないか。この人たちを傷付けるつもりはないって」
「傷付けるつもりはない」とは言ったが、「必要以上に優しくしてやれ」とは言ってない。三枝は再度止めようとしたが、高津は既に山崎の方へ歩き出していた。
「余計なことをするな」と三枝は言いたかった。思えば山崎が拘束を嫌がったときもそうだった。あんなのは無視してさっさと縛ってしまえばいいものを、高津はわざわざ話を聞いてやっていた。この男は妙に人がいいところがある。銀行強盗をしているのだから「人がいい」もないが、おそらく根っからの悪人という訳ではないのだろう。
山崎の元へ来た高津は、山崎の横に置かれていた旅行用の大きめの鞄を開け、その中から麦茶の入ったペットボトルを取り出した。
「これか。ほら、口開けろ」
「すいません、ありがとうございます。」
そう言って、高津は山崎にペットボトルのお茶を飲ませてやった。山崎はごくごくとお茶を飲んでいたが、途中から鼻をムズムズし始めた。それを見た高津は一瞬嫌な予感がよぎったが、そのときにはもう遅かった。山崎は「はっくしょい!」という声とともに、大きなくしゃみをした。その拍子に動いた頭が高津の手に当たり、持っていたペットボトルを弾き飛ばしてしまった。フタが開いたままだったペットボトルからは、中のお茶がこぼれ出し、銀行の床を濡らした。お茶は見る見るうちに床を広がっていき、三枝たちがいる方まで達した。
「ちょ、何やってんだお前!」
「すいません。最近ちょっと花粉症で」
「本当に余計なことばっかりするなあんたは!」
「申し訳ない・・・」
高津が山崎を怒鳴っていると、やがてこぼれたお茶が、床に置いていたアタッシュケースにまで届き、それを見た斎藤が血相を変えてケースを持ち上げた。
「危ない!中身まで濡れたらどうすんだよ!」
そう言って、斎藤はケースの底面を確認し、濡れている部分を自分の服で拭いた。アタッシュケースがちょっと濡れたからといって、中のものまで濡れるはずはないと三枝は思ったが、この状況だ。必要以上に心配してしまうのだろうと考え直した。
高津は山崎の元から離れ、三枝の方に戻ってきた。
「三枝さん。さっさとずらかろう。逃げられなくなっちまう」
「俺はさっきそう言ったのに、お前のせいで逃げるのが遅れたんだろう」と三枝は言ってやりたかったが、それこそ時間の無駄だと思ったので、素直に「そうですね」とだけ言って、斎藤からアタッシュケースを受け取った。
「では皆さん。我々はこれで」
そう言い残すと、三枝、山本、高津、斎藤の四人は、銀行の奥へと歩き出した。