守りたい女12
公演を終えた都子は、楽屋でメイクを落とし、既に着替えも終えていた。都子は、いつものメイク担当スタッフや衣装スタッフたちからの称賛の声を浴びながら、帰り支度を整えていた。
そのとき、楽屋のドアを開けて、マネージャーの高木が入って来た。
「あら、高木ちゃん。どこ行ってたの?」
「あの、椿さん・・・」
「何?」
「今、警察の方がお見えで、椿さんにお話があると」
「またか・・・」
「どうします?今日は疲れてるからって断ることもできますけど」
都子は少し考えてから言った。
「いいえ。大丈夫。私も、この件は早く終わらせたいの」
「分かりました。あと、できれば椿さん一人で来て欲しいと」
「・・・そう。分かった。じゃあ、高木ちゃんたちはここで待ってて」
「でも・・・」
「大丈夫。何も悪いことなんてしてないんだから」
「はい・・・」
「じゃあね」
不安そうな高木たちを置いて、都子は楽屋を出て行った。
都子が舞台袖に行くと、ついさっきまで壮大なミュージカル公演が行われていた舞台の上に、山崎が一人立っていた。都子はゆっくりと舞台の上へ歩き出した。
「どうも、お疲れのところご足労いただいてすみません」
都子に気付いた山崎が先に話し始めた。
「いいえ、構いませんよ。今日の公演はご覧いただけたのかしら?」
「はい。素晴らしかったです。私、ミュージカルというものを観ること自体初めてだったんですが、正直これほどとは思ってませんでした。特に椿さんの歌と演技にはもうーー」
山崎は、あまりの感動で上手く言葉では表現できないという様子だった。
「そう。ありがとう。そうやって褒められると、素直に嬉しいわ」
都子は笑顔で答えた。
「あのエミリーって役はね、私がこれまで演じてきた役の中でも、特に思い入れのある役なの」
「そうなんですか」
「ええ。エミリーは、周りの人たちの助けを借りながら、自分もたくさん努力をして、そして遂に自分の夢を叶えるでしょ?それが何だか私と重なるの。私、最初は歌手になりたかったのよ」
「そうだったんですか」
「でも、なかなか売れなくてね。一度は諦めようと思った。そんなとき、私の両親や一緒に歌手を目指してた子たちが『やめちゃ駄目だ』って止めてくれたの。そこでミュージカル女優っていう道を見つけて、何とかここまでやって来られた。だから、エミリーと私はちょっと境遇が似てるの」
「そうでしたか。道理で椿さんに役がぴったりだと思いました」
「そう?そう言ってもらえると頑張って稽古した甲斐があるわ」
「それは良かったです」
二人は笑顔を交わしつつも、少しの間二人を沈黙が包んだ。
先に沈黙を破ったのは都子だった。
「ところで山崎さん」
「はい」
「まさか、今日の感想を言う為だけに、わざわざ疲れてる私を呼び出した訳じゃないですよね?」
「・・・はい。今日は大事なお話が」
「伺いましょう」
山崎は少し息を吐いてから話し始めた。
「椿さん。あなたが五十嵐さんを死に至らしめたのは、やはり正当防衛ではなく、明確な殺意があってのものですね?」
都子は答えなかった。山崎は気にせず続ける。
「あなたはあの日、楽屋で五十嵐さんと二人きりになったタイミングで、隙をついて五十嵐さんの後頭部を殴って殺害しました。凶器は楽屋から無くなっていた灰皿です。あなたはそれが見つかってはまずいと考え、ご自分のバッグに入れて現場から持ち去ることにしました。しかし、バッグには化粧品や日用品がたくさん入っている。だからあなたは仕方なく、バッグの中身を楽屋のゴミ箱に捨てて行くことにしたんです」
都子は黙って聞いている。
「その後、あなたは灰皿を処理するため、我々警察が到着する前に一足早く現場を立ち去った。問題は凶器である灰皿をどこに捨てたかですが、あの日公演が行われた芝内国際会館から近く、誰かに見つけられる可能性も低く、そして捨てる手間もかからない場所。それは一つしかありません。そう、芝内海岸です。あそこなら、会場から車で長くとも二十分ほどで辿り着けます。あなたは、海岸から海の中へ、バッグごと灰皿を投げ捨てたんです。その証拠に、我々が椿さんのお宅へ伺ったとき、玄関にあった椿さんの靴の底に砂がついてました。国際会館の近くであんな砂をつけられるのは芝内海岸ぐらいしかありません。そして、現場に到着した我々が椿さんのお宅に電話したときにあなたが出られなかったのは、そのときあなたはご自宅にはいらっしゃらず、外で車を走らせていたからですね?」
都子はしばらくの沈黙した後、少し笑って言った。
「確かにそういう見方はできるかもしれないけど、それまでね。だって、何一つ証拠はないじゃない。バッグの中身を捨てたのは、単にそういう気分だったのよ。いわゆる断捨離ってやつ。電話に出られなかったのだって、そのときは家で眠ってたから。面白い話だったけど、どれもこれも検討違いね。ちゃんとした証拠でもあるなら、話は別だけど」
「証拠なら、あります」
「・・・まさか」
「そのまさかなんです。そんなもの無いと思ってらっしゃいますね?確かに、あなたの犯行を立証する決定的な証拠は、現状五十嵐さんの血のついた灰皿だけです。しかし、それは今海の底に沈んでいます。それを見つけるのは、さすがの警察でも困難を極めるでしょう。ならば、灰皿以外の証拠を見つけるしかない。そして、見つけました」
都子は思わず生唾を飲み込んだ。
山崎は、懐からゆっくりと透明なビニール袋を取り出した。そして、その中身を都子に見えるよう高い位置に持ち上げた。
都子は、その中身を見た瞬間、心臓が飛び出るかと思うほどに鼓動が高鳴った。
ビニール袋の中には、日本のものではない、海外の熊のようなキャラクターのストラップが入っていた。水に濡れて少しふやけてしまっているが、都子はそのストラップに嫌と言うほど見覚えがあった。
「これは、椿さんがいつもご自分のバッグに付けていたものですね?既にマネージャーの高木さんにも確認済みです。これ、例の芝内の海に浮かんでたんです。おそらく、バッグを海に投げ入れたときの衝撃でこれだけ外れてしまったんでしょう。灰皿が入ったバッグはそのまま沈んでしまいましたが、これだけは海水に浮く素材でできているので、何とか見つけることができました。いかがですか?これが、あなたが灰皿をバッグに入れて捨てたという決定的な証拠です」
「待って。そのストラップが私のとは限らないじゃない。たまたま同じものを別の誰かが捨てただけかもしれない」
しかし、山崎は何も言わず、静かにストラップを裏返して見せた。熊のストラップの裏には、「ミヤコ」という文字とともに、ある日の日付が書かれていた。
「ちなみに、僅かではありますが、五十嵐さんの血液も検出されました」
それを聞いた瞬間、都子は抵抗する気力を失った。今にも膝から崩れ落ちそうなのを、必死に堪えていた。そして、やっとの思いで口を開いた。
「・・・悪いことってできないものね」
「全くです」
「まさか、そんな物に足をすくわれるなんて」
「私の優秀な部下が血眼になって探し出してくれました。世の中、何が起こるか分からないものです」
「そうね。・・・ねえ、山崎さん」
「はい」
「あなたのことだから、もう私と五十嵐との関係についてはご存知なんでしょう?」
「・・・はい。五十嵐さんの自宅から、あなたに関する資料が出てきました。その中には、あなたの息子さんのことも」
「そう。やっぱりね。・・・さっき、私は今までたくさんの人たちに支えられてきたって話したでしょ?」
「はい」
「その中でも一番苦労させたのが両親だった。私の両親は、私の夢の為に、毎日身を粉にして働いてくれたんです。何も見返りなんていらないから、お前はお前の夢を叶えることだけ考えろって。私ね、いつか子供ができたら、両親からもらった愛情を、今度は全部その子に注いであげようって、ずっと思ってたの。だからね、山崎さん。一つお願いがあるの」
「・・・何でしょう」
都子は、覚悟を決めた顔で言った。
「巽ーー息子が、私の子供であるという事実を、今後一切、表に出さないで欲しいの。もちろん、息子にも知られないようにして欲しい。あの子を、殺人犯の子供にする訳にはいかないから」
「それは・・・。よろしいんですか?」
都子の要求は、端的に言えば、親子の縁を切るということだ。我が子を守るためとはいえ、これからずっと我が子の成長を見届けることができず、自分が生みの親だとも言い出せず生きていくことがどれだけの苦しみであるか、子供のいない山崎でも容易に想像できた。
しかし、都子の目は真っ直ぐで、一切の迷いは見られなかった。そしてはっきりと、しかし、少し震え、途切れそうな声で、都子は言った。
「ええ。構いません」
都子は、凛とした姿でそこに立っていた。それはまるで、再び栄光を手にしたエミリーのようであった。
「ねえ山崎さん。知ってる?」
「何でしょう?」
「親っていうのはね、子供の為なら何だってできるのよ。地獄にだって、喜んで落ちてやるわ」
笑顔を浮かべる都子に、山崎もにっこりと笑って言った。
「私にお任せください」
「・・・ありがとう。さあ、行きましょう」
「はい」
都子と山崎は、都子を先頭にして、舞台袖の方へ消えて行った。
舞台上を照らしていたライトもやがて消され、残ったのは暗闇と静寂だけとなった。