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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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守りたい女7

 都内のとあるビルの一室。六十帖ほどの開けた部屋で、四方の壁のうちの三面が鏡になっている。

 そこに数十人の人間が集まり、そのうちの十数人は部屋の中を動き回り、台本を持ちながら台詞を読み上げ、ビルの全ての階に響きそうなほどの大きな声で歌を歌っていた。

 その中で常に中心に立ち、誰よりも存在感を示していたのは、やはり椿都子だった。他の役者も決して下手な訳ではなく、むしろその実力を既に演劇関係者だけでなく、世間からも評価を受けている人間ばかりなのだが、それでも他の役者が霞むほどに、都子の演技と歌は群を抜いていた。

 スタッフの一人の「一時間休憩です」という声と共に、各々が休憩に入った。ある者は外に出て昼食を摂り、ある者は稽古場で予め用意していた弁当などを食べ、ある者は台本を読み込みながら午前中の反省点をメモし、ある者は部屋の隅で仮眠をとっていた。

 都子はというと、共演している女優仲間たちと、稽古場の壁にもたれながら、来る途中にコンビニで買ったおにぎりを食べて談笑していた。

「やっぱり椿さんすごいです。歌も演技も私たちとは大違いで。普段どんなトレーニングしてるんですか?」

「別に大したことはしてないわよ。それに、私なんてまだまだよ。私より上手くてすごい役者さんなんて山ほどいるんだから」

「えーそんなことないですよー」

「そんなことあるわよ」

 都子と後輩たちの会話は思いの外弾んだ。

 前日、都子の楽屋で起きたことは、既にニュースになり、朝から世間を騒がせていた。当然後輩女優たちもそのことは知っていたが、意識的にその話題を避けているのが、都子にも分かった。

 正当防衛とはいえ、つい昨日人を殺しているにもかかわらず、こうして後輩たちの方から話しかけてくれるというのは、都子の普段からの人となりと、人望ゆえだった。

 会話が少し落ち着いた頃、稽古場の扉をノックする音が聞こえた。スタッフの一人が「はい」と言いながら扉を開け、外にいるであろう訪問者と何かを話していた。会話を終えると、そのスタッフが都子の方へ駆け寄り、囁くように話しかけた。

「あの、椿さんに山崎さんという方がいらしてるんですが、お知り合いですか?」

 都子は少し動きが止まった。しかしそれを周りには悟らせず、一瞬で取り繕った。

「ええ。知り合いです。行きます」

 都子は立ち上がり、さっきまで話していた後輩たちに「ちょっとごめんね」とだけ言い残し、稽古場を出て行った。


 扉を出てすぐのところに、つい半日ほど前に話していた、黒いスーツの男とその妹が立っていた。

 妹の方は、今日はメイドカフェのメイドのような、白と黒を基調としたミニスカートのヒラヒラした服を着ていた。昨日はワンピースとジージャンだったことから、昨日同様この季節には寒そうな格好をしているな、と都子は思った。

「お疲れ様です。昨日ぶりですね」

「ここではゆっくり話せないので、外に出ましょう」

「了解しました」

 都子は稽古中ということもあり、Tシャツにジャージという装いだったので、近くのハンガーにかけてあった自分のダウンジャケットに手を伸ばし、Tシャツの上から羽織った。

「行きましょうか」

「はい」

 山崎とカオルは都子を先頭にし、稽古場を出て行った。


 山崎たちは稽古場近くの公園まで歩いて来ていた。山崎と都子の二人はベンチに並んで座り、カオルはというと、いつの間にか公園の遊具で近所の子供たちと一緒に遊んでいた。

「しかし大変ですね。昨日あんなことがあったのに、今日にはもう稽古をされてるなんて」

「頭のおかしい女だと思う?」

「いえ、むしろ尊敬します。さすがプロだなと思いました」

「やめてよ。本当は、何かしてないと心がおかしくなりそうなだけなの。お芝居と歌で昨日のことを忘れようとしてるだけなんだから」

「そうなんですね。あれ?そういえば、舞台は昨日で千秋楽だったんじゃありませんでしたっけ?」

「ええ。今やってるのはまた新しい舞台の稽古」

「もう次の舞台があるんですか?すごいですね」

「これぐらい大したことないわよ。まだ若かった頃は、舞台二つにドラマと映画が一つずつで、四本も同時に仕事を抱えてたときもあったんだから」

「そんなにお仕事して大丈夫なんですか?」

「まあ、大変ではあるけど、私、演技や歌が大好きなんです。好きなことやらせてもらってるんだから、贅沢は言えないわ」

「立派な大女優の方なのに素晴らしい心掛けですね」

「そんな大した人間じゃないわよ」

 二人の会話が少し止まった。カオルが公園の鉄棒で子供たちに逆上がりを教えているのが目に入った。

「で、山崎さん」

「はい?」

「何か私に話があってここに来たんじゃないの?」

「あ、そうでした。すっかり忘れてました」

「一応稽古中だから、短めにお願いね」

「了解しました。亡くなったあの記者の方ですが、調べてみたらいろんなことが分かったんです」

「・・・」

 山崎は懐からメモ帳を取り出し、ページを開いて中に書いてある内容を読み始めた。

「亡くなったのは五十嵐敬二さん。フリーの雑誌記者です。この方に心当たりは?」

「・・・ありません。知らない人です」

「そうですか。この方、かなりお金に困ってたみたいで、金融機関だけでなく、お友達からも結構な額の借金をしてたみたいです」

「あの、山崎さんーー」

 話を止めようとした都子を、山崎は手で制した。その顔は、「まあ最後まで聞いてください」と都子に語りかけていた。

「そんな五十嵐さんなんですが、定期的に後輩の記者の方たちを連れて、高級なお寿司を食べたり、夜のお店に行っていたらしいんですよ。しかも全額五十嵐さんが支払ってたそうです。借金苦であるはずの五十嵐さんがどうしてそんなことができたのか。気になりませんか?」

 都子は答えなかった。

「その後輩の方たちに話を聞くと、お金の出所は決して明かさなかったそうです。ただ、お金が手に入ると必ず後輩たちを連れて豪遊していたそうです」

「あの山崎さん。どうして私にそんな話を?」

「面白いのはここからなんですよ。つい最近も、一人の後輩の方に五十嵐さんから連絡があったそうなんです。近くまたお金が手に入るから、来週美味しいお肉でも食べに行かないかと。その連絡があったのが、いつだと思います?」

「・・・さあ」

「それが二日前なんですよ。つまり、五十嵐さんは後輩の方に近くお金が手に入ると話した次の日、椿さんの楽屋に現れたんです」

「・・・あなたの言いたいことは分かった。その五十嵐って男にお金を渡していたのが私だって言いたいのね?」

 山崎は答えなかった。

「残念だけど、私はあんな男のことなんて知らないし、会ったこともない。お金の件だって、単なる偶然でしょ。私とは無関係の話ね」

「・・・そうですか。もしかしたらと思ったんですが」

「当てが外れて残念ね」

「まあこんなことはしょっちゅうですから。また何か分かればご報告いたします」

「結構よ。あの男がどんな人間かなんて興味ないし、知りたくもない」

 都子はベンチから立ち上がった。

「じゃあ、私はもう稽古に戻らなきゃいけないので」

 山崎も立ち上がり、都子の方に正対した。

「分かりました。お時間取らせて申し訳ありません」

「言っとくけど、私の時間は決して安くないわよ?」

 困った表情を見せる山崎に、都子は笑って言った。

「冗談よ。またいつでもいらして。私、あなたと話すの嫌いじゃないのよ」

「ありがとうございます」

 山崎は紳士のごとく丁寧にお辞儀をした。

「あ、あとこれ」

 まだ頭を上げきっていない山崎に、都子は一枚の紙を渡した。

「これは?」

「チケットよ。今稽古してる舞台、明日が初日なの。是非いらして」

「いいんですか?ありがとうございます。行かせていただきます」

 山崎は、もう一度都子にお辞儀をした。

 それを見て、都子は稽古場の方へと戻って行った。

 山崎は、その背中をしばらく眺めていた。


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