守りたい女4
都子は五十嵐の遺体を仰向けにし、頭の殴った部分をテーブルの角に押し当てた。
五十嵐を殴った血の付いた灰皿は、その場に置いていく訳にもいかないので、バッグに隠して持って帰ることにした。ただ、いつも使っているバッグには化粧道具や日用品がたくさん入っていて、灰皿を入れるスペースが無かったため、都子はバッグの中身を全て取り出し、ゴミ箱に捨て、空になったバッグに灰皿を入れた。
次に、辺りに飛び散った吸い殻と灰を丁寧に拾い上げ、それはバッグの中に入れた。
そして、都子は身につけていた衣装をわざとはだけさせ、袖の辺りは無理矢理引きちぎった。
全ての準備を整えた都子は、その場に座り込み、大きく息を吸い込んで、大声で叫んだ。
「誰か!誰か来て!お願い!誰か助けて!」
しばらくすると、複数の急ぐ足音がした後、楽屋のドアをノックする音がした。
「椿さん!どうしました!?大丈夫ですか!?」
「お願い!入って来て!」
都子の叫びに応じて、数人のスタッフが中に入って来た。スタッフたちは、部屋の中に広がる光景に唖然としていた。
楽屋の中では、ボロボロの衣装を着て座り込んでいる都子と、頭から血を流して死んでいる見知らぬ男がいた。
しばらくして、マネージャーの高木や他のスタッフたちも集まってきた。高木は、怯えた様子の都子に駆け寄った。都子は、高木に状況を説明しようとした。
「この男が、取材するって言って、そしたら急に襲ってきたの。それで必死に抵抗してたら、この人が頭を打って、それでーー」
「分かりました。分かりましたから、まずは落ち着いて」
「ええ。ええ、分かったわ」
都子は荒い呼吸を整えようとした。
高木はというと、都子に聞こえないようにして、他のスタッフと今後の動きを相談した。
「とりあえず警察を呼ばないとね」
「でも、大丈夫でしょうか?このことが世間に知れたらーー」
「今はそんなこと言ってる場合じゃない。大丈夫。これは正当防衛よ。椿さんには罪はない。世間からの目は悪くなるかもしれないけど、ちゃんと状況を説明すれば問題ないわ」
「そうか・・・。そうですよね。分かりました。今すぐ警察を呼びます」
「お願い」
スタッフの一人が電話をしに楽屋を出て行った後、立ち上がった都子は、高木に声をかけた。
「ねえ、高木ちゃん」
「はい。どうしました?」
「私、先に帰ってもいいかしら。この部屋にいるのはちょっとーー」
「ああ、そうですよね。でも多分、警察の方も椿さんにお話を聞きたいかと」
「それなら、私の家に呼んでくれていいから。そっちの方が落ち着いて話せるわ」
高木は少し悩んだ末に、都子の帰宅を許すことにした。
「じゃあ自宅までは私が送ります」
「大丈夫よ。一人で帰れるから」
「駄目です。こんな状態の椿さんを一人で帰せません」
「本当に大丈夫だから。高木ちゃんはここに残って。今あなたがいなくなったら、他のスタッフたちも困っちゃうわ。あなたが指示してちょうだい」
「でもーー」
「私は大丈夫だから。ね?」
「・・・」
「じゃあ、お願いね」
都子は納得いかない様子の高木を置いて、楽屋を出ようとした。
「じゃあ、せめて出口までは送ります」
そう言って、高木は都子のバッグを持とうとした。その瞬間、都子は慌てて高木より先に自分のバッグを手に取った。
「あ、ありがとう。じゃあ、出口までお願い」
「は、はい・・・」
高木は都子の行動に少し不思議そうな表情を見せたが、特に言及することもなく、都子を会場の出口まで見送った。
「じゃあ、後はお願いね」
「椿さんも、気を付けて帰ってくださいね。絶対安全運転ですからね」
「分かってる。ありがとう」
芝内国際会館の駐車場で、都子は自分の車の運転席に乗り込み、高木はドアの外から会話していた。都子は既に舞台衣装から私服に着替えていた。
都子は高木との会話を終えると、アクセルを踏み込み、車を発車させた。未だ心配そうな表情の高木を残して、都子の車は駐車場を出て行った。
芝内国際会館を後にした都子は、自宅とは逆方向に車を走らせていた。五十嵐を殺してから高木と別れるまでの間に、どうすれば正当防衛で切り抜けられるかを必死に考えていた。そして出した結論は、証拠隠滅というシンプルなものだった。
幸い、都子が明確な殺意を持って五十嵐を死に至らしめたことを証明するものは、今バッグの中に入っている灰皿ただ一つしかない。これさえ消し去ってしまえば、自分の正当防衛を崩せるものは何一つないのだ。
では、どうやって灰皿を消し去るか。灰皿は石でできているため、当然燃やせない。山に埋めるのは一つの手だが、この近くに適当な山は無い。山が駄目なら海はどうだろう。そこまで考えたとき、今回の舞台の会場、芝内国際会館は、芝内海岸のすぐ近くであることに思い至った。
そんな経緯があり、都子は今、芝内海岸に向かって車を走らせていた。高木には絶対に安全運転でと言われたが、都子は少し飛ばしていた。早くしないと、警察が自分の家に来てしまう。とっくに帰宅して休んでいるはずの自分がそのときに家にいなければ、今まで何をしていたのか必ず疑問に思われる。
そういった理由もあり、都子はものの十五分ほどで芝内海岸へとたどり着いた。今は真冬ということもあり、この時間に海にいるような物好きな人間は、都子を除いて一人もいなかった。
車から降りた都子は、駆け足で砂浜へ向かい、そこから堤防の先まで進んで行った。そして、真下に広がる真っ暗な冬の海に向かって、血塗れの灰皿が入ったバッグを放り投げた。ブランド物のお気に入りのバッグだったが、こうなっては仕方ない。中身があの男の血で真っ赤になっているバッグなど、もう使うことはできなかった。
バッグが海の底に沈んでいくのを待たずに、都子はまた駆け足で車へと戻り、今度こそ自宅に向かって車を発車させた。
これで大丈夫だ。これで巽は守られる。きっと全て上手くいくはずだ。
そう心の中で唱えながら、都子は自宅へと急いだ。




