守りたい女1
椿都子(これは芸名であるが)が本格的に"歌手"を職業にしようと意識し始めたのは、中学校に上がってすぐのことだった。
幼い頃から歌うことが好きだった都子は、テレビで見る歌手やアイドル、またアニメの主題歌などを真似しては、幼稚園や小学校、自宅などで一日中歌っているような子供だった。
また、それも下手の横好きなどではなく、都子には確かな歌唱力と表現力があった。それは、好き嫌いなく様々なジャンルの曲に触れていった都子が、自然に身につけたものだった。
そんなこともあり、都子は幼い頃から親や友人、学校の先生、近所のお婆さんにまで、「私は将来歌手になるから、テレビで歌う日を楽しみにしていてね」などと言い回っていた。その言葉を真に受けている人間は多くはなかったが、中には都子の実力を認め、都子の両親に、都子を歌手の養成学校に通わせるように本気で勧めた人間もいた。
そして、都子は中学に上がってすぐ、両親に頭を下げ、本格的に歌手を目指すことを許して欲しいと頼んだ。その為に都子は、自分が通いたい養成所のパンフレットを自ら取り寄せ、そこがプロの歌手になる為にいかに近道であるか、過去にどんな歌手を輩出しているかなど、その養成所のプレゼンを両親の前で行った。
中学一年生の娘にここまでのプレゼンをされた両親は、その熱意にやられ、遂に都子を養成所に通わせる決意をした。だが、やはり養成所の入学金および授業料は、決して安いものではなかった。特別貧乏という訳ではないが、特別裕福という訳でもない、ごく一般的な収入だった都子の両親にとっては、かなり痛い出費だった。しかし、娘の夢の為ならと、父はそれまで以上に身を粉にして働き、母は新しいパートを始め、更にそれまでやっていたパートのシフトも増やした。
そんな両親の努力の甲斐もあり、都子は養成所への入学を果たした。学校の勉強との両立は困難を極めたが、口には出さないまでも、両親が自分の為に無理をしてくれていることを何となく感じ取っていた都子は、レッスンにも勉強にも手を抜くことはなかった。そのおかげか、都子は学校ではトップクラスの成績を誇り、養成所でも一番の実力者だと言われていた。
順調に見えた都子の歌手人生だったが、現実はそこまで甘くはなかった。
中学卒業と同時に養成所を卒業した都子は、高校入学と共に鳴り物入りで芸能事務所に所属する運びとなったのだが、いつまで経ってもデビューさせてもらえず、その為、なかなかテレビで歌う機会も巡って来なかった。
というのも、当時はアイドル全盛の時代であり、可愛く歌って踊り、テレビ番組の司会者やタレントと上手くやり取りできる人間ばかりが事務所から押し出されていた。都子は見た目が悪い訳ではなくーーむしろ美人の部類に入るのだがーー歌の実力も持ち合わせていたが、生憎人と会話するのがあまり得意ではなく、テレビに呼ばれることはまず無かった。
そんな中で何とか出させてもらったデビューシングルもほとんど話題にならず、売り上げは芳しいものではなかった。
そんなこともあり、都子の高校生活は華やかなものではなかった。しかし、都子は決して努力をやめなかった。毎日のように行われるレッスンを必死にこなした。勉強にも決して手を抜かなかった。中学時代と同様、成績は学年トップを維持し続けた。
その努力の源は、やはり両親だった。自分のわがままの為に、毎日文句も言わずに遅くまで働いてくれている両親を楽にさせてやる為にも、絶対に歌手として成功するんだと、都子は固く決心していた。
しかし、デビューシングル発売からいつまで経ってもセカンドシングルの話は無く、都子は高校を卒業した。成績学年トップの都子に、担任の先生は無論進学を勧めた。しかし、これ以上学費で両親に迷惑をかけられないと感じていた都子は、アルバイトをしながら歌手の道を進むことを強く希望した。都子の両親もまた娘に進学を勧めたが、都子は頑として聞かなかった。
歌手を目指すと言い出したときと同様、都子の頑固な性格を既に知っていた両親は、結局都子の好きにさせることにした。
それからの都子には、これまで以上の苦難が待ち受けていた。毎日早朝から深夜までアルバイトとレッスンをこなした。そのおかげか、毎月のレッスン代と自分の食費ぐらいは稼げるようにはなったが、体力、精神共に限界に近付いていたことは、誰の目から見ても明らかだった。両親も何度も都子に少し休むよう促したが、このときもやはり都子は頑固だった。
結局、十九歳の夏、都子は倒れた。それまで皆勤だったアルバイトとレッスンも、しばらく休ませてもらうことになった。病院のベッドで、都子は悔し涙を流した。両親に負担をかけまいとしてしたことが、結局更に迷惑をかける結果になってしまった。しかし、涙ながらに謝罪する都子に、両親は叱るどころか何も言わずに抱き締めてくれたことを、都子は今でも鮮明に覚えている。
それからしばらくして、都子は二十歳の誕生日を迎えた。都子は未だ休養中だった。このまま自分の夢は潰えてしまうのかと考えたことも何度かあった。
そんなある日、都子がつい弱音を漏らしたことがあった。その瞬間、いつも温厚な父親が、今まで見たこともないほどに激怒した。「お前の歌手になるという夢はその程度のものだったのか。俺と母さんは、お前の戯れ言に何年も付き合わされていたのか。こんな中途半端な形でやめると言うなら、俺はお前と親子の縁を切る」と怒鳴った。
都子と母親は、初めて見る父親の剣幕に少なからず驚いた。そして都子は、一瞬でも弱気になっていた自分を恥じた。両親はずっと自分の夢を信じていてくれているのに、自分自身が諦めそうになっていては元も子もない。都子は再び夢を追う決意を固めた。
それから更にしばらくして、都子はアルバイトとレッスンを再開した。今度は無理のないよう、必ず一ヶ月のシフトを月初めに母親に提出するようルールづけた。少しでも無理をしようものなら、母は容赦なくアルバイトのシフトを減らした。
そんなある日、都子は養成所時代の友人に誘われ、とあるミュージカルを観に行った。ストイックな都子に、たまにはリフレッシュも必要だと、半ば無理矢理連れて来られたような形ではあったが、ミュージカルを観たことがなかった都子は、内心わくわくしていた。元々好奇心旺盛な性格である都子にとって、未知の世界を知るのは最高の喜びだった。
そしてその舞台は、都子に想像以上の衝撃を与えた。出演者の演技力と力強い歌声、一糸乱れぬダンス、そして引き込まれるストーリー。全てが都子の目を輝かせた。
舞台が終わった後、一緒に来た友人に声を掛けられるまで、都子は客席から動けなかった。それほどまでに魅了されていた。そしてあることを悟った。自分が生きる道はこれだと。
それからの都子は、事務所の人間に頼み込み、これまでの歌のレッスンの時間の一部を、演技とダンスのレッスンに充てた。どちらも未経験ではあったが、これまで歌で培ってきた表現力が助けとなり、一気に都子の才能が開花した。
元々の歌唱力に加え、演技とダンスにも磨きをかけた都子は、ミュージカルのオーディションを片っ端から受けた。その才能が注目されるまでに、そう時間はかからなかった。都子は日本を代表する演出家が演出を手掛けるミュージカルの主演オーディションに見事合格し、華々しくミュージカル女優デビューを果たしたのだった。
新人ミュージカル女優"椿都子"の名は、瞬く間に業界に知れ渡った。それからは様々な舞台のオファーが押し寄せ、更にはテレビドラマや映画への出演も次々に決定した。"歌手"という本来の夢とは少し違ったが、歌を歌う仕事に変わりはない。演技をすることも楽しかった。都子の生活は多忙を極めたが、充実した毎日を過ごした。その頃は、時間があっという間に過ぎて行った。都子が二十二歳の頃だった。
それから十三年が経ち、都子は三十五歳になっていた。今や都子は、押しも押されもせぬ日本を代表するミュージカル女優となっていた。
日本中に都子のファンがおり、"椿都子"の名前だけで舞台のチケットは即完売になった。幼い頃からの努力は、確かに実を結んだ。生活に余裕が出てからは、両親にも毎月十分すぎる程の仕送りを送った。こんなにいらないと、両親が遠慮するほどだった。だが、これは感謝の気持ちだからと、都子は仕送りをし続けた。
数年前に父親が癌で亡くなってからは、もっと自分の為にお金を使いなさいという母親からの命令に近い忠告により、仕送りの額も落ち着いた。
誰の目から見ても成功者である彼女だったが、そんな彼女にも一つだけ、誰にも言えない秘密があった。
それを知っているのは都子と都子の母、そして、ある一人の男だけだった。