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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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負けられない女6

「ええと、山崎君と言ったかな」

「あ、すみません。私、『やまざき』ではなく、『やまさき』と言います」

「ああ。これは失敬」

「いえ。別にどちらでも構わないんですけどね」

 競技かる大会の会場で運よく原にすぐ会うことができた山崎、カオル、エリナの三人は、比較的人の少ない休憩所に場所を移し、原から話を聞くことにした。カオルは、喉が渇いたのか、いつの間にか自販機で炭酸ジュースを買って山崎の横で飲んでいた。

「そうか。昨日の裕香君の事故について調べているのか…」

「はい。何か知っていることがあれば教えていただきたいのですが」

「知っていることと言ってもなあ…」

「何でも結構です。昨日以前に、大川さんの周りで起こったこととか、大川さんに直接関係していなくても、何か気になったことがあれば何でも」

 口を挟んだのはエリナだった。

「そうは言ってもなあ…。特におかしいと感じたことは無かったし、昨日は練習が終わった後は一度も彼女には会わなかったんだよ。だから、どこで誰と何をしていたかは、正直全く知らない」

 原の返答に、エリナがムキになるように質問を畳みかけた。

「では、こちらからいくつか聞かせてください。まず―」

「ちょっと待ってくれ」

 少しヒートアップし始めたエリナを制するように、原が彼女の言葉を遮った。

「裕香君は事故死なんだろう? さっきからの質問を聞いていると、まるで裕香君が誰かに殺されたみたいじゃないか。まさか―」

 これには山崎が答えた。

「いえ。決してそういう訳では―。ただ、我々としては亡くなった方の死因ははっきりさせておかなければなりません。もちろん事故死という可能性が最有力ですが、我々はあらゆる可能性を吟味しなくてはならないのです。ですので、そんなに気を張らず、リラックスして答えていただければ結構です」

「…そうなのか。君たち警察も大変だな」

 原は、一応は納得した表情を見せたが、やはりどこか腑に落ちないようでもあった。そんな原の心持ちを察しながらも、エリナは質問を始めた。

「では、原さん。改めてお聞きします。まず、大川さんが非常階段で亡くなっていたというのはご存知ですか?」

「ああ、聞いたよ」

「では、なぜ大川さんは非常階段に居たと思われますか?」

「なぜと聞かれても…」

「あのホテルは大会のあるごとに毎年利用されているんですよね? 大川さんがいつも非常階段の方を使っていたということはありましたか?」

「どうだったろうな…。ただ、彼女は体力には自信があったから、エレベーターを待つのが億劫なときは、階段を使うというようなこともあったかもしれない」

「なるほど…。体力に自信があったというのは?」

「裕香君は、数年前まで女性相撲のチャンピオンだったんだよ」

「へえ。相撲ですか…」

「彼女を体格を見たろ? 初めて会ったときから彼女は大柄な方だったが、ここ数年で一気に大きくなった。かなりトレーニングしていると言っていたな」

「かるたの選手をしながら、相撲もやっていたんですか?」

「私が勧めたんだよ。かるたと相撲は、瞬発力や判断力が重要という点では非常に似ている競技だ。だから、相撲を始めればかるたにも繋がるんじゃないかとね。初めは冗談のつもりだったんだが、まさか本当に初めて、チャンピオンにまでなってしまうとは思っていなかったけどね」

「へえ…」

 エリナは素直に驚いていた。かるたと相撲。どちらも日本生まれの競技であるとはいえ、エリナの中では全く繋がらない、似ても似つかない競技だった。

「元々、型破りな性格ではあったんだ。自分が正しいと思ったことに対して真っ直ぐ進んで行ける強い意志を持っていた。だから、かるたでも相撲でも、あそこまでの成果を出せたんだろうな。我が教え子ながら感心するよ。ただ、その性格が災いして、周りに迷惑をかけることも多々あったが」

「迷惑…ですか?」

「ああ。例えば、彼女はかるたの競技中、どっちが札を取ったかで相手と揉めたとき、絶対に退かない。まあそれに関しては競技者として決して悪いとは言えないが、時には勢い余ってルールを破ってしまうこともある。例えば、大の酒好きの彼女は、試合前日に飲み過ぎてしまい、翌日二日酔いでやって来たことがあった。あのときはさすがの私も彼女を怒鳴ったよ。そういえば、裕香君が亡くなったとき、酒を結構飲んでいたらしいな」

「はい…」

「そうと知っていれば、すぐにでも彼女のところへ行ってやめさせたものを…。悔やんでも悔やみきれないよ」

「…」

 エリナは何と言っていいのか分からなかった。

「裕香君は一人で酒を飲んでいたのか?」

「いえ。日野さんと一緒に、ホテルの一階にあるレストランで…」

「そうか。本当なら彼女に酒を飲むのを止めて欲しかったが、彼女には難しかっただろうな…」

「と言いますと?」

 原の言葉が気になったのか、山崎が口を挟んで来た。

「めぐり君は、裕香君とは性格が正反対でね。いつも大人しくて真面目で、ルールはきっちり守るし、かるたの競技中も相手と揉めたことは一度も無かったように思う。そのせいで、明らかに自分が先に取っている札をみすみす相手に譲ってしまうということもよくあるんだよ」

「日野さんと大川さんは仲がよかったですか?」

 山崎に代わり、再びエリナが質問を始めた。

「もう幼い頃からの大親友だよ。そしてかるたのライバルでもある。どうしてあそこまで正反対な人間が親友になれたのか不思議だけどね。いや、正反対だからこそなのかもしれないな」

「でも、大川さんの飲酒を止めることはできなった…」

「ああ。めぐり君は、裕香君に対して、どこか遠慮しているようなところがあった。自分には無いものを持っている裕香君に対して、一種の憧憬の念を抱いていたのかもしれない。しかし、かるたに関してはそうじゃなかった。二人の対戦成績は、正確に数えている訳じゃないが、だいたい同じくらいの勝ち負けなんじゃないかな。めぐり君は人一倍負けず嫌いなところがあってね。かるたでは誰にも負けたくないと日頃から口癖のように言ってるよ。その向上心だけは、クイーンにも匹敵すると思うね」

「クイーン?」

「かるた最強の女性に与えられる称号だよ。ちなみに男は『名人』と言う。毎年予選を行い、クイーンと名人への挑戦権を争ってる。今行われてるのが、まさにその予選なんだよ」

「そうだったんですか。私、よく分かってなかったです…」

 エリナ申し訳なさそうに言った。

「今年のクイーンへの挑戦権は、めぐり君と裕香君のどちらかで間違いないと思っていたんだがなあ。よもやこんな事態になるとは思ってもみなかったよ」

「日野さんと大川さんはそんなにお強いんですか?」

「強いも何も、クイーンを倒すのはこの二人しかいないと全国でも話題になってる。『最強の挑戦者が二人いる』とかるた界では持て囃されていてね」

「へえ。その二人がかるたを取っているところ、見たかったですね」

「全く同感だよ…」

 原の力のない返答に、少し雰囲気が暗くなった。

 原との会話でエリナが感じたことがある。どうやら原は、比較的お喋りな方らしい。ひとたび会話を始めると、まるで蛇口を捻ったように言葉が溢れ出てくる。しかし、今回の件について話すとき、裕香やめぐりのことについて話すとき、声のトーンが少し下がっているのが簡単に聞き取れた。二人のことを小さい頃から知っていて、ずっと指導してきたのだ。血は繋がっていなくとも、自分の子供のように大事に思っていたことだろう。そんな大事な娘の一人が突然その生涯を終えたのだ。「自分より先に死ぬなど、何という親不孝者だ」と、内心では感じているのかもしれない。そんな気持ちを表に出すのは恥ずかしいのか、みっともないと考えているのか、その悲痛な感情を隠す為に、今はとにかく誰かとの会話に興じていたい。そう考えているように、エリナには見えたのだった。

「二人とも、私の自慢の教え子だ」

 原の声には覇気が感じられなかった。少し暗くなってしまった雰囲気を打ち払うかのように、原が話題を変えた。

「そういえば、さっき二人がかるたを取っているところを見たいと言っていたな?」

「はい」

「見るか?」

「え? 見られるんですか?」

「ああ。昨日の練習の様子をビデオに撮ってある。ビデオは練習場に置いてあるから、行けばすぐにでも見られる」

「それは是非拝見したいですねえ」

 答えたのは山崎だった。

「どうする? 今から行くか?」

「そうしていただけるならありがたいですが、ここはもういいんですか?」

「ああ。見ていても空しくなるだけだった。君たちと話している方が楽しくていいよ」

「そう言っていただけるなら幸いです」

「じゃあ早速行こうか。ここからすぐ近くだ。歩いて約十分」

「お願いします」

 四人は椅子から立ち上がり、原を先頭にして会場を出て行った。

 原に付いて行きながら、エリナは違和感を感じていた。何だろう、この感覚は? 不快な感じではない。むしろ心がすっきりしているような気がする。なせだろうか。その違和感の正体はすぐに分かった。今日こんなにもスムーズに会話が進んだことが、何だか珍しく感じたのだ。今回の件に関わってからというもの、捜査のたびに邪魔が入った。邪魔をしたのは新しく自分と一緒に捜査にあたることになった警部。その妹のせいだ。警察の人間でもないのに、警部の妹だからといって図々しく捜査の現場に割り込み、黙って見ているだけならまだしも、やれお兄ちゃんから離れたくないだ、やれ喉が渇いただと我儘を言って散々捜査を滞らせていたあの女、山崎カオル。そのカオルが、どうしたことか、今日は静かに原の話を聞いていた。今も何一つ我儘や文句を言わず、山崎の横にぴったりとくっ付いて来ている。これは一体どうしたことだろうか。いや、というより、本来はこれが普通なのだ。思考が正常な人間なら、人の仕事を邪魔してまで自分の欲求を満たそうとはしない。そもそも人の仕事現場に来ない。エリナは、たったの一日でカオルの異常さに自分が既に慣れてしまっていることに気付き、少々愕然とした。

「あの…山崎さん。カオルさん、今日はやけに静かですね」

 原の後を付いていきながら、エリナは山崎に小声で尋ねてみた。

「カオルさんなら『お兄ちゃん暑い!』とか『お兄ちゃん喉渇いた!』とか『お兄ちゃん子守唄歌って!』とか、我儘言って来そうなのに」

「とりあえず、僕は妹に子守唄は歌わないということは先に訂正させてもらうとして、カオルは意外と場の空気を読める人間ですよ?」

「え!? どこがですか!? 昨日なんて散々―」

「じゃあ、日野さんは怒ってましたか?」

「それは―」

「むしろ楽しんでたように見えました。カオルは、おそらく無意識なんでしょうが、相手が自分との会話を求めているかどうかを察することができるみたいなんです。原先生はそうではないと判断したんでしょう」

「それ、本当ですか? 山崎さんの希望的観測も入ってません?」

「そうかもしれませんね」

 山崎は微笑みながら答えた。

「それにね、僕がどうしてカオルが現場に来ることを許していると思います?」

「え? シスコンだからですよね?」

「違います。断じて違います」

「え!? 山崎さんってシスコンじゃないんですか!?」

「何だかすごく失礼な勘違いをされたみたいですけど、僕がカオルが現場に来ることを許しているのにはちゃんと理由があるんです」

「何ですか? それ?」

「それは―」

「ねえねえ! 何の話してるの!?」

 会場にいたときからずっと飲んでいたジュースをやっと飲み終えたカオルが、山崎とエリナの会話に割り込んで来た。

「別に何の話でもいいでしょ」

「何それ。気になるじゃん。ていうか東堂さん。さっきからお兄ちゃんと近すぎません? あ、もしかして、お兄ちゃんのこと狙ってるんですか? 言っときますけど無理ですよ。お兄ちゃんはおっぱい星人で、『貧乳の女は女じゃない!』って日頃から口癖みたいに言ってるし、そもそもお兄ちゃんは、妹しか性的対象として見られない変態なんだから!」

「え!?」

 カオルの言葉に、エリナは軽蔑の目を山崎に向ける。

「カオル。僕と関わりのある女性全員にその百パーセント嘘の話をするのはいい加減やめてくれないかい? カオルのせいで僕は学生時代、クラスの女子から『妹のおっぱいを見ながら、それをおかずに飯を食ってる』っていうイカレた噂を流されたんだよ?」

「だって、お兄ちゃんにどこの馬の骨とも分からない女が近づくなんて嫌だもん!」

「それ、普通は父親が自分の娘を思っていう台詞だよ?」

「でも、事実そうでしょ?」

「そんな訳ないだろ」

「でも、お兄ちゃん今まで彼女できたことないじゃん」

「それはお前のせいだろ」

「じゃあ、もし誰かがお兄ちゃんに告白してきたら、お兄ちゃんはその人と付き合える?」

「それは相手によるよ。ほとんど知らない相手とは付き合えないしね」

「じゃあ東堂さんは?」

「え?」

「え?」

 山崎とエリナは同時に言った。

「ちょ、ちょっとカオルさん! 何聞いてるの!?」

「え? 私、そんなに変なこと言った?」

「だって、私と山崎さんは昨日初めて会ったばかりじゃない。そんな質問は意味を成さないというか…」

「東堂さん。私はお兄ちゃんに聞いてるの。東堂さんは黙ってて」

「…」

「で、お兄ちゃん。どうなの?」

「うーん。そうだなあ」

 山崎が考えている間、カオルとエリナは同じことを考えていた。

「もし付き合えると言われたらどうしよう」

 そう言われたとき、二人は何と言っていいか分からなかった。

 と、二人が気をもんでいるとも知らず、山崎はあっけなく答えた。

「普通に無理だな。だって昨日初めて会ったばっかりだし」

「あ…。まあそうですよねえ…」

「あー良かった! もし付き合えるなんて言ったら、カオルどうしようかと思っちゃった!」

 カオルとエリナの反応は正反対だった。

「どうしようって、どうするつもりだったんだよ?」

「そりゃあ…カオルにも分かんないなあ」

「怖いこと言うなよ…」

「カオルさん。そういった類の質問は二度としないでね。仕事に影響が出るから」

「えー? 何で影響が出るんですかー? あれ? もしかして、東堂さんってお兄ちゃんのこと―」

「カオル。その辺にしときなさい」

「はーい」

 カオルはエリナと山崎から離れ、ついさっきまでのように二人の後ろへと下がって行った。

「すいません、東堂さん。カオルが変なことを…」

「い、いえ、いいんです。年頃の女の子ですから、そういうことに興味があっても何ら不思議じゃないというか、むしろ自然の摂理というか、成長の証というか、性への目覚めというか、快楽への目覚めというか何というか…」

「何か後半おかしかったような気もしますが、とりあえず落ち着いてください」

 山崎らの会話が聞こえて来たのか、ずっと三人の前を歩いていた原が振り返って話しかけて来た。

「君たち、ずいぶん楽しそうだな。およそ警察の人間とは思えないよ」

「あ、すいません、騒がしくて」

 エリナがすぐに謝罪した。

「いや、怒っている訳じゃないんだ。ただ、羨ましくてね」

「羨ましい?」

「ああ。私のよう老人になってしまうと、昔みたいに馬鹿話ができる相手もいなくてね。君たちの若さが羨ましくなってしまったんだよ。そうやって年齢の近い人と楽しく会話ができるのは今のうちだ。思う存分謳歌しなさい」

 原の言葉に、山崎とエリナは返事を窮した。

「ああ、すまない。変な空気にしてしまったね。まあ、そんなことを言っている間に着いたよ。ここがいつも私たちが使わせてもらっている練習場だ」

 そう言った原の後ろには、さっきまでいた大会の会場ほどではないにせよ、なかなか立派な建物が建っていた。


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