女神の選択10
山崎は眠れずにいた。別にカフェインを摂取したからではない。原因は、隣で無防備にも寝息を立てている女だった。
パーティが終わり、参加者も全員各々の家へ帰った頃、山崎とエリナも芦田邸の客室で寝かせてもらうことになった。そのとき、美枝がはっとした顔でこう言ったのだった。
「あ!ごめんなさい。うちの家、お客さん用の部屋は一つしかないのよ。ベッドもそこに一つしか置いてなくて。どうしましょう」
「え?それは困りましたね」
いくら仕事上の関係だからといって、恋人同士でもない女性と同じ部屋で一夜を共に過ごすなど、山崎の真面目な性格が許さなかった。
山崎が自分はリビングのソファで寝かせてもらうことを提案しようとしたとき、相変わらず泥酔したままのエリナが割り込んできた。
「全然大丈夫ですよ〜!私たち、絶対にそういう関係にならないですから!万が一山崎さんが襲って来たら、私がボコボコにしてやります!これでも、警察学校時代の実技の成績はトップだったんですから!男でも容赦なく投げ飛ばしてたんですよ〜!」
「そうなの?じゃあ大丈夫ね」
「大丈夫なの?」と山崎は思ったが、この流れに逆らうことができず、結局エリナと同じ部屋で一夜を共にすることになったのだった。
部屋に入るや否や、エリナは履いていた靴下を脱ぎ捨てた。そこまではまだよかったが、次はあろうことかスキニージーンズを脱ぎ捨て、Tシャツとパンツだけの姿になり、ベッドへと飛び込んだ。
山崎は即座に目を逸らして、慌て気味にエリナに注意した。
「ちょ、ちょっと東堂さん!せめてズボンは履いててください!」
「え〜。だって苦しいんですもん。あ、もしかして山崎さん。照れてるんですか〜?」
「いや、そういう問題じゃなくてですね…」
山崎は必死に言い訳しようとしたが、結局何も言い返すことができなかった。
そうして山崎が当惑していると、すぅすぅという寝息が聞こえて来た。あっという間にエリナは眠ってしまったようだった。山崎は、できるだけエリナの体を見ないようにしながら、エリナに布団を掛けてやった。その際にちらっと見えたエリナの寝顔は、実に気持ち良さそうで、普段山崎に対して見せる怒った顔からは想像できないほど穏やかで、思わず見入ってしまった。いつも一緒にいるから忘れがちだが、エリナは女性の中でもかなり美人の部類に入ることを、山崎は再確認させられた気がした。
やっと山崎がエリナの寝顔から目線を外し、自分はどこで寝ようかと部屋の中を見渡したとき、山崎はあることに気付いた。この客室には、ベッドと小さな机と椅子の他に、何も置かれていなかった。ソファもなければ床に敷く布団も無い。このベッド以外に、横になれるものは置いていなかった。床で寝ようかとも思ったが、昼間に山道を歩き通しだった山崎の体にはとても耐えられそうになかった。
山崎は仕方なく、エリナがすやすやと眠っているベッドの端に腰を下ろした。さすがにそこで寝ることはできず、暇潰しの為に持って来た文庫本を、朝まで読んでいることにしたのだった。
しかし、山崎はただ文字面を追っているだけで、内容はほとんど頭に入って来なかった。
山崎は、自分の心臓の鼓動が高鳴っているのを感じた。山崎はその理由が分からなかった。何とか本に集中しようとしてはページを閉じるというのを何度も繰り返していた。
山崎は、自分の中に沸き起こっている感情に名前をつけることができなかった。妹のカオルを大切に思う気持ちとも違う。ミクやマイコへの親近感とも違う。自分はエリナに対して、何か特殊な感情を抱いていることを、山崎は認めざるを得なかった。だが、それが何であるかは分からなかった。
そうしているうちに、空が白み始めた。結局山崎は朝まで一睡もできなかった。まあいい。エリナが目を覚ましたら、交代で今度は自分が眠らせてもらおう。
そんなことを考えていると、何やらリビングの方が慌ただしい。気になった山崎は、眠ったままのエリナを置いて、客室を出て行った。