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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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負けられない女5

 大川裕香の遺体が発見された次の日。いや、正確に言えば、発見されたときは既に日付が変わっていたので同じ日になるのだが、その日の朝、山崎はとある建物の前で人を待っていた。つい五分ほど前にもうすぐ着くという連絡があったので、直にここに来るはずだ。

 しかし、それにしても今日は暑い。暦の上では既に秋に突入しているというのに、まだまだ残暑は厳しく、眩しい日差しはまるで山崎の額から汗を絞り出すように彼を照らしていた。彼の横にくっついているツインテール巨乳の妹の体も、全体的に汗ばんでいるように見える。

 そんなことを考えていると、向こうから眼鏡貧乳の女が走って来た。

「すいません! 遅れてしまって」

「いえ。昨日は遅くまで仕事だったんですから無理もありません。というか、別に来ていただかなくても良かったんですよ? 今日は仕事じゃありませんから」

「でも、仕事に関係することですから。それに、全く興味が無い訳でもないので」

「もう…。何で私たちがこんなおばさんのこと待たなきゃいけないの? せっかくお兄ちゃんとのデートだったのに」

「ごめんなさいね、カオルさん。デートの邪魔しちゃって。とりあえず、そろそろおばさんって呼ぶのやめましょうか? せめて『お姉さん』と呼びなさい?」

「さ! お兄ちゃん! 中に入ろう!」

「ちょっと! 無視はやめなさい!」

「すいません。東堂さん…」

 山崎は東堂に申し訳なさそうな顔を見せ、三人は建物の中に入って行った。

 三人はこの日、前日にめぐりに話したように、競技かるたの大会の会場に来ていた。競技かるたという未知の世界に興味があったのもそうだが、めぐりと裕香の師である原から話を聞きたいという目的もあった。未だ解決していない二つの謎。なぜ裕香は非常階段を使ったのか。なぜ裕香は死に際に自分のピアスを取ったのか。この二つの謎を解く鍵を、原が知っているかもしれないと思ったのである。

 建物の中に入ると、そこには老若男女、たくさんの人がいた。そこの人たちが二種類に分けられることは、素人の目から見ても一目瞭然だった。一方は普段着の人たち。もう一方はTシャツやジャージ姿で、髪の長い女性は後ろでまとめていた。後者が競技かるたの選手たちであることはすぐに分かった。中は会場がいくつか分かれており、各部屋で別々に試合が行われているようだった。会場によっては既に試合が始まっているところもあるようで、どこからか和歌を詠む声、そして詠まれた次の瞬間に畳を叩く音が聞こえて来た。

「何か、すごい雰囲気ですね…。厳かというか…。緊張感がありますね…」

 エリナが思わず声を漏らした」

「そうですね。とりあえず、どこかの会場に入ってみましょうか」

 山崎の言葉に従い、三人はすぐ近くの部屋に入ってみることにした。靴を脱ぎ、襖を開けると、中から一気にむっとした熱気が立ち込め、三人を包んだ。部屋の中ではたくさんの選手が、かるたの札を挟んで正座をしていた。部屋の奥には着物を着た年配の女性が立っていて、その手にはかるたの読み札を持っている。彼女が歌の読み手であるようだ。部屋の手前には、目の前で繰り広げられる試合を固唾を飲んで見つめるたくさんの見物人がいた。

 山崎ら三人が部屋の様子を窺っていると、着物の女性が新たに一枚の札を手に取り、一首の和歌を、文字通り歌うように詠み始めた。

「やすらはで―」

 その瞬間、部屋中の選手たちは一斉に畳を叩き、かるたの札をあちこちに飛ばした。初めて競技かるたを見る三人の目には、本当に詠まれた歌を叩いているのか全く分からなかったが、選手や見物人たちは、どちらの選手が取ったのかまでちゃんと分かっているようだった。

「すごいですね。思ってたのと全然違う」

 エリナが小声で山崎に囁くように言った。

「はい。少し、この雰囲気に気圧されてしまいそうになりますね」

 二人がそんな会話をしていると、再び着物の女性が歌を詠み始める。

「みせばやな―」

 また大勢の選手が一気に動き出すのかと三人は身構えたが、予想に反し、今度は一瞬動きを見せたものの、誰一人畳を叩いた者はいなかった。

「今度は誰も札を取りませんね。何ででしょう」

「分かりませんが、並べられている札を見ると、どうも『百人一首』の札百枚を全て並べている訳ではないようです」

「ていうことは、必ずしも詠まれた札が場にあるとは限らないってことか。結構難しそうですね」

 二人が競技かるたのルールについて議論していると、さっきまで大人しくしていたカオルがぐずり始めた。

「ねえお兄ちゃん。ここ暑いよー。外出てていい?」

 と、山崎に駄々をこねた瞬間、部屋にいた選手や見物人のほとんどが、一斉に山崎の方たちに目を向けた。人々の眉間には皺が寄せられており、どうやらカオルに対して不快感を表しているようだった。人々の目線に三人が狼狽えていると、見物人の中にいた一人の年配の男性が、三人に近寄って来た。

「君たち、かるたの会場に来るのは初めてかい?」

「はい、そうです」

 山崎が答える。

「そうか。ここじゃ話しづらい。外へ出ようか」

「はい」

 再び山崎が答え、四人は部屋の外に出た。



「かるたの試合中は、基本的に私語は禁止なんだ。選手たちは読み手の声はもちろん、中にはその息遣いまで聞こうとする。無用な音を立ててはいけないんだ」

「そうでしたか。どうもすみませんでした」

 年配男性に連れられた山崎、カオル、エリナの三人は、申し訳なさそうに各々の頭を掻いていた。

「ごめんさない、お兄ちゃん。カオルのせいでお兄ちゃんが怒られちゃって」

「カオル。謝るポイントはそこじゃないよ。それに、怒られてるのはカオルも一緒だよ」

「カオルさん。あなたもうちょっと罪の意識を持つべきじゃないかしら? あなたが本来謝るべきなのは、山崎警部だけじゃなくて、会場にいた全員に対してなのよ?」

「まあまあ東堂さん。カオルも反省しているみたいですし。あまり責めないでやってください」

「そうだよ! カオル、反省してるんだよ!?」

「本当に反省している人間は、そんな高圧的に『反省してるんだよ!?』なんて絶対に言わないと思うんですけど…」

「あの…いい加減会うたびに喧嘩するのやめてもらえませんか?」

「吹っかけて来てるのはカオルさんの方です」

「カオル。もう東堂さんに喧嘩を吹っかけるのはやめなさい」

「はーい。お兄ちゃんがそう言うなら」

「信用できませんね…」

「まあまあ東堂さん。すいません。お見苦しいところをお見せしてしまい。ずっとキョトンとされてましたよね」

 カオルとエリナの喧嘩を仲裁した山崎が男性の方に向き直ると、男性は絵に描いたような「キョトン顔」をしていた。

「ま、まあ試合中は静かにしていてくれたらいい。決して選手の邪魔はしないようにお願いするよ」

「はい。申し訳ありませんでした」

「では、私は試合の続きを見ねばならんので…」

 男性はそう言って、再び襖を開け、かるたの試合が行われている部屋に戻ろうとした。

「あ、すみません!」

 山崎がその男性の背中を呼び止めると、男性は山崎の方へ振り返った。

「何かね?」

「あの…実は我々、人を探してまして。原吉郎さんという方なんですが、ご存知ありませんか?」

「原吉郎? ああ、その人ならよく知ってるよ」

「本当ですか!?」

「ああ。だって、私が原吉郎だからね」



 めぐりが目を覚ましたのは昼過ぎだった。山崎たちが帰った後、すぐにベッドに入ったのだが、なかなか寝付くことができず、結局眠りについたのは明け方の五時頃だった。寝ざめは悪く、ベッドから出るまでに少々時間を要した。やっとのことで起き上がっためぐりは、洗面所で顔を洗い、歯を磨き、髪を直した。今は、本当は自分も出るはずだった競技かるたの大会の真っ最中だ。今頃幾人もの競技かるたの選手たちが、一心不乱に畳を叩いていることだろう。そのことを想像すると、思わず体が疼く。自分もかるたを取りたい衝動に苛まれたが、こうなってしまっては仕方がない。クイーンになるチャンスはまだある。来年取ればいいのだ。その為にも、裕香を殺したのが自分であることは絶対に露見してはならない。そんなことを考えながら、めぐりは鏡の前で薄めの化粧を施した。

 長袖のシャツに着替えためぐりは、手には部屋の鍵だけを持って部屋を出た。とりあえず空腹を満たす為、ホテルの一階にあるレストランで朝食、いや、時間を考えれば昼食を摂ることにした。部屋を出ためぐりは、廊下を歩き、真っ直ぐにエレベーターホールへ向かった。その途中、ふと何かを思い付いためぐりは、エレベーターの前を素通りし、そのまま廊下の奥へと進んで行った。その先にある扉を開け、外へ出ると、そこは非常階段に続いている。めぐりや今は亡き裕香の部屋がある四階の踊り場に出、そこから四階と三階の間の踊り場を見下ろした。今日の未明まで、自分が殺した幼馴染の死体があった場所だ。今は死体は運ばれた後で、大量に流れ出ていた裕香の血も綺麗に掃除されていた。つい数時間前までそこに死体があったとは、死体を生み出しためぐり本人でさえ実感が湧かないほど、そこには何も無かった。人間一人、たったの数時間で跡形もなく痕跡を消せるものなのかと一瞬考えたが、めぐりはその考えをすぐに改めた。裕香は跡形もなく消えてなどいない。生きていた痕跡をしっかりとこの世に残している。それは、思想や知識のような抽象的なものではなく、形あるものとしてこの世に今も存在しているのだ。裕香が自分で取ったというピアスもその一つだ。一体あれは何を意味しているのだろうか。ベッドの中で眠れなかった間、ずっと考えてはいたが、やはり答えは出なかった。

 非常階段から出ためぐりは、当初の目的に立ち戻り、エレベーターに乗って一階まで降りた。レストランに入店すると、若い女性店員が席を案内してくれた。これは全くの偶然なのだが、店員がめぐりに案内した席は、昨夜めぐりが裕香と夕食を食べたのと同じ席だった。

奇妙な偶然に少しの居心地の悪さを感じながらも、めぐりは女性店員にオムレツとコーヒーを注文した。本当は寝起きということもあって、トーストやハムエッグを注文したかったが、朝食メニューの時間帯は既に過ぎていた。

 五分ほどで運ばれてきたオムレツにフォークを入れながら、めぐりは今後の動き方を考えることにした。今、山崎たちは競技かるたの大会を見に行っているだろう。そこで原先生に会うはずだ。そして、原先生から裕香のことを聞き出そうとするだろう。原先生は昨夜のことを何も知らない。練習の後、私と裕香が何をしていたのか何一つ知らないはずだ。つまり、昨日のことで余計なことを言われる心配はない。問題はやはりピアスの謎だろう。もし原先生にあの意味が分かったとしたら。いや、考え過ぎだ。警察も自分も分からなかったのだ。それが原先生に分かる道理はない。ということは、やはり今後もやることは同じ。裕香と食事を終えた後、自分は先に部屋に戻った。その後のことは何も知らないと証言すればいい。

 ほぼ自分の勝利を確信しためぐりは、いつの間にかオムレツを食べ終えていた。レジで代金を払うと、レストランを出てエレベーターで自分の部屋へ戻った。

 部屋へ戻っためぐりは、テーブルの上に「百人一首」の札を並べ始め、それと並行して、スマホから札をランダムに読み上げるアプリを起動させた。全ての準備が整うと、「ふう」と息を吐き、アプリの再生ボタンを押した。すると、スマホから女性の声で「百人一首」の歌を甘美な声で読み上げる音声が流れ始める。一首詠まれるたび、めぐりはテーブルの上にある札を弾き飛ばした。いつもより動きが鈍い。しかし、この練習をサボタージュする訳にはいかない。かるたの選手の感覚は非常にデリケートだ。一日練習を空けてしまうと、元に戻すのに一週間かかると言われるほどだ。たとえこんな状況になっても、今の感覚を忘れてしまう訳にはいかないのだ。

それに、練習をしている間は無心になれた。頭の中が「百人一首」の歌で埋め尽くされる。周りは読み手の声と札を取る音以外は無音になり、まるで水の中に潜っているような感覚になった。かるたをしているとき、めぐりは千年前にこれらの歌を詠んだ歌人たちと繋がっているような気になった。千年前、喜怒哀楽を痛々しいほどに表現し、歌を詠んだ百人の歌人たち。それらの歌に感動し、後世に残そうとした人々。その意思を受け取り、現代においてその歌に同じように感動している自分。何万、何十万、何百万という人間と感覚を共有しているという事実が、めぐりを過去へタイムスリップさせた。

かるたを取っている間、めぐりは殺人を犯した罪悪感も、これからまた山崎と対峙しなければならない不安も、自分の罪が露見するかもしれない恐怖も、かるたに関する感情以外の全てを忘れることができた。


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