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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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女神の選択4

「よし」

 自宅の二階にあるアトリエで、芦田は完成した絵を眺めて唸っていた。

「こんなもんでいいだろう」と独り言を言った後、完成した絵に布を被せ、アトリエの隅に移動させた。

 そのまま芦田は部屋の電気を消し、ドアを閉めて一階へと降りて行った。

 一階のリビングに入ると、美枝が夕食の準備を進めていた。芦田はその様子を横目で見た後、ソファに座ってテレビを点けた。映った映像に、芦田は思わず目を見開いた。そこには、笑顔を浮かべた野崎大輔が、有名女性アナウンサーのインタビューを受けていた。画面の左上には、「野崎大輔さんに独占インタビュー!」とポップなフォントでテロップが表示されている。野崎にインタビューしている女性アナウンサーは、相手への礼儀なのか、それとも自分のテレビでの映り方を気にしているのか、いかにも人工的な笑みをその顔に貼り付けて話している。

「野崎先生と言えば、今をときめく新進気鋭の世界的な画家の先生ですが、絵を描き始めたのはいつ頃からなんですか?」

「絵自体は小さい頃から遊びで描いてましたけど、本格的に描き始めたのは高校生くらいからですね」

「確か、初めてコンクールに出した作品でいきなり最優秀賞を受賞されたんですよね。そこから一気に世界中から注目されるまでになられたんですから、素晴らしい才能ですよね」

「いえ、とんでもありません」

「そして、来年には国際展覧会に作品が飾られることが決まったそうで。これは、画家の方なら誰もが憧れる名誉なんですよね?おめでとうございます!」

「いえそんな。ありがとうございます」

 女性アナウンサーは、事実には変わりないとしても、本心から言っているのか、それとも台本で言わされているだけなのか判別できない褒め言葉を畳み掛けた。野崎はそれに対し屈託のない笑顔で対応し、そしてテレビ番組として使いやすく、かつ自分の見え方も悪くならないようなコメントを適切に選び、見事に番組を盛り上げていた。テレビカメラの前でも萎縮しない胆力は、およそ素人のそれではなかった。芦田もテレビやラジオ、雑誌などにゲストとして呼ばれたり取材されたことは何度もあるが、いつもただ聞かれたことに答え、後は事前に渡された台本とカンペに従ってコメントしているだけだった。野崎がそうでないことは、火を見るよりも明らかだった。芦田はそんな野崎が、心から恨めしかった。自分よりふた回り近くも歳下であるのに、自分に無いものをいくつも持っているこの男が、誰よりも恨めしかったのだ。

「そういえば先生。聞いたところによると、最近凝ってるものがあるそうですがーー」

 芦田がそんなことを考えていると、テレビの中で女性アナウンサーが野崎に質問を投げかけていた。

「そうなんです。実は最近、ヴィーナスに凝ってまして」

「ヴィーナス、ですか?」

「はい。この間、ボッティチェリのヴィーナスを何作か見ることがあって、そのときに改めていいなぁと思いましてーー」

 テレビ画面の左下には、サンドロ・ボッティチェリ作の『ヴィーナスの誕生』が、作者・作品名とともに表示されていた。誰しも一度は見たことがある、海から貝に乗ったヴィーナスが現れ、その周りには、彼女の誕生を祝うように三人の神々が描かれている。

「ボッティチェリの描くヴィーナスは、よく見ると首や腕が異様に長くてバランスが悪いように見えるんですが、全体として見ると全くそんなふうには感じない。むしろ見事なバランスを保ってるんです。これは非常に緻密な計算がされていてーー」

 ここから、野崎の話は絵の知識が乏しい人間には理解し難い領域に入っていった。女性アナウンサーも、笑顔で「うんうん」と相槌を打ってはいるが、話の半分も理解できていないだろう。しかし、野崎は気にすることなく話し続ける。テレビの制作側も、野崎の話を分かりやすく解説しようと、イラストや噛み砕いたナレーションを話の合間に挿入しているが、具体的な部分はともかく、抽象的な部分は一般人にはなかなか理解できないだろう。

 テレビ画面の中で詰まることなく堂々と話す野崎を見て、芦田はやはり、少なからず苛立ちを覚えた。何が新進気鋭だ、何がヴィーナスだ。若造が偉そうに。確かに野崎という男は天才には違いないが、それだけだ。良い絵は描くが、そこには"人間味"が無い。目の肥えた人間が見れば、作者がいかにつまらない人間かが如実に分かる。

 評価する方も評価する方だ。何故そのことを理解できないのか。若い画家を持て囃せばいいと思っている。奴らの目は節穴だ。奴らに中身が空っぽのつまらない絵を称賛することはできても、この芦田雲照の絵を評価するだけの目は持ち合わせていない。

 芦田は、野崎のインタビューからとっくに話題が変わったテレビの画面を眺めながら、そんなことを考えていた。

「あなた、そろそろ夕飯ができますよ」

 背後から美枝の声が聞こえた。芦田はすっかり画面に釘付けになっていたことに気付き、我に返ってキッチンの方へ歩き出した。

 芦田家では、料理をするのは美枝で、それをテーブルに運ぶのは芦田というルールが、いつの間にか出来上がっていた。別にどちらかがそう決めた訳でもなく、自然とそうなっていたし、芦田も美枝もそのことに特に不満も疑問も持っていなかった。

 白米、味噌汁、サラダ、肉じゃが、漬物という、ごく普通の夕食を前にも、芦田と美枝が向かい合って座った。二人は、どちらかともなく手を合わせ、「いただきます」という一言の後、同時に食事に箸をつけた。

 二人が食事を始めると、しばらく沈黙が続いた。広いリビングに、茶碗と箸がぶつかる音と、二人が食べ物を咀嚼する音だけが耳に入って来た。

 重い空気の中、沈黙を破ったのは美枝だった。

「野崎君。すっかり人気者ね。初めて会ったときはあなたに緊張しっぱなしだったのに。やっぱり世間は若くてカッコいい人の方が好きなのよ。だからあんまり気にしなくてもーー」

「いいよ、気を遣わなくても」

「べつに気を遣ってる訳じゃないわ。私は本心でーー」

「それも分かってる。俺は気にしてないから。もうこれ以上その話はやめてくれ。逆に気が滅入る」

「…分かったわ。ごめんなさい」

 またしばらく沈黙が続いた。

 ああは言ったが、やはりどこか納得のいっていない様子の美枝を見て、芦田は自分の妻に謝意を表した。誰よりも自分の心配をしてくれるこの女をありがたく思った。

 そしてそれと同時に、申し訳ない気持ちにもなった。芦田は今、妻の気持ちを裏切ることになる計画を立てていたのだった。

 芦田は、その計画を実行に移す言葉を、美枝に投げかけた。

「ところで、来週末は何か予定があったかな」

「え?特に無かったと思うけど…」

「じゃあ、野崎君のお祝いに、ここでパーティでも開いてやらないか。どうせあの男も毎日アトリエに籠って仕事ばかりで、まともに祝ってもらってないだろうし、息抜きも兼ねて」

「あなた…」

 美枝は、芦田の提案に心からの喜びと、安堵の表情を見せた。

「そうね。じゃあ野崎君と奥さんと、能登さんと、あと川田さんとか近所の方も呼んで、盛大にお祝いしましょう!」

「ああ」

 芦田は笑顔で答えた。美枝は「忙しくなるわ」と言いながら、今から何の料理を振る舞おうかとあれこれ考えているようだった。芦田はその表情が微笑ましくもあり、少し罪悪感もあった。

 それからの一週間は、何事もなくあっという間に過ぎた。

 そして週末。芦田邸にて野崎大輔の国際展示会への作品の出展を祝うパーティが開かれる日の昼頃。

 既に朝食を食べ終えた芦田と美枝は、リビングでテレビを見ながら寛いでいた。芦田も今日は創作活動は休むことにした。今夜の計画を確実に遂行するため、できるだけ体力は残しておきたかった。

 二人で観ていたドラマの再放送がコマーシャルに入ったとき、美枝が立ち上がって無言でリビングを出て行った。おそらくトイレだろう。美枝もその程度のことをいちいち芦田に報告したりはしないし、芦田もわざわざどこに行くのか尋ねたりはしなかった。

 と、そのとき、芦田一人になったリビングにインターホンの音が鳴った。いつも来客のときは美枝が対応しているのだが、このときばかりは芦田が対応するしかなかった。

 芦田は面倒だと思いながらも、その重い腰を上げ、玄関へと向かった。

「はいはい。どちら様」

 言いながら芦田が玄関のドアを開けると、そこには見慣れない二人の人物が立っていた。

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