泳ぐ女16
「きゃーーっ!」
ウォータースライダーから滑って来たカオルが笑顔で叫びながらプールに飛び込んだ。
「楽しいー!」
カオルは純白のビキニを着ていた。腰には可愛らしいフリルが付いている。OSCに初めて来たときに着ていたのと同じものだ。相変わらず、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、女性の理想を体現したようなスタイルだ。
「ちょっとあんた! まだ私がプールから出てないのに何ですぐ滑って来るのよ! 危ないでしょ!」
「ああ、ごめんごめん。小さすぎて見えなかったわー」
「そんなに小さくないわ!」
カオルと言い合いをしているのは、ミクである。
「ていうか、あんた何その水着? 小学生かと思った」
「小学生じゃないわ! これはタンキニって言って、タンクトップとビキニを合体させたような水着で、立派なおしゃれ水着の一つなのよ!」
「それは知ってるけど、あんたが着ると、ただの親にプールに連れて来てもらった近所の子供にしか見えないんだけど」
「誰が子供だ!」
そうは言ったものの、カオルの言う通り、身長も百五十センチに満たないほどしかなく、その上幼児体型であるミクがこの類の水着を着ると、小学生の女の子と間違われても仕方がない。事実、ウォータースライダーでカオルとミクに滑るタイミングを指示してくれたプールの従業員も、カオルのことは「お姉さん」と呼んだのに対し、ミクのことは「お嬢ちゃん」と呼んでいた。あの従業員に、カオルとミクは同い年の十七歳だと話したら、さぞかし驚くことだろう。
それと、これは余談ではあるが、ウォータースライダーで前の人のすぐ後に滑るのは非常に危険な行為なので、決して真似をしてはいけない。
「まあまあミクちゃん。そんなに怒らなくても」
ミクの怒りをなだめているのはマイコである。マイコは緑のパレオが付いた水着を着ていた。
「…うるさい!」
「え? 何で私に怒ってるの?」
ミクは、マイコの言葉で怒りを収めるどころか、逆に更に怒り出してしまった。それも無理はない。マイコは、普段は仕事上厚手の服を着ることが多いので分かりにくいが、カオル以上に抜群のスタイルを持っていた。全体的にはカオルよりも線は細いが、脚はすらっと伸び、お尻もきゅっと上がり、見事なくびれに豊満な胸。例えるなら、カオルはグラビアアイドル、マイコはファッションモデルに近い体型だった。
「何で山崎さんの周りにいる女どもは、こんなスタイルお化けばっかりなの!?」
「私、そんなにスタイル良いかなあ。自分では思ったことないんだけど」
「マイコさんは本当に無自覚だから更にムカつく!」
「何言ってんのよ。あんたも充分スタイルお化けじゃない。どうやったら十七にもなってそこまで成長しないでいられるのか、私に教えてよ」
「山崎カオル! てめえ殺してやる!」
「ひゃー怖―い。殺すだってー」
「まあまあミクちゃん。ミクちゃんみたいな子だって、ちゃんと需要はあるよ」
「マイコさん。それ、全然フォローになってませんから」
と、マイコに忠告したのはエリナだった。
エリナは、いわゆる一般的な青の三角ビキニを着ていた。エリナもマイコと同様、全体的に線が細く、決してスタイルが悪い訳ではなかった。ただ、カオルやマイコと並べてしまうと、胸があまりにも寂しかった。
「東堂さん、何でプールでもメガネかけてるの?」
「こ、これが無いと、何も見えないので…」
「そっちの方がいいと思うよー! だって東堂さん、メガネ無いと誰か分かんないぐらい地味な顔だもんね!」
「カオルさん、あなたね、もうちょっと年上に対する敬意というものを―」
エリナは決して地味な顔ではなかった。むしろかなり美人な部類に入るはずだ。ただ、カオルやマイコが目立ちすぎるだけだ。この二人が並んでプールサイドを歩けば、周りの男たちは思わず目を奪われた。エリナやミクもそれなりには目線を集めるのだが、カオルやマイコのそれには到底及ばなかった。
彼女たちは、最近近くにできた大型プール施設に遊びに来ていた。カオルがOSCに初めて来たとき、泳がせてもらえなかった代わりに、今度プールに遊びに行くとマイコと交わした約束を果たしに来たのだ。その際マイコが、二人で行くのは少し寂しいからと、一緒に居酒屋「たらふく」で食事をした面々を呼び出したのだ。ちょうど全員のスケジュールが空いていた日があったのは幸運だった。
「あれ? そういえば、お兄ちゃんは?」
「そういえばさっきから見ないわね。どこ行ったのかしら?」
「せっかく今日は山崎さんと一緒にプールで遊べると思ったのに、こんなスタイルお化けに囲まれたら、私が目立たないじゃない…」
山崎の姿を探すカオルとマイコ、少しいじけているミクを置いて、エリナはその場を一人離れ、プールの端に作られている飲食スペースに向かって歩いた。
そこは、自ら持参した食物や、施設内で買ったもの、またそこで手作りされたものなどを自由に食べられる場所だった。
その一角に、その男はいた。男は短パンの水着に、上はTシャツを着ていた。髪は全く濡れていない。はなから泳ぐ気など皆無だったようだ。今はベンチに座って焼きそばを食べている。どうやら飲食スペースで売られているものを買ったようだ。
エリナは、男の隣に座った。
「泳がないんですか?」
「あ、ほうほうはん」
「とりあえず、口の中のものを飲み込んでください」
男は頬張っていた焼きそばを少し無理をして飲み込んだ。
「東堂さん。どうされました?」
「もう…。山崎さんは泳がないんですか?」
「泳ぎません」
「即答…。せっかくみんなで来たんですから、一緒に泳げばいいのに。楽しいですよ?」
「泳ぐのはあまり好きじゃないんです」
「そんなこと言って、本当は泳げないんじゃないんですか? 山崎さん、運動苦手だし」
「…」
「あ、図星でした?」
「…」
「まあ、気にすることないですよ。それに、足がつく小さいプールも向こうにありましたよ?」
「あれは子供用のプールでしょう?」
「そうですけど、あれはあれで楽しいですよ?」
「嫌です。絶対。僕は焼きそばが食べたいんです」
山崎は、再び焼きそばを頬張り始めた。
「相変わらず食べることは大好きなんですね。なのに何でそんなにスタイルを維持できてるんですか? 運動もしないのに」
「さあ、何故でしょう」
「やっぱり普段から頭を使ってるからかなあ。脳を使うのは、体を使うのよりカロリーを消化するって聞いたことあるし」
エリナの言う通り、山崎は筋肉こそそれほど付いていないが、背も高く、太り過ぎず痩せ過ぎず、ちょうど中間の理想的な体型をしていた。人より色白なのは玉に瑕だったが。
「…山崎さん」
「…?」
「野々宮さんのこと、ありがとうございました。仕事とはいえ、山崎さんに嫌な役目を任せてしまって。今回だけじゃない。私たちはいつも山崎さんに頼りっぱなしで―」
「ほんはほほはいへふ」
「山崎さん。まず飲み込んでください」
「…そんなことないです。僕だって、東堂さんや小倉さんや、他にもたくさんの人たちにいつも助けられてます」
「でも―」
「それに、嫌なことばかりでもないんですよ」
「え?」
「犯人を逮捕するとき、彼ら彼女らは、いつも本音を話してくれるんです。どうして殺人を犯したのか。殺人を犯した後、どんなふうに思ったのか。逮捕された今、何を思っているのか。それを聞いてると、人間はまだまだ奥が深いんだなと思わされるんです。彼ら彼女らはみんな、殺人犯であるということ以外は、普通の人たちの何も変わらないんです。なのに何故殺人を犯してしまうのか。その全貌を聞くと、人間という生き物の面白さを感じさせられます。言い方は悪いですけどね。要は、僕は人間が好きなんです。人間のいろんな部分を知りたいんです。美しいところも、醜いところも。野々宮さんにとって泳ぐことが生き甲斐なら、僕にとってのそれは、人間という生き物について知ることなのかもしれません。だから東堂さん。何も気にしなくていいんですよ」
「…そうですか…。…山崎さん」
「はい?」
「…いえ、何でもありません」
「え? 何ですか? 気になるじゃないですか」
「秘密です!」
エリナは立ち上がり、山崎の下を去って行った。その顔は、少し微笑んでいるように見えた。
一人取り残された山崎は、あと少しだけ残った焼きそばを片手に、不思議な顔を浮かべていた。
終