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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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泳ぐ女7

 車を運転している間、千鶴は心を落ち着かせることだけを考えていた。リラックスし過ぎるのも良くないが、変に緊張するのは、計画の途中でミスを犯す可能性を高める。これは競泳でも同じことが言えた。千鶴は、レース前のような程よい緊張を保つことを意識しながらOSCへと向かった。

「たらふく」の駐車場を出てから十分ほどで、千鶴はOSCの駐車場へと戻って来た。運転席を降りると、千鶴はそのままトランクへと向かった。

 トランクの前に立った千鶴はトランクを開ける前に、念の為、人差し指の第二関節の部分でコンコンとトランクをノックしてみた。反応はない。千鶴は、ゆっくりとトランクを開けた。

 中には麻帆が仰向けで寝ていた。千鶴が寝かせたときと同じ体勢だった。千鶴は少し安心し、麻帆の方に手を伸ばした。

 そのとき、千鶴の脳が高速で回転を始めた。自分が麻帆を気絶させてから既に二時間以上が経っている。そして麻帆のこの姿勢。あまりに綺麗すぎる。車は振動していたのだから、普通なら手足が放り出されていたり、服が乱れたりしているはずだ。それなのに、トランクの中で寝ている麻帆は、まるで棺桶の中に大事に収められた遺体のように、服は整えられ、真っ直ぐに上空を向いていた。これは明らかに不自然だ。もう一度気絶させた方がいい。

 一瞬間の間に千鶴が考えを巡らせていると、トランクの中で眠っていた麻帆の目が突然開き、自分の方に伸ばされた千鶴の手を掴んだ。

「っ!」

 千鶴はあまりの驚きで、声にならない声を出した。千鶴が怯んでいる隙に、麻帆はトランクから飛び出し、千鶴の左手を握ったまま、千鶴の頬を思い切り殴った。

「この女!」

「きゃっ!」

 麻帆に殴られ、コンクリートの上に倒れ込んだ千鶴に向かって、麻帆はこれまで千鶴が聞いたこともないような恐ろしい下卑た声で罵った。

「このクソ女! お前頭おかしいだろ!? ぶっ殺してやる!」

 麻帆は倒れ込んだ千鶴に向かって拳を振り上げ、殴りかかろうとした。千鶴はとっさに立ち上がって麻帆の懐に入り、麻帆の体を力いっぱい突き飛ばした。麻帆は車のトランクに背中から叩きつけられ、痛みからしばらく動けなくなった。その隙に、千鶴はポケットから再び黒い物体を取り出し、スイッチを入れた。黒い物体から放たれる、恐怖心をかきたてる音と、青白い光に、さっきまで威勢のよかった麻帆の顔が恐怖に歪んだ。

「あんた…そこまでして大会に出たいの?」

「…」

 千鶴は荒く息をするだけで、麻帆の質問には答えなかった。

 千鶴の鬼気迫る表情に怯えたのか、麻帆は許しを請うような声で千鶴に言った。

「分かった。分かったから。大会は辞退する。千鶴さんにチャンスを譲ります。これでいいんでしょ? だから…お願い。それはもうしまって…」

 しかし、千鶴は相変わらず青白い光を放つ黒い物体を、懐に戻すことはせず、じっと麻帆を睨み付けていた。

「…何なのよ! 私が何したっていうのよ! 何で私がこんな目に合わなきゃいけないの!? 私は―」

 そこまで言って、麻帆は気を失った。麻帆の腹部には、千鶴が持つ黒い物体が押し当てられていた。

 千鶴は、トランクの中に入れておいた麻帆の荷物を持ち、再び動かなくなった麻帆を抱えて、OSCの中へ向かった。

 OSCは裏口が常に鍵が開いているため、簡単に入り込むことができた。そのままプールの方へ向かうと、月明かりの差すプールサイドに、気絶している麻帆を仰向けに寝かせた。

 次に千鶴は、一緒に持って来た麻帆の荷物の中から水着入れを取り出した。OSCの選手全員に使用が義務付けられている、紺と黄色のビニール地の巾着袋だ。その中から麻帆がいつも使っている競泳水着を取り出し、寝ている麻帆の隣に置いた。

 そして次は、麻帆の服を脱がせ始めた。麻帆が着ていたTシャツは簡単に脱がすことができたが、下に履いているスキニージーンズは、脱がすのになかなか苦労した。競泳選手特有の筋肉質な脚にぴったりとくっついているため、かなり腕に力を入れないと脱がすことができなかった。

 やっとのことで麻帆を裸にすると、今度はさっきの競泳水着を麻帆に着せる作業に入った。これはさっきのスキニージーンズを脱がせる作業よりも困難を極めた。競泳水着は、物によっては普通に着るのさえ苦労するのだから、気を失っている人間に着させるのにはかなり骨が折れた。しかし、あまり時間をかけていては、またいつ麻帆が目を覚まして襲って来るか分かったものではない。千鶴はできるだけ急いで麻帆に競泳水着を着せた。

 ようやく麻帆を競泳水着姿にすることができたのは、千鶴がプールに忍び込んでから約十分ほどが経った頃だった。実時間としては大したことはないが、千鶴にとっては何十分にも、何時間にも感じられた。麻帆が再び目を覚まさなかったのは幸運だった。一度目よりも長めに黒い物体を当てていたのが良かったらしい。

 千鶴は気を失ったままの麻帆を抱え上げ、プールの中に放り投げた。麻帆の放り出された足を押すと、麻帆の体はプールの真ん中へと流れて行った。やがて、麻帆の体はプールの底へと沈んで行き、そして、二度と浮かんでくることはなかった。

 麻帆が沈み切ったのを確認した千鶴は、プールサイドに何も残さないよう持って来た荷物を全て手に取り、プールを後にした。

 駐車場に戻って来た千鶴は、自分の車のトランクが開きっ放しになっていることに気付いた。近づいてトランクを閉めようとした瞬間、千鶴はとんでもないものを目にした。さっきまで麻帆が眠っていた位置に、三十センチはありそうな髪の毛が大量に落ちてあったのだ。

「あの女…」

その髪の毛が麻帆のものであることは明白だった。もしこれを誰かに見つけられ、麻帆の髪の毛であることが分かれば自分は一発で逮捕される。トランクの中で気絶している振りをしていたことといい、何て狡猾な女だと、千鶴は本人を手にかけた後に思い知ることになった。

とりあえず、今はこの場を一刻も早く立ち去るのが優先だ。髪の毛は、家に帰ってから処理することにした。

千鶴はトランクを閉め、運転席に乗り込んで車を発進させた。自宅へ向かう車の中で、千鶴は今にも飛び出そうな心臓を何とか落ち着かせようと努めたが、結局最後まで千鶴の動悸は収まらなかった。


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