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山崎警部と妹の日常  作者: AS
31/153

泳ぐ女2

 二十分ほど車を運転すると、OSCの駐車場にたどり着いた。いつもの位置へ車を停めると、千鶴は車を降り、OSCの裏口から中へと入って行った。これがいつもの千鶴のルーティンである。正門に回って入るより、ここから入った方が近いし、更衣室にもすぐに行けるのだ。

それに、ここはいつも鍵が開いている。実に不用心だが、プールに何か忘れ物をしたときなどはありがたい。これまで不審者が侵入したことは一度も無いし、仮にそういったことがあったとしても、ここには特に盗むようなものは置いていない。プールには大量の水しかないし、更衣室にはしっかり鍵がかかっている。事務室に行けば金庫が置いてあるが、とても持ち出せるようなものではない。それに、動かせばすぐに警報が鳴るようになっている。

これらの理由から、裏口のドアは年中開きっ放しである。一度泥棒でも入れば見直されるのだろうが、それでは遅いのではないかと、千鶴は常日頃から思っていた。しかし、自分もその恩恵を受けている立場上、文句は言えなかった。

裏口から入った千鶴は、そのまま更衣室へと向かった。

部屋に入ると、そこには壁中にロッカーが並んでいる。選手一人一人に一つずつロッカーが与えられており、中には荷物や着替えが入れてある。

ちなみに、このロッカーにも鍵をかけているものは少ない。練習時間外には更衣室自体に鍵がかかるし、仮に誰かが盗難に遭っても、犯人はOSCの関係者に絞られてしまう。それに、そもそも彼女たちはここに貴重品と水着ぐらいしか持って来ない。貴重品はプールへ持ち込んでしまうから、結局盗むものなど一つも無いのだ。それを全員が分かっているから、わざわざロッカーに鍵をかけるものはいなかった。

更衣室に入ると、既に由利と洋子が着替えていた。

「あ、千鶴さん。おはようございます」

 由利が上着を脱ぎながら千鶴に挨拶する。それに続けて洋子も「おはようございます」と笑顔で言った。

「おはよう、二人とも」

 由利と洋子は、千鶴と同じくOSCに所属する選手であり、千鶴の後輩である。というより、ここにいる選手はもちろん、現在現役の選手の中で千鶴より先輩なのは一人もいないのだが。

「今日はいつもより早いのね」

「だって選手権大会も近いですし。気合い入れないと」

「まあ、私たちは出られるかも分かりませんけど…」

 OSCから選手権大会に出られる人数は決まっている。もちろんタイムの早い者から選ばれるが、千鶴も由利も洋子も、かなりギリギリのラインにいた。

「そんなこと言わないの。あなたたちはまだ若いんだから、チャンスはまだまだあるわよ」

「そうですかねえ」

「私も、せっかく競泳の選手になったんだし、一度でいいから千鶴さんみたいにオリンピックで活躍してみたいなあ」

「やめてよ、そんな昔の話」

 三人が会話に花を咲かせていると、ドアを開けて誰かが入って来た。

 その女は花柄の派手なワンピースを着て、丸い大きなサングラスをかけ、ブランドものの鞄を腕にかけており、およそこれから練習に入る競泳選手には見えなかった。

 女は千鶴ら三人を見ると、「おはようございまーす」と間の抜けた声で挨拶し、ネームプレートに「神崎麻帆」と書かれたロッカーの前に立って着替えを始めた。

「ちょっと神崎さん。それが先輩に対する挨拶の仕方なの?」

「え?」

 思わず由利が麻帆に詰め寄ろうとした。麻帆はこの中で最も後輩になる。

「由利ちゃん」

 千鶴の呼びかけに、由利は動きを止めた。由利は不服そうな顔を千鶴に向けたが、千鶴は無言の笑顔で由利を諭した。

「一体何を怒っているんですか?」とでも言いたげな麻帆に、千鶴は優しく話しかけた。

「おはよう、麻帆ちゃん」

「はい、おはようございます」

「ところで、ちょっと聞きたいんだけど、麻帆ちゃん、昨日の居残り練習、参加してなかったわよね? あれ、全員参加だって言ってたと思うんだけど」

「ああ、すいません。昨日は帰りました」

 麻帆は少しも悪びれずに言った。

 再び後ろで由利が何か言いたげにしていたが、千鶴は「私が話すから」という雰囲気を背中から発し、由利を黙らせた。

「どうして帰っちゃったの?」

「何で千鶴さんに言わなきゃいけないんですか?」

「そりゃあ全員参加の練習を無断で休んだんだもの。理由ぐらい聞くのは当然でしょ? それに、私は一応OSCのキャプテンも任されてる訳だし」

「キャプテンねえ…。誰が決めたんだか」

「さ、話してもらえる?」

「…昨日は、人と会う予定があったんです」

「人と会う?」

「はい」

「それって誰?」

「そこまで言わなきゃいけません?」

「そうね、教えてもらえる?」

 麻帆は不満そうな顔で答えた。

「…彼氏です」

「彼氏?」

「はい。言いませんでしたっけ? 私、今付き合ってる人がいるんです」

「初めて聞いたわ」

「そうですか。で、昨日その人とご飯に行く約束をしてたんです。だから練習は休ませてもらいました。断っておかなかったのは謝ります。言い出しにくくて」

「何だ、そうだったの。別に言ってくれればよかったのに」

「これでいいですよね? 私、さっさと練習に行きたいんですけど」

「うん、ごめんね、時間取らせちゃって」

「本当です」

 そう言って、麻帆は素早く着替えを済ませ、更衣室を出て行った。

 残された三人は、着替えの続きを始めながら、さっきの会話について話し始めた。

「麻帆ちゃんだって同じ人間なんだから、ああやって優しく聞いてあげればちゃんと答えてくれるのよ」

「そうですか? 私にはいかにも面倒臭そうで、反省なんてこれっぽっちもしてないように見えましたけど」

 由利は相変わらず麻帆を毛嫌いしているようだった。引っ込み思案な性格の洋子は、何も言い出せずにいた。

「そうかなあ。私はそうは思わなかったけど。確かに麻帆ちゃんは人から誤解されやすい性格だけど、根はいい子だと思うわよ」

「千鶴さんは優しすぎるんですよ。あの子は根っからの嫌な女だと思いますね」

「もう。あんまりチームの子を悪く言うもんじゃないわよ」

「あの…」

 そのとき、さっきまで黙っていた洋子が口を開いた。

「どうしたの? 洋子ちゃん」

「あの…ちょっと気になることがあるんですけど…」

「何? どうしたの、洋子?」

 洋子と同い年で、仲の良い由利が答える。

「あの…神崎さんなんだけど、どうして昨日の練習、サボったのかなって」

「だからそれはさっき言ってたじゃん。彼氏とデートがあるからだって―」

「そうじゃなくてね。もうすぐ選手権大会があるでしょ? 麻帆ちゃん、練習はあんまり好きじゃないけど、大会には出たいってタイプの子じゃない? あの子はその…目立ちたがり屋だから…」

「そういえばそうね。あの子にしては珍しいというか…」

 千鶴は洋子の意見に納得した。

「どうせあの子のことだから、大会なんてどうでもよくなったんじゃないですか? 今は彼氏さんに夢中みたいですし」

「うーん…」

 千鶴はしばらく考えてみたが、麻帆本人に聞いてみないと分からない上、練習開始時間が迫っていたので、今のところは結論を放置して、着替えを済ませて、練習に向かうことにした。

 更衣室からプールに向かう途中で、千鶴はふと思った。

「もし、神崎麻帆がタイムが遅くても確実に大会に出られる方法を知っているのだとしたら…」

 千鶴は気にしないことにして、シャワーを浴び、練習に臨んだ。


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