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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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泳ぐ女1

 一般的に、人間の筋肉のピークは二十歳から二十五歳の間までと言われている。もちろんそこから外れていてもなお活躍しているアスリートは多く存在するが、それは経験や知識によるものであり、身体能力そのものは若い選手にはやはり及ばないのが現実である。

 野々宮千鶴もその例外ではなかった。彼女は二十四歳のときに出場したオリンピックの百メートル自由形で銀メダルという輝かしい成績を収めた。

当時は、彼女の愛らしい容貌も相まって、「日本競泳界のニューヒロイン」と銘打って、様々なスポーツ番組や、バラエティ番組にゲストとして出演し、日本中で人気を博した。

それから九年が経ち、一時の熱狂的だった「千鶴フィーバー」も、すっかり鳴りを潜めていた。現在三十三歳となった千鶴が、未だに現役を続けていることを知っている者はもちろん、そもそも野々宮千鶴という競泳選手がいたことを知っている者すら、今の若い世代にはそう多くないだろう。

それもそのはずで、千鶴はオリンピックで銀メダルを取って以降、思ったような成績が出せずにいた。どんなにテレビの出演が増えても練習を疎かにしたことは一度もなかったし、むしろそれを理由にタイムが落ちたのだと批判されることが悔しかったから、千鶴は今まで以上に努力してきたつもりだった。しかし、水泳の女神は千鶴に微笑むことはなく、遂にこの年齢まで再びオリンピックの舞台に上がることはなかった。

そして四日後に控えた選手権大会。この大会で結果を出すことが、千鶴にとってのラストチャンスだった。ここで誰もが唸るようなタイムを記録すれば、再びオリンピックへの道が拓ける。あの夢の舞台へ、また上がることができる。

しかし、今の千鶴には、その選手権大会への出場すら危ぶまれていたのだった。大会にはそれぞれのスイミングクラブのコーチの推薦が無ければ出場できない。その当落線上に、千鶴は立っていたのだ。神崎麻帆という女と共に。



 午前五時五十六分。千鶴はいつものように自宅のベッドで目を覚ました。

 ベッドから立ち上がると、テレビを点けて朝のニュースを見る。今日も中年の男性アナウンサーと、それを囲むように二人の若い女性アナウンサーがテーブルの前に座っている。この構図を見ると、何故か哀れな気持ちになってしまうのは自分だけだろうか。中年のおじさんが若い女性に話を合わせようと苦心しているのを見ていると、何だか悲しくなってしまうのだ。数年前まではそんなこと考えもしなかったのに。自分が歳を取った証拠だろうか。

 そんなことを考えていたら、六時にセットした目覚まし時計がけたたましい音を鳴らしたので、千鶴はすぐに音を止めた。千鶴は毎日目覚ましよりも少し早く起きる。

 千鶴はキッチンに向かい、朝食の準備を始めた。朝食といっても、トースターでパンを焼き、コーヒーを淹れるだけだ。ものの十分もすれば出来上がる。

 テレビを見ながら十分で作った朝食を五分で食べ終え、洗面所に向かう。そこで歯を磨き顔を洗い、髪を直し、化粧をする。練習になればすぐに化粧は落ちてしまうので、化粧は軽くファンデーションを付けるだけで完了する。ここまで約三十分。いつも通りだ。

 その後は服を着替え、貴重品を持ち、水着入れを持って家を出る。水着入れというのは、千鶴が所属する大木スイミングクラブ(略してOSCと呼ばれる)で配布されているものである。紺と黄色を基調としたビニール地の袋で、紐を引っ張ると入口が閉まる、巾着袋のような構造になっている。OSCに所属する選手は、みなこの水着入れを使うことが義務付けられている。

 オシャレに気を遣う選手などからは「古臭いから使いたくない」とか「ダサいから嫌だ」とか「他の選手のと紛れて間違えやすい」などと苦情が出ている。しかし、オシャレにそれほど興味のない千鶴は、三つ目の意見こそ賛同したが、それほど苦痛に感じたことはなかった。

 自宅マンションの駐車場に停めてある車に乗り込んだ千鶴は、自分で車を運転し、OSCへと出発した。

 千鶴がOSCに入ったのが、千鶴がまだ高校一年生のときだったから、既にこの生活を十八年続けていることになる。水泳を始めたのはそれよりもずっと前だから、千鶴はこれまでの人生のほとんどを水泳に捧げていることになる。そしてこの生活も、徐々に終わりが近づいていることを感じていた。


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