譲れない女14
その日の夜、山崎、エリナ、カオルの三人は、喫茶コロンボにいた。無論、いつもの奥のテーブル席である。
三人は同じ席にこそ座ってはいるものの、やっていることは全員バラバラだった。エリナはいつものカプチーノを飲みながら感傷に浸っている様子でどこか虚ろな目をしている。カオルはチョコレートパフェを食べながらスマホを触っている。そして山崎は、店に入ってから何も食べず、何も飲まずに、ずっと漫画を読み耽っていた。漫画のタイトルは、「大正恋物語」という。山崎があまりに漫画に夢中になっているため、さっきミクが山崎の隙をついて頬にキスをしようと試みたが、カオルに掌で顔を押され、あえなく失敗していた。
この三人の沈黙を破ったのはエリナだった。
「何か…今回は悲しい事件でしたね」
しかし、山崎もカオルも、エリナには答えなかった。
「クリエイターの人たちって、私たちには分からない世界で生きてるんだなあって実感しました。もっといろんな人に出会って、いろんな人の感情を勉強したいと思いました」
「そうですか…。ところで東堂さん」
「はい」
山崎が目を漫画からエリナの方へと向けた。
「僕の、恋人になってくれませんか?」
「え!?」
山崎の言葉にエリナは思わず大声を上げた。それと同時に、カオルはチョコレートパフェを倒し、店のカウンターの方ではミクが持っていたコップや皿を次々と割っていた。
「ちょ、ちょっと山崎さん…。そんな…」
「何を本気にしてるんですか?」
「え?」
「『大正恋物語』に出て来る台詞ですよ。僕って、結構こういうのに影響されちゃう質で。ハマったドラマの主役の方の口調を真似してみたくなったり。で、この台詞もちょっと言ってみたくなったんですけど、こんな台詞、絶対恋愛関係にならないような人にしか言えないじゃないですか。だから―」
「私に言ってみたって訳ですね。なるほど。よく分かりました」
エリナの口調は明らかに苛立ちを含んでいた。
「前から思ってましたけど、やっぱり山崎さん、私にだけ扱いが雑ですよね? ていうか、馬鹿にしてるでしょ?」
「そんなことないですよ」
「そんなことあります。だって、山崎さんが一番恋愛関係にならないのは、どう考えたってカオルさんでしょう? 肉親なんだから。つまり、今のは明らかに確信犯。私を動揺させて遊ぼうとしましたね?」
「いや、そんなことは…」
「ないというなら、証拠を見せてください、証拠を!」
「そんな…証拠なんて出せる訳ないじゃないですか…」
「じゃあ認めるってことでいいんですね? カオルさん! また焼き肉食べたくない?」
「食べたい食べたい!」
「じゃあ決まりね。あ、そうだ。ミクさんも一緒にどうですか? 山崎さんの奢りで高級焼肉に行こうと思ってるんですけど」
「もしろん行きます! もうちょっとでシフト終わるので、待っててください!」
「あの…東堂さん?」
「何か?」
「あの…勘弁してくれませんか? 月に二回もあんな高い外食に行ったら、とてもじゃないけど生活が…」
「そんなの、私には関係ありません。女が怒ったら怖いってこと、今日は山崎さんにたっぷり教えてあげますから」
「そんな…」
この後、山崎がエリナに土下座をして謝ったのは言うまでもない。