譲れない女7
どこか不思議な雰囲気を持った刑事たちが帰った後、あゆみと芳子の二人だけが残った部屋には静寂が流れていた。
しばらく続いた沈黙を破ったのは、芳子だった。
「…あゆみさん…。ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど…」
「…」
「…あの…直子さんのお話って、何だったんですか?」
「何って…だから簡単な打ち合わせだって―」
「…あゆみさん。これでも直子さんとの付き合いは私の方が長いんです。直子さんのあんな真剣な顔、私初めて見たんです。只事じゃないことはすぐに分かりました。それに、夜中にあゆみさんを呼び出したのだってそうです。直子さんは、決してそんなことをするような方じゃない」
「…」
「あ、もちろん、私に言う必要のないことや、言いたくないことなら、無理にとは言いません。ただ、やっぱりどうしても気になってしまって。もしかしたら、今回のことにも何か関係があるんじゃないかって…」
あゆみは、本当のことを話すべきかどうか迷った。芳子はこう見えて勘がいい。下手な嘘をつけば、すぐに見破られてしまうだろうと思った。そうなれば、今度は何故嘘をついたのかと、また違うところで変な疑いをかけられてしまう。そうなるといろいろと面倒だ。逆に本当のことを話したとして、それで自分が直子を殺そうとした犯人だと疑われることはないだろう。
などとあれこれ考えた結果、あゆみは本当のことを話すことにした。
「…分かったわ。本当のことを話します。でも内海さん。このことはくれぐれもオフレコでお願いね」
「もちろんです」
「…実はね、直子さん。私とコンビを解消するつもりだったみたい」
「え!? そんな!?」
芳子は心底驚いたような表情を見せた。
「驚くわよね。私も驚いた。でも、これは本当のことよ」
「…」
芳子は絶句しているようだった。
しばらく沈黙が続いた後、芳子がやっとのことで口を開いた。
「でも…どうして? 直子さん、あゆみさんの絵をあんなに…」
「さあ。理由は私にも分からない。でも、それほどまでに思い詰めてたのかもね…。直子さん。もしかしたら、今回のことで私に迷惑がかからないようにって、距離を置こうとしてくれてたのかも」
あゆみは、よくこんな作り話がすらすら出て来るなと、我ながら感心した。芳子の方も、あゆみの話に全く疑問を持っていない様子である。それどころか、直子さんならきっとそうするかもしれないと、あゆみの話に同意さえ示した。
「だから、どっちにしても、『大正恋物語』はもうすぐ終わる予定だったのよ。最終回までのシナリオはもうできてるみたいだから、私がその絵を描いたら、『石橋うさぎ』としての仕事はお終い。内海さんはこれからどうするの? 直子さんがこの先どうなるか分からない以上、仕事が無くなる可能性も考えとかないとね。もし良かったら、私のとこで働いてくれてもいいけど。これからは直子さんのところを離れていろんな絵の仕事をしていきたいと思ってるから、スケジュール管理とか誰かにお願いしたいと思ってたの。内海さんなら大歓迎。ねえ、どうかしら?」
つらつらと話すあゆみに、芳子が囁くような小さい声で答えた。
「あゆみさんは…お強い方ですね」
「…え?」
「だって、直子さんがあんなことになったのに、あゆみさんはもう仕事のことや、その先のことまで考えてらっしゃって…。私はまだ現実を受け止めきれてないぐらいなのに…」
「…私を、薄情な女だって言いたいの?」
あゆみのこの言葉に、芳子は慌てて弁解した。
「いえ! そういう訳じゃ! むしろ、すごいなって思ったんです! 私にはとてもそんなふうにはできないって! 本当です!」
「ごめんなさい。ちょっと意地悪だったわね。別に内海さんを非難してる訳じゃないから安心して」
芳子は安堵したような顔を見せた。
「それに、内海さんは勘違いしてるわ。私は、内海さんが言うような強い人間じゃない。直子さんのことを考えると何も手につかなくなっちゃうから、無理矢理仕事の話をして気を紛らわせたいだけなの。だって、私が仕事をできなくなったら、困る人がたくさんいるからね」
「やっぱり、あゆみさんはすごい方です。でもあゆみさん、さっきのお話はお断りします」
「え?」
「もちろんあゆみさんのことは大好きですし、尊敬してますが、やはり私は、あくまで直子さんの秘書なんです。直子さんの目が黒いうちは、私は直子さんに付いて行きます。お誘い頂いてありがとうございます」
芳子の返答に、あゆみは笑顔を見せた。
「そう。分かったわ。でも、気が変わったらいつでも言ってね。こっちはいつでも大歓迎だから」
「ありがとうございます」
芳子はあゆみに深々と頭を下げた。
「じゃあ、私はそろそろ帰ることにするわ。もう遅いし。内海さんも、今日は早く休んだ方がいいわ」
「はい。眠れるかは分かりませんが」
「駄目よ。ちゃんと休まないと。直子さんが戻って来たときに、今度は内海さんが倒れてちゃ世話ないでしょ」
「…そうですね。ありがとうございます。今日はお風呂に入って、ベッドでゆっくり休もうと思います」
「それがいいわ。じゃあ、私はこれで」
「はい。お疲れ様です」
芳子が言うと、あゆみはにっこり笑顔を見せて、自分の鞄を持って部屋を出て行った。
一人残された芳子は、さっきあゆみと話した通り、風呂に入って床に就いた。案の定、なかなか寝付くことができず、結局眠りについたのは朝方の五時頃だった。