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山崎警部と妹の日常  作者: AS
21/153

譲れない女6

 橋本直子が自殺を図った仕事部屋は、玄関から見て一番奥に位置している。そして、その手前にあるこの部屋が、内海芳子の仕事部屋兼応接間になっている。

 あゆみと芳子、そして山崎とエリナとカオルは、向かい合うようにしてソファに座っていた。

「このたびは大変なことで。何と申し上げてよいか…。あ、私、山崎と申します」

「部下の東堂です」

 山崎とエリナが名乗ると、芳子が真っ先に山崎に質問した。

「あの…直子さんは!? 直子さんは無事なんですか!?」

 直子はあゆみたちに発見された後、すぐに救急車で病院へと運ばれたのだった。

「ええと、それに関しては部下の東堂から。東堂さんお願いします」

「はい。橋本さんですが、さっき病院から連絡がありました」

 場の空気が張り詰める。あゆみも芳子も固唾を飲んでエリナの次の言葉を待っている。

「現在、集中治療室で処置をしているそうなんですが、予想以上に大量の睡眠薬を服用していたようで、非常に危険な状態だそうです」

「命は!? 命は助かるんですよね!?」

 芳子がエリナに詰め寄る。

「すみません。それは私からは何とも…」

「…そう、ですよね。すいません。取り乱してしまって」

「大丈夫よ、内海さん。直子さんのことだもん。きっとまた元気に戻って来るわよ」

 肩を落とす芳子を慰めたのは、隣に座っていたあゆみだった。

 悲しんでいる様子の二人に、山崎が声をかけた。

「睡眠薬自殺というのは、一昔前ならまだしも、今市販されている睡眠薬だと、どんなに飲んでも死に至るのはなかなか難しいんですよ。元気をお出しになってください。橋本さんはきっと元気になって戻って来ます」

 山崎のこの言葉に、芳子の顔が明るくなった。

「そうですよね! ありがとうございます!」

 一方、あゆみは少し俯いていた。山崎はあゆみに声をかけた。

「どうかされましたか?」

「え?」

 突然声をかけられたあゆみは、少し驚いた顔を見せた。

「いえ。あまりお喜びでないように見えたので」

「そんなことはありません。それに、まだ助かると完全に決まった訳ではないんでしょう? それなら、まだ喜ぶことはできません」

「それもそうですね。ただ、睡眠薬自殺というのは、今ではかなり難しいと言われてますから。命は助かると思いますよ。ちなみに、このことはご存知でしたか?」

「え?」

「睡眠薬自殺が難しいということ、ご存知でしたか?」

「…いえ。知りませんでした」

「そうでしたか。覚えておいた方がいいですよ」

「…はい」

 あゆみは、少し失礼な物言いをする山崎に不快感を覚えたが、そのことは一旦置いておくことにした。あゆみは、エリナの方に向き直った。

「それより刑事さん。もし直子さんの容体に何か変化があったら、すぐに私たちに連絡が来るんですよね?」

「もちろん、そのように手配しておきます」

「お願いします」

 あゆみと芳子は、エリナに頭を下げた。

「ところで、お二人にいろいろとお聞きしたいことがあるんですが、ご協力いただけますか?」

 会話が一段落ついたことで、山崎が話題を転換させた。答えたのは芳子だった。

「聞きたいこと、ですか?」

「はい。橋本さんの行動について詳しく調べる必要がありますので」

「そうですか…。分かりました。私たちでお力になれるなら」

「すみません。遅い時間なのに」

「いえ、いいんです。今日はもう眠れそうにありませんから。むしろ、誰かとお話ししていた方が落ち着きます」

「ありがとうございます。石田川さんはよろしいですか?」

「はい…。私も…そちらの方が…」

 あゆみの声のトーンは明らかに落ちていた。山崎は少し気になったが、話を進めることにした。

「まずは、お二人のご関係から教えて頂けますか? まずは石田川さんから」

「はい。私と直子さんは、仕事仲間って言ったらいいんでしょうか。四年ぐらい一緒に仕事をしています」

「お仕事は何を?」

「漫画家です」

「漫画家?」

「はい。直子さんが原作で、私が絵を描いてるんです。二人で『石橋うさぎ』っていうペンネームで」

「そうなんですか。私は、あまり漫画には明るくないんですが、漫画家さんっていうのは全部一人で物語も考えて絵も描いてるんだと思ってました」

「もちろんそういう方もたくさんいます。でも、私たちみたいな形をとってヒットしてる作品もたくさんあります」

「へえ。それは知りませんでした。では、内海さんは?」

 今度は芳子が口を開く。時間が経ったのと、まだ直子が助かる可能性があることを知って落ち着いたのか、あゆみに比べて声のトーンは少し明るかった。

「私は、お二人の秘書兼家政婦みたいなものです。お二人のスケジュールを調整したり、お仕事部屋のお掃除をしたりと、お二人のお世話をさせてもらってます」

「なるほど。では、今日一日の流れを教えて頂けますか?」

 この質問には芳子が引き続き答えた。

「今日一日ですか? えっと、今日は昼頃に直子さんがここに来られて、それからはずっと向こうの部屋で、お一人でお仕事をされてました」

「一人で? その頃石田川さんは?」

「私は、今日はずっと大学時代の友人と会ってたんです」

「ほう。そして、ここへはいつ頃?」

「確か、日付が変わるか変わらないかぐらいの時間だったと思います」

「そんな時間からお仕事を?」

「いえ。今日は休みのつもりだったんですけど、直子さんに呼び出されたんですよ。話があるからって」

「話とはどんな?」

「簡単な打ち合わせです」

「そんな時間から?」

「ええ。ちょっと急ぎの用だったので」

「内容を教えて頂くことはできますか?」

「すいません。それはちょっと…」

「そうですか。分かりました。で、その打ち合わせの後は?」

「私はすぐに帰りました。内海さんはずっと仕事をされてたみたいですけど」

「間違いないですか?」

 山崎は芳子の方を見た。

「はい。間違いありません。私はずっとこの部屋にいました」

「そうですか…。その後は?」

 またあゆみが答える。

「私が車で帰ってるとき、直子さんから電話があったんです」

「電話ですか?」

「はい。『もう疲れた』とか『今までありがとう』とか『さようなら』とか、そんなこと言ってました。それで私、変だと思って慌てて帰って来たんです」

「そのとき、内海さんはまだお仕事を?」

 山崎の問いに芳子が答える。

「はい。まだここで起きてました。そしたらあゆみさんが血相を変えて帰って来られて。それで、あゆみさんに頼まれて、部屋の鍵を出して開けたんです。そしたら、中で直子さんが…」

 芳子は直子の変わり果てた姿を思い出したのか、今まで堪えていた涙をポロポロとこぼし始めた。

 山崎は、そんな芳子をよそに、何かを考えている様子だった。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 山崎にそう尋ねたのは、あゆみだった。

「はい。何か?」

「あの…さっきからずっと気になってるんですけど、山崎さんの隣にいるその女の子は誰なんですか? 警察の方?」

「あ、こいつは―」

「私、山崎カオルです! 十七歳の高校生で、ここにいるお兄ちゃんの妹です!」

「はあ…」

 その説明だけではあゆみが理解できていない様子だったので、エリナが横から補足説明をした。

「すいません。彼女は山崎の妹で、いつもこうして現場に付いて来ちゃうんです。お二人の邪魔にならないようにしますんで、どうかお許しください」

 あゆみは正直、エリナの言っていることに全く納得いかなかったが、エリナの本当に申し訳なさそうな顔を見ると、咎める気にはなれなかった。それに、こんな真夜中に怒る気力も無かったし、そこまで不快感を抱いている訳でもなかった。

「あ、あとすいません。私の名前なんですが、『やまざき』ではなく、『やまさき』なんですよ」

「あ、すいません。間違えちゃって」

「いえ。別にどっちでもいいですけどね。ところで、内海さんに一つお尋ねしたいのですが…」

「はい。何でしょうか?」

 山崎の問いかけに芳子が答えた。

「内海さんは、この部屋の掃除もされているとおっしゃいましたね」

「はい」

「どれぐらいの頻度で?」

「ほぼ毎日してます」

「今日は何時頃に?」

「えっと…直子さんが来てすぐだったから、お昼の三時頃だったような気がします」

「向こうの仕事部屋も掃除されたんですか?」

「はい。と言っても、既に直子さんがお仕事をされてたので、簡単な拭き掃除とか、ゴミ箱の処理とかぐらいの簡単な掃除ですけど」

「ゴミ箱を掃除されたんですね?」

「はい。そうですけど…。それが何か?」

「実は、さっき向こうの部屋を見ていたんですが、橋本さんの仕事机の横にあるゴミ箱の中に、スタミナドリンクの空き缶が捨ててあったんですよ」

 山崎の言葉に、あゆみが俯いていた顔を上げ、山崎に聞き直した。

「スタミナドリンク…ですか?」

「はい」

 芳子は山崎が言わんとしていることが分からないようで、山崎に質問をした。

「あの…すみません。それが何か問題なんですか?」

「問題ってほどではないんですが、先程内海さんは、今日の昼の三時頃にあの部屋を掃除したとおっしゃいましたよね?」

「はい」

「ということは、あのスタミナドリンクはそれ以降に橋本さんが飲んだものということになります。その時間帯にスタミナドリンクを飲んでいたということは、もしかしたら橋本さんは、今晩は徹夜で仕事を進めるつもりだったんじゃないでしょうか?」

 山崎の指摘に、あゆみが反応した。

「それって、自殺する人間がスタミナドリンクを飲むのは変だってことですか?」

「はい」

「それはどうでしょうか。直子さんは、よくスタミナドリンクを飲んでたんです。眠気覚ましっていうよりは、単に味が好きだったってだけだと思います」

「だとしてもわざわざ自殺する前に飲むでしょうか」

「ただ習慣になってただけだと思いますよ。それに、ドリンクを飲んだ後に自殺することを決めたのかもしれませんよ。私はそんなこと一度も無いので分からないですけど、自殺したいと思うのなんて、突然ぱっと思い立つようなものなんじゃないですか?」

「なるほど。ただ、そうだとしても、睡眠薬自殺を選ぶでしょうか。眠れなくなるかもしれないのに。死に方なら他にも選べたはずですし、睡眠薬にこだわるなら別の日を選んでもよかったはずなんです。どうしてわざわざ…」

「それは…正直分かりませんけど、死を目前にして、冷静な判断ができなくなっていたってことも考えられます」

 あゆみは山崎の疑問に、具体的で論理的な答えを提示することができなかった。

「まあ、確かにそうかもしれませんね。では、我々はそろそろ退散することにします。夜分遅くに申し訳ありませんでした」

 これには芳子が答えた。

「いえ。こちらこそ。あの…もし直子さんに何かあったら―」

「もちろん、真っ先にお伝えします」

 山崎は笑顔で答え、ソファから立ち上がった。山崎に続いて、エリナとカオルも同時に立ち上がる。

「では、失礼します」

「はい。どうぞよろしくお願いします」

 山崎たちは芳子とあゆみに丁寧にお辞儀をして、部屋を出て行った。

 去り際の山崎の爽やかな笑顔は、芳子の抱える不安を僅かに和らげ、逆にあゆみに大きな不安を抱かせたのだった。



 マンションから出た山崎とカオルは、エリナの運転するパトカーに乗っていた。助手席に山崎、後部座席にカオルが座っている。

カオルは眠くなったのか、横になってぐっすり眠っている。既に時刻は三時を回っていたので、無理もないだろう。

「すいません。送ってもらっちゃって」

「いいんです。ついでですから」

 三人は今、山崎とカオルの家へ向かっている。またタクシーを呼ぶのも煩わしいので、エリナが乗って来たパトカーで家まで送ってもらうことにしたのだ。

「今回の件、山崎さんはどう考えてるんですか?」

「『どう』とは?」

「誤魔化さないでください。さっきのやり取りを見てれば、山崎さんが今回の件をただの自殺だと考えていないことぐらい分かります」

「まだ自殺未遂ですよ、東堂さん」

「…失礼しました」

「…確かに、僕は今回の件をただの自殺だとは考えてません。それは、例のスタミナドリンクから見ても明らかです」

「じゃあ、これはつまり…殺人?」

「まだ殺人未遂ですよ、東堂さん」

「あ、すいません…。…え? てことはやっぱり!」

 興奮した様子のエリナを見て、山崎はニヤリと笑った。

「さっき僕との会話の中で、石田川さん、何度も僕の推理を否定していたでしょう? 彼女には、橋本さんが自殺でないと困る理由があるんですよ」

「え? じゃあ石田川さんが…?」

 しかし、山崎は何も答えず、ニヤニヤと笑うだけだった。


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