恩師21
例の事件から一週間が経った。自らの恩師を逮捕した山崎は、そのままどこかへ消え、それから一度も姿を現していなかった。逮捕の前日、山崎を車で送ったときはしばらく休むと言っていたので、職場に来ないのはまだ分かったが、いくらLINEをしても既読にならず、電話も一切繋がらなかった。そしてそれは、妹の山崎カオルも同様だった。
エリナは、念の為マイコやミク、喫茶コロンボのマスターにも聞いてみたが、誰も山崎兄妹の行方は知らなかった。今までこんなことは一度も無かったので、エリナは心配になった。
「芹沢先生のこと、人生で一番尊敬してるって言ってたし、その人を逮捕したショックで寝込んでるとか? それだけならまだいいけど、もし自暴自棄になって、自殺なんてことになってたら……。今まで散々人の死を目の当たりにする仕事をしてきたんだもん。自分が死ぬことも、他の人より抵抗は無いのかも。それにカオルさんのことだもん。もし山崎さんが自殺するなんて言ったら、十中八九『じゃあ私も死ぬ!』って言うはず。あーもうどうしよう! 思考がマイナスの方にしか行かない~!」
そんなふうにエリナが悶々としていると、突然エリナのスマホが鳴った。エリナは慌てて電話を取り、咄嗟に「山崎さん!?」と叫んでいた。
「ごめんなさいね、山崎さんじゃなくて」
声の主はマイコだった。
「あ、ごめんなさい」
「別にいいけど、まだ山崎さんから連絡ないの?」
「……はい……」
「まあ、あの人もいろいろあったし、カオルちゃんと傷心旅行でもしてるんじゃない?」
「それならいいんですけど……。あ、それでマイコさん、どうかしたんですか?」
「あ、忘れてた。いや、東堂さん暇かなと思って。久しぶりに飲み行きたいなって」
「いいですね! 二人で山崎さんの愚痴言い合いましょう!」
「いや、私は別に愚痴なんて無いけど……」
エリナは時間と店を決め、電話を切った。約束の時間まではまだ少し余裕があったので、エリナは少し仮眠を取ることにした。今回の事件を担当してから、あまりきちんとした睡眠を取れていなかった。事件が解決したこともあり、明日からは少しは忙しさもマシになるだろう。
そんなことを考えながら目を瞑っていると、またもエリナのスマホが鳴った。エリナは飛び起きて電話を取り、またも「山崎さん!?」と叫んだ。
「違うわよ。うっさいわね」
声の主はミクだった。
「何だミクさんか。どうしたの?」
「何だって、失礼ね。まあその……何ていうか、店来なさいよ……」
「え?」
「だから! お客さんいなくて暇だから店に来いって言ってんの!」
「ああ。要は寂しいのね」
「ち、違うわバカ!」
山崎はもちろんだが、いつも喧嘩しながらも何だかんだで仲の良いカオルもいなくなり、ミクも寂しい思いをしているのだろうと、エリナは思った。
「それなら、今日マイコさんとご飯行く予定なんだけど、ミクさんも来る?」
「え? いいの?」
「いいに決まってるでしょ」
エリナは約束の時間と場所を伝え、電話を切った。ミクを呼ぶことをマイコに許可は取っていないが、マイコなら特に問題ないだろう。怒るどころか喜んでくれるはずだ。
エリナは今度こそ仮眠を取ろうと目を瞑った。その直後だった。三度エリナのスマホが鳴った。エリナは、どうせ次も山崎ではないだろうと、仮眠を邪魔されたことも手伝って、少し苛立った声で「もしもし?」と言った。
「あ、もしもしー。東堂さん?」
その声を、間違うはずもなかった。その声の主は、山崎ーーではなく、妹のカオルだった。
「カオルさん!? 今どこにいるの!?」
「あーやっぱり心配しちゃった?」
「そりゃするわよ! 突然いなくなるし! 連絡も取れないし!」
「ごめんねー。実は私たちねーーあ、ちょーー」
「あ、すいません。東堂さん」
その声を聞いた瞬間、エリナは飛び上がりそうになった。
「山崎さん!」
「お久しぶりです、東堂さん」
「何やってたんですか! 電話も出ないで!」
「ご心配をおかけしてすいません。実は今、お休みをもらっていて、カオルと一緒に世界一周旅行に来てるんです」
この言葉に、エリナは言葉を失った。
「世界一周!?」
「はい。今ロシアにいます。めっちゃ寒いです」
「知りませんよ! ていうか何で連絡してくれないんですか!」
「すいません。スマホの充電が無くなっちゃって、充電器も家に忘れちゃって。さっきやっと電器屋さんを見つけて充電器を買ったんです。知ってます、東堂さん? ロシアって全然電器屋さん無いんですよ」
「だから知りませんよ! まあでも、死んだりしてなくてよかったです」
「死ぬ? 僕が? そんな訳ないじゃないですか。何言ってるんですか?」
「うるさい! で、いつ帰って来るんですか!?」
エリナはイライラしながら聞いた。
「いつ、ですか……。それはまだ分かりませんね」
「え?」
「カオルとの旅行が楽しくて。まあそのうち帰るんで、そのときは連絡しますね。じゃあ、そういうことで」
「え、いや、ちょっとーー」
電話は既に切れていた。相変わらず勝手な男だ。だが、どうやら無事ではいる、むしろ妹との旅行を楽しんでいるようで、エリナはひとまず安心した。
いつ帰って来るのかは分からないが、必ず帰ると約束してくれた。エリナはそのときまでゆっくり待つことにした。山崎には、まだまだ教えて欲しいことがたくさんある。そして、伝えたいことも。
すっかり目が覚めてしまったエリナは、ふと時計を見ると、そろそろマイコとの約束の時間が近付いていた。エリナは鞄を持ち、外へ出た。マイコとミクにも、さっきの電話のことを教えてあげよう。
エリナは、少し浮かれた気分で、スキップするように約束の店へと向かった。
終