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山崎警部と妹の日常  作者: AS
150/153

恩師18

 自宅の書斎で、芹沢はノートパソコンを開き、明日の授業の準備を進めていた。普段は裸眼で生活している芹沢だが、本を読むときや、今のようにパソコンで作業をするときなどは老眼鏡が必須だった。

 まもなく作業も終わろうとしていたとき、インターホンのチャイムの音がした。

「お、来たな」

 独り言を呟いた芹沢は、進行中の作業を上書き保存し、パソコンを閉じて書斎を出た。そしてそのまま玄関へと向かい、鍵を開けてドアを開いた。そこには、近頃毎日のように会っている、かつての教え子がいた。

「こんばんは」

「こんばんは。寒かっただろう。早く中へ入りなさい」

「お邪魔します」

 今日はプライベートのはずだが、その教え子は今日も黒いスーツを着ていた。どうやらこれが一番落ち着くらしい。

「つかぬことを聞くが、君は他人と一緒に鍋をつつくのに嫌悪感を感じるタイプかね?」

「いえ。そんなことはありません」

「そうか。良かった。せっかく作った鍋が無駄になったらどうしようかと、作った後に気付いてね」

「先生の特製鍋、楽しみです」

「あまり期待してくれるなよ、山崎君」

 和やかなムードで二人は食卓についた。二人の間には、コンロにかけた鍋が煮えたぎっていた。鍋の中には、肉、野菜、魚など、様々な具材が出汁の中で、美味しそうな、温かく柔らかい色になっていた。

「これは美味しそうですね」

「どうぞ。君から食べるといい」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて……」

 そう言って、山崎は鍋の中に箸を入れ、豚肉と白菜などを自分の小皿によそった。そしてそれを、はふはふ言いながら口の中に運んだ。濃厚な昆布出汁の染み込んだ具材は、口の中で旨味を爆発させ、食べた者に多幸感を与えた。

「すごく美味しいです」

「そうか。良かった」

 嬉しそうな山崎に、芹沢も満面の笑みで答えた。

「仕事は忙しいのかい?」

「まあ、おかげさまで」

「若いうちにいろいろ苦労しておいた方がいい。私みたいにぐうたらに生きていると、年を取ってから自分には何も無いことに気付く」

「そんなことありません。先生は立派な方です」

「お世辞はいいよ」

「お世辞なんかじゃありません。先生は、私が人生で一番尊敬している人です。そんなことおっしゃらないでください」

 山崎の目に嘘は無かった。それを感じ取ったのか、芹沢は軽く照れ笑いした。

「ありがとう。ただ、趣味の一つでも持っておけばよかったとは思うよ。この歳になって一人になると、仕事以外の時間は暇で仕方なくてね。本を読むぐらいしかやることがない。まあそれも悪くはないんだがね」

「おいくつになっても学ぶ姿勢を崩さないというのは、誰にでもできることじゃありません」

 山崎は、熱々の豚肉を頬張りながら言った。

「あ、そういえばーー」

「?」

「仕事の話で思い出したんですが、例の事件について」

「……ああ」

 芹沢は、少し動きが鈍くなった。

「何か分かったのか?」

「残念ながら、あれ以降犯人の手掛かりは一切見つかっていません」

「……そうか」

「ただ、何かおかしいと思いませんか?」

「おかしい?」

「はい。だって、少し前まではあんなに目立つ格好をして、雑貨屋さんに現れたり、花壇を荒らしたり、ウサギを殺したり、最後には人を殺したような人物ですよ? それが、今は全く音沙汰がない。それまではいくつもの目撃情報があったのに、事件以後、それがぴたりと止みました。どうも妙です」

「どこが妙なんだね?」

「私の経験上、こういう不可解な事件を連続して起こす犯人は、逮捕されるまで犯行を続けることがほとんどなんです。目的は分かりませんが、以前先生がおっしゃていたように、自己顕示欲からの犯行であることが多いです。しかし今回の犯人は、どうも違うようです」

「……なるほどな。まあ、犯人が何を考えてるのかは分からんが、人を殺したことで自己顕示欲は満たされたのかもしれんな。もしくは、急に捕まるのが怖くなったとか」

「確かにそれも考えられます。ただ、私が気になっているのはちょっと違うことなんです」

「違うこと? それは?」

「先程も言いましたが、あの事件以降、数日経っても犯人の情報が一切出て来ないんです」

「それはさっき聞いたが」

「一切ですよ? 全くのゼロです。普通どんな人間でも、生きていれば何かしらの痕跡が残るはずなんです。しかし、この犯人にはそれが全く無い。これはどう考えてもおかしい」

「……つまり、君は何が言いたいんだね?」

「あの……笑わずに聞いてくださいね」

「ああ」

「私は……犯人は存在しない、あるいは幽霊なんじゃないかと思っています」

「……幽霊?」

「はい」

「しかしあの日、何人もの生徒や教師が、廊下を歩く犯人の姿を見ている。まさかあれが幽霊だったとでも言うのかね?」

「そこなんですよね……。でも、痕跡が全く無いとなると、それぐらいしか考えられないんです」

 山崎は、この謎に頭を抱えているという様子だった。芹沢は、山崎の推理力に驚嘆した。

「シャーロック・ホームズの言葉にこういうものがある。『不可能な事柄を一つずつ排除していき、最後に残ったものが、たとえそれがどんなに有り得ないものに見えても、それが真実である。』君の話は確かに突拍子も無いが、他の仮説が全て不可能だと判断したなら、”犯人は幽霊説”が真実ということになるな」

「確かにそうですね。しかし実際のところ、私は犯人を、存在しないものや、ましてや幽霊なんかだとは思っていません。ちゃんとこの世に存在する人間だと思っています」

「……まあ、そうだろうな」

「ところで先生、つかぬことをお聞きしますが」

「何だね?」

「学校に侵入した犯人がその姿を目撃されたとき、先生はどちらにいらっしゃったんですか?」

 芹沢は、突然の尋問に焦ったが、努めて冷静にいようとした。

「それは前にも言っただろう? 私はあの時、最後まで校舎に残り、逃げ遅れた生徒がいないか確認していたんだ」

「確か、先生自らが最後まで校舎に残るとおっしゃったんでしたね?」

「そうだ」

「お一人で?」

「そうだ」

「ちょっと大変じゃなかったですか? 何人かで手分けした方が早いし安全だったのでは?」

「他の先生たちは生徒の誘導で忙しかったからね。私一人でやった方がいいと判断した」

「なるほど……。その時犯人には遭遇しなかったんですか?」

「ああ。運よくね」

「そうですか……。あ、あと、一つだけいいですか?」

「何だね?」

「野口聖子という名前に聞き覚えは?」

 この質問に、芹沢の箸が止まった。

「……ご存知ですね?」

「……ああ。私の教え子の一人だ。不運な事故で亡くなってしまったがね……」

「……野口さんが、薬物中毒だったことはご存ーー」

「山崎君」

 芹沢は、山崎の言葉を遮った。

「質問はあと一つの約束のはずだ。それに、今この話はやめよう。せっかくの夕食が不味くなる」

「……そうですね。失礼しました」

 二人は、また鍋をつつき始めた。少し重苦しい空気になったのを変えようと、山崎はリビングにある棚を指差して言った。

「先生、あの棚の上に置いてあるのは何ですか?」

 山崎が指差した先には、様々な冊子や、たくさんの書類のようなものが置かれてあった。

「ああ、あれか。あれは、今まで私が受け持ったクラスでの思い出の品だよ」

「へえ。かなりたくさんあるように見えますが」

「なかなか物を捨てられない質でね。クラスでお揃いで作ったTシャツや、修学旅行で生徒たちが作った旅のしおり、合唱コンクールのときに歌った曲の楽譜なんかもある。全て私の大切な思い出だ」

「今までのを全て取ってあるんですか?」

「何個かは無くしてしまったが、ほぼ全部あると思うよ。君を担任していたときのも探せばあるんじゃないかな」

「本当ですか? ちょっと探してみても?」

「もちろん」

「では、失礼します」

 山崎は立ち上がり、棚の上に置かれた大量の品々を漁った。書類や衣類など、品ごとに年代順に丁寧に並べられており、芹沢の几帳面な性格と、自分の教え子に対する愛情が、それを見ただけで十二分に窺えた。

 年代順に並べられていたこともあり、山崎は自分の代のクラスTシャツや、修学旅行のしおりなどをすぐに見つけることができた。

「いやあ、懐かしいですねえ」

「確かこのときの修学旅行は、北海道にスキーをしに行ったんだったな」

 いつの間にか山崎の隣に来ていた芹沢が、懐かしそうに言った。

「はい。私はスキーが全くできす、すぐに飽きて一人でかまくらを作ってたのはいい思い出です」

「ああ、よく覚えているよ。とんでもなく立派なかまくらだったな。あれはもはや家屋だったよ」

「それはさすがに言い過ぎですよ」

「いやいや、あれはすごかった。すごすぎて他のスキー客が入れ代わり立ち代わりで写真を撮って行っていたな」

「お恥ずかしい思い出です」

 さっきまでの重たい雰囲気は既に消え去り、二人は思い出話に花を咲かせていた。

「そういえば、あの事件を覚えているか?」

「あの事件?」

「君が初めて解決した事件だよ。ほら、バスケ部の生徒の財布が無くなった」

「ああ。ありましたね。確か、犯人はカラスだったんですよね」

「そうそう。あのとき私は、君に警察官を目指してはどうかと勧めたんだ。まさか、捜査一課のエリートにまでなるとはさすがに想像しなかったが」

「エリートなんかじゃありませんが、確かにあのときの先生の言葉が無ければ、私は警察官を目指してはいなかったと思います。そういう意味でも、先生には感謝してます」

「私はきっかけを与えたに過ぎないよ。ここまで来られたのは君自身の力だ」

「ありがとうございます」

 山崎は、持っていた冊子を棚の上に置き、丁寧に元あった位置に戻した。

 それから二人は、再び食卓について鍋をつつき、思い出話の続きをした。話題は尽きず、気付けば夜はすっかり更けていた。名残惜しいが、別れの時間が来た。



「今日は来てくれてありがとう。久しぶりに楽しい食事だったよ」

 芹沢は、玄関で靴を履く山崎に言った。

「こちらこそお招きいただきありがとうございました。また呼んでください」

「もちろんだ。今度は君が食べたいものをご馳走しよう」

「楽しみにしています」

 少し沈黙が続いた後、芹沢がぼそっと呟いた。

「……山崎君」

「はい?」

「……いや、何でもない」

「……。では、また」

「ああ。……また」

 山崎は、玄関のドアを開け、外へ出た。さっきまで賑やかだった家の中は一瞬で静寂に包まれ、芹沢はこの上ない孤独感に苛まれた。



 芹沢の家を出た山崎は、すぐ近くの角に停まっていた車に乗り込み、助手席に座った。

「すいません。夜分に呼び出して」

 山崎は、運転席に乗っているエリナに言った。

「いえ。ご自宅まででいいですか?」

「はい。ありがとうございます」

「……あの、山崎さん」

「……はい」

「今回の事件の犯人、芹沢先生だと思ってるんですか?」

「……」

「もし学校に侵入した不審者が犯人じゃないんだとしたら、あるいは山崎さんが考えている通り、そんな不審者なんてそもそもいないんだとしたら、考えられる真犯人は一人しかーー」

「東堂さん」

「……はい」

「……明日からしばらく、お休みをいただきます」

「え?」

「すいません。いろいろ整理がついたら、東堂さんにはきちんとお話しします」

「今話してください! 私は、山崎さんの部下です!」

 エリナは、思わず声を荒げていた。

「……すみません。大きな声を出して……」

「……こちらこそすみません。ただ、今回の事件に関しては僕に任せて欲しいんです。いろいろ動いて調べてもらったのに申し訳ないんですが」

「……」

 山崎は、それでも不満そうなエリナに言った。

「ただ、勘違いしないで欲しいのは、決して東堂さんを信頼していないから話さない訳ではないんです。むしろその逆で、東堂さんを大切に思っているからこそ話さないんです。どうか理解してください」

「……」

「東堂さん?」

「あ、いえ。何でもないです」

 エリナの頬が若干紅潮しているように見えたのは怒ったせいだろうかと、山崎は思った。

 やがてエリナは車を発車させ、山崎を自宅へ送り届けた。そのときエリナが垣間見た山崎の表情は、何かを決意したような、どこか深刻なものだった。

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