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山崎警部と妹の日常  作者: AS
147/153

恩師15

 事件が起きた後も、上原凛は毎日登校し、希望する受験生限定の特別授業を受けていた。本来は休校中ということもあって、凛のように授業を受けに学校に来ている生徒はクラスの半分もいなかった。しかし凛にとっては、息が詰まる家にいるより学校で勉強していた方が気が楽だった。

 凛が大沢高校に合格してから程なくして、凛の両親は仲が悪くなり始めた。というより、母の方はずっと前から父に対して小さなイライラが溜まっていたらしく、ある日積もりに積もった苛立ちが爆発し、大喧嘩になったのだ。父にとって母の怒りは突然のことだったが、母にとってはそうではなかった。言ってしまえば、よくある夫婦のいざこざだ。

 それ以来、上原家はどこかぎこちない、重たい空気が充満していて、まるで酸素が薄くなったように、凛にとっては息苦しく感じるのだった。窪塚と付き合うようになったのも、そういうことがあって、家の外に安らぎを求めようとしたことに起因しているのかもしれない。しかしそれに関しては、今となっては後悔しているが。

 昼過ぎには授業は終わり、生徒は速やかに下校するよう義務付けられていた。凛も早々に荷物を片付け、教室を出ようとした。その時だった。「上原さん」と、さっきまで授業を行っていた女教師が呼びかけた。

「はい?」

「上原さんは、この後少し残ってもらえる?」

「は、はあ」

 予想していなかった言葉に、凛は少し怯えた。一体何の用だろうか。と言っても、思い当たることと言えば窪塚のことぐらいなのだが。

 少し不安を残しつつ、凛は一人教室に残った。

 他の生徒は全員帰宅し、教室には凛一人だけになった。窓からは夕日が射している。何もすることがないので、凛はずっとスマホをいじりながら呼び出しが来るのを待っていた。しばらくすると、さっき凛に残るように言った女教師が戻ってきた。

「お待たせ、上原さん。ちょっと来てもらえる?」

 そう言われて、凛は鞄を持って教室を出て、その女教師の後について行った。

「あの……これ何の呼び出しなんですか? 私何か悪いことしました?」

 凛は我慢できず、女教師に尋ねた。

「ごめんね。私も何のことなのか聞かされてなくて。ただ、この前の事件のことで、警察の人が上原さんに話を聞きたがってるって」

 その言葉を聞いて、凛はぎょっとした。窪塚のことで警察が話を? 私はあの男と付き合ってはいたが、事件に関しては何も関わっていない。自分にとっても突然のことだったのだ。凛は、今すぐそう叫びだしたくなったが、何とか平静を保った。

「念の為聞くけど、上原さん、事件に関わってたりしないわよね?」

「当たり前です」

 デリカシーのない年増の女教師に、凛は少々苛立った。

 そんな話をしているうちに、凛は生徒指導室の前まで連れて行かれた。ここには三年生になったばかりの四月に、全生徒が義務付けられている進路希望の聞き取りで一度入ったことがある。そのときに聞き取りをしたのは、担任の窪塚だった。確かあのとき、窪塚は進路相談を早々に終えた後、放課後自分の家に来るよう誘って来たのだった。

 そんなことを思い出しながら進路指導室の扉を開けると、中には黒いスーツを着た若い男と、パンツスーツに黒縁眼鏡が似合っている女性が二人並んで立っていた。

「どうも、はじめまして。上原凛さんですね?」

「……はい、そうですけど」

 男は笑顔で挨拶してきた。凛は、恐る恐るといった感じで答えた。

「私、今回の事件を担当しております、山崎と申します。そしてこちらは部下の東堂です」

「東堂です」

 山崎とかいう刑事に紹介された若くて美しい女刑事は、笑顔の男とは対象的に、きりっとした表情で頭を下げた。

「今日はわざわざご足労いただいてすみません。ちょっと上原さんにお聞きしたいことがありまして」

 ご足労いただいたのはこちらの方なのだが、凛は特に指摘はしないことにした。ただ、高校生の自分にも平身低頭に接するこの男のことは、何となく信用してもいいような気がした。

「あ、その前にすみません。先生はご退室願えますか?」

 山崎という刑事は、凛の後ろに立っていた女教師に向かって言った。

「え? でも……」

「すみません。少しデリケートな話になりますので」

「……はあ。分かりました」

 女教師は少し不服そうに、生徒指導室を出て行った。室内には、凛と山崎、そして東堂の三人になった。

「座って話しましょうか」

 そう言って、山崎は凛にソファに座るよう促した。凛は言われた通りソファに腰掛けた。山崎もその対面に座った。ソファは一人がけのものが二つあるだけなので、東堂という女は山崎の後ろに立っていた。

「聞きたいことって何ですか?」

 凛は座ってすぐに尋ねた。

「はい。……あの……少し聞きづらいことなんですがーー」

 刑事は奥歯に物が挟まったような言い方で、話し始めた。

「先日の事件で亡くなった窪塚先生と、あなたは……その……少し特殊な関係だったと噂でお聞きしたんですが……いかがですか?」

「特殊な関係?」

「はい……。あ、もちろん、言いたくなければ無理にとは言いませんが……」

 刑事は申し訳無さそうに言った。凛は何と答えようか迷い、しばらく俯いていた。狭い生徒指導室を静寂が包んだ。

 しばらく続いた沈黙に、凛の回答を「ノー」と判断したのか、刑事はふと立ち上がった。

「すみません。本日はどうもありがとうございました。外までご一緒します」

 刑事は凛から話を聞くことを諦めたらしい。それが分かったとき、凛は俯いたままとっさに口を開いていた。

「あの人は……悪魔のような人でした」

 その言葉を聞くと、刑事は再びソファに腰を下ろした。凛は話を続けた。

「あの人ーー窪塚先生が私に言い寄ってきたのは、高一の夏ぐらいです。あの先生、見た目だけはいいし、当時の私は、いわゆる禁断の恋愛みたいなのにちょっと憧れもあって、付き合うことにしたんです。今となってはすごく後悔してます」

 二人の刑事は凛の話を真剣に聞いている。

「付き合い始めこそ、普通の恋人同士みたいに、一緒にご飯に行ったり、デートしたりしてたんですけど、徐々に本性を現して来てーー。付き合って半年ぐらい経つと、あの人は私の……その……体ばっかりを求めるようになって……。一年後ぐらいには、デートといえばほぼそれだけって感じでした。でも、そのときは別にそれでも良かったんです。本当に怖かったのは、その後です」

 凛の話は、徐々に流暢になり始めた。

「ある日、あの人が昔付き合ってた生徒のことについて話したことがあったんです」

 この言葉に、刑事二人の目の色が変わった。

「それは、どんな話ですか?」

「あの人が昔付き合ってた女の子が、クスリの中毒になって死んじゃったって話。一度はそれがバレそうになったけど、お父さんのおかげで逮捕は免れて、何の罰も受けなかったんだって。すごく自慢げに話してたのを覚えてます。どこまで本当の話なのか分からなかったけど、この人を敵に回したらヤバいってことだけは分かりました。だから私、怖くて別れを切り出せなくて……。それからは、恋人というより、ほぼ主人と奴隷みたいな関係でした。私はずっとあの人の言いなりで……。何度かあまりにも我慢できずに反抗して、殴られたこともあります」

 凛は、極めて無感情に、淡々と語った。

「だから、あの人が通り魔に殺されたって聞いたときは、正直嬉しかったというか、ほっとしました。これであの人から解放されるって。あ、もしかして、こんなこと言うと、私犯人だって疑われちゃったりするんですか?」

「……事件が起きたとき、あなたはご友人とずっと一緒にグラウンドにいました。犯行は不可能です」

「……よかったです。他に聞きたいことは?」

 いつの間にか、凛は堂々とした態度で、十歳近く年上の二人の刑事に対して接していた。

「いえ、今の話で十分です。ありがとうございました」

「じゃあ、もう帰っていいですか?」

「はい。東堂さん、外までお送りして」

「いえ、大丈夫です。一人で帰れます」

「しかしーー」

「大丈夫です」

 そう言って、凛は鞄を持って立ち上がり、颯爽と生徒指導室を出て行った。その表情は、どこかすっきりとしていた。

 残された山崎とエリナは、少し呆気に取られていた。

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