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山崎警部と妹の日常  作者: AS
146/153

恩師14

 大沢高校の特別措置により、休校中でも通常通り登校して授業を受ける生徒は一定数いた。ただし、部活動は禁止、授業が終われば速やかに下校するように言い渡されていたので、生徒たちはまだ日が高いうちに校舎を出ていくのだった。

「先生、さよなら」

「はい、さよなら。気をつけて帰りなさい」

 下校していく生徒たちを、芹沢は校門に立って一人一人見送っていた。登下校は必ず集団で行うことが徹底されていたので、一人で帰っていく生徒はいなかった。

 午後三時頃になると、生徒は全て下校し、残っているのは数人の教員だけだった。人が少ないこともあり、職員室は静まり返っていた。あんな事件があったのだから、無理もなかった。

 明日の授業の準備を早々に終えた芹沢は、鞄を持ち上げ、「お疲れ様です」と小さく呟いて職員室を出た。

 校舎を出て校門へ向かっていると、その先に一人の男が立っているのが見えた。男は黒いスーツ姿で真っ直ぐに立っていた。

「やあ、また来たのかね」

 芹沢は、自分を待ち受けていたその男に声をかけた。

「すみません、何度も」

「構わないよ。いつでも来ていいと言ったのはこちらだしな」

 そう言って、芹沢は歩き始めた。男はそれに寄り添うようにして、共に歩き始めた。

「犯人の手掛かりは何か掴めたかね」

「いえ、昨日から特に変化はありません」

「そうか……。どうか一刻も早く捕まえてくれ。こうしている今も、不安で眠れずにいる生徒がいるんだ」

 芹沢は、自分で言っていることに胸が痛んだ。

「もちろん、分かっています」

 山崎は真面目な顔で答える。

「しかしーー」

 山崎は、話題を転換することにした。

「先生は、相変わらず生徒に慕われているようですね」

「?」

「いえ。先程、下校していく生徒さんたちと話す先生をお見かけしまして」

「ああ。何だ、見ていたのか。声をかけてくれればいいものを」

「すいません、何だか照れくさくて。しかし、先生は昔から変わっていなくて安心しました」

「……どうだろうな」

「いえ。先生は昔から生徒のことを一番に考えてくれる方でした。それを我々生徒も分かっていたから、みんな先生を慕っていたんです」

「……ありがとう。ただ、何も変わっていない訳じゃないさ。変わったこともたくさんあるよ」

「そうなんですか?」

「ああ……」

 何が変わったのか、山崎は聞きたかったが、ここは芹沢が自分から話し出すのを待つことにした。それを察したのか、芹沢はゆっくりと語り始めた。

「数年前に、家内が亡くなってね」

「……」

「元々体が弱くてね。入院生活が長かったんだが、私が学校で授業している間に突然発作を起こしたそうだ」

「……そうですか」

「……家内が死んだとき、『源氏物語』の授業をしていてね。ちょうど光源氏の最愛の女性である紫の上が、光源氏と養子である明石の中宮に看取られながら息を引き取る場面だった。紫の上は愛する夫と娘に看取られて死んでいったが、妻はたった独りだった。それが何だか皮肉というか、何とも言えない気持ちになったよ」

 山崎は、正式な妻とはなれなくても、光源氏を最期の時まで支え続けた女性と、自らの最愛の妻を重ねる芹沢に、どこか優美さを感じた。文学を愛する者は、人生における様々な悲喜こもごもを、物語になぞらえて雅に感じ取るのだろうと、山崎は思った。

「体が弱かったこともあって、家内には子供ができなくてね。私はそれでも構わなかったんだが、家内はそれが本当に悲しそうで、いつも私に申し訳ないと繰り返していた。見ていてこっちが胸が痛くなるほどだったよ。それが関係しているのかどうかは分からないが、私はいつしか、自分の教え子たちを、まるで自分の息子や娘のように感じるようになった。もちろん、君も例外ではないよ」

「ありがとうございます」

 山崎は、少し照れくさそうに言った。

「もちろん、君たちは私の本当の子供じゃないし、触れ合えるのは高校時代の三年間だけだが、時折こうして立派に成長した姿を見せてくれると、私はこの上なく嬉しい気持ちになる。こんなふうに思うのは、少しおこがましいのかもしれないが」

「いえ。素晴らしいと思います。逆に生徒さんの中には、先生を父親のように慕っている人もいると思いますよ」

「はは。そうだと嬉しいんだがな」

 芹沢は、頭を掻きながら笑った。

「山崎君、近々私の家で食事でもしないか?」

「食事ですか?」

「ああ。家内が死んでから、食事は基本一人になってしまってね。たまには誰かと話しながら食べたいんだがーー。あ、もちろん、無理にとは言わないよ。君も忙しい身だろうからね」

「いえ。是非今度お伺いしたいと思います」

 山崎の返事に、芹沢は嬉しそうに笑った。

「そうか。じゃあまた」

「はい。また」

 そう言って立ち止まった山崎を置いて、芹沢は角を曲がり、自宅へ帰って行った。その背中は、さっきまでの嬉しそうな表情とは裏腹に、どこか孤独な印象を山崎に与えた。

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