愛しすぎた女11
あの刑事が部屋に来た二日後の朝。ベッドで眠る敦美の睡眠を奪ったのは、突然のインターホンだった。まだ寝ぼけ眼だった敦美は、どうせ何かの勧誘だろうと、無視して二度寝することにした。しかし、インターホンの音は何度も部屋の中に響き、それは明らかに何かの勧誘で来た人間のものではなかった。
仕方なくベッドを抜け出した敦美は、玄関に向かい、覗き穴を覗いてみた。すると、そこに立っていたのは、一昨日この部屋へやって来た刑事、山崎だった。すっぴんで寝間着姿であることを特に気にしない敦美は、そのまま玄関のドアを開け、少し苛立った表情を山崎に見せた。
「何ですか? こんな朝早くに?」
「朝早くって、もう九時ですよ? 普通の学生ならとっくに学校に行っている時間だと思うのですが……」
「高校生じゃないんです。今日の授業は午後からですから」
「そんなはずはありません。前園さん、今日の一限目の授業取ってらっしゃいますよね?」
「……どこで調べたんですか……」
「さあ、行きましょう。外に車を用意してます」
「え?」
確かに、アパート横の道路から、車のエンジン音が聞こえていた。こっちを真っ直ぐに見る山崎の目は、絶対に断らせまいという固い意思を感じさせた。
「はあ……。分かりました。支度するので待っててください」
「はい」
観念した敦美の言葉に、山崎は笑顔で答えた。
玄関のドアを閉めた敦美は、洗面所で簡単に化粧をし、髪を直した。そしてスマホのメール確認をしながら歯磨きをし、それが終わるとタンスの中から一番上に置いていた服を着て、ものの十五分ほどで家を出る準備は整った。元々素材のいい敦美は、目立ちはしないものの十分に美人であった。
外に出ると、もうそこには山崎はおらず、既に道路脇に停まっているパトカーの後部座席に乗り込んでいた。敦美はパトカーに近付き、後部座席の窓をコンコンとノックすると、鍵が開く音がした。敦美は車に乗り込み、山崎の隣に腰を下ろした。
「じゃあ東堂さん、出してください」
「はい」
山崎が後部座席から運転席のエリナに指示すると、車はゆっくり動き出した。警察車両らしく、速度制限をきっちりと守っていた。
「パトカーで登校するなんて経験、多分これが最初で最後でしょうね」
「ああ。確かにそうですね。パトカーに乗ることすら普通は無いですから」
「ところで、何でわざわざ?」
「それはですね、前園さんにどうしてもお話ししたいことがありまして。それも絶対に午前中に話したかったんです」
「どうして午前中なんですか?」
「まあ、それは後ほどご説明します」
「……」
敦美は納得のいかない様子だった。
「まあいいです。で、そこまでしてしたかった話って何ですか?」
「はい。島田優里さんを殺したのは前園さん、あなたですね?」
「……」
「あなたは島田さんに毒を飲ませ、自殺に見せかけて殺しましたね?」
「……何を言い出すかと思ったらーー。朝から不快な話はやめてもらえますか?」
敦美は呆れた顔で言った。
「優里が死んだとき、私は食堂でみんなと居たんですよ?」
「いいえ。島田さんが亡くなったのは、それよりも少し前です。おそらく昼休みに入る少し前。あなたは、みんなの前で島田さんと電話する振りをして、あたかもそのとき島田さんが亡くなったように見せかけたんです。その証拠に、あの電話ではあなた以外誰も島田さんの声を聞いていない」
「いい加減なことばっかり……。ていうか、そもそもあの部屋は私たちが入るまで鍵が閉まってたんですよ? その密室はどう説明するんですか?」
「その密室も、あなたが意図的に作り出したものですね?」
「はい?」
「あなたは島田さんをゼミ室に呼び出す際、何かしら理由をつけて事務室から鍵を借りて来るように言ったんです。対してあなたは、教授室にある福永先生がお持ちの方の鍵を盗み出しました。島田さんを殺害した後、あなたはその鍵を使ってゼミ室の鍵を閉め、もう一度教授室に鍵を戻しました。島田さんが事務室から借りてきた方の鍵を島田さんの服のポケットに入れておけば、密室の完成という訳です。何てことはない、誰でも思いつきそうな方法です」
敦美は言い返してやろうと思ったが、もちろんそんなことをする訳にはいかなかった。
「あの日、教授室を二度訪れたのは、前園さん、あなただけなんです」
「だから何ですか? 教授室には落とした学生証を取りに行ったから二回行っただけです」
「……」
「その話、全部何の証拠もないですけど、もしかして、適当に言ってる訳じゃありませんよね?」
「……もちろんです。ちゃんと証拠はあります」
「……何ですか?」
「……それはーー」
そのとき、敦美たちの乗っているパトカーが停車した。
「着きました」
運転席のエリナが言う。
「もうですか? 早いですね。じゃあ、降りましょうか」
「え? まだ話の途中ーー」
「いけません。授業はちゃんと受けないと。ほら、前園さんも早く降りて」
山崎とエリナは既に車を降りていた。それも見て、敦美も仕方なく車を降りた。
「お昼休みに、ゼミ室でお待ちしています。話の続きはそのときに」
「あんな話をされたら、続きが気になって授業どころじゃないんですけど」
「まあまあ。お楽しみは後に取っておきましょう」
「私にとってはちっともお楽しみなどではない」と言ってやろうとも思ったが、やめた。この男は話の通じる相手ではない。
「では、いってらっしゃいませ」
山崎は、まるで令嬢を学校まで送迎する執事のような振る舞いで、敦美を送り出した。敦美は一刻も早く話の続きを聞きたかったのだが、仕方なく山崎に従い、一限の授業を受けることにした。こちらに向かって手を振っている山崎の笑顔が、今は心底不気味に感じられた。