愛しすぎた女7
島田優里が死亡し、関係者たちに話を聞いた次の日、山崎は喫茶コロンボで昼食を摂っていた。
いつもなら隣でカオルがオレンジジュースを飲みながら山崎に対してあれこれ話しているのだが、この日は珍しくきちんと学校に行っていた。というのも、あまりに無断欠席が多いため、これ以上休むと本当に留年になってしまうかもしれないためだった。いくら勉強やスポーツで異次元の成績を残すカオルでも、こればっかりは譲歩されないのだった。カオルは留年になっても構わないと言ったが、そこは山崎が兄として無理矢理にでも登校させたのだった。
では、今山崎は一人で食事をしているかというと、そうではなかった。いつもカオルが座っている席には、この喫茶コロンボのバイト店員で、カオルと同じ高校に通う同級生でもある小林ミクだった。
いつもはメイド喫茶のメイドさんのような服で客に奉仕しているミクだが、今は勤務時間外ということもあり、私服姿だった。ミクの装いも秋らしく、白いふんわりとしたスカートを履いていた。
「二人っきりですね……」
ミクは山崎の腕に、自分の腕を絡めながら色っぽく言った。
「すいません。オムライスが食べれないので離れてもらえますか? あと二人きりじゃないですから。向こうにマスターいますから」
店のカウンターでは、口ひげをたくわえた喫茶コロンボのマスターが、いつものようにコップを布巾で拭いていた。
「いいんですよ。マスターはいつもあそこで何も言わずにコップ拭いてるだけなんですから。居ても居ないようなもんですよ」
「雇い主にその言い草は酷すぎませんか?」
山崎とミクがそんな会話をしていると、喫茶コロンボに新たな客がやって来た。スーツ姿に黒縁眼鏡をかけたその美しい女は、真っ直ぐに山崎とミクのいる一番奥の席へとやって来た。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様です。東堂さん」
「とりあえず、未成年との淫行の現行犯で逮捕しますね」
エリナは女子高生であるミクに腕を組まれている山崎に向かって言った。
「いやちょっと待ってくださいよ! これは僕が自分でやってる訳じゃーー」
「山崎さん! 私、毎日面会に行きますからね!」
「いやあなたが否定してくれれば済む話なんですよ!」
「はいはい。もうそういうのはいいですから。ミクさん。今から私は山崎さんと大事なお仕事の話があるから、向こうに行ってもらえる?」
「何でよ! 今からミクは山崎さんと朝まで愛を語り合うの!」
「いやしませんから。オムライス食べたら帰りますし、この店も七時で閉まるでしょう」
「大丈夫です。そのときは場所を変えますから。だから、ドブゲロ貧乳おばさんは日を改めてもらえます?」
「ちょっと! 誰が貧乳よ!」
「東堂さん、怒るとこ他にもっとありましたよ」
言いながら、山崎は腕にくっつくミクを優しく離れさせた。
「とりあえず、東堂さんにカフェラテをお願いできますか?」
「……はいはい! 分かりました!」
ミクは不満そうに立ち上がり、まだコップを吹き続けているマスターに向かって、「マスター! カフェラテ一丁!」と、まるで居酒屋店員のように、半ば八つ当たりで注文を通した。
「はあ。やっとゆっくり話せます」
ミクがカウンターの方へ行ったのを確認すると、エリナは溜め息混じりに山崎の横へ座った。ミクを追い払ってくれたこともそうだが、エリナがいつも喫茶コロンボで何を頼むのかを、山崎がきちんと把握していたことが、エリナは少しだけ嬉しかったりもした。
「さっき大学に行って来て、いろいろ話を聞いて来ました。オムライス、食べながらでいいので聞いててください」
「はひ」
山崎は口いっぱいにオムライスを含んだまま返事をした。
「まず、薬学部の事務の方によると、昨日の昼休みの少し前、確かに島田さんがゼミ室の鍵を借りに来たそうです。特に理由は聞いてないそうなんですが、特に思いつめた様子はなかったそうです」
「はふはふ」
「やはり、あのときゼミ室は完全に密室だったってことになりますね」
「ほへはほうへほうか」
「え? だって、部屋には鍵がーー」
「はいはひむひふひはいひも、もうひほふはひまひは」
「でも、あの鍵は誰も持って行ってないって」
「ほっほひもっへひっはほひはら?」
「……まあ、考えられなくはないですけど」
「何でちゃんと会話できてんのよ」
そのとき、ちょうどミクがカフェラテを持ってやって来た。
「え? まあ確かに聞き取りづらいけど、音と文脈で何となく分からない?」
「分からないわよ!」
ミクはカフェラテを乱暴にテーブルに置き、またカウンターの方へ戻って行った。山崎について、自分が理解できないことを、エリナがいとも容易く理解できていることが、ミクはどうしようもなく悔しかった。
山崎は口の中のオムライスを一気に喉に押し入れ、やっとまともに会話を始めた。
「事務室の鍵を島田さんが持っていた以上、あの部屋に入るには福永教授が持っている鍵を使う以外に方法はありません。まあもちろん、それは島田さんが自殺じゃなかった場合の話ですが」
「もし誰かに殺されたんだとしたら、犯人は誰なんでしょう?」
「さあ、それはまだ分かりません」
エリナは不完全燃焼な表情で、報告を続けた。
「あと、山崎さんが知りたがってたことですけど、ちゃんと聞いて来ましたよ」
「おお。どうでしたか?」
「昨日カオルさんが言っていたように、亡くなった島田さんと、同じゼミの鈴木健一さんは恋人関係でした。それも学部内で知らない人はいないぐらい有名な」
「有名?」
「はい。まあ美男美女なんで。嫌でも目立っちゃうんでしょうね。二人とも性格も良くて、後輩の面倒見も良かったから、憧れのカップルとして見られてたみたいですよ」
「……そうですか」
「で、これも昨日言っていたように、二人と同じ福永ゼミに所属してる前園敦美さんは、島田さんとは小学校からの幼馴染だそうです」
「そんな昔からーー」
「はい。小中高とずっと一緒みたいですよ。島田さんは社交的で、前園さんは内向的っていう、真逆の性格だったみたいですけど、かなりの親友だったみたいです」
「……」
山崎は、少し不満そうな顔をした。エリナはその表情から、山崎が何を考えているのか瞬時に判断した。
「はいはい。分かってますよ。山崎さんが聞きたいこともちゃんと聞いてますから」
これを聞いて、山崎の顔が急に明るくなった。このときの二人のやり取りは、母親にわがままを言う子どもと、そのわがままを許してあげる母親のような、そんなやり取りだった。
「前園さんと鈴木さんですが、これといった証拠は無いものの、ちょっとした噂はあったみたいです」
「どんな噂ですか?」
まるで放課後の教室でクラスメイトの恋愛事情について秘密の話をする女子高生のような目で、山崎はエリナに尋ねた。
「あの二人が、裏で”できてた”んじゃないかって噂です」
「ほう」
「まあ実際は、たまに二人が仲よさげに話してたり、二人で食事に行ってたってぐらいの根拠しかないんですけどね。所詮は恋愛脳の大学生の戯言ですよ」
「何か棘のある言い方が気になりますが、恋愛脳の大学生も侮れませんよ。一人二人ならともかく何人もの学生が同じように話していたのなら、少なからずそういう雰囲気を醸し出していたということです」
山崎の目は、どこかキラキラしていた。
「あの……山崎さん?」
「何ですか?」
「山崎さんって、恋愛の話とか興味あるんですか?」
「え? え、ええ。まあ、人並みに?」
「本当ですか?」
「……まあ、テラスハウスは全シリーズ観てますけど」
「へえ……」
「何ですか、その残念そうな目は! いいでしょ別に!」
「いや、いいですけど、何か山崎さんがそういうの好きっていうのが……何かね……」
「自分が恋愛とかできないから、ああいうの見ると憧れちゃうんですよ! ていうか、面白いから東堂さんも観てくださいよ!」
「いや、観ません。とりあえず、報告できることはこれで全部なので、私はもう帰ります」
「……はい。お疲れ様です」
「お疲れ様です」
エリナは少し温くなったカフェラテを一気に飲み干すと、喫茶コロンボを出て行った。
山崎は不満そうな顔で、オムライスの最後の一口を口に運んだ。