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山崎警部と妹の日常  作者: AS
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愛しすぎた女4

 敦美は自分が飲んだコーヒーカップを、ゼミ室の洗面台で丁寧に洗っていた。いつもより洗剤を多めに使い、汚れ一つ残さないよう隅々まで隈なくスポンジで洗った。

 敦美の背後では、既に絶命した優里が机に突っ伏していた。

 そろそろ昼休みが始まる時間だ。あまりここに長居はしていられない。敦美はカップを洗い終えると、綺麗に拭いて元の位置へ戻し、次に、動かなくなった優里の服のポケットから優里のスマホを取り出して懐へ入れた。そして部屋の外の気配を窺い、近くに誰もいないことを確認すると、素早くゼミ室を出て、さっき福永の白衣から盗み出した鍵を使って施錠した。それから敦美は急いでその場を離れた。誰かにゼミ室の近くにいたことを見られる訳にはいかない。敦美は、一刻も早くこの場を離れたかった。敦美は小走りで学部棟の階段へ向かった。階段にはすぐに辿り着き、階下へと向かおうとしたそのときだった。敦美は慌てて物陰へと隠れた。

 数秒後、下の階から上がってくる二人の女子生徒が、敦美の真後ろを通り過ぎた。

「ねえ、この前の課題やった?」

「やったよ。ほとんどコピペだけど」

「やっぱり? そうなるよね」

「あの教授、とりあえず提出すれば単位はくれるから楽なんだよね」

 そんな会話が、敦美の耳に聞こえてきた。二人の女子生徒は、背中にギターケースを背負っていた。見たことのない顔だ。この時間にここに来る人間はほとんどいないはずだが、学部生ではないのだろうか。敦美はそんなことを考えたが、今はそれどころではないことに気付き、すぐに階段を駆け下りて行った。


 今日二度目の教授室の前にやって来た敦美は、走って荒くなった息を整え、ドアをノックした。

「はい」

 中から福永の声が聞こえる。

「失礼します」

 言いながら、敦美はドアを開けて中に入った。

「前園さん。また何か質問ですか?」

「いえ、そうじゃなくて。さっきここに忘れ物しちゃって」

「忘れ物?」

「はい」

 そう言うと、敦美はさっき自分が座っていた椅子の下に手を入れ、そこに置いてあった学生証を取り出して福永に見せた。

「これです」

「学生証……。気を付けてくださいよ。無くしたら再発行には結構手続きが面倒らしいですから」

「はい。お仕事のお邪魔しちゃってすみません」

「いえいえ」

「じゃあ失礼します」

「はい」

 敦美は学生証を財布の中のいつもの位置に入れ、教授室を出た。そのとき、福永が目を離しているのを確認しつつ、白衣のポケットの中にゼミ室の鍵を戻しておいた。



 敦美たちのいる薬学部の学部棟の一階には食堂がある。昼休みは、学部生だけでなく、教授やたまたま近くにいた他の学部生たちでごった返している。人混みが嫌いな敦美は、普段この食堂に来ることは滅多になかった。

 敦美は食堂に入ると、人混みをかき分け中に入っていった。周りを見回し、そして窓際の席で食事をしている、鈴木、桂木、清水の三人を見つけた。

 敦美はさっき持って来た優里のスマホを取り出して操作し、ワンタッチで自分のスマホに電話がかかるようにし、再び懐へ入れた。

 敦美は三人のもとへ歩き出した。人が多く、騒がしかったこともあり、敦美が声をかけるまで三人とも敦美が近付いて来ていることに気付かなかった。

「鈴木君」

「あ、前園さん。珍しいね、ここにいるなんて」

「うん」

 鈴木と話す敦美の顔を、桂木と清水はニヤニヤしながら見ていた。昨日のことがあったからだろう。敦美は気にしなかった。今はそれよりも優先すべきことがある。

 敦美は鈴木たちにバレないようにポケットの中に手を入れ、優里のスマホをタップした。その瞬間、反対側のポケットに入っている敦美のスマホが鳴り出した。

「あ、ちょっとごめんね」

 敦美は自分のスマホを取り出し、「優里からだ」と独り言のように言い、電話に出た。

「もしもし。どうしたの? ……え? どういうこと? ちょっと優里? ねえ、ちょっとーー」

 そのまま電話は切れた。というより、敦美が自分で切った。

「優里から? どうしたの? 何か様子が変だったけど」

 敦美のただならぬ電話に心配になった鈴木が尋ねた。

「何か、変なこと言ってた。今までありがとうとか、さよならとか……」

「それって、何かヤバくない?」

 横で聞いていた桂木が言った。

「優里、今どこにいるって?」

 深刻な顔で鈴木が敦美に尋ねる。

「ゼミ室にいるって言ってた」

「すぐに行こう!」

「うん!」

 食事もそこそこに、鈴木、桂木、清水の三人は立ち上がり、食堂を出て行った。敦美はそれについていく形で後を追った。



 走って来たので、ゼミ室にはものの数分で辿り着いた。鈴木がドアを開けようとすると鍵がかかっている。

「鍵!? おい! 優里! いるんだろ! 返事をしろ!」

 しかし、当然ながら優里からの返事はなかった。鈴木はますます焦り、ドアを叩きながら何度も優里の名前を呼んだ。桂木と清水は既に顔面蒼白になっている。

「俺、先生呼んで来る! ここの鍵持ってるはずだから!」

 清水が叫ぶように言った。鈴木は「頼む」とだけ言い、その後もドアを叩き続けた。

 ものの五分ほどで、清水が福永を連れて来た。清水から事情を聞いたのか、福永も相当焦っているようだった。

「先生、鍵を!」

 鈴木が懇願するように言う。

「ああ」

 福永は手に持っていた鍵を使って、ゼミ室の鍵を開けた。カチッという音がし、鍵を抜くと、福永はドアを開いた。中の光景を見て、福永は言葉を失った。

 福永を押しのけるようにして、鈴木がゼミ室に踏み込んだ。それに続いて、桂木、清水、そして敦美が中に入る。五人の前には、机に突っ伏している優里の姿があった。その目は固く閉じられ、口からは唾液がだらだらと流れていた。

「優里……おい……」

「触っちゃ駄目!」

 優里に触れようと近付く鈴木を、敦美が制した。敦美の声に立ち止まる鈴木を押しのけて、敦美は優里の側へ行き、顔の前に手を出した。

「息してない」

 敦美の言葉に、鈴木たちは絶句した。

「ストリキニーネ……。これを飲んだのか……。じゃあ、もう……」

 福永は、机の上に置かれた瓶のラベルを見て言った。

「そんな……。そうだ! 救急車!」

 放心状態だった鈴木が、思い出したように叫んだ。

「とりあえず、一旦ここを出ましょう。救急車は先生が呼んでもらえますか」

「あ、ああ。分かった」

「ほら、鈴木君。大丈夫だから」

 敦美は的確に指示を出し、鈴木らをゼミ室から出した。敦美は最後に部屋を出たが、そのときにポケットに入れていた優里のスマホを、優里の傍らに置いた。

 敦美は、笑みがこぼれそうになるのを堪えるのに苦心した。

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