愛され過ぎた女12
「ほら山崎さん。早く入れて」
「え……でも……」
「いいから早く」
「わ、分かりました」
「あっ……入れちゃった……。じゃあ、ゆっくり動かして。慎重にね」
「はい……」
「あ、いい感じ……。あっ、そこ!」
「ここがいいんですか?」
「そう! そこ!」
「よし、じゃあイキますよ」
「うん! イッて! ……あ……あ……ああっ!」
「はあ……はあ……。出ましたね……」
「うん……出たね。……ぬいぐるみ」
「はい。これ、取れちゃいましたけど、どうします?」
「山崎さんがいらないなら、私がもらおうかな」
「小倉さん、ぬいぐるみとか好きなんですか? 意外です」
「失礼ね。三十手前の女が可愛いぬいぐるみ持ってちゃ悪い?」
「いえ。決してそんな意味ではーー」
山崎とマイコは、焼肉屋を出た後、マイコの提案で近くのゲームセンターに来ていた。そして、さっきまで二人でUFOキャッチャーに挑戦していたのだが、アニメの人気キャラのぬいぐるみ一つ取るのに三千円ほど使ってしまった。焼肉をご馳走してもらったこともあり、UFOキャッチャー代はマイコが負担した。
「そういえば小倉さん。終電の時間は大丈夫ですか? もう結構遅いですけど」
二人が焼肉屋を出た時点で、既に午後十時を回っていた。UFOキャッチャーだけで三十分以上は遊んでいたから、そろそろ終電の時間を気にする頃合いだった。
「ええとね……。あ、まだ全然大丈夫。あと一時間は遊べますよ」
マイコはスマホの画面を見ながら言った。
「そうですか。でも、あんまり遅くならないように帰りましょう」
「はいはい。分かってますよ」
マイコは口うるさい母親に言うように、面倒くさそうに答えた。
それからマイコと山崎は、リズムゲームやレースゲーム、シューティングゲームなど、ゲームセンターにあったほとんどのゲームを遊んだ。マイコはまるで子供のようにはしゃいでいた。山崎は、今までマイコのこのような顔を見たことがなかったから、何だか新鮮な感じがした。
そうして遊んでいるうちに夜もすっかり更け、いよいよ帰ろうかという時間になった。
「ええ。まだ遊びたいのにー」
「子供じゃないんですから、わがまま言わないでください」
「はーい。……あ……」
「どうしました?」
山崎が尋ねると、マイコは自分のスマホの画面を山崎に見せてきた。
「山崎さん、これ……」
「何ですか? ……あ!」
画面を覗き込んだ山崎は驚いた。
「ちょっと! 終電とっくに過ぎてるじゃないですか!」
「ごめんなさい。一時間勘違いしてたみたい」
「はあ……。まあ、過ぎてしまったことは仕方ありません。どこか近くのカプセルホテルにでも泊まりましょうか」
「あ、それなら私いいとこ知ってます」
「本当ですか?」
「ええ。前に一度泊まったことがあるんですけど、設備もいいし申し分なかったですよ」
「じゃあそこにしましょうか。案内おねがいできますか?」
「分かりました。こっちです」
そう言うと、マイコは山崎を連れて夜の街へと歩き出した。
終電が過ぎてしまった都会の街は、それでも酔っ払ったサラリーマンや派手な女性たちで十分に賑わっていた。そんな夜の繁華街を、マイコの後ろについて歩いていくと、やがて一軒のビルにたどり着いた。赤、青、黄色のネオンが光るその派手な景観は、どう見てもカプセルホテルではなかった。
山崎は、恐る恐るマイコに尋ねた。
「あの、小倉さん?」
「はい?」
「一応確認なんですが、ここって、カプセルホテルじゃないですよね?」
「ええ。ラブホテルですよ」
「ラブホテルですけど何か?」とでも言いたげなマイコの表情に、山崎は困惑した。マイコは一体どういうつもりなのだろうか。
「じゃ、入りましょうか」
「いやいや、ちょっと待ってくださいよ!」
「何ですか? 別に何もしませんよ。だって、カプセルホテルの狭いベッドなんて寝づらくて嫌なんですもん」
「それならそうと先に言ってくださいよ」
「だって、初めからラブホに行きますなんて言ったら、山崎さんついて来ないじゃないですか」
「当たり前ですよ! だったら小倉さんお一人で泊まればいいじゃないですか」
「ラブホは一人じゃ泊まれないじゃないですか。大丈夫ですって。私は山崎さんとどうにかなるつもりなんて無いし、山崎さんも私に手を出す勇気なんて無いでしょ?」
「……」
これには山崎も「ぐぬぬ」と言うしかなかった。確かに、山崎にマイコに手を出すような気概は無かった。
「分かりましたよ。僕はソファか何かで寝るので、小倉さんはベッドで寝てください」
「やった!」
マイコに言い負かされるようにして、結局山崎はマイコとラブホテルの一室で一夜を共にすることになった。
フロントで鍵を受け取り、洋室の部屋に入った。思っていたより広くて清潔な部屋だった。というより、山崎がラブホテルというものに行ったことがなかったためにそう思っただけなのかもしれないが。マイコの方を見ると、相変わらず何でもないような顔をしている。いくらそういう気がないとはいえ、男女が二人でラブホテルにいるということに何かしら浮わついた感情を抱かないのかと、山崎は不思議に思った。
「お風呂どうします?」
山崎が緊張を隠せずにいると、マイコが尋ねてきた。
「あ、えっと、お先にどうぞ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
荷物を置き、上着をハンガーにかけたマイコは、風呂場の方へ向かい、お湯を溜め始めた。山崎も、とりあえず荷物を部屋の隅に置き、上着をマイコの上着の横のハンガーにかけた。
しばらくして、マイコがシャワーを浴びる音が聞こえてきた。山崎は待っている間どうしていいのか分からず、とりあえずソファに座ってじっとしていることにした。そういえば、前にも女性と二人で同じ部屋で一夜を共にしたことがあった。あの時一緒にいたのは東堂エリナだったが、結局何も起きずに朝を迎えたのだった。ただ、エリナと違ってマイコは何を考えているのかいまいち掴めない。山崎は、自然と早くなる鼓動を抑えるため、気を紛らわそうと、頭の中で素数を数えた。
二十分ほど経つと、風呂場のドアが開く音が聞こえ、しばらくするとマイコが戻ってきた。
「あーいいお湯だった」
そう言ったマイコはバスローブ姿だった。
「山崎さんもお風呂行ってきたら? 湯舟が大きくて気持ち良かったですよ」
「八三、八九、九七……。あ、はい。では、お風呂頂きます」
「いや、別に私の家じゃないから。ていうか、何か数えてた?」
山崎は十分ほどで風呂から出てきた。いつもは入浴にはゆっくり時間をかける山崎だったが、今は心ここに在らずといった具合で、そそくさと出て来てしまった。
山崎も洗面所に予め用意されていたバスローブを着て部屋に戻ると、マイコがベッドの上に大の字になり、目を閉じて寝ていた。
「小倉さん? もう寝ましたか?」
「起きてますよ」
マイコは目を開けて答えた。とはいえ、既に時刻は午前三時になろうとしていた。散々食べて遊んだ二人は、少し目を瞑ればすぐにでも眠りに落ちることができた。
「山崎さん。私ね、今日ずっと考えてたの」
「何をですか?」
山崎はソファに腰掛けながら尋ねた。
「山崎さんは、高柳徹は自殺じゃなくて殺されたと思ってますよね?」
「……」
「そして、犯人はあの奥さんだと思ってる」
「……ノーコメントで」
「じゃあ、もしあの奥さんが犯人だとしたら、動機は一体何なの? あの夫婦が周りが思うようなおしどり夫婦じゃない、いわゆる仮面夫婦だったってことは分かる。でも、それだけで殺人の理由にはならないと思うの。山崎さんはどう思ってるの?」
「……それは、僕も考えていたことではありました。まだ自殺なのか他殺なのかは分かりませんが、もし他殺だった場合、犯人は奥さんの綾乃さん以外考えられない。しかしその場合、小倉さんの言う通り、奥さんには旦那さんを殺害する理由がない。そこが今回の最大の謎なんです」
「本人に聞ければいいんだけどね」
「それができればこんなに楽なことはないんですが……」
「ふふっ。あ、そうだ。私、まだ約束を果たしてませんでしたよね」
「約束?」
「私の遊びに付き合ってもらう代わりに、私が今までで一番印象深かった事件を教えるって」
「ああ、すっかり忘れてました」
「ちゃんと約束は守らないとね」
そう言うと、マイコは起き上がって、山崎の方を向いてベッドの縁に座った。
「今から五、六年前かな。私には付き合ってた人がいたの」
「へえ、そうなんですか」
マイコは自由奔放なところはあるものの、容姿はずば抜けている。今まで恋人の一人や二人ぐらいいても何ら不思議はない。
「その時でもう三年ぐらい付き合ってて、お互い結婚も考えてた」
「過去形ということは、別れてしまったんですか?」
「いいえ。殺されたの」
「え……」
山崎は予想外の答えに思わず絶句した。
「当時、夜道で女子中高生をナイフで脅して乱暴する通り魔が出没しててね。いろんなところで犯行を繰り返して、被害者も何人も出てたの。それで、ある日、私の恋人がたまたま犯行現場に居合わせたの。彼はすぐさま犯人から女の子を助けようとした。で、何とか助けることはできたんだけど、彼は犯人にナイフで刺されて死んじゃった。その犯人、クスリとかもやってたヤバい奴で、そこまでするかってぐらいグチャグチャに刺されてた。しかもその犯人は、牢屋の中で舌を噛んで死亡。そして、その事件を担当したのが……私」
「……」
「あれはさすがの私も驚いた。だって、現場に行ったら恋人がミンチなんだもん。でも、仕事は仕事だから、何とか感情を押し殺した。押し殺し過ぎて、他の感情も全部無くなっちゃった。恋人がいなくなった寂しさや辛さも、犯人への憎しみも、他にも、楽しいとか、嬉しいとか、美味しいとか、何にも感じなくなっちゃった。何か、私の大事な感情まで、あの犯人に殺されちゃったみたいだった」
「……」
「その時に思ったの。ああ、多分、私は一生この仕事をするんだろうなって。何でって聞かれると上手く説明できないんだけど……」
「それは、宿命とか、使命のようなものでしょうか」
「うーん。そう言うと聞こえはいいけど、実際はもっとマイナスな感じというか……。強いて言うなら、呪い?」
「呪い……ですか」
「あ、でも勘違いしないでね。私、何だかんだでこの仕事好きなんです」
山崎は優しく微笑んだ。
「何かごめんなさいね。こんな話しちゃって」
「いえ。小倉さんのことが知れて良かったです」
「何かね、最近また彼のことを思い出すようになったの。もしあの事件が無かったら、この仕事を辞めて結婚とかして、子供もいたのかなあとか。そんなこと考えてたら、また食べ物の味が分かんなくなったりするんじゃないかと思って。だから、山崎さんに焼肉を奢ってもらおうと思ったってわけ」
「そういうことだったんですか」
「ええ。ありがとうございました。焼肉、ちゃんと美味しかったですよ」
「いえ、喜んで頂けたのなら良かったです」
マイコは山崎ににっこり笑って見せた。
少しの間、沈黙が流れた。壁にかかった時計の針の音だけが響く。風呂上がりの熱気で、山崎の背中はじんわり汗をかいていた。
「ちょっと暑いですね。冷房をつけまーー」
「山崎さん」
「はい?」
マイコは真剣な表情で山崎を見つめていた」
「な、何でしょうか?」
マイコは立ち上がり、じりじりとソファに座っている山崎に近付いた。
「な、何ですか?」
「山崎さん……私ね……」
「は、はい……」
マイコは更に近付き、二人の顔はどんどん接近した。
「私、山崎さんのこと……」
山崎は生唾を飲み込んだ。
次の瞬間だった。「ピピピピ!」と、部屋中に響くほどの大きな機械音が鳴り響いた。
突然のことに山崎とマイコは驚き、さっきまでの接近していた状態からすぐさま離れた。
「ビックリした。何の音?」
マイコが尋ねると、山崎は部屋の隅に置いた自分の鞄から、透明なビニールの袋を取り出した。
「ああ、すいません。これみたいです」
そう言って山崎がマイコに見せたのは、袋の中に入ったスマホだった。それは、山崎が借りていた徹のスマホだった。
スマホの画面には、「目覚まし」という文字と、現在の時刻である「5:30」という数字が表記されていた。
「アラームが設定されっぱなしだったのね」
「そうみたいです。解除しといた方がいいですね」
そう言って山崎は袋からスマホを取り出し、相変わらずうるさい音を鳴らしているスマホの画面を操作しようとした。
そのとき、山崎の指が止まった。
「どうかしたの?」
マイコが尋ねる。
「……小倉さん。もしかしたら、これで高柳徹さんが自殺なのか他殺なのか、はっきりさせられるかもしれません」
「え?」
マイコは少し当惑した。
山崎は少し笑い、ハンガーにかけた服を取って洗面所に向かった。
「ちょっと山崎さん?」
「すいません! 僕は先に出ます! 小倉さんはゆっくりお休みになっててください!」
そう言うと、あっという間にスーツ姿に戻った山崎は、「今日はありがとうございました」とだけ言い残し、部屋を出て行った。
一人取り残されてしまったマイコは、再びベッドに大の字になって寝転んだ。
「はあ……。山崎さんの馬鹿」
マイコは目を瞑ると、疲れのせいか、瞬時に眠りに落ちた。