第一章 迷宮の最下層にある学校➂
第一章 迷宮の最下層にある学校③
俺は校舎の中をとぼとぼと歩いていた。
正直、アリスがいないと心細かったが、これ以上、彼女に迷惑をかけるのは気が引けた。
院長室まで連れてってくれただけでも、十分、ありがたいことだからな。
そして、俺が真っ先に目指すことにしたのは食堂だ。
とにかく、喉が渇いていたので、水が飲みたかったのだ。この学院では水の確保はちゃんとされているのだろうか。
水は人間にとって、空気の次に大切なものだし、水がなければ人間は五日と生きていられないのだ。
「にしても、広い校舎だな。こんな贅を尽くしたような学校に通えるのは金持ちの子供だけだな」
俺はたまたま通りかかった校内掲示板で見た案内図を頼りに、食堂を目指す。
案内図が確かなら、校舎の中は広くはあるものの、それほど複雑な造りをしているわけではないはずだ。
道なりに行けば迷うことはないだろう。
俺は学院の生徒ではないということを意識し、肩身の狭いものを感じながら廊下を歩く。
すれ違う生徒たちは俺のことを不思議そうな目では見なかった。生徒たちの中には普通の服を着ている奴もけっこういたからだ。
さすがに全ての生徒が制服で暮らしているわけじゃない。
その現実に俺も少しだけ救われた。
俺は生徒がちらほらしかいない食堂に辿り着くと、給仕のような服を着たおばさんに水を頼んだ。
その際、水はどうやって確保しているんですかと聞いたところ、クシャトリエルが空気から幾らでも水を作ってくれるのだと教えてくれた。
クシャトリエルと言えば歴とした妖精の女王じゃないか。この学院にはそんな奴までいるって言うのか。
まあ、ありのままの自然を愛する妖精は主に水と風の魔法が得意だと言われているし、妖精の女王ともなれば、水を作り出すことなど造作もないのだろう。
俺はその説明にほっとしながら、運ばれてきた水を飲む。
「妖精の作りだした水はこんなに旨いのか。これを飲まされたら、地上の井戸水なんて不味くてもう飲めないな」
俺は綺麗に透き通った水を飲み干すと、しみじみと言った。
それから、給仕のおばさんは初めて来てくれた生徒だと言って、サービスとしてステーキを俺に提供してくれた。
その際、俺は生徒じゃないと言ったが、信じてはくれなかった。
何の肉か分からないステーキを食べながら、俺はどうやって生徒たちに話しかけようか考える。
人付き合いは得意な方ではないし、こんな場所に閉じ込められている生徒たちの精神状態はどんなものなのか推し量ることもできない。
学院の生徒ではない俺と仲良くしてくれるだろうか。
そんなことを考えていると、俺のいるテーブルに向かって小さな鳥のような動物が飛んで来るのが見えた。
が、それは鳥ではなく良く見ればドラゴンだった。
ドラゴンは俺の傍までやって来ると、物欲しそうな目でステーキを見た。それから、俺の顔を見てにんまりと人間のように笑う。
「お前、見ない顔だな。だけど、お前の顔はどっかで目にした記憶があるんだよなー。うーん、思い出せん」
ドラゴンは人間の言葉を喋った。これには俺も衝撃を受け、ゴホゴホと噎せ返りそうになった。
「そういうお前は何なんだよ?」
ドラゴンを見たのは俺も初めてだった。
でも、本の中で描かれるドラゴンは良く知っていた。なので、ドラゴンという種族に無知なわけではないのだ。
それでも、ドラゴンの口から人間の言葉が発せられたことは、俺にとって驚嘆すべきことだったけど。
それもそのはず、俺は人間の言葉を喋る動物を見たことがないのだ。
だからこそ、驚きも一塩だったが、この学院では何が出てきてもおかしくないと思えたので、すくに冷静になった。
「おいらはこの学院で世話になってるドラゴンのフィズだ。まだ子供だけど、人間と変わらない知能はあるし、あんまり甘く見ないでくれよ」
フィズは愛嬌のある顔で笑った。
まるで人間のような豊かな表情を見せるフィズに俺も安堵するものを感じた。このドラゴンは人間よりも信用できそうだとさえ思えたし。
「分かったよ」
俺も笑い返した。
「旨そうだな、そのステーキ。しかも、そのステーキは一番、良い脂が乗ってるビッグボアの腿肉じゃないか」
フィズは舌なめずりをする。
何となく、食い意地の張っていそうな顔をしてるなと思っていたら、案の定、その通りだった。
でも、そういうところも可愛らしく思える。
「そんな目で見てもやらないぞ。俺だって腹は減ってるし、ここで食っておかないと、次はいつ食い物に有り付けるか分からないからな」
「ケチ」
フィズは口を尖らせた。その愛玩動物のような顔を見て、俺は小さく息を吐いた。
「じゃあ、一切れだけやるよ。どうせ、タダでサービスして貰ったステーキだし、後生大事にしても仕方がない」
俺はこのドラゴンからもっと色々なことを聞き出したいと思い、そう言っていた。
「ありがとう。でも、お前、この学院の生徒とは少し違う感じがするな。何だか匂いも変だし、何もんだ?」
フィズは爪でステーキの切れ端を掬い上げるとそう尋ねてきた。
「驚くかもしれないけど、俺は地上の王都からやって来たんだ。ま、お前なら無理に信じなくても良いけどな」
「地上からやって来ただって?」
フィズはゴクンと肉を飲み込むと目を剥いた。
「そんなに驚かないでくれよ。別にたいしたことじゃないし、周りの奴らに注目されるような大声は出さないでくれ」
俺は声を潜めながら言うと、フィズに今までの経緯を説明する。それを聞く内にフィズの顔にも理解の色が広がっていった。
「そういうことだったのか。何にしろ、同情は禁じ得ないな。お前は本当の意味で、ただ巻き込まれただけなんだから」
フィズは顎に爪を這わせた。
子供のドラゴンと言えども、そこらの人間の子供よりよっぽど頭が良さそうだな。だから、ドラゴンという種族は侮れない。
「そうだな。でも、俺の置かれている状況はこれで分かっただろ」
はっきり言って、旗色は良くない。何もしなければ一生、この学院の中に閉じ込められたままになる気さえする。
そんな人生は絶対に嫌だった。
「ああ。ま、そういうことなら、おいらがお前の力になってやるよ。色々、知りたいこととかあるんだろ?」
フィズはニヤリと笑った。
「まあな」
ここはつまらない意地を張るべきじゃないな。
「まず何が聞きたい?心の広いおいらは本来なら金を取るような情報でも、気前良く教えてやるぜ」
この学院には金を取らなければならない情報があるのか。
「迷宮のモンスターについてだ。最下層の近くではどんなモンスターが現れるんだ。俺は下の階に行くほど強いモンスターが出るって聞いてるけど」
最下層の近くで出て来るモンスターの強さは、神や悪魔にも匹敵すると聞いている。そんなモンスターたちと戦う勇気はさすがにない。
「今はその逆だ。闇の魔導師ラムセスは魔界の王アルハザークと話を付けてな。魔界の穴から現れるモンスターを上の階に行くほど強くなるようにしたんだ」
魔界の王に迷宮に出て来るモンスターの生態を変えさせるなんて、ラムセスはやはりとんでもない魔法使いだ。
そんな魔法使いに口答えをした俺は本当に馬鹿だな。でも、殺されなかっただけ運が良かったと考えるべきか。
「となると、最下層の近くのモンスターはあまり強くないと」
「そういうことになるな。ま、ラムセスにとって、この学院の連中をどうにかするのはゲームの駒を動かすようなものだ」
フィズは皮肉たっぷりに言葉を続ける。
「だから、そのゲームを面白くするために敢えてクリアできるような余地を残してやったんだろうよ」
だとすれば、ラムセスは愉快犯だな。あの男に対する軽蔑心は、俺の心の中で益々、膨れ上がった。
「ま、中途半端な希望を持たせて、学院の人間をより一層、苦しめたかっただけかもしれないが」
親切などではないと言うことか。
あの爺さんも魔法使いの親切を簡単に信じてはいけないと言っていたからな。基本的に魔法使いは計算高く、狡猾。
つくづく魔法使いというのは厄介な人種だと思う。
「やっぱり、ラムセスにとって、これはゲームか。でも、少しだけ安心したよ。ラムセスの考えはどうあれ、俺たちの頑張りしだいで、迷宮の制覇はできるってことだろ」
俺は楽観するように言った。
「そんなに甘い話じゃないさ。半年も経つのにこの学院の奴らは、八十八階より上に辿り着けていないんだから」
「どういうことなんだ?」
「八十八階には第五階層から、第四階層へと繋がるゲートがある。そのゲートを恐ろしいドラゴンが守護してるんだよ」
フィズはおどろおどろしい声で言った。
「またドラゴンか」
俺は寒気がした。
「おいらのような子供じゃない本物のドラゴンさ。お前だって、竜王ガンティアラスの名前くらいは聞いたことがあるだろ」
「ああ」
かつて世界中のドラゴンを支配していたと言われているのが竜王ガンティアラスだ。
まさにドラゴンの王。
爺さんも竜王ガンティアラスとは戦ったことがあると言っていた。その時は決着は付かなかったみたいだけど。
ただ、爺さんも竜王ガンティアラスとは二度と戦いたくないと言っていた。つまり、それだけ手強いドラゴンだったと言うことだろう。
「さすがにガンティアラスには誰も打ち勝てないでいる。もちろん、奴との戦いで死人も出ているから、みんな怖じ気づいてるよ」
「なるほどね」
ドラゴンと戦って勝てる冒険者など、実際にはほとんどいない。
鉄の武器など全く受け付けない鱗に守られた強靱な体に、大空を自由に飛び回れる翼。
そして、吐き出される灼熱の炎。
どれを取っても人間にとっては大変な脅威だ。
とはいえ、普通に生活していたらドラゴンと会うことなどなく、一生を終えられるはずだ。
でも、ドラゴンに滅ぼされた村や町の話は何度か聞いたことがある。
そして、冒険者の中には人間に危害を加えるドラゴンを打ち倒したドラゴンスレイヤーもいるのだ。
だけど、そんな人間は本当に一握りだ。
ドラゴンを倒したと得意げに語る冒険者ほど胡散臭いものはないって、ドラゴンの恐ろしさを骨の髄まで知っている爺さんも言ってたからな。
爺さんですら倒しきれなかった竜王ガンティアラスと戦わなきゃならないなんて、とんだ悪夢だ。
「ま、ゲートを守護するモンスターも上の階に行くほど強くなっているからな」
フィズは訳知り顔で続ける。
「アルハザークの命令で、伝説の魔獣アルカンデュラや魔将アルゴルウスなんかもゲートの守護に付いているみたいだし」
魔獣アルカンデュラは不死身の怪物と言われている。頭を切り飛ばされても、瞬時に再生してしまうと言うし。
しかも、三十匹ものドラゴンを一度に大剣で切り伏せたという豪傑の魔将アルゴルウスも迷宮にいるのは驚きだ。
ウルベリウス院長には大きな口を叩いたが、フィズの話が確かなら迷宮の制覇なんてとてもできるとは思えない。
やっぱり、ラムセスは学院の人間を生きて地上に帰すつもりはないみたいだな。
「おそらく、最終的には邪神ヘルガウストとも戦うことになるはずだ。だから、ガンティアラスに勝てないようじゃ迷宮の制覇なんて夢のまた夢さ」
フィズは本当に物知りだな。まるで、見てきたみたいことを言うし、博識なドラゴンというのは何か生意気だ。
「それと、この学院には善竜エリュミナスや悪竜ジャハナッグも入り込んでいる。あいつらは本当に冷たいドラゴンだから相手にしない方が良いぜ」
善神サンクナートが生みだしたとされる純白のドラゴン、善竜エリュミナス。
それに対するは、悪神ゼラムナートが生みだしたとされる漆黒のドラゴン、悪竜ジャハナッグ。
爺さんですら見たことがない伝説の二匹のドラゴンがこの学院にいるというのか。
「そうか」
ドラゴンすら普通に何匹も出て来るゲムヘナルの迷宮はやはり奥が深い。
何にせよ、竜王ガンティアラスを打ち倒すには、現時点では魔法の力に頼るしかないだろうな。
ドラゴンの魔法に対する耐性の強さは知っているが、属性が付与された武器ならダメージが与えられるかもしれないし。
ちなみに俺は魔法の類いは全く使えない。
魔法を使うには特別な血統が必要になる。が、その血統がどのようなものなのかは世間には明らかにされていないのだ。
「とにかく、お前も仲間を探せよ。でなきゃ、いつまで経っても冒険は始まらないし、何もしないで食っていけるほど、この学院の状況は甘いもんじゃないぞ」
フィズに言われなくても、それは分かっているつもりだ。
「なら、どこか良いパーティーがあるのか?」
「学生の作ったパーティーだから、どこも不安要素だらけだよ。でも、一番、親切にしてくれるのはやっぱり【ラグドール】だな」
「【ラグドール】って言うと猫の品種じゃないか」
猫という生き物には何とも縁起の悪いものを感じた。そもそも、子猫を助けようとしなければ、俺はここにいなかったわけだし。
「そんなことはおいらは知らない。とにかく、あそこのパーティーなら、メンバーたちもある程度、強くて、信頼もできる」
そう言うと、フィズは俺の肩に乗った。
振り払うこともできたが、右も左も分からない俺にとって、このドラゴンの存在は貴重だと思いそれはしなかった。
「ちなみにパーティーの人数が十二人を超えるとギルドを名乗ることもできる。有名なのは高等部の生徒会長、エリオルドが率いる【ホワイト・ナイツ】だな」
フィズは悦に浸るように笑う。
その後、俺はフィズが言った親切なパーティーとやらがいるところに挨拶をしに行くことに決める。
不安は多々あるがフィズの話だと、よほどの実力者でなければ一人で迷宮に入ることはできないみたいだからな。
それなら、どこかのパーティーに入れて貰わなければ始まらない。
そう思った俺はステーキの皿を空にして食堂を後にした。
《第一章③ 終了》