第一章 迷宮の最下層にある学校②
第一章 迷宮の最下層にある学校②
アリスに伴われ、いざ中に入ってみたサンクフォード学院の校舎は外観に劣らず立派なものだった。
石造りの建物ではあるが、温かみのある木もふんだんに使われていて、壁は光沢のある琥珀色になっていた。
校舎の内装は相当な技術で作られているな。
しかも、華美さを感じさせる壁には絵画なども飾られていたし、廊下の曲がり角には骨董品のような壺や花瓶なども置かれている。
建物だけではなく、その中にある物にまで、大金が使われているようだった。
アリスが言った王都で一番の名門校という言葉も誇張ではないだろう。俺が通っていた村の学校とは何もかもが違う。
俺はこれからどうなるんだろうと思いながらアリスの後に続く。
その際、ブレザーの制服を着た少年や少女たちと何度もすれ違った。異様なことに、彼らは目に見える形で武器を所持していたのだ。
学生には似合わない物騒さだ。
それとも迷宮の中にある学校と言うことは、校舎の中でもモンスターが現れたりするのだろうか。
だとしたら、恐ろしい気がする。
まあ、武器を所持しているのは俺も同じなので、おかしな目で見られないのであれば、何も言うことはない。
そして、廊下を五分ほど歩き、一際、大きな扉を開けると、そこには見事な美術品で溢れかえっている部屋があった。
真贋など全く持ち合わせていない俺はあまり良い趣味をしているとは言えないなと思ってしまったけど。
そんな部屋の奥にある仕事机の前には壮年の男がいて、紙にペンを走らせていた。
「院長先生、地上から飛ばされてきたという男の子を連れてきましたので、彼の話を聞いてあげてください」
アリスの声に壮年の男は顔を上げる。それから、男は俺の顔に理知的な瞳を向けながら笑った。
あのラムセスとは違った意味での大物さを感じさせる人物だな。でも、その瞳にはラムセスにはない温かみがあった。
絶対に悪い人物ではない。そう確信させられるような、雰囲気を感じた。
「そうか。私がサンクフォード学院の院長を務めるウルベリウスだ」
壮年の男はそう自分の正体を明かすと、更に言葉を続ける。
「昔はこのサンクリウム王国を治めていた賢王ガナートスの相談役もしていて、大賢者などと呼ばれていたこともある」
男、いや、ウルベリウス院長は威厳のある声で言った。
大賢者ウルベリウスの名前なら俺だって知っている。古今東西において、もっとも偉大な人物と呼ばれていた人だ。
魔法使いとしての力も比類なきものと聞いている。
しかも、魔法の力で常人の何倍もの若さを保っていると言うし、その正確な年齢は誰にも分からないと言う。
また、王宮に仕えていた頃は賢王ガナートスからの信頼も厚かったらしい。
俺もウルベリウス院長が書いた本なら家で何冊か読んだことがある。その本にはなかなか深みのある言葉が書かれていた。
爺さんもウルベリウス院長には何かとお世話になったらしいからな。
その爺さんがウルベリウス院長のことを高く評価していたのだから、単なる偉い立場にいる人間では片付けられない力を持っているのだろう。
何にせよ、大賢者などと呼ばれていたからには、信頼するに足る人物だと思いたい。ラムセスの時のように相手を怒らせて、何かされるのはご免だ。
「それで、君は?」
ウルベリウス院長の目が光った。
「俺の名前はディン・ディルオール。ただの駆け出しの冒険者です」
俺は失礼のないように自己紹介をしていた。
すると、ウルベリウス院長は俺から視線を外さずに、なぜか目から鱗でも落ちたような顔をする。
「駆け出しの冒険者か…。君のことを不審に思っているわけではないが、どうしてこの学院に来たのか教えて貰えるかな」
「はい」
俺は自分の知っていることなど、たかがしれていると思いながらも、包み隠さず全てを話した。
「なるほど、それは災難だったな。まあ、話を聞く限りでは、君に落ち度のようなものはないし、憎むべきはやはりラムセスか」
ウルベリウス院長は湯気の立ち上るティーカップに上品に口を付けた。
それを見た俺は急に思い出したかのように喉の渇きを覚える。でも、この状況で俺にも何か飲ませてくださいとは言い出せなかった。
あんまり厚かましい態度を取ると怒られそうで怖かったし。
「そのラムセスとやらは一体、何者なんですか?学校を丸ごと迷宮の最下層に転移させなんて人間業とは思えませんし」
俺もそれが知りたかった。
「私の教え子の一人だ。学院、始まって以来の優秀な生徒で、将来を有望視されていた」
ウルベリウス院長は遠くを見るような目で言葉を続ける。
「が、ある日、己の力を過信するあまり、学院の中で邪神ヘルガウストを召喚してな。危うく学院はヘルガウストの手によって破壊されるところだった」
召喚の魔法を使えるのはほんの一握りの魔法使いだけだと聞いている。ましてや、神の類いを呼び出せるなんて、善悪はどうあれ凄いことだと思う。
しかも、邪神ヘルガウストのことなら俺だって知っている。立場的にはあの魔王アルハザークよりも偉い奴だったはずだ。
もっとも、同じ悪い神なら、サンクリウム王国では創造神ゼクスナートの僕で善神サンクナートの兄妹でもある悪神ゼラムナートの方が有名みたいだけど。
ちなみに俺の祖母であり、何年か前に亡くなった婆さんは、邪神ヘルガウストと対立しているという聖神エルセイオンを熱心に崇めていた。
聖神エルセイオンはある意味、多くを語られない創造神ゼクスナートより、崇められている神だし。
ま、どんな神が強く崇められるかは、その土地柄にも寄るだろう。
「その一件で、ラムセスは学院を退学になった。それを惜しむ声は随分と上がったが、退学は免れなかったよ」
当然だろう。
もし、邪神ヘルガウストが放置されていたら、壊されるのは学院だけでは済まなかったはずだ。
下手したらサンクリウム王国の王都そのものが滅ぼされていたかもしれない。
現に、魔王アルハザークなど名前すら知られていなかった頃、邪神ヘルガウストは、この世界を暗黒の力で支配しようとしたからな。
でも、それは聖神エルセイオンと聖なる心を持った人間たちの手によって阻まれた。
今日では聖神エルセイオンも邪神ヘルガウストもこの世界の表舞台に立つことはなくなった。
ただ、神話の中で語られるのみだ。
その邪神が密かに呼び出されていたなんて、背筋が寒くなるような脅威を感じる。
「その後、ラムセスは独力で魔法を扱う技術を身につけ、自他共に認める偉大な魔導師となった」
今は宮廷魔法使いのトップにいるらしいからな。
「しかも、決まった形を持たないと言われるヘルガウストを自分の体に住まわせ、不老不死の体も手に入れた」
ウルベリウス院長は複雑な声で言葉を続ける。
「そんなラムセスだったが、ある日、何を思ったのか突然、ゲムヘナルの迷宮に挑戦したのだ。そして、誰も辿り着いたことがないと言われる迷宮の最下層に足を踏み入れた」
ラムセスは迷宮を制覇していたのか。やはり、邪神ヘルガウストを呼び出せるような魔導師の力は尋常ではないってことか。
「だが、迷宮の最下層には何もなかった」
ウルベリウス院長はポツリと言った。
「伝説では、太古の神がいて、辿り着いた者には大いなる力を与えてくれると言われていたのだが」
その伝説は俺も聞いていた。まあ、信じてはいなかったけど。
とはいえ、最下層に何もなかったという、言葉には俺もがっかりさせられた。見つけた宝箱が空だった時と同じ落胆だ。
でも、そういうことなら、ラムセスが苦々しい顔で迷宮の制覇など意味がないと言ったのも頷ける。
あの忠告は素直に聞いておくべきだったかもしれない。
「さすがのラムセスも何もないただ広いだけの空洞を見て憤慨した。そして、それならばと思ったのか、このサンクフォード学院を迷宮の最下層に召喚したのだ」
その発想は理解しがたい。が、そんな発想ができる人間だからこそ、邪神を召喚したりしたのかもしれない。
やはり魔法使いに一般人の常識は通用しそうにないな。
「ラムセスは学院を退学させられたことを酷く恨んでいた。学院を迷宮の最下層に召喚したのも、その恨みを晴らすためであろうな」
ウルベリウス院長は深く溜息を吐いた。
「卓越した召喚魔法の技術をそのようなことに使うとは嘆かわしい限りではあるが、悪しき心に取り憑かれたあの男には、もはや人としての良心などないのだろう」
ウルベリウス院長は忌々しそうな顔をした。
「でも、良くそんなことまで分かりましたね。ラムセスから直接、聞かされた訳ではないんでしょ?」
ラムセスしか知らないことが多すぎると思えたので、俺はそう尋ねていた。
「迷宮の最下層に残っていたラムセスの使い魔がある程度のことは教えてくれたのだ」
その使い魔はさしづめ、敢えて残したメッセンジャーか。
「しかも、君の話が確かならラムセスは誰にも咎められることなく、のうのうと宮廷魔法使いトップに君臨し続けていることになる」
ラムセスは学院にいる人間たちに迷宮を制覇して見ろと挑戦しているのだろうか。それとも、ただ生きて帰れぬ場所に放り込んだだけか。
どちらにしても、良い動機ではないことは間違いないし、許せないな。
もし、その事実を知っていたら、俺もこの学院に飛ばされる前に剣を振るっていたかもしれない。
それだけにあの男の空気に呑まれてしまった自分が情けなく思える。
「とにかく、私たちもいきなり、学院が迷宮の地下百階に転移してしまったことに驚いたし、それから現在まで、約半年もの月日が流れた」
半年を長いと考えるか短いと考えるかは判断がつかないな。でも、こんな場所で半年も生きられるものなのだろうか。
アリスから聞いた話だと、たくさんの生徒が今もこの学院にいることを余儀なくされているみたいだし、食料などはどうしているんだ。
「幸いにも、この階にはほとんどのモンスターがやって来ない。が、それでも学院の生徒で、地上へと帰還できた者は一人もいない」
それは地上から最下層に到達するよりも遙かに難しいことなのかもしれない。俺もとんでもないところに来てしまったな。
「ただ、生きていくためにモンスターを狩り、武器を鍛錬し、ギルドを作って、何とか今日まで暮らしてきたのだ」
ただ遊んでいたわけじゃないと言うことだな。
今の俺じゃ、想像も付かないような苦労があったに違いない。でも、こんなところで半年も生きられるなんて人間って生き物は、案外、凄いな。
「君も地上に戻りたければ、迷宮をこの最下層からスタートして制覇するしかない。長く厳しい道のりにはなるだろうが」
前途多難だ。
「そうですか。でも、俺は元々、迷宮を制覇するために王都に来たんですから、やってやりますよ」
俺は弱気にはならなかった。
別の意味で面白くなってきたとも思っていたし、逃げられるような冒険でないことも、ちゃんと理解していた。
ここで冒険者としての器が試される。
そんな気がしたし、俺は必ず地上に戻って見せると心の中で奮起する。そして、もし戻れた暁にはラムセスの顔をぶん殴ってやる。
でなければ、この俺の気が済まない。
「心強い言葉だな。とはいえ、ここに来たばかりの君を一人で迷宮に挑ませるわけにはいかない。迷宮に挑みたければまずはパーティーに入れて貰いなさい」
ウルベリウス院長はアリスの方をちらっと見る。すると、アリスは口の辺りに指を這わせて小さく咳払いをした。
「私も迷宮に潜ってる小さなパーティーの一員なの。良かったら私のパーティーに入ってね。ホームは部室棟の部室にあるから」
アリスはそう言って快活に笑った。
その後、院長室から出た俺は図書室に本を返さなければならないというアリスと別れると、情報収集も兼ねてまだ良く知らないサンクフォード学院の中を練り歩くことにした。
《第一章② 終了》