プロローグ➂
プロローグ③
俺は立ち止まって日差しが和らぐ小陰へと移動する。それから、自分のいる場所を確認するために懐から地図を取り出した。
その地図を見ながら、まずは迷宮に入るための許可証を手に入れるために冒険者ギルドへと向かおうとする。
「さてと、冒険者ギルドに行くにはどの道が一番、近いかな。まあ、例え近くても、あんまり危ない道には足を踏み入れないようにしないと」
俺は路地に屯しているガラの悪そうな男たちを尻目に言った。
ちなみにこの地図は爺さんが俺のために残してくれたものだ。爺さんも若い頃はこの王都に住んでいたこともあるみたいだからな。
ただ、その頃のことについては、爺さんもあまり多くを語ってくれなかったので俺も詳しいことは分からないが。
でも、地図には爺さんの字で様々な情報が書き込まれていた。良心的な宿屋の情報なんかも書かれていたし、それにはありがたさを感じる。
他にも旨い料理や酒を出す店の情報も書かれていたので、俺も爺さんの知識と経験を信じてこの地図を頼ることにした。
「爺さんも昔は相当、この王都で遊び歩いてたみたいだな。どこのカジノが儲けやすいかも書いてあるし」
俺はやや呆れながら言った。
それと、前に聞いた爺さんの話によると、冒険者ギルドは宮殿のある通りにあると言う。
一際、目立つ、石造りの立派な建物だからすぐに分かるらしい。
俺は寄り道して余計なお金を使わない内にギルドへと歩を進める。が、その途中で思わぬことが起きる。
大通りの真ん中に子猫がいたのだ。
子猫はビクビクと震えている。その傍を子猫の存在に気付かない馬車が平然と行き交っていた。
周りの人間の中には子猫の存在に気付いている者もいたが、誰も手を差し伸べて助けようとしない。
暑い土地に住んでいるくせに、みんな心は冷たいんだな。
「チッ、都会にいる連中は心が貧しいみたいだな。あんな小さな子猫が危険な場所にいるっていうのに見て見ぬ振りをするなんて」
俺は舌打ちした。
すると、一台の馬車が、子猫を跳ね飛ばしかねない勢いと距離から迫って来る。
それを見た俺は迷うことなく、道の真ん中でキョロキョロしている子猫の元に颯爽と駆け寄った。
考えるよりも先に体が勝手に動いたと言った方が良い。
すると、馬車に乗っている馭者も手綱を引っ張って、馬を止めようとする。馬が蹄を振り上げて大きく嘶いた。
人間の肉など簡単に押し潰す馬の蹄が迫る。
「こんなところでっ!」
そう叫んだ俺は跳ね飛ばされると思って激痛を覚悟した。が、運良く馬車は俺にぶつかる一歩、手前で止まってくれた。
ギリギリセーフとはこのことだ。
「危ないだろうが!いきなり道の真ん中に飛び出してくるなんて何を考えてやがるんだ、このクソガキ!」
馭者の男性は片膝を付く俺に向かってそう激昂した。
とはいえ、その顔には俺が無事だったことに対する安堵感が見て取れる。俺を怒鳴りはしたものの悪い人間ではなさそうだった。
「すみません。子猫が跳ねられそうだったので、つい飛び出してしまったんです。でも、止まってくれて良かった」
俺は自分の方に非があるのは間違いないと思いながら頭を下げた。
心の中では、けっこう上から目線のことを言ってしまう俺だけど、人と接する時は常に真人間を装う。
それが、この世界を生き抜くための処世術とも言えるな。
一方、命を助けられた子猫はきょとんとしている。猫じゃ、俺が命の恩人だとは理解できないだろう。
ま、俺も損な行動をしたとは思わないけど。
「猫だと?まったく、こんな小汚い猫を助けるために馬車の前に飛び出すなんて、馬鹿というか何というか」
馭者の男は俺の手の中で震える子猫に目をやった。
子猫は俺の手の中でまるで母親を求めるようにミャアミャアと泣いている。それを見て馭者の男もやれやれと苦笑した。
「どうした、セバス?」
俺たちの遣り取りを聞いていたのか、造りの良い馬車の客室から、一人の男が現れた。
男はいかにも魔法使い然としたローブを着ていて、手には立派な杖も握られていた。一目で高名な人物だと分かるし、年齢も三十歳くらいだった。
その上、どこにでもいる普通の男、とは思えない空気を纏っているし、ただ者じゃない。
「すみません、ラムセス様。子供がいきなり道の真ん中に飛び出してきたもので、つい馬車に無理をさせてしまいました」
馭者の男は恐縮したように頭を掻いた。
「ほう」
面白そうに顎を引くと、ラムセスと呼ばれた男はゆったりとした足取りで、俺の前まで歩み寄る。
その足取りは、まるで汚れのない宮中を歩いているかのようだった。
しかも、この暑さだというのに男の顔には汗一つ浮かんでいないので、不気味としか言いようがなかった。
「本当にすみませんでした。でも、道の真ん中で震えるこの子猫を助けるためだったので、許してください」
俺は男、いや、ラムセスから発せられる異質な空気を感じながら、また頭を下げた。
「いや、謝る必要はない。君は勇気ある行動を取ったのだからな。それと、その姿を見るに、君はこの王都の人間ではないな。何をしにこの王都に来た?」
ラムセスの目が光る。
その深淵を覗き込んでいるような目を見た俺は腕の中にいる子猫と同じように震え出しそうになった。
何という底の見えない目だろう。何か悪い物でも取り憑いているみたいだ。
こいつにたて突くのは絶対にヤバイ。
「俺は迷宮に挑戦するために来たんです。それが子供の頃からの夢でしたから。いや、今も子供には違いないんですけど」
嘘を吐くようなことでもない。
俺の姿を見れば、旅人だと言うことは簡単に分かってしまうだろう。が、田舎者だとは思われたくない。
とはいえ、俺はまだ十五歳の駆け出しの冒険者だから、偉そうな大人に侮るなと言う方が無理かもしれないが。
「迷宮になど潜って何が楽しいと言うのだ?あんなところ、ただ薄汚いモンスターたちが闊歩しているだけではないか」
ラムセスは嘲るような声で言った。これには俺もこめかみの辺りがピクッとしてしまう。
「楽しいかどうかは分かりませんけど、迷宮を制覇できれば俺も冒険者として有名になれるかなと思って」
世界一の冒険者、または世界を魔王アルハザークの手から救った勇者と言われていたのが、俺の爺さんのシュルナーグだ。
シュルナーグという名前を聞けば、今でも思い出す人がいるだろう。
俺も爺さんのような立派な冒険者になりたい。そして、ゆくゆくは爺さんのように勇者と呼ばれるような人間になりたい。
それが、俺の偽らざる本心だし、冒険者という職業を馬鹿にして欲しくはない。
もっとも、冒険者はまともな職に就けない人間がなるものというイメージが拭えないのも事実だった。
底辺の冒険者が、冒険者という職業を貶めている。それは否定できない事実だ。
心の広い爺さんもその事実には、苦言を呈したことがあったからな。
爺さんも自分が生業としてきた冒険者という職業には、それなりの誇りと愛着を持っていたようだし。
「愚かしいな。こういう輩がいるから、私も不快な気持ちになるのだ。まあ、その若さで迷宮に挑みに来るなど、十分な教養を身につけていない証拠だが」
ラムセスは口元を歪めた。
「はあ」
何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。
「悪いことは言わないから、国に帰るんだな。この王都にある迷宮など制覇したところで、何の意味もない」
ラムセスは吐き捨てるように言った。
その言葉に俺もカチンと来る。
迷宮には夢とロマンがたくさん詰まっていると思っていた自分の価値観を壊された気がしたからだ。
「意味がないかどうかは自分で決めます。確かに俺には教養がないかもしれませんが、夢と現実を区別できるくらいの頭はありますから」
俺は少しムキになったように言い返した。
長旅のせいで神経がすり減り、短気になっていたのかもしれない。でなければ、こんな恐ろしそうな男に口答えをしたりはしなかっただろう。
相手の力量が分からないほど俺も未熟な人間ではないのだ。
「ほう、一端の口を効いて見せるか。とはいえ、宮廷魔法使いの頂点に立つ、このラムセス・ラーカイラスに意見するのは賢いとは言えないぞ」
その言葉で凄い人物だと言うことは分かった。
でも、幾ら凄くても、こいつを好きになることは絶対にないだろうな。言葉の端々から、高慢さが滲み出ているし。
しかも、正真正銘の魔法使いときた。
まあ、魔法使いは大抵、一般の人間を馬鹿にしているところがあるし、それはどこの国でも同じだと聞いている。
何にせよ、なまじ力を持っている魔法使いに反抗しても得るものはないし、おかしな魔法でもかけられたら事だ。
「そんなつもりは」
俺は狼狽する。例え、何を言われようと、この男を敵に回してはいけないと、本能が告げていた。
「夢と現実が区別できるというなら、もう一度、言うぞ。迷宮に挑むのは止めろ。それがお前のためだ」
ラムセスは頭ごなしに言った。
お前と呼ぶ声にも力が入っていたし、これには俺も本気で腹が立った。恐怖よりも怒りが勝ってしまったのだ。
それが俺の運命を決定づけた。
「それはできません。俺はどうしてもこの王都にある迷宮を制覇して、見返してやらなきゃならない人間がいるんだ!」
俺は怯むことなく、そう言い張った。その脳裏には、冒険者になりたいと言った俺を笑った爺さんの顔が浮かんでいる。
爺さんのあの笑みが意味するところを、俺はまだ知らない。
それに俺は住んでいた村から一ヶ月半もかけて、この王都にやって来たのだ。
手ぶらで母さんが待つ家には帰れない。
せめて、俺をここまで育ててくれた母さんにプレゼントできるような宝石の一つでも買って帰らなければ。
でなければ、村の子供たちにも馬鹿にされる。
そのくらい、でかい口を叩いて、俺は村を出て来てしまったのだ。
それに住んでいた村に帰るには、もうお金が足りない。
最低でも船に乗れるくらいのお金はこの王都で稼がなければならないし、それにはこんな奴の言葉に屈するわけにはいかない。
「そうか。そんなに迷宮を制覇したいなら、お前をお望みのところに飛ばしてやろう。そこで、この私に口答えした己の愚かさを呪うのだな」
ラムセスがそう言うと、俺の足下に突然、目映い光を放つ魔方陣が現れた。
魔方陣は幾何学的な形をしていて、その中には何やら意味の分からない文字や記号が描かれていた。
それを見た俺は目を瞬かせる。子猫も何か嫌なものを感じ取ったのか、俺の腕から飛び出してしまった。
それから、魔方陣の上にいた俺は膨れ上がった光りに包まれる。まるで自分の周りの世界がバラバラになるような感覚。
正直、ぞっとするような恐怖を感じた。そして、俺の意識は暗転した。
《プロローグ 終了 第一章に続く》