― ひとひら草紙 ― 愛の雫
慈しみの女神は答えた。
"愛を与えるのです、そして_"
"ワハハハ……ワハハハ……"
女神が最後まで言い終わらぬうちに、それを聞いた神々が腹がよじれんばかりに笑いたてた。
仕方無く、女神が口を閉ざしたので話は途中で途切れてしまった。
何が起こったか?
何故、神々が笑ったのか?と申せば……
― ここは久遠の昔
様々な力を持つ者、神と呼ばれしもの達が集う処
今はどなたが、某かを創りうるか
その力を披露しあっている最中で御座います ―
「時こそ総てを生みださん、時の流れが凡てを創造し動かし、その解を得るなり」
此方で最古の神である、時の神が『無の器』に向かい、その声を響かせた。
『無の器』とは、何も存在しない空間ひとつをとって云う。
瞬間に時の針が動き、無辺であろう永き時を刻み始めた。
すると風がたち、『無の器』から鈍い唸りが聞こえ始めた。
"時が物質を創り、洋々な物と出会わせ肉付けをし、その形を保持させるのである、
さらには果てに、生命をも象らせるのであろう"
確かに時は、物体化を引き起こし、様々な元となるものを生み出した。それらは引き合い結び付き物質の形をあらわした。
大小の物体は浮き散らばり、そこに『宇宙』と名付けられた空間を造られた。
時間は流れ続ける。神達はことの成り行きを待った。
しかし、生命は幾ら経っても生みだされないでいた。
"待つだけではどうしようもない、ここは一旦
私がお引き受けいたそう、私こそが生命の源と言う可きであるから!”
「宇宙に光を放ち、闇を創り変化を持たさん!生命よ、名乗りを挙げよ!」
雄々しいその声を放ったのは、光の神である。
宇宙の至るところで、小さな閃光がチカチカと光り、輝きながら走り始めた。
それまで興味を示さずにいた神々も、ショーでも始まったかと謂わんばかりに集まり、これを見物した。
四方八方に走る光は、ぶつかり合うと光度を増し熱をあげ、グルグル回りながら丸い玉となる。『星』と呼ばれるものだ。
回転するうち冷えて外見の輝きを失うもの。衝突で勢い余り砕け弾けるものもある。
砕けた欠片は速度をつけ、離れた位置の星まで届く。
遠方から飛び込むそれ等が数多く結び付き、巨大化するものもあり、カッカと煮える様に燃え立ち、辺りを熱で覆うこれは『太陽』と呼ばれた。
光の神が豪語した様に、宇宙には其々の昼と夜が交互に訪れ、日々と云う変化をもたらせた。
日々は、時の刻みに旋律を与え、より顕かなものへと変え、星々に現れては衰退するドラマを演じさせることとなった。
けれどまたもや主役となる筈の生命は、生まれては来ないのであった。
まだ存在の若い水の神が、宇宙の器を覗き込み、歎いた。
"星達はなんて醜いの?皆カラカラの土気色、それに痘痕だらけの痘痕だらけか、目を焼き付かせん程の真っ赤っか”
そして振り返り、光の神の後方に座している時の神に向かい進言した。
“我ら神が造りし物にして何とも不格好ではありませんか、こんな醜悪な物を生命も好む筈が無い、もっと美しくて見映えもする、生命が誇れる様なものにしなくては為りません"
水の神は腕をしなやかなに広げ、掌で宇宙全体を軽く撫でた。
手から散った水は個々に、満遍なく降りそそぎ、全ての星がそれで充たされた。
しかし光の強さや弱さ、自身の熱で、それは乾き切ってしまう、又は油を注がれたかの様に炎を逆立てる、又は凍ってしまうなどし、潤いを保てたのは、爪に乗る程度の数であった。
その僅かな星に満ちた水は凸凹であった表面を包み、降り注ぐ光に輝きと色彩を具持させた。
それらの星は大変美しく成った。一方、選に洩れた星々は妬むかの様にカッカと煮え滾る、又は哀しみの殻に閉じ籠るかの様に、固く凍てつき、
おおよそ生命など宿せない残念な物であった。
そして美しくなり得た星にさえ、肝心の生命も未だ、現れた形跡がない。
……あらゆる条件は揃っている筈なのだ
全てにではないとしても、半分、いや一部でさえ創りだせていない
何が足りないのであろう
いったい何が……
神々は考えた。
考えるのだが、どの神にもその答えが解らないのである。
これらの神達を、静かに見守っていた女神が居た。慈しみの女神である。
"私にも少し手伝わせて頂けないでしょうか"
女神は静かに申し出た。
"貴女に出来るものならば、どうぞ好きになされば良いでは無いか"
まだ存在の若い水の神は、刺々しい口調で了解する。
"貴女が何を施すおつもりかな?"
訝し気に尋ねたのは光の神である。
この時、女神が答えた。
"愛を与えのです、そして_"
揃い神々が笑いたてたので、この時、女神の話が途切れてしまった、そういうことある。
"なんです!愛を与えるですと?"
光の神は言葉を続ける。
"只の器に?中身を持たない物に愛が何の助けに成るのです?
失礼ながら私は、未だ愛だのと呼ぶ物の姿を拝見した事はありません、
が何やら感情が生み出す物であるとか?
物体も無く物質でさえない、
見えも触ることも不可能極まる代物、とそう聞き及んでおりますぞ、
そんな至極不安定な物が果たして、器その他に変化を促す、そう申されるのか?私には皆無だと思われますがね、
まっお好きにされると良いでしょう、時間なら時の神が十分お持ちですから"
"おいおい、そうもぞんざいに時間を扱うものでは無い、時間を一定に保つ事は決して容易に非ずなのだ”
少々憤慨し興奮する光の神をたしなめ、時の神が座から腰をあげた。
“早過ぎれば大切な部分を飛ばしてしまう、
遅ければ遅いで進歩が儘ならなぬ、今こうしているうちにも、停まりかけている星は幾つも在るのだ”
そう諭しながら、この場を収める策を練る。
“女神には星ひとつ分だけの時間を委ねようではないか、なぁにひとつきりならば貴女にも容易に扱えるであろう、
気に入る物が有れば指し示しなさい、先ず一つ、さぁ"
そう促すと時の神は、何とも言い得ぬ幸福感をもたらす女神に、視線をゆっくり移動させ、無言でじっと伺った。
そしてその深い慶びを湛える瞳が、まだ幼い小さな星をとらえ映らせたことを確認した。宇宙の端で、澄んだ色をして佇む星である。
他の神々の許しも得、慈しみの女神にこの星が委ねられることとなった。
女神は星に囁き掛ける。
「愛おしき碧よ」
そして口付けられ星は『愛の雫』を徴づけられた。
程なく大地、空、水、陽の光りは、それぞれ互いを愛し始める。
これらはゆっくりとした時の流れに抱かれながら、
大きくうねり始めた。
水は光に温められ、空へ立ち昇り天を舞い、駆け巡る。
風を伴わせ空は、自由に動く水を受け留め、宿し集めて、又地上へと旅立たせる。
岩山を宥め潤しながら、水は空と大地の掛橋になり続ける。
大地はその礼にと、水に芙蓉を分け与える。
それに加えて、光から貰う熱を失わない強さを補う。
光は、水と大地に受け入れられ、力を携える技と変化する技を覚えた。
様々な色を生み出し、自らを炎や雷に変えたりもした。
事象の全てが規律を持ち、実直に繰り返される。
しかし、それぞれが表情を持ち、絶え間無くそれを変え、大いに楽しみ続ける様にである。
こうして、受容、知、気、力、の四つが結び付いた時、星はその奥底に愛を燈し、
やがては、ひとつ目の細胞が。
無数に生まれた細胞は、惹かれあい結ばれ自らを分け与えあい、受け入れつつ、整える。
これを繰り返すうちに、自らを生み増やす技を得ることとなった。
それらの、互いの境界を取り去り、慈しみ充足しあったもののうちに
生命は産まれたのである。
END




