苦虫(12)
「千里が川で亡くなった事は……知ってますよね」
「はい……」
「俺は、そこに居たんです」
「……」
「もう一人の友達……男の子と一緒にあの川にいました」
彼女の方は見ない。黒板だけを見ていた。何も書かれていない深緑のその場所に、白いチョークで書いて見せなければいけない様な気持ちになる。
彼女に俺の事を。
「この話……初めてなんです。人に話すの」
彼女の声を暫く探す様に待っていた。声は無かった。
あの日を振り返り、俺は彼女に話す。
「その日、白いワンピースだった。あと……ペンダントしてた」
「……ペンダント」
「写真とか入るやつ。そう思った。友達が見せてって……千里に言ったんです。千里は嫌がった……俺も見たいと思った。だから近寄って千里に……触れてしまったかもしれない」
そしたら……
「そしたら落ちた」
俺は振り向いて、もう一度言った。
「落ちたんです」
「…………」
黒板に向き直って、俺は続けた。
「友達は……すぐに何とかしようとした。でも、どうにもならなかった。川に入って……助けようとした。けど……無理だった」
「…………」
「俺は、どうしたと思います?」
振り向いて待った。
俺は言った。
「立って見てたんです」
この時、初めて正面から彼女を見た気がした。彼女は疑いも無く、今日、初めて会う人だった。
「どう思いますか?」
「…………」
「俺をどう思いますか?」
「わるくない……」
「どうしてですか?どうして、そう言えるんですか」
「…………」
「俺が押してしまったのかもしれない。突き落としてしまったかもしれない」
「やめて……」
「そして見殺しにしたんですよ」
「やめて!」
「俺は!千里を殺してしまった!」
彼女は蹲った。そして泣き声が耳に響いてくる。俺は彼女を泣かしてしまった。
ただ、彼女の泣き声だけが入ってくる時間の中に座っていた。
「どうして?」
彼女は顔を隠したままで言った。俺は黙っていた。
「どうして、そんなこと言うの?」
「…………」
「貴方が千里を殺す筈無い……でしょ?」
顔を上げた彼女の目を見る。涙で濡れた、その瞳に負けそうになってしまう。俺は耐えていた。
「そうでしょ?」
「俺は立って見ていた。ずっと、そこに居た。何もしなかったんですよ」
「…………」
「許せる筈ないでしょう?…………どうすれば……許して…くれるんですか」
※
私は、ここでペンを置く。そして原稿を引き出しの奥にしまいこむ。
何故なら私は、この先を書く事ができない。
私は『後悔』をテーマに、この小説を書き出した。そして、これに『過去』・『死』という、どうやっても変えられない事実を持ち出した。
私は当初、この『後悔』・『過去』・『死』を小説。物語として書き上げようと葛藤していた。
しかし、小説も奇なり。書いていくに連れ、二転三転するものである。
その一つに彼女、斎藤由佳が現れた事だった。
彼女は、主人公……彼にとって『救い』となるべく現れるのであるが。この物語の中での『救い』とは、主に彼……僕の過去を彼女へ告白する事にある。
しかしながら難しいのは彼女、斎藤由佳は、彼に嘘をついているという事だ。
彼女は、千里の姉である。
この事実は、後に主人公、彼が帰りに校舎から坂道を下る際に気が付く。
彼は「前にも同じ様な事があった」と言っている。
彼女と校舎で別れた彼は以前、過去に坂で転んだ千里を家まで送って行った事を思い出す。そこで、手当てしてくれた人……姉の存在に初めて気が付くのである。
彼は何故、気が付かなかったんだと悔やみ彼女に尋ねるが、彼女の「ごめんなさい」と言う言葉に、彼は本当の事は聞かない事にする。
と、先はこんな感じであった。
確かに彼が彼女へ(誰であっても)告白したからと言って全てが解決する訳では無い。けれど私は思ってしまう。では、どうすれば彼を救い出せたのだろうかと……。
私はペンを置く。
私は『彼の』孤独や後悔を知らない人間である。それは斎藤由佳……彼女と大輔も同じだ。しかし彼女は今、誰よりも『近い』のだ。
この後、彼女は彼に声を掛けるだろう。接するだろう。
どんな言葉だろうか?
きっと、それが彼を救う、小さな一つの大切な想い、言葉だと信じている。
苦虫(完) 作・工藤
読んでいただき
ありがとう ございました。




