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苦虫  作者: 青山 黒美
11/12

苦虫(11)

僕と彼女は、軽斜な坂道を歩いている。

小学校は丘の上にあって、ほぼ毎日この坂道を登って登校していた筈なのだけれど……こんなに辛いとは思わなかった。


「こんなに大変だったかな……よく毎日、登ってたな……」

僕がそう言うと彼女は少し笑った。

「そうね、小さい時はもっと楽だったかも」

「走って登った記憶があるもんな……信じられない」

「走ったら?」

彼女が、からかい言った事は分かるけど、僕は面白半分に走ってみせた。


「ちょっと待っ……」

声が途切れたのを聴いて振り向くと、彼女は蹲まり膝を手で押さえていた。

「大丈夫ですか?」


駆け寄って彼女を見ると膝の辺り、白いワンピースの裾近くに小さな赤が滲んでいた。 彼女は俯いていた顔を上げて、微笑みながら僕を見る。

「転んじゃった……」

「立てますか?」

「へいき、へいき、このくらい」

彼女は膝を手で払い、歩き出す。

この時、僕はまた千里を思い出した。同じ様な事があった……たしか……。


「どうしたの?」

彼女が振り返り、僕に声を掛けた。

「いや、なんでも……」

地面を見ると紫の花びらが一枚落ちていた。その花びらは風に吹かれ、まるで蝶が地べたを這う様にして、僕から遠退き坂を上がってゆく。



僕は彼女を追い掛けた。



小学校を目の当たりにした僕は、懐かしいというよりは、ああ、こんな感じだったかなと思う。

二階建ての木造校舎は案の定、大分傷んでいるように見える。

体育館などは無く、校舎前が体育の授業で使われるグラウンドだった。雨の日は教室で別の授業……大輔が一番、文句を言っていた……。


「開かない」

そう言って、彼女は校舎の入口で佇んでいる。僕は彼女に向かって言った。

「窓とか開かないかな?」

僕は教室の窓を引いてみたが、鍵が掛かっていて動かなかった。

「開かない。そっちは?」


「……開いた」

隣の窓を調べていた彼女は、僕に拍子抜けした様な顔を見せる。彼女の方に近寄ってみると、確かに窓は開いていた。


「これ持ってて」

僕に花を手渡すと、彼女は窓から入り込もうとする。

「大丈夫ですか?……」

「大丈夫。痛っ……」

窓の中に転げ落ちた彼女を、僕は直ぐに窓を覗き込んで見た。彼女は床に手を付き倒れていたが、振り向むいた彼女は僕に笑顔をつくった。

「また転んじゃった」

「何ともないですか?」

「ええ、大丈夫」

彼女は立ち上がり僕に手を差し伸べた。花を手渡すと、彼女はそれでも手を差し伸べている。

「ん?……」


どうやら彼女は僕に手を貸してくれているらしい。けれど、僕は彼女の手を無視して窓枠に手を掛けた。

「いいですよ、べつに……」

僕は降りる際に、彼女の顔をチラッと見た。彼女は、ただ僕を見ている。光が遮られているからか、彼女の表情が少し冷たく思えた。


教室に入ると古い木の匂い、それから湿気臭さが漂ってくる。

どれくらい使われずにいたのだろう。黒板、先生の机、時計……針は止まっていた。生徒の机は丁寧に右の方へ積まれていて、その隙間から小さな黒板、木枠の物入れが見える。掃除用具のロッカーも静かに立っていた。


僕は足下を見て、靴を床の上で滑らせる。足跡が残る程、積もった埃……大分経っているに違いない。

窓から射す日の光で、目の前に埃が舞上がる。……彼女の姿が教室から消えていた。

「斎藤さん?……」


教室から廊下へ出て見たが、彼女の姿は無い。廊下は教室とは違って仄暗かったが、床のずっと延びた先に光が射し込んでいた。


廊下を歩いて行くと隣の教室が硝子越しに見えた。同じ様に机などは隅に置かれ、床がただ広がっている。

右の壁に何も書かれてはいない提示版があって、その先の角から二階への階段が見えた。

一階には一、二、三年の教室。二階には四、五、六と教室があった。生徒数は多くはないから二組が普通だったけど、その年によっては一組だけの学級もあった。

四年二組……。


ミシミシと音を立てる階段を上がり、二階の教室を見渡したが彼女の姿は見えなかった。

僕は四年二組の教室の前で立ち止まる。

札が無ければ、それと気付かない、同じ様な教室……。

僕は教室に入って、中央に立った。何故だか窓が一つ開いていて風が入り込んでくる。生暖かい風が肌に触れて……僕は揺れていた。



「……さん」

名前を呼ぶ声に振り向く。彼女はそこにいた……紫の花を手にして。

僕の視界は急にボヤけて、暗くなる。気が付くと床に手をつき倒れていた。


「大丈夫!?」

「……ええ…ちょっと目眩がしただけです」

「……座る?」

「……少し…すいません」


僕は彼女が持って来てくれた椅子に座る。凄く小さくて低い椅子だった。足を伸ばして瞼を閉じると、風の音が小さく耳に届いてくる。


まだ、きっと春なんだ……。


僕は外の景色を見た。その中に彼女の後ろ姿が入り込む。彼女は開いている窓から外を眺めていた。弱い日の光に照らされた後ろ姿は、何か彼女だけが本物の様に感じてしまう。


使われずに時の止まった教室の中。

外の風景は記憶から知らずの内に変わり離れていく。

彼女は……どちらでもない。


「貴女が千里にみえる」

「え?」


「貴女が千里に思えて……僕は……苦しい」

「……」


「俺の話を聞いてもらえませんか?」

「……話?」

「貴女に聞いて欲しい」


「……はい」



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