苦虫(10)
彼女は、道路端の白線を辿る様に歩いて行く。車の走る気配など全く無い道路を、僕は彼女の左側に付いて車道を歩いた。
彼女は、肩より少し長い黒髪を後ろで束ねていた。歳は僕と同じくらいだろうか?背も僕と殆ど変わりないと思う。彼女の足元のサンダルには小さな花が虹色に輝いていた。
彼女は何も喋らずに、ただ前を向いて歩くばかりだ。彼女の方から話をしようと言って来たのに、ずっと何も喋らないでいる。
僕は彼女に聞いた。 「話って千里の事ですよね?」
彼女の返事は無かった。
僕は、もう一度声を掛ける。
「千里を……知っているんですよね?どんな関係の方なんでしょうか?」
彼女は、それでも無言のまま、前を向いて歩き続けている。
暫くして、やっと彼女が喋り出した。
「貴方の名前は?」
「俺は……です」
「そう……」
彼女はそれだけ聞いただけだった。
やがて彼女は脇道に入って行く。広くはない田圃道だったので彼女の後ろにまわった。
「私ね……千里の友達だったの」
「そうですか……俺もです、同級生だったのかな?俺と」
「ええ、貴方は覚えてないかも知れないけど……由佳、斎藤 由佳、知らない?」
彼女は振り向いてそう言った。
「……すいません、覚えてないみたいです」
「そうよね、あまり話した事なかったし……私は貴方の事よく知ってる」
「……」
僕も彼女も無言のまま歩き続けていると、あの広い横道に出た。
彼女の横に少し離れて並ぶ。僕は何か話した方が良いのかと思い、また声を掛けようとした。すると彼女は草むらの方に駆けよって言った。
「ちょっと待って」
彼女は屈んで何かをしている様だった。
「これ、綺麗じゃない?」
彼女は微笑みながら、僕に白い花を見せる。
「ええ……、綺麗だと思います」
僕は少し無愛想に答えてしまった気がした。
「私ね、千里への花はこの辺りに咲いてるのを持って行くの、貴方のその花は?」
「買ってきました」
「とても綺麗な花ね」
彼女はそう言って、また歩き出す。
僕は彼女と一緒に、この横道を歩いていて不思議な感じがした。まるで……。
けど、それが言い様の無い感覚で、良い感じはしなかった。
あの坂道に近づいて来た頃、僕は言った。
「俺、やっぱりやめます、少し疲れたんで戻ります」
彼女は、立ち止まって僕を見る。その顔も、どこか似ている様に感じてしまっていた。
「そうなの?……でもその花、どうするの?」
「いいんです、千里の墓へは行ったんで、これは……あんまり良い花じゃない気がして……また今度、別の花を持って来ます」
彼女は少し不思議そうな顔を向けていた。
「綺麗な花だと思うけど……私、一人で行くより貴方に一緒に付いてきて欲しいんだけど、一人だと……ね?」
僕は暫く考えた末、仕方なく付いて行く事に決め、頷いた。
林道を歩いている間も殆ど話しなどせずに、彼女が時たま一言、二言話し掛けて来るくらいだった。今日は暖かいだの、付いて来てくれて良かった……そんな事だった。
道中、それでも不思議な光景に思えてしまう。僕は、そのたびに彼女から意識を逸らし、林の奥の方なんかを見ていた。
川の音が耳元で小さく反響する。
千里の墓の前で彼女と僕は立ち止った。
彼女は屈むと、手に持っている花を添える。
紫の花と白い花が重なるのを、僕は少し離れて見ていた。
「誰かしら?この花?」
彼女のその言葉に、僕は何も答えずにいた。そして、手紙を無くしてしまった事を、ふと思った。
「貴方の花……何であげないの?」
彼女は立ち上がり、僕を見る。
「……いいんです、ダメなんです」
「何がダメなの?」
「貴女には関係ない事です、俺がそう言ってるんだから、別にいいじゃないですか」
そう言い放った時、彼女の瞳が強くなった様に見えた。
「なら、私にくれない?」
持って帰るくらいならと思い、僕は彼女に花を差し出す。
「ありがとう」
彼女は微笑みながら、そう言った。
帰り道……そう、今日二度目の帰り道。
林道は昼を過ぎたためか、光は強く射さない。落ち着いて見えた。
意味もなく林の奥を見たり、空を仰いだりして……時々、彼女を見る。彼女は紫の花を両手で持って、ゆっくりとしたリズムで歩く。
彼女の横顔を見ると、微笑んでいる様な……いないような。
初対面であるのに不思議と抵抗感などは無かった。そう……。
僕は独り言の様に呟いた。
「小学校……まだあるのかな」
「あるわよ」
彼女は、僕の方を見て間を空けずに言った。
「へぇー、まだあるんだ」
「もう使われてはいないけどね、残ってる……行ってみない?バスの時間まで、まだ大分あるでしょ?」
「ん~……」
「嫌なら……やめる?」
僕はバス亭で一人待つ事も考えたが……。
「行きます、確かに時間もまだあるし」
林道を抜け、横道を歩き、小学校への道を歩く。
その間、僕が行くと答えた時の彼女の笑顔が、色濃く残っていた。




