揺れた世界で、僕は二匹の猫と生き返った
この物語は、ある日ふと思った疑問から始まりました。
もし世界が一瞬で壊れてしまったとき、
自分は何を最後に思い出すのだろう、という疑問です。
きっとそれは、大きな夢や立派な言葉ではなく、
名前を呼んだ記憶や、
そばにいた小さな存在なのではないかと思いました。
これは、世界が揺れた日に、
忘れられなかったものについての話です。
その日、世界は唐突に終わった。
床が跳ね、壁が裂け、天井が悲鳴を上げる。
大地震――そう理解した時には、もう遅かった。
「チャイ! チョコ!」
名前を呼ぶ。
茶トラのチャイと、キジトラのチョコ。
逃げ場を探して走る二つの影。
次の瞬間、床が崩れ、視界が闇に沈んだ。
*
目を覚ますと、地面は妙に柔らかく、空は低かった。
丸い家々が並び、周囲を歩くのは――猫。
二足歩行の猫。鎧を着た猫。商人の猫。
「……夢?」
「ちがうにゃ……たぶん死んだにゃ……」
情けない声に振り返る。
そこにいたのは、震えながら座り込む茶トラのオス猫――チャイ。
その横で、堂々と胸を張るキジトラのメス猫――チョコ。
「落ち着きなって」
「ここ、猫の世界っぽいよ!」
「っぽいってなんだよ……!」
猫が喋っている。
でも、そんなことより――
「……無事だったんだな」
その言葉に、チャイの目が潤んだ。
「無事じゃないにゃ!」
「ここは、猫の王様が支配する世界にゃ!」
チョコが尻尾を立てる。
「で、その王様が人間世界を揺らした犯人」
「猫が忘れられるのが嫌でさ」
胸の奥が熱くなった。
「……ふざけるな」
忘れてなんかいない。
忙しくても、疲れていても、
この二匹がいる家に帰ることだけは、手放さなかった。
「だから、行くにゃ」
チャイは震えながらも立ち上がる。
「王様に会って、帰るにゃ」
*
旅の途中、チャイは何度も立ち止まった。
大きな猫を見るたび、岩の陰、僕の背中。
「無理にゃ……怖いにゃ……」
「もう、臆病すぎ!」
チョコは先頭を走る。
「この人を家に帰すんでしょ!」
気づけば、二匹は僕の前を歩いていた。
守るみたいに。
*
王様は巨大だった。
静かで、孤独な瞳。
「人間は、いずれ猫を忘れる」
その言葉に、チョコが一歩踏み出した――が、止まる。
「……違うって言いたいけど」
尻尾が、震えている。
「もし帰れなかったら?」
「もし、この人が死んだら?」
声が、かすれた。
「強いフリしてただけ」
「守れないのが、一番怖いんだ」
その時だった。
「……じゃあ、ボクが言うにゃ」
チャイが前に出た。
足は震え、耳は伏せたまま。
「王様は、間違ってるにゃ」
声は小さい。
それでも、逃げなかった。
「ボクは臆病で、マヌケで……」
「でも、この人のそばにいる時だけは、安心だったにゃ!」
一歩、前へ。
「忘れられるのが怖いなら、壊さなくていいにゃ!」
「覚えてもらえば、いいだけにゃ!」
沈黙。
やがて王様は、王冠を外した。
「……帰れ」
*
光の扉は、一人分だけだった。
「一緒に来るにゃ……?」
チャイの声が、震える。
「ダメだよ」
チョコは笑った。
「この人は、生きる場所がある」
僕は二匹を抱きしめた。
「ありがとう」
「絶対に、また会おう」
光が弾けた。
*
「……!」
病院の天井。
僕は、生きていた。
「猫は……?」
「保護されています」
医者は言った。
「あなたと同じ、奇跡です」
夕方。
病室の扉が開く。
キャリーから、茶トラのチャイが顔を出した。
相変わらずビクビクしている。
続いて、キジトラのチョコ。
堂々と部屋に入ってくる。
喋らない。
普通の猫。
でも――
チャイは必死に僕の胸に飛び込み、
チョコはそっと手の甲に額を擦りつけた。
離れない。
それで、全部わかった。
異世界も、王様も、約束も、
ちゃんとここにある。
それでも僕は知っている――
あの日、世界が揺れたからこそ、
この命は、二匹と一緒にもう一度始まった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
本作は「猫の異世界」というファンタジーの形をとっていますが、
描きたかったのは特別な力や壮大な冒険ではありません。
当たり前のようにそばにいる存在が、
どれほど大きな意味を持っているのか、ということです。
臆病なチャイと、強がりなチョコは、
人間よりも正直で、
それぞれのやり方で「守る」ことを選びました。
この物語を読み終えたあと、
誰かがそばにいる存在の名前を、
一度でも思い出してくれたなら幸いです。
世界は揺れることがあります。
それでも、覚えている限り、
失われないものがあると信じています。




