第5話 国境の脅威
早朝、城の鐘が鳴り響いた。
緊急の報せを告げる不吉な音。
執務室に駆け込んだアリシアの耳に、兵士の声が飛び込む。
「隣国アルヴェラが兵を動かしました! 国境の村が襲撃を受けています!」
地図の上に赤い石が置かれ、侵攻のルートが示された。
辺境の防衛線は薄く、正面からの戦は不利。
兵士たちの顔に焦燥が浮かぶ。
レオンは冷徹な眼差しで命令を下した。
「全軍を展開し、村人を避難させろ。俺が前線を押さえる」
その声には揺るぎがなかった。
だがアリシアの胸には、初めて「恐怖」という感情が走った。
――戦とは、これほどまでに現実的で容赦ないものなのか。
さらに追い討ちをかけるように、王都からの使者が到着する。
「国境の防衛は辺境の責務。援軍は送られぬ」
冷酷な文言が記された王の書状を突きつけられた。
「……つまり、王都はこの地を見捨てたのですね」
アリシアの声は震えていたが、その瞳は強かった。
レオンは苦々しく笑った。
「いつものことだ。王都は自分の玉座を守ることしか考えない」
「では――私たち自身で、この地を守らなければ」
彼女の言葉に、将軍の灰色の瞳がわずかに動いた。
「“私たち”か。……お前はすっかり辺境の人間になったな」
アリシアは兵糧庫へ走り、備蓄を洗い出した。
不足している兵糧、薬品、燃料……。
「足りない。けれど、工夫すれば繋げられるはず」
彼女は村の婦人たちを集め、急ぎ保存食を作らせる。
薬草の調合を指示し、負傷兵を受け入れる臨時の救護所を設ける。
「王妃様、なぜここまで……」
戸惑う村人に、アリシアはきっぱりと告げた。
「私はもう王宮の飾りではありません。あなたたちの一人です」
その言葉に、村人の表情が少しだけ変わった。
夕暮れ。
城門の前に集結した軍勢を率いて、レオンが馬に跨った。
冷たい風に黒髪が揺れ、灰色の瞳が遠くを見据える。
「俺がいない間、城を守れ」
低い声に、アリシアは一歩進み出る。
「はい。城と領民は私に任せてください」
その瞬間、兵士たちの間にざわめきが走った。
冷徹な将軍が、追放された王妃に指揮を託すなど前代未聞だった。
だがレオンは一言だけ告げた。
「お前を信じる。……裏切るな」
アリシアは深く頭を下げ、胸の奥に熱い決意を抱いた。
その夜、遠くで戦の炎が立ち上った。
空を赤く染める火、重苦しい太鼓のような轟音。
城に残された人々は震え上がるが、アリシアは声を張り上げた。
「怯えないで! 私たちは一人ではありません!」
彼女の言葉に、子供が泣き止み、母親が背を伸ばす。
人々の瞳に、わずかな光が宿った。
窓の外を見上げながら、アリシアは拳を握る。
――この戦を越えた先に、自分の運命も変わっていく。
風が強く吹き荒れる中、アリシアは胸の奥で静かに誓った。
「愛も国も、自分の手で選んでみせる」
その決意はまだ小さな炎だ。
だが、この夜の戦火が、やがてその炎を大きく燃え上がらせていくことになる。




