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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

『あなたは今日から我が家の子どもです』

作者: 尾藤みそぎ

 双子の月が雲で覆い隠された暗い夜。

 雨の中、首輪をはめられた子供たちが歩いている。


 向かう先にあるのは古びた洋館。

 雨天だというのに、そこには大勢の人間が詰め掛けていた。


 薄暗い室内。2人の少女が身を寄せ合っている。

 年の頃は10歳ほどであろうか。


「やめて! 連れて行かないで!」


 茶髪の少女が金切り声を上げた。

 彼女の前で、黒髪の少女が大男に腕を掴まれていた。

 力任せに引っ張られ、2人はあっという間に引き離されてしまう。


「メグお姉ちゃん……。助けて……」


 大男に抱えられた黒髪の少女が、か細い声で助けを求める。


「カスミ!」


 メグと呼ばれた少女は鳶色とびいろの瞳に怒りを滲ませ、大男に飛び掛かろうとした。


 しかし、メグの足はすぐに止まる。

 彼女の細い足首には、足枷がはめられていたのだ。


 メグのたった1人の妹、カスミは抵抗も虚しく連れ去られてしまった。


 メグは悔しさに歯噛みしながら、今までの生活を思い返した。

 口減らしで親に捨てられ、家もなく満足な食事もできない。


 そんな生活でも妹がいたからなんとか耐えていられた。

 奴隷商に捕まっても、カスミと2人だから踏ん張ることができていた。


 しかし、彼女は今唯一の心の拠り所を失ってしまった。

 妹はこれから誰とも分からない金持ちに買われてしまうのだ。


 呆然と立ち尽くしながら、メグはただ涙を流すことしかできなかった。



 それから一体どれだけの時間が過ぎただろうか。

 檻の中に押し込められたメグは、生気を失った眼で虚空を見つめていた。


 不意に、彼女がいる檻の前に人が現れた。

 真っ黒な礼服に身を包んだ男だ。


「その子の顔を見せてくれないか」


 頑丈な扉が開き、鎖に繋がれたメグは乱暴に引きずり出された。

 まるで魂のない人形のようにうなだれるメグ。


 男は品定めするようにメグの顔や身体をじっと見た。

 軽く頷くと、男は鎖の端を持つ商人に金貨を握らせた。


 

 メグはこの時、自分にどんな未来が待っているかなど気にも留めていなかった。

 どうせひどい目に遭うのは分かり切っている。考えるだけ無駄なのだ。

 馬車に乗せられ揺れが収まるまでの間、メグは一切口を開かなかった。


 馬車から降ろされたメグが顔を上げると、そこには巨大な屋敷があった。


「おかえりなさいませ。旦那様」


 使用人たちに迎えられ、メグを買った男は1人で屋敷に入っていく。

 狼狽うろたえるメグの前にメイドが歩み出た。

 メイドは笑って手を差し伸べる。


「あなたは今日から我が家の子どもです」


 メグは銀髪碧眼のメイドに手を引かれ、屋敷へ足を踏み入れた。


「私はサーシャ。怖がらなくていいですよ」


 サーシャに連れられて向かったのは浴室だった。


「まずは身体を綺麗にします」


 泥と垢を洗い落し、髪を乾かして上等な部屋着を着せられる。

 以前と全く違う扱いに、メグは困惑した。


「ここがあなたの部屋です」


 案内された部屋に入り、メグは目を丸くする。

 そこは大きなベッドや豪奢な鏡台など、様々な家具が揃った清潔な部屋だった。


 メグは室内をキョロキョロと見回す。

 ひとしきり家具を触った後、窓に興味を惹かれて近寄り外を覗いた。


 窓の正面には庭園が広がっている。

 敷地の外周は柵で囲まれ、まるで檻のようだ。

 出入り口はさっきメグが入って来た両開きの堅牢そうな正門のみ。


 そして、開け放たれている門の前に誰かの後姿が見えた。

 月明かりの中、荷物を持って佇む淡い菫色すみれいろの髪をした女性。


 その女性は不意にこちらを向いた。

 紫色の眼を細め、悲し気に屋敷を見つめている。


「アンタが新入り?」


 メグは声がした方へと振り返る。

 サーシャの横にメイド服姿の小さな女の子が立っていた。


 メグとそう変わらない背格好。赤髪に琥珀色こはくいろの瞳が印象的だ。

 髪は短く、釣り目で活発そうな印象がある。


「アタシ、ランカって言うの。アンタの先輩よ」


 ランカは胸を張ってメグの前に進み出た。


「アンタ、名前は?」


 メグは聞かれるままに名を口にした。

 すると、ランカはメグの手を無理やり取って握手する。


「覚えたわ。メグ、よろしくね」


 メグは控えめに頷いて、ランカの手を握り返した。



 次の日からメグの新しい生活が始まった。

 待遇は実に贅沢なものだった。


 サーシャがほぼ付きっきりでメグの世話をしてくれた。

 食事は3食欠かさず用意され、柔らかいベッドで眠りにつく。


 しかし、メグは幸せな日々に戸惑い、現状を素直に喜べなかった。

 今頃カスミはどうしているだろう。

 自分だけがこんなに裕福な暮らしをしていいのだろうか。

 妹を心配する気持ちと罪悪感が合わさり、思い悩む日が続いた。


 そして数週間がたった頃、サーシャに連れられてメグは勉強机の前に来ていた。


「今日からはお勉強を始めます」


 そう言ってサーシャはメグを椅子に座らせた。

 理由を尋ねたメグにサーシャは本を渡した。


「なぜか?勉強しない悪い子はこの家を追い出されるからです」


 メグは昔の生活を思い出して身震いした。この家を出たくない。

 怯えるようにメグは渡された本を開いて机に向かった。


「いい子ですね。そうしていればずっとここにいられますよ」


 文字を覚えることから始め、最初は勉強を頑張っていたメグ。

 ところが、連日机に噛り付くうちにメグは座学に飽き始めた。


 退屈そうにしているメグを見かねてサーシャが口を開いた。


「少し根を詰めすぎていますね。休憩時間の間、庭に出ることを許可します。外で遊べば多少は気晴らしになるでしょう」


 メグはサーシャに勧められ、その日の休憩時間は庭を見て気分を切り替えることにした。

 勝手口を開けて屋敷の外に出る。

 雲一つない空から降り注ぐ暖かな陽の光に、目が眩みそうになる。


 辺りを見回しながら歩いて庭に向かうと、そこには丁寧に整えられた芝生が広がっていた。

 庭木や花々も手入れが行き届いており、メグの目には天国のように見えた。


 カスミと一緒にこの屋敷へ来れていたらどれだけ良かったか。

 一瞬、暗い気持ちが頭をよぎる。

 メグは顔をブンブンと振って、気を取り直す。

 

 せっかくなのだから、色とりどりの花をもっと近くで見よう。

 そう思って走り出した時、突然獣のような吠え声が響いた。


 見ると真っ黒な毛並みの犬が威嚇するようにメグの方を睨みつけている。


 メグは驚いて悲鳴を上げ、背を向けて逃げ出した。

 それが良くなかったのか、黒い影が狩りをする猛獣のように駆け出す。

 瞬く間に回り込まれ、メグは尻もちをついてしまう。

 

 鋭い牙がメグに向かって襲い掛かろうとした、その時であった。


「ノワール! 待て!」


 投げかけられた指示に反応して、黒い大型犬はピタリと動きを止めた。

 メグは声がした方に目を向けた。


 そこには1人の少年が立っていた。

 鮮やかな金髪に緑色の瞳が映えている。


 メグよりは年上のようだが、まだ幼さの残った顔立ち。

 身長もメグより頭一つ分高い程度で、さほど大柄ではない。


「君、大丈夫だった?」


 少年はメグのもとに駆け寄って来て、心配そうに手を差し出した。


「ノワールはこの屋敷の番犬でね。知らない人を見つけたら吠えるように躾けられてるんだ。怖がらせてごめんね」


 番犬のノワールはすっかり大人しくなり、少年の足元に擦り寄っていた。

 

「僕は庭師見習いのセオ。君は最近屋敷に来た子だよね?」


 立ち上がったメグは深々と頭を下げて礼を言い、名を告げた。


「メグ……、良い名前だね。僕は大体いつも庭にいるから、屋敷のことで何か困ったらいつでも聞いて。相談に乗るよ」


 優し気な笑みを浮かべるセオに見つめられて、メグは赤面した。

 初めて会った年の近い男の子に親切にされて、面映ゆい気持ちになってしまう。

 メグは慌てふためきながら繰り返しお礼を言って、屋敷へパタパタと引き返した。


 その後、メグは勉強の合間に庭でセオと遊ぶようになった。

 会うたびに自然と仲良くなり、ノワールにも懐かれ、屋敷での生活にも徐々に馴染んでいった。



 屋敷に来てから2か月後。

 メグはメイドの服を着せられていた。


「今日からは見習いの仕事をしてもらいます」


 突然サーシャにそう言われても、メグはもう理由を聞かなかった。

 屋敷で暮らせることがどれほど幸せであるか。

 勉強して知ったからである。

 それだけではない。


 セオという友達もできて、メグはようやく前向きに生きようと思い始めていた。

 ここでの生活は妹との離別を受け入れるだけの豊かな日常をくれた。


 この屋敷での暮らしを手放したくない。

 そのためにはいい子であり続けなければならない。

 サーシャに習って、メグは仕事を覚えていった。



 屋敷に来てから1年後。

 メグはすっかりメイドとして一人前になっていた。

 ある日の夜、メグは他のメイドたちと共に屋敷の外で()()()を出迎えた。


 旦那様が屋敷へと入っていく。

 門の前には女の子が取り残されていた。


 丸メガネをかけたメイド長のエミリーが女の子に近づいて話しかける。


「あなたは今日から我が家の子供です」


 メグがその様子を見ていると、ランカが指示を飛ばした。


「なにしてるの、メグ。アタシたちはこっちよ」


 ランカが屋敷の方に戻りながら手招きしている。

 メグは急いでランカの後に続く。

 

 ランカと共に食堂で夕食の準備をすませる。

 書斎にいる旦那様を呼びに食堂を出たところで、メグはサーシャと鉢合わせた。


 サーシャはメイド服ではなく、真っ黒な洋服に身を包んでいる。

 右手には重そうな荷物を持っていた。


 サーシャは驚いたように目を見開き、メグの顔を見つめる。

 一瞬口を開きかけたサーシャは、伏し目がちに顔を背けると黙って玄関から出て行ってしまった。



 それから何日たっても、サーシャは屋敷に戻ってこなかった。

 心配になったメグは思い切ってランカに質問をぶつけた。


「サーシャがどこに行ったか? 知らないわよ、そんなの」


 ランカはそっけなく答えた。

 メグはがっかりした様子でうつむく。

 すると、ランカは溜息交じりに言葉を続けた。


「アンタも教わったでしょ。旦那様に従順な()()()しか屋敷には置いてもらえないって。戻って来ないなら、きっと追い出されたのよ」


 勉強や仕事を教え、自分を育ててくれたサーシャの記憶がメグの脳裏に蘇る。

 サーシャが追い出されるような悪いことをするとは思えなかった。


「信じられない? 分かってないのね。アタシたちをどう扱うか決めるのは旦那様なの。アンタも出て行きたくなかったら、余計なことは考えない方がいいわよ」


 メグは本当のことを知りたかった。

 サーシャがどこに行ったのか。なぜ屋敷に戻らないのか。

 旦那様に聞けば分かると思った。


 しかし、ランカの忠告を受けてメグは考えを改めた。

 旦那様の機嫌を損ねたら、自分が捨てられてしまうかもしれない。


 1年間メイドとして不自由のない暮らしをしてきたメグは、屋敷を出る危険を冒すことができなかった。


 疑問を抱いてはいけない。

 メグはそう自分に言い聞かせて、すべてを忘れることにした。 



 しかし、それから1か月後。メグは違和感に気づいた。

 1か月前、メグと同じように屋敷へ迎えられた女の子が、いつの間にかいなくなっていたのだ。

 疑問に思ったメグはランカにそのことを尋ねてみた。


「ああ、あの子ね。教育を受けても言うことを聞かなかったせいで、追い出されたらしいわよ」


 メグは驚いた。

 心のどこかでそう簡単に見捨てられるわけがないとメグは思っていた。


 なのにひと月足らずで、あっさりと幼い少女が放逐されてしまった。

 それはメグにとって衝撃的だった。


「なにを驚いているの? 当然じゃない」


 ランカは解せないと言う面持ちで続けた。


「アタシたちはただの()()()なのよ。言うことを聞かなかったら、旦那様にとっては役立たずなの。そんな子が屋敷に居られる訳ないでしょ?」


 ランカの言葉を聞いて、メグはハッとした。


 旦那様は自分たちをメイドとして利用するために養っている。

 その事実をメグはようやく理解した。

 と同時に、旦那様に対して不信感を抱かずにはいられなかった。

 

 屋敷から出たくはない。

 でも、この場所はいつ追い出されてもおかしくないのだ。

 もう安心して暮らすことなどできない。


 その日から、メグは不安の中で生活することを余儀なくされてしまった。



 数日後。

 メグが玄関ホールの掃除をしていた時である。

 

 丸メガネをくいっと上げ、最年長メイドのエミリーが小さな女の子を連れて屋敷に入って来た。 

 その少女を見て、メグは思わず声を上げた。


「カスミ!?」


 メグの声に気づいて、黒髪の少女が目を丸くした。


「メグ……お姉ちゃん?」


 肩ほどまで伸びた髪を2つ結びにしており、以前とは髪型が違っていた。

 しかし、薄墨色うすずみいろの瞳と穏やかな印象のたれ目はちっとも変わっていない。

 メグの名を呼んだその少女は、生き別れた妹のカスミに間違いなかった。


 メグは思わず駆け出して、妹の肩を抱きしめた。


「お、お姉ちゃんっ! 苦しい……。で、でもまた会えるなんて夢みたい……」


 メグたちが人目も気にせず抱き合うのを見て、カスミを連れて来たエミリーが興味深そうに丸メガネのつるを指でつまんだ。


「メグさん、その様子だとお二人は姉妹ということでしょうか? これはなんとも。不思議な巡り合わせですね」


 エミリーは速やかに状況を察し、メグとカスミを個室へと連れて行った。


「ここなら邪魔は入りません。積もる話もあるでしょう。わたくしは自室で待機しますので、気がすんだら呼んでください」


 エミリーが退室し、2人きりになったメグとカスミ。

 メグはひとまず今まであったことを妹にすべて話した。


「そうなんだ……。お姉ちゃんも色々あったんだね」


 カスミは共感するようにコクコクと頷くと、ゆっくり口を開いた。


「わたしもお姉ちゃんと同じで……、大きなお屋敷に連れて行かれたの」


 少しずつ言葉を探しながら話すカスミは、徐々に暗い表情になっていく。


「でも、わたしドジだから……、言いつけられたことができなくて……」


 カスミは目に涙を浮かべて、たまらずメグの胸に顔をうずめた。


「役立たずだって叱られて……。それから何度も何度も他の家に行かされて。それで今日、ここに来たの」


 メグはカスミの頭を優しく撫でた。

 いくつもの家をたらい回しにされて、たくさん辛い目に遭ったのだろう。


「大丈夫よ、カスミ。今日からは、私があなたを守るから」


 決意に満ちたメグの声を聞き、カスミは我慢することを忘れて泣きじゃくった。

 メグは黙って妹の背に手を当て、包み込むように抱擁した。



 カスミが屋敷に来てから、メグは今度こそ妹と離れ離れにならないよう一層気を引き締めた。

 カスミの面倒は教育係になったエミリーが見る予定だったが、メグはすぐに手伝いを申し出た。

 自分の務めを果たしながら、不器用でよく仕事を失敗してしまうカスミのサポートもこなした。

 その甲斐あって、なんとか2人は屋敷に留まり続けることができていた。


 そして、メグが屋敷に来てから2年がたったある日。

 屋敷の廊下を掃除している途中で、メグはエミリーの部屋の前で足を止めた。


 ドアが開け放たれており、室内ではエミリーが荷造りをしていた。

 嫌な予感がしたメグは扉をノックして、エミリーに声をかけた。


「ああ、メグさん。見られてしまいましたか」


 力なく笑うエミリー。

 丸メガネの奥の瞳にはどことなく憂いの色が見える。

 メグはすぐさま、なにかあったのかと尋ねた。


「他の皆さんには内緒にしてくださいね。本日をもって、わたくしはお暇を出されることになったのです」


 まさかとは思ったが、エミリーまでメイドを辞めさせられてしまうなんて。

 メグは顔をしかめた。


「そんな悲しい顔をしないでください。仕方のないことです。あなたは気にしなくていいのですよ」


 メグはそれ以上はなにも聞かず、親愛の気持ちを込めてエミリーとハグを交わした。

 

「メグさん、お元気で」


 そう言って、エミリーはメグの頭を撫でた。


 別れの挨拶をすませたメグは、仕事に戻りながら考え事をしていた。


 今日は年に一度、旦那様が新しい使用人候補の少女を屋敷に連れて来る日だった。

 それだけなら、なにもおかしくはない。


 しかし、去年はサーシャが消え、今年はエミリーも屋敷を去ってしまう。

 2年続けて最年長のメイドがいなくなるのだ。


 それも、少女を迎えるのと同じ日に。

 とても偶然とは思えなかった。 

 

 そこでメグは、勇気を出してある計画を立てた。



 陽が落ちて辺りが闇に包まれた頃。

 貰われてきた少女を屋敷に迎えた後に、メグはこっそりと庭に出た。

 

 普段は閉まっている正門は開いており、敷地の外には馬車が停まっていた。

 門の陰に身を潜めて、メグは馬車の方へ慎重に近づいた。


 2年前、自分も馬車で屋敷に連れて来られた。

 馬車を動かしている御者なら、なにか知っているかもしれない。


 そんなわずかな可能性に賭けて、メグは人の気配を探った。

 その時であった。


「なぁ、出発はいつ頃になるんだ?」


 男の声だった。

 メグは息を殺して、耳をそばだてた。


「そろそろだろう。例年通り、子供と入れ違いで女が屋敷から出て来る手筈になってる」


 2人の使用人らしき男性が、馬車の近くで休憩しながら会話をしていた。


「しかしよぉ、毎年()()()()1()()()()だなんて。旦那も生真面目なこった」


 売るのは1人だけ。

 不穏な言葉に思わず声が出そうになるが、メグは口を手で塞いで堪えた。

 メグは話を聞き洩らさないよう、意識を集中させる。


「聞いた話では、子供の教育は売りに出すメイドにやらせているらしい。元々そのメイドも買った奴隷だから、教育は給料要らずだ。旦那様もなかなか悪知恵の働くお人だよな」


 教育係のメイドが他所よそへ売られている。それも毎年1人ずつ。

 予想だにしなかった事実に、メグは混乱した。

 それでも音だけは立てないよう気をつけながら、メグは急いで屋敷へと引き返した。


 

 翌日。エミリーがいなくなった朝。

 メグは悩んだ末に、昨日手に入れた情報をランカに伝えることにした。


 ランカは最初こそ快く話を聞いてくれていた。

 しかし、メグが喋り終わると真っ先に疑問を口にした。


「話は理解したわ。で、それがどうしたって言うの?」


 ランカは燃えるような赤髪をくるくると弄び、冷めた目でメグを見つめている。

 メグはランカの反応に面食らったが、めげずに屋敷から逃げるべきだと提案した。


「逃げてどうするつもりなの?」


 ランカの問いに、メグは言葉を詰まらせた。


「アンタも座学で学んだでしょ。ここから出たって、まともに生きていく方法なんかないのよ」


 メグは反論しようとしたが、言い返せなかった。

 屋敷を出てどうやって生きていくのか、全く想像できなかったのだ。

 それだけ屋敷での生活は、メグにとって当たり前のものになってしまっていた。


「アタシたちは大人しく仕事をしていればいいの。もし本当に売られたって主人が変わるだけよ。死ぬわけじゃない。逃げる必要なんてないわ」



 ランカの理解を得られず、メグは再び悩んだ。

 確かにランカの言う通り、屋敷を出て生きていけるかは分からない。


 でも、このままではいずれ売られて、カスミと一緒にいられなくなってしまう。

 そんな未来を黙って受け入れていいのだろうか。


「メグお姉ちゃん……、どうしたの?」


 考え事をしながらじっと動きを止めていたメグを案じ、カスミが近寄って来た。


「顔色、良くないよ? 大丈夫?」


 カスミは心配そうにメグの額に手を当てて、熱がないか確かめようとしている。

 その様子を見て、メグの中にあった心のもやが一気に晴れた。


 なぜ迷っていたのだろう。

 こんなにも優しい妹をまた失うなんて死んでも嫌だ。


 メグはカスミにすべてを話し、屋敷を脱出しようと約束した。


 しかし、屋敷から逃げ出すには、1つ大きな問題があった。

 

 屋敷が建っている敷地の出入り口は正面の門だけ。

 そして、鍵の場所はメイドには知らされていないのだ。


 メグは仕事の合間に敷地を囲む柵を調べて回った。

 だが、外に出られそうな所を見つけることはできなかった。


 メグが疲れ果てて途方に暮れていると、彼女の背に声がかけられた。


「メグ。外に出たいなら、手伝うよ」


 メグが振り向いた先にいたのは、庭師見習いのセオだった。


 突然の出来事に、メグは仰天した。


「驚かせちゃったかな。この前、君とカスミちゃんが屋敷を抜け出す話をしているのを偶然聞いたんだ。ごめんね」


 セオの言葉を聞いて落ち着きを取り戻したメグ。

 脱出計画を知られていた理由は分かった。


 しかし、なぜ助けようとしてくれるのだろう。

 メグは素直に尋ねてみた。


「僕は生まれた時からずっと屋敷に住んでいてね。一緒に育ったメイドさんたちは、僕にとっては姉のような存在だったんだ」


 セオは話しながら、ふと空を見上げた。


「だけど、みんな売られていなくなってしまった」


 一呼吸おいて、セオはゆったりとした口調で続けた。


「僕は旦那様のおかげで裕福な暮らしをさせてもらってる。もちろん、感謝はしているよ。それでもね。旦那様の商売は正直、気に入らないんだ」


 メグはサーシャとエミリーの顔を思い返した。

 セオも大切な人たちを失ったのだと知って、メグは複雑な気持ちになった。


「だからね、メグ。僕は思うんだ。君は家族を失うべきじゃない。正門の鍵は僕が用意する。今夜2人でここを出るといいよ」


 そんなことをしたら、セオが罰を受けるのではないか。

 メグがそう聞くと、セオは柔らかく笑みを浮かべた。


「心配しないで。大丈夫だから」



 その日の夜。

 メグは自室を抜け出し、カスミと一緒に玄関へと向かった。

 玄関ホールにはセオが待っていた。


「急ごう。音を立てないように、ついて来て」


 3人は屋敷の外に出た。

 月の明かりを頼りに正門へと辿り着くと、セオが鍵を取り出した。

 セオはゆっくりと門を押し開け、小声で囁く。


「さあ、はやく」


 メグはカスミの手を引いて、門の外へと足を踏み出す。

 不意に後ろ髪を引かれ、メグが振り返る。

 すると、セオは目を細めて笑った。


「気をつけてね」


 メグは思わずカスミの手を離し、セオとハグを交わした。


「セオ。ありがとう」


 2人はほんの少しの間だけ、噛み締めるようにお互いの温もりを感じていた。



 セオと別れ、メグとカスミは歩き続けた。

 できるだけ屋敷から離れようと、メグは必死だった。


 途方もない距離を歩いて辿り着いた街で、メグは働ける場所を探した。

 しかし、まだ小さな子供の2人を雇ってくれる人はいなかった。


 そうして路頭に迷いかけていた時、見知らぬおばあさんがパンを分け与えてくれた。

 メグとカスミが何度も頭を下げて礼を言うと、おばあさんは驚いたように笑った。


「あらまぁ、いい子たちだねぇ。店の余り物だけど、もっと持って来ようかしら」


 メグはそれを聞いて、お礼になにかさせて欲しいと申し出た。


「まぁまぁ、本当によくできた子だねぇ。それなら、うちのお店に来るかい?」


 こうして、2人は老夫婦が営むパン屋に住み込みで働かせて貰えることになった。

 

 優しい老夫婦のもとでメグとカスミはパン屋の仕事を覚え、慎ましくも恵まれた日々を送った。



 そして10年がたち、メグは22歳になった。

 2年前に老夫婦が隠居することを決め、メグは店を譲り受けて独立することができた。

 メグとカスミはパン屋の姉妹として近所でも有名になっていた。


 そんなある日、買い出しに出かけたメグは人通りの多い街道でふと立ち止まった。

 雑踏の中でも目立つ、真っ赤な髪の女性とすれ違ったのだ。


 急いで振り返り、メグはその女性に声をかけた。


「え? アナタ……、もしかしてメグなの?」


 琥珀色の瞳が驚きで見開かれる。

 長く伸びた赤髪を雑に紐で縛っており、屋敷に居た頃とは印象が変わっていた。


 それでも、見間違えるわけはなかった。

 メグは10年越しに、ランカと再会を果たした。


 メグはパン屋の奥にランカを招いた。


「まさかアンタが自分の店を持ってるなんてね」


 店内を見回して、ランカは感心したように呟く。


「アタシは結局アンタの言った通り、売られて今も一介のメイドよ。まあ、新しい主人はかなりの富豪だから不自由はしてないけどね」


 そう語るランカの顔はよく見るとやつれていた。

 明るく振舞ってはいるが、無理をしているのかもしれない。

 メグはこのパン屋で一緒に働かないかと提案してみた。


「お誘いありがとう。でも、今はアタシにも守らないといけないものができたの。アタシだけ逃げ出すわけにはいかないのよね」


 ランカはそう言うと、立ち上がってメグを見つめた。


「久しぶりにアンタの顔を見れて良かったわ」


 ランカは眩しいものを見るように目を細めた。


「アンタには屋敷を飛び出して自立しようとする勇気があった。だから今の生活を勝ち取れたんでしょうね。お店、繁盛するといいわね」


 ランカは踵を返しながら手を振り、歩き始めた。


「じゃあ、元気でね。メグ」


 メグはそれきりランカと再び会うことはなかった。



 さらに10年後。

 

 メグはパン屋を営むかたわら、孤児を引き取って育てるようになった。

 そして今日、新しく茶髪の少女を家に迎えた。


 少女は状況を理解できず、戸惑っている。


 メグは昔の自分を見ているような不思議な気持ちになった。

 少女に手を差し出し、メグは慈しみに満ちた笑顔で言った。


「あなたは今日から我が家の子どもです」

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