闇魔導師は王命に抗えない〜処刑か治癒か、命を賭けた王妃の病解明録〜
私が王宮に連れてこられたのは、まだ十五歳のころだった。天才魔導師として名が知られていた私に、ある日突然、王都からの迎えがやってきたのだ。
『王妃のご病気を治療せよ』
それは、だれにも逆らうことができない王命だった。
家族や恋人に、ろくに別れも告げられないまま、私は村をあとにした。騎士たちの護衛する馬車に揺られながら、不安な気持ちを押し殺す。
数日間の旅の末、目の前に広がったのは、豪華で煌びやかな王宮だった。まるで絵本の世界に迷い込んだかのようだ。
「これから私はここに住むのね……」
だけどその美しい外観とは裏腹に、王宮のなかには陰鬱な空気が漂っていた。最初に案内された場所は、暗く冷たい牢獄の前だ。
そこには、数名の治癒魔導師たちが、打ちひしがれた様子で項垂れていた。
「これが、王妃を救えなかった魔導師たちの末路だ。彼らは近々処刑される。お前もこうなりたくなければ、最善を尽くせ」
私をここまで連れてきた騎士の声が、私の胸に突き刺さった。まるで崖っぷちに立たされたような気分だった。
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その後案内されたのは、城の隅にある小さな部屋だった。古びた家具が無造作に置かれている。
窓から差し込むわずかな光が、埃を舞いあげているように見えた。騎士の険しい顔が私を見詰める。
「ここがお前の部屋だ。国王陛下は一刻も早く、王妃を回復させろと言っておられる。早急に成果を出すようにしろ」
騎士の声がかたく強張っている。
私は一瞬言葉を失ったけれど、すぐに気を取りなおして答えた。
「早急にと言われましても、私は闇魔導師です。闇魔導師は治癒魔法が使えません。魔法薬の精製ならできますが、それには研究や材料の調達、実験など、時間がかかるのです」
「必要なものはなんでも言ってくれ。ただ、時間はかけられない。一ヶ月以内には、なんらかの成果を出してほしい。さもないときみの命は……。王命に逆らえぬ身であること、どうか許してほしい」
その言葉に、私は胸が締め付けられるような思いがした。騎士の表情には、『少女を犠牲にしたくない』というかすかな思いが見え隠れしていた。
彼にはどうすることもできないのだろう。彼は私が処刑されると知りながら、こうして私を王宮へと連れてきたのだ。
「いえ。あなたは優しい騎士様です。ご助言にしたがい全力を尽くします」
私は微笑みを浮かべて答えた。その微笑みの裏側は、不安と恐怖でいっぱいだった。
△
病に倒れる前の王妃は、その美しさと知性により、国中で慕われていた。いつも忙しい国王の代わりに、国務にも積極的に参加し、国の発展に大きく寄与してきた。
彼女の存在は、国民にとって希望と安寧の象徴だ。彼女が口にする一言一言が、多くの人々に勇気と力を与えていたのだ。
しかし、王妃が病に倒れたいま、王室のバランスは崩れ、国政も停滞しはじめている。
彼女の不在は国民に大きな喪失感をもたらし、社会全体に不安が広がっていた。
国中で響き渡る『王妃の回復を願う』という声は、国王自身の強い願いでもあったのだ。
現在の国王は、魔導士を捕まえては無理やり治療を押し付けている。しかも効果が出なかったり、悪化したりすると、すぐに処刑してしまう。
高名な治癒魔導士たちが、次々に命を奪われていく。こんな王の横暴を止められるのは、これまできっと、王妃ただ一人だったのだろう。
――私の運命は、王妃を治療できるかどうかにかかっているのね。
△
私は部屋に魔法研究の道具を揃えてもらい、必死に治療薬の研究をはじめた。
部屋のなかには、さまざまな魔法具や薬草が並べられ、すぐに小さな研究室に様変わりした。
だけど、いま投獄されている魔導師たちも、高名な治癒魔導師ばかりだという。
彼らに成し得なかったことを、まだ十五歳の私に、いったいどうしろというのだろうか。
研究をはじめてみたものの、私は迷宮に迷い込んだ気分だった。だけど、落ち込んでいる暇はない。
「私ならできるわ。伊達に天才なんて呼ばれてないのよ。不可能と言われてきたことを、私はいくつもやり遂げたわ」
私は自分を奮い立たせる。
「大丈夫、大丈夫……」
目を閉じると、村に残してきた家族や恋人、友人たちの顔が浮かんできて、会いたくてたまらなく苦しくなる。
家族の笑顔や、友人にかけてもらった温かい言葉。そして、恋人とすごした優しい時間。
――あぁ、帰りたい……。どうして私、こんなことに。天才なんかに生まれなければよかったわ。
それでも私には、どうしても頑張らなければいけない理由があった。
私の弟は、私よりずっと天才なのだ。私が頑張らないと、弟が同じ目に遭ってしまう。
弟を守るため、私は決意を新たにした。
「王妃は心の病にかかり、ずっと叫び暴れているのです。もうどうすることもできず、やむなくベッドに拘束しております」
私が初めて王妃を診察した日、王妃の侍女は、涙ながらに話していた。侍女の顔には、疲労と絶望感が漂っている。
王妃は食べるものも受け付けず、体はどんどん衰弱しているようだ。王妃の美しい顔は痩せこけ、かつての輝きを失っていた。
――本当に早くなんとかしなくちゃ。あれじゃ王妃の身体が長くもたない。侍女さんたちも可哀想だわ。
私は心のなかで決意した。だけど、王妃の症状や病気の原因を詳しく調べたくても、彼女に会える機会は限られている。王宮の厳しい規律が、私の行動を制約していた。
私は投獄された魔導師たちのもとに通い、彼らから病気の情報を集めた。冷たい鉄格子越しに、彼らの疲れ切った顔が見える。それでも彼らはみな優しく教えてくれる。本当にいい人たちだ。
「もし私が治療に成功したら、あなた方の治療が無駄でなかったことを証明するわ。そうすれば、処刑を止められるかもしれないもの」
「ありがとう、可愛いお嬢さん」
魔導師たちは、私の言葉を信じ、絶望的な状況のなかでも懸命に知恵を絞ってくれた。
彼らの知識や経験を借りながら、病気の原因を探り、治療薬の製法も模索する。魔導士たちの協力が、私の研究を支えてくれた。
そして私は、あるひとつの仮説にたどり着いた。
――王妃はもしかして、昔からこの国に蔓延る『闇のモヤ』の影響で、魔物化しかけているのかもしれないわ。
『闇のモヤ』それは人々の悪感情から生まれ、人や魔物を狂気に駆り立て、魔物に変えてしまう霧のようなものだ。
それは通常、聖騎士や聖職者たちの力で常時強力に浄化されている。
しかし、王宮という場所は貴族たちの策謀など、強い感情が渦巻いているものだ。それらは完全に浄化されず、残ってしまうことがあるかもしれない。
そのうえ王妃は、国務で頻繁に王都を離れていたらしい。移動中にどこかで、闇のモヤを吸い込んでしまった可能性もある。
もし魔物化が原因なら、光属性の浄化修復魔法で治療することができるはずだ。しかし残念ながら、いまこの国に、その魔法を使えるものはいない。
唯一その魔法を使えた偉大な聖騎士が、数ヶ月前にこの世を去ってしまったのだ。その喪失感も、この王宮のどこか悲しい雰囲気を深めているように感じられた。
「やっぱり、なんとか新薬を開発するしかないわね」
私はそう決意し、必要な材料を求めて各地に手配をかけた。
魔法薬の開発に取り組む日々。だけど天才と評判の私でも、新薬の生成には莫大な時間と手間がかかる。
何度も失敗を繰り返すたびに、期限の一ヶ月はどんどん近づいてきてしまう。私はいよいよ、焦燥感に押しつぶされそうになっていた。
△
数日後、ついに耐えきれなくなった私は、国王に直接謁見し、少しの猶予を乞うことにした。
王の玉座の前に立つと、その威圧感に圧倒され、心臓が早鐘のように打ちはじめた。
「焦りか。いい顔をしているではないか。焦りは結果を生み出す力になる。必ず期限を守るのだ。万一にでも失敗すれば、恐ろしい報いがあると覚悟せよ」
王は冷酷な視線を私に向けそう言い放った。
青ざめた顔で立ち尽くす私。王の視線はさらに鋭くなっていく。
「さぁ、早く研究に戻れ。時間は待たぬぞ」
「かしこまりました」
私は震える声で返事をすると、謁見の間を飛び出した。心臓の鼓動が響き、足元がふらついている。
私はそのまま、王宮図書館に駆け込んだ。
王宮に来てからしばらく、私はこの図書館にこもりきりだった。高い天井に届くほどの書棚には、無数の魔導書が並び、その一冊一冊が私に新たな知識を与えてくれる。
繰り返す失敗の原因を探り、治療に役立つ魔法を探すため、私は膨大な魔導書を読み漁った。
そのときに私は、とある魔法を見つけていたのだ。
――デモンクーズ……。
その魔法は、人間の魔物化を食い止める可能性のある秘術だった。その魔法に出会ったとき、私は全身に電流が流れ込むような衝撃を感じた。
デモンクーズの発現には、複雑極まる魔法陣が必要だ。その精緻で美しい模様は、まるで芸術作品のようだった。
「何度見ても美しい魔法陣ね……」
私を魅了してやまないのは、魔法陣ばかりではなかった。長大で、難解で、しかしどこか魅力的なその呪文。
文字をなぞればなぞるほど、私はその魔法に心を奪われていくのを感じた。
――ふう。少し気持ちが落ち着いたわ。宇宙の神秘に触れたみたいで癒されるわね。
デモンクーズは、倫理に反することが多い闇の魔法のなかでも、もっとも危険な攻撃魔法だ。
その名を聞くだけで、多くの魔導師が恐怖に震えるほどの。
体内に宿る暗い感情を闇の魔力に変え、体外に放出することで、爆発的な破壊をもたらす。
この魔法の威力は計り知れず、一度発動すれば周囲を壊滅させるほどの力をもつ。
本来、人間の体内に宿る魔力は無属性だ。闇魔導師といえども、体内に闇の魔力が宿っているわけではない。私たちは精霊の力を利用して、魔法を使うにすぎないのだ。
しかし、デモンクーズをかけられたものは、怒りや憎しみなどの負の感情を、体内で闇の魔力に変換できるという。
そしてその力は、魔法として放出される。
『もしデモンクーズで、王妃の体内からモヤの影響を取り去ることができたなら。もしかすると王妃は回復できるのかもしれないわ』
私ははじめ、その魔法に希望を抱いていた。
だけど有属性の魔力を体内に保有すれば、人間は中毒症状を起こし、下手をすれば人間ではなくなってしまう。
もし、生成した魔力を体外に放出できなければ、王妃の魔物化は逆に進行してしまうだろう。
――これはだめね。すごい魔法だけど危険すぎるわ。禁忌になってないのがおかしいくらいよ。
△
心を鎮めた私は、数日間研究に没頭し、まったく別の手法で新しい魔法薬を作りあげた。
それは魔物向けに作られた強力な魔物鎮静薬を改良し、安全対策を加えたものだった。
しかし、まだ王妃にいきなり使用するのはリスクが高い。私は囚われの治癒魔導師たちに協力を仰ぎ、新薬の実験体として体を提供してもらった。
「なに、かまわないさ。どうせお嬢さんが失敗すりゃ、俺たちみんな道連れみたいなもんだからな」
「俺たちは王妃を治そうと、これでも精一杯やったんだ。それでも処刑だって言われるなら、可愛いお嬢さんのために死ぬさ」
「まぁ! 死ぬような薬ではないつもりですよ。少し調整が必要なだけです」
「わかってらぁ。冗談だよ」
「ではまず、この闇のモヤを吸ってみてください」
「おおい!? そこからやるのか?」
「うふふ。冗談です」
私の魔法薬は、一部に効果的であったものの、調子を崩すものや、寝込んでしまうものもいた。焦る気持ちを抑えながら、数名に実験を繰り返し、最後には自らも摂取して、その安全性を確かめた。
そして、ギリギリ一ヶ月のうちに、私は王妃の錯乱を鎮めることに成功したのだ。
△
そのあと、王妃は荒ぶることもなく、静かにベッドですごせるようになった。彼女の顔にはやわらかな微笑みが浮かび、侍女たちの表情にも希望の光が差し込んだ。
その変化に、国王は大いに喜んだ。
そして数日が過ぎたある日、私のもとに美しいドレスが届いた。繊細な刺繍が施されたそのドレスは、まるで夢のように美しかった。
私は王妃の侍女たちによって華やかに飾られ、王と王子が待つ食卓へと案内された。
『王妃の治療に成功したものは、第一王子か王女と結婚させる』
これは、優秀な治癒魔導士を集めるために、国王が国中に出していたお触れだった。
だけど私には、村に残してきた恋人がいるのだ。
この一ヶ月、どんなに彼に逢いたかったか。私の心は彼に夢中で、王子との結婚なんて、少しも興味が湧かなかった。
「王妃の笑顔など久しく見ておらんかった。そなたの尽力に感謝しておる。今日は心ゆくまで楽しむがよいぞ」
「こ、こんな晩餐にお招きいただけるとは、身に余る光栄です」
緊張に震える私を、国王と王子がにこやかに眺めている。私はこの王子とどうしても、結婚しなくてはならないのだろうか。
「王妃はすぐに、国務にも復帰できるようになるのであろうな」
「いえ、王妃様のご病気は、一時的に安定しているにすぎず、すぐ治るとは言えません……」
「そうか。しかしこれほどの効果が出ているのだ。きっとすぐによくなるであろうな」
「いえ、その……」
口ごもってしまった私を、国王はじっと眺めている。
王妃の治療はまだまだこれからだ。私は闇のモヤの影響を抑えるため、さらなる新薬を開発しなければならない。
しかしここで、治らないだの魔物化するだのと言ってしまえば、私を含め牢獄の魔導士たちも、みんな処刑されてしまうような気がした。
そうなれば次にここに連れてこられるのは、私の可愛い弟に違いない。
私の前に並べられたグラスに、執事がワインを注ぎはじめた。血のように赤いその液体が揺れるのを、私は息を呑んで眺めていた。
「そう緊張することはない。ここまでの成果を出したのはそなたがはじめてじゃ。その功績を讃え、そなたはこの度王子妃候補と定められた。
しかし、そなたは平民であったな。しかも陰鬱な闇魔導士が王子妃となれば、民もさぞ驚くであろう。食事中の会話くらいは、華やかにするよう心がけるがよい」
「そうですね、父上。王子妃となる女性は、母君のように華やかでなければ。その黒い髪、魔法で金色とかに変える気ない?」
厳しい国王の隣で、中身のない王子は、ずっとバカなことを言っている。
私はあっけに取られてしまい、食事も喉をとおらなかった。
――こんなのありえない。国王の顔色を伺うだけの王子と結婚だなんて。あぁ、一日も早くあの人に会いたい。こんなこと早く終わらせて、なんとしても、私は村に帰るのよ。
私はそう心に決め、再び研究に没頭した。しかし、その研究は困難を極めることとなる。
私が王妃を魔物化させた事件が、国中を震撼させることになったのは、それから何年か後のことだった。
お気づきの方もいるかと思いますが、主人公の少女は、『三頭犬と魔物使い~幼なじみにテイムされてました~』に登場するあるお方でした。
彼女のその後を知りたい方は、↓のバナーからぜひ本編をお読みくださいませ!本編の方はハピエン予定になってます。
※短編として短くまとめるため、本編のストーリーと違う設定になっている部分があります。