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社会の遭難者

作者: 雉白書屋

 ……助かった。安堵と嬉しさに体が震え、おれは思わず涙をこぼしそうになった。ヘリだ、救援のヘリが来たのだ!

 おれは立ち上がり、ヘリを視界に捉えながら、まばたきを繰り返した。ああ、夢じゃない。向こうも確実にこちらの存在に気がついている。いや、当たり前だ。石で作ったこのSOSの文字が、あの距離で見えないなら馬鹿もいいとこだ。

 社会学者であるおれは、テレビやネット番組のコメンテーターをメインの仕事の他に執筆や講演会で全国を飛び回っていた。しかし、船で移動中に難破し、この孤島に流れ着いた。どうせすぐ助かるだろうと思っていたので、正確な日数は数えてはないが、数ヶ月経ったことは間違いない。

 そう考えると、おれのような著名人が行方不明になったのだから、もっと早く見つけるべきだ。何をしていたんだ。と思うが、ここは抑えることにしよう。今は――と、どういうわけだ。ヘリが遠ざかっていく……。燃料切れ間近だったのだろうか。なんて無能なんだ。いや、しかし、見つかったことは間違いない。助かることに変わりはないのだ。

 おれはそう考え、再び浜辺に腰を下ろした。それから待つこと二時間。思ったとおり、再びヘリがやってきた。


『新田さんですよね! 社会学者の!』


「え、そ、そうです!」


 ヘリに取り付けられたスピーカーからの呼びかけに、おれはそう返事をした。


『はい?』


「あ、そー! でーす!」

 

 一度目は聞こえなかったらしく、聞き返されたので、おれは慌てて手を口元に持っていき、大声で答えた。今度は聞こえたはずだが、ヘリはしばらくその場で滞空した後、どういうわけかまた去っていった。

 今回はただの確認作業だったのだろうか。救助にそんな手順はないと思うが、おれは再び浜辺に腰を下ろし、待つことしかできなかった。

 それからおそらく一時間後くらいに、今度は三台のヘリがこちらに向かってきた。うち一台はかなり接近してきて、風で砂が巻き上げられ、たまらずおれは目を閉じた。

 ようやく救助されると思い、ほっとしたのだが、なぜかヘリは着陸やロープを下ろすこともせず、その場に留まった。そして、一台のヘリのドアが開き、そこから段ボール箱が落ちてきた。

 それがおれのすぐ目の前に落ちたので、おれは慌てて飛び退き、尻もちをついてしまった。落とされた衝撃で箱は拉げ、封が開きかけていた。中を改めると水やおにぎりなどの食料とそれに毛布が入っていた。


「あの! これ、どういうことですか!?」


 おれは大声で彼らに訊ねたが、ヘリはその場に滞空したまま誰も答えなかった。

 そのまま、まるで睨み合いのような状態が続いた。すると、燃料の関係だろうか、一台が引き返したかと思えばまた一台、二台とヘリがやってきて、常におれの頭上に留まり、日が落ちるとライトでおれを照らしてきた。

 おれは連中がどういうつもりなのか訊こうとはもう思わなかった。これがなんなのか、うすうす気づき始めていたのだ。あれは救助ヘリではない。報道ヘリだ。

 だからといって、報道関係者は目の前の要救護者を助けてはいけないなんて法律は存在しないはずなのだが、連中はただその場にいるだけで動こうとしない。

 いや、ただその場にいるだけとは語弊がある。社会学者であるおれは、日頃から主要なニュースに目を通すようにしている。ゆえにわかる。おそらく、連中はおれにカメラを向けて、ヘリの中でこう喋っているのだ。

 

『行方不明となっていた社会学者の新田さんがついに見つかりました!』

『浜辺で膝を抱え座っており、衰弱した様子です!』

『はたして、無事救助されるのでしょうか!?』


 馬鹿げている、信じられない。少なくとも警察や海上保安庁に報せる義務はあるはずだ。しかし、彼らは視聴率を優先しているのだろう。視聴者を引き付けて、おれが救助される瞬間により多くの番組視聴率を稼ごうと、今は泳がせているのだ。

 ひどい扱いだ。コメンテーターとして局の報道番組に出演したこともあるのに。……しかし、こんな扱いを受ける心当たりがなくもない。ネット番組や雑誌のインタビューで「テレビの時代は終わり」「オワコン」などと扱き下ろしたことがあったのだ。連中はそれを怨んでいるのかもしれない。


 その後も次々と支援物資がおれの近くに投下された。中身は古着やビニールに入れられた生米、ラップに包まれたおにぎりや卵サンドイッチ。賞味期限切れのジュースに千羽鶴、寄せ書きやメッセージカードが入っていたことから考えて、おそらくこれは番組の視聴者からの贈り物のようだ。

 ヘリの数も増えた。どうやら全局で生中継を行っている、少なくとも撮影しているようで、ライトの光とプロペラの騒音でとてもここでは眠れそうにないので、おれは浜辺から林の中へ避難した。

 喧騒から離れ、ようやく落ち着くことができたが、おれを探しているのだろうヘリのライトの光が時折、木々の間から見えた。鬱陶しいことこの上ないが、分解した段ボールを敷き、毛布にくるまってなんとか眠りにつくことができた。



 

「新田さん、新田さん?」


「う、う、う……あ」


 それから何時間経ったか。外は暗いが、朝のようだ。揺り起こされたおれは、相変わらず聞こえるヘリの音に絶望と失望感を抱きつつも、ようやく救助の手が差し伸べられたと思い、目を擦った。


「新田さんですね?」


「はい……そうです……どうも……」


「今のお気持ちは?」


「そうですね……まあ、いい経験になったと……え」


 目を開けてよく見るとそれは救助隊などではなく、リポーターのようだった。ビシッとスーツを着ている。おれはマイクを向けられていることに気づき、慄いた。

 

「いまだ、捜索隊が新田さんを見つけられないことを、新田さん自身はどうお考えでしょうか」


「そうですね……失望、と言わざるを得ないでしょうね。おそらくマニュアル通りにしか動けないんでしょうね。それも古いマニュアルに従い、理知的に考えられないのでしょう。たとえばアメリカでは――」


 寝起きにもかかわらず、我ながらなかなか舌が回った。リポーターは「なるほど、以上、社会学者の新田さんでした。ありがとうございました」と話を締め、おれにお辞儀した。おれもお辞儀し返すと、リポーターは靴に砂が入ったのか、少し煩わしそうにしながら浜辺に向かって歩いて行った。


「いや、ちょっと!」


「はい? まだ何か社会に訴えかけたいことが?」


 おれが引き留めるとリポーターはカメラマンに目で合図を送り、再びおれにマイクを向けてきた。


「いや、そうじゃなくて、救助してくださいよ。見捨てるんですか?」


「そう言われましても、他の局との協定がありますので」


「いや、協定って……僕を助けてはいけないということですか?」


「協定ですので」


「ま、待ってくださいよ! 待て!」


「協定ですから!」


 リポーターとカメラマンはヘリから降ろされた縄梯子に掴まった。おれも縄を掴もうとしたのだが、リポーターは「協定があるので」と一点張りだった。おれは無理にでも乗ろうと揉み合ったが突き飛ばされ、再び浜辺に一人取り残された。

 曇り空の下、おれの頭上にはハゲタカのように何台ものヘリが滞空していて、それがおれの孤独感を強めていた。

 

 また時間を置いて、他の局もおれにインタビューを申し出た。おれは仕方なくそれを受けた。

 そのたびに、おれはカメラに向かって警察、政府といった体制側を非難した。そして一般市民である視聴者たちにこれは他人事ではないと脅すように言い、また同情を誘った。そうすればより支援物資が集まるのだ。全国から【応援してます】という手紙が届く一方で、【死ね】や【逆張りバカ】【胡散臭い】【何やってる人なの?】【そもそも誰?】などと程度の低いことを書いた手紙をわざわざ送りつけてくる者がいるのは閉口ものだが、とにかく食いつなぐことができた。

 

 しかし、日が経つごとにヘリの数は減っていき、ついには完全に姿を消した。飽きたか、それとも別の騒ぎを聞きつけたのだろう。あれだけ騒がしかったのに、こうも姿形がなくなると不思議なもので、全部夢だったのではないかとさえ思えてきた。送られてきた物資の残りがこれは現実だと保証してくれるが、それもいつまでもあるものではない。ファンレターもいくつか風に飛ばされ消えていった。

 世間の人々、テレビ関係者。彼らにとって、おれという存在もそういうものなのだろう。

 しばらくぼーっと待ってみたが、海上保安庁の救助ヘリは来そうにない。散々、カメラに向かって罵ったせいでおれを恨んでいるのか、マスコミ連中がおれの居場所を伝えていないのか、どちらにせよ不思議と憤りはなかった。

 おれはヘリの風に吹かれ曲がった木々に体重をかけて、枝や幹を折り始めた。イカダを作り、自分の力でここを出て行くのだ。たぶん、そうするしかない。この社会に戻るためには、そうするしかないのだ。

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