雨上がりの日、僕は長い髪の女に片目をえぐられる
僕は雨の日が好きだ。
いや、正確には雨上がりの日が好きだ。
雨でアスファルトはすっかり冷やされ、ジメジメを吹き飛ばすように太陽が優しく照り付ける。
傘を閉じて、そんな街並みを歩いていると、ついテンションが上がり、大手を振って歩いてしまう。
鼻歌でも奏でたい気分になる。
だけどここ一ヶ月、そんな楽しい雨上がりに異変が起こっていた。
このところは雨が降る日が多かったのだが、僕が雨上がりの街を楽しく歩いていると、必ずある女に出くわすようになった。
長い黒髪で右目を隠し、白い服を着た、不気味な女に。
ホラー映画に出てきても違和感がないような女だった。
まるで、
「私のこと、覚えてる?」
と言っているかのようだ。
だけど、僕には全く心当たりがなかった。
情けない話だけど恋愛経験は殆どないし、誰か女性を捨てた、泣かせた、なんてことは一度もない。
職場でも出会いなんかないし、同僚の女性と何かトラブルが、なんてこともなかった。
とにかくただただ不気味で、その女に出くわすと、僕は急いで踵を返す日々が続いた。
***
夕方まで雨が降っていた日だった。
会社帰り、大好きな雨上がりなので、僕は大手を振って路地を歩いていた。
すると、やはり“あの女”が現れた。
髪は長く、右目が隠れており、白い服を着ている。
僕は思わず顔をしかめてしまう。
しかも、こんなに近くで出くわすのは初めてだ。今まではせいぜい遠目に見えるぐらいの距離だったのに。
そして――
「私のこと、覚えてる?」
声をかけてきた。これも今日が初めて。見た目通り、幸薄そうな暗い声をしている。
そして、肝心の問いだが、僕は全く覚えていない。今までの人生でこんな女と関わったことなど一度もない。
だから、僕はこう言ってやった。
「悪いんですが、全然覚えてません。誰なんです、あなたは?」
これを聞いた女は、唇を吊り上げる。
「そうよね。覚えてるわけがないわよね」
さらに声高に笑い出す。
「オッホッホ、そうよ、あんたは覚えてるわけがないのよ!」
わけが分からず、僕は困惑することしかできない。
「だって、あんたは私を見てもいないんだからね」
僕は見てもいない? ますますわけが分からない。
この女は一体なんなんだ。
僕の狼狽ぶりを楽しむように微笑むと、女はついに右目を覆っていた長い髪をかき上げた。
僕は大声を上げてしまった。
「あっ!」
女の右目は潰れていた。まるで、何か棒のようなもので突き刺されたかのように。
「ひっ……!」
思わず悲鳴まで漏らしてしまう。
「この右目はね、一年前、あんたに潰されたのよ」
僕は怯えつつ、必死に反論する。
「何を言ってるんだ。僕は誰かに暴力を振るったことなんて……」
「それよ」
「え?」
女が指差したのは、僕が右手に持っていた傘だった。
「一年前、雨上がりの日、あんたは駅で大きく手を振って歩いていた。その時、あんたは傘を下に向けず、まるで後ろに向けるような持ち方をしていた。ちょうど今みたいにね」
確かに僕は傘をそうやって持ち運ぶ。
傘を下に向ける持ち方は、せっかくの雨上がりなのに、なんとなく辛気臭くなると思って……。
「そのまま階段を昇ったあんたの傘は、下段にいた私の右目に突き刺さったのよ。あんたは気づかず、そのまま行ってしまった」
そんなことがあったなんて、気づかなかったし、知らなかった。
「私はすぐ病院に行ったけど、この傷が元で結局右目は視力を失ってしまったわ。犯人を探してもみたけど、監視カメラもない場所で、どうしようもなかった」
「そ、そうだよ! 僕がやったって証拠がどこに……」
女は遮るように、
「だから私は悪魔に魂を売ったのよ」
こう言い放った。
「儀式をして、悪魔を呼び出したの。悪魔はあっさりと犯人はあんただって見つけ出してくれたわ。ついでに復讐する力も与えてくれた。私があんたの前に何度か姿を現したのは、もちろん恐怖を与えるため。そして、ようやく本番というわけよ」
女の残る左目が怪しく光る。
僕は逃げようとするが、体が動かない。
もっと早く逃げておけば、とも思うが、彼女が眼前に現れた時点ですでにアウトだったのかもしれない。
「悪魔に魂を売った私は、この後悪魔になるらしいわ。でも、別にかまわないと思ってる。なにしろ、これからしようとすることは悪魔の所業そのものなんですもの」
女の手にはいつの間にか、傘が握られていた。
普段は雨から身を守ってくれる道具である傘が、恐ろしい凶器に見えた。
「じゃあ、あんたも片目にしてあげるわね」
「ま、待ってくれ! やめてっ……!」
女は僕の制止など聞かず、傘をゆっくりと僕の右目に向けた。
傘の先端は、そのまま僕の右目に突き刺さり、容赦なく眼球をえぐり取った。
完
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