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魔族の揺りかご  作者: 広峰
一章 契約者期間
8/26

魔族の婚姻式 一


 屋敷に戻ると、早くも招待客の一部が到着していた。男女合わせて十人ほどだろうか。


 私を見つけた侍女が「良かった、いらしたわ」と言うのを聞いて、余計な心配をかけてしまったと思った。慌てて「遅くなってごめんなさい」と謝った。


 けれど、ルルディア様は出遅れてしまった私を責めることなく、「いいのよ、お散歩は楽しかった? 急がず用意しても大丈夫よ」と身を整える時間をくれた。


 そう言われても、もう客が来ているし、のんびりしすぎたことを再度周囲に謝りつつ、私は侍女達に大急ぎで着替えを手伝ってもらった。


 用意されていた服は、夏らしい袖が肘丈の青のチュニックワンピースだったが、「おまじないですよ。着けていないと、他の者に狙われますからね」と、金銀の六角形が連なる意匠の腕輪を、片方の手首にはめられた。


 それから、クリスと一緒に客の間を挨拶してまわった。


 着替え中に侍女から教わった話では、先着の一行は、普段は各地を転々としている吟遊詩人の一団と商隊の方々で、年に一度この時期になると、森の館へ訪ねてくるのだとか。ルルディア様の知己らしい。


 ということは、魔族なのだろう。やはりこちらが気後れしそうなほど、美しい容姿を持つ者が多かった。


 中でも、飛び抜けて仕草が優雅で美しい男女らしき二人が、ルルディア様と特に親しく感じられる。滴るような色気があり、クリスよりも年上に見えた。

 ルルディア様と軽いやり取りをする様子が親しみに満ちていて、もう何度もここへ訪れているようなくつろぎぶりだ。見慣れない極彩色の異国風な衣装を身にまとっていた。

 話す内容は聞き取れなかったが、その男女は、それぞれが連れてきたらしい綺麗な顔の若者と美しい四肢の女性を、ルルディア様に紹介しているようだった。


 その一方、物慣れていない感じの人も見受けられた。興味深そうに屋敷のあちこちを観察している。赤茶色の髪の男性らしき一人と、金髪と黒髪の女性らしき二人だ。

 共通しているのは、袖無しで丈長い上着の上から飾り帯を締める形の、他国で仕立てた鮮やかな衣裳を身につけていることだ。どこか雰囲気が違うというか、少し日焼けしていて、旅慣れた風情の人達だった。

 三人とも若く、金髪の女性型魔族はクリスと近い年頃に見えるし、黒髪の女性は小柄だ。男性も成人したばかりぐらいに見える。


 クリスが彼等に笑顔を向けた。


「ようこそルフェイの森の館へ。初めまして、我が同胞達。私がクリオスアエラスだ。長い旅路の間のひとときの癒しを、この館で得ていって欲しい。そして共に一族の繁栄を願おう」


 すると、彼等も笑顔になり、挨拶しながらクリスに握手を求めてきた。


「お初にお目にかかります。プリンティナヴィと申します。新たな男爵様と同じ時を過ごす幸運に感謝します。このたびはお招きいただきありがとうございます」


 若くほっそりした中性的な金髪の女性型魔族が挨拶を言うと、陽気そうな赤茶けた髪色の男性型魔族も挨拶して言った。


「ご招待ありがとうございます。私はオラニオトクスです。旅暮らしが長く、こちらで宴に参加するのは初めてのことゆえ、無作法が有りましたらご容赦を」


 次いで、小柄な黒髪の女性型魔族が挨拶した。


「私はブロフィダクリヨンです。お招きありがとうございます。若き跡継ぎ様のお話は、遠き地でも伝え聞いておりました。噂に違わぬ方のようで安心しましたわ。よろしくお願い致します」


 彼等は順繰りにクリスと握手を交わし、その後、私に目を留めた。それを受けてクリスは私の腰に手を添え、紹介した。


「彼女はティピナ。私の契約者だよ」

「エクディキシ商店のティピナと申します。どうぞよろしくお願い致します」


 会釈をして微笑んでみせると、ほう、と称賛の声が漏れた。


「これはまた、お美しくもお可愛らしい。素晴らしく香り立つ方ですわね。こんな逸材をどうやって探し当てたのかしら。羨ましいことですわ」

「おお、エクディキシ商店。貴女の店のお噂は、ここへ来る間で耳にしました。今、この地で大人気だとか。それにしても、ブロフィダクリヨンの言う通りなんと(かぐわ)しい人だろうか」

「本当に。常に『揺りかご』を探して放浪する我々でさえ、滅多に良い人を見つけられませんのに。さすが男爵様ですわ」


 話から察するに、彼等は『揺りかご』を探して旅暮らしをしているということだろうか。異国風な装いも、その生活からのようだ。

 お喋りをしながら彼等は私の手首の腕輪をちらちら見ている。よく分からないが、おまじない効果があると良いのだが。


「で、君達の契約者は何処(どこ)に?」


 クリスがたずねると、彼等はそれぞれ自分の連れを手招きして呼んだ。てんでに離れたところに居た三人が、それへ応じて近付く。


 どこか影のある雰囲気の男性と、彫りの深い我の強そうな女性と、物静かで清楚な感じの女性だ。


 彼らの容姿は悪くない。ルフェイ家の皆を見慣れてしまった私には普通の人達だったが、人間基準ならそれなりに美しいと言える。


 契約者達は、自分の契約した魔族の隣に立った。

 ふと見ると、契約者達は華やかな異国風衣裳の他に、片方の手首に金銀の六角形が連なる腕輪をはめていた。それは私の腕輪とよく似た物だった。


「紹介します、新しい男爵様。こちらは私、オラニオの契約者、ターシーです」


 赤茶髪の男性型魔族オラニオトクスが、得意そうに女性の手を引き寄せた。楚々とした大人しそうな二十代半ばくらいの女性は、静かに頭を下げた。


 金髪のプリンティナヴィは、三十才手前くらいの憂い顔の男性を脇に立たせ、その腕に手を絡ませる。と、彼は少しだけ笑顔を作った。促されて、クリスに対し無言で頭を下げる。


「彼は、私リンティナの契約者、スタヴローノです」


 続いて彫りが深い、勝ち気そうな二十代そこそこぐらいの女性が、すっと頭を下げた。

 それを黒髪のブロフィダクリヨンが、女性の後ろから紹介した。


「彼女はアピリスティア。私、ロフィーダの契約者ですわ」


 契約者を連れた魔族達は、先程聞いた名乗りと名が違っていた。

 おや、と思ったが、それがさっき名乗った名の一部であるとすぐに気がついた。きっとこちらは、人の世の中で使っている名前で、先に名乗った名前が魔族の本名なのだろう。


 契約者の人間達は、全員丁寧に頭を下げたままだ。

 貴族から許されない限り、平民に発言権は無いからじっと待つのが作法だ。黙って顔を伏せているところを見ると、皆、平民なのだろう。


 彼等の様子を観察しながら思う。

 魔族の他、更に人間も現れたとなるとややこしい。招待客全員の顔と、本名と世間向けの名前を、両方合わせて覚えられそうにない。後で誰かの名を忘れてしまいそうだ。

 まあ、皆も私が一度に全て覚えられるとは思うまい。おいおい覚えていけば良いだろう。


「ようこそ、ルフェイの森の館へ。顔をあげて下さい。ここでは、あまりかしこまらないでも大丈夫だよ。滞在中は楽しんでいって欲しい」


 クリスが頬に笑みを乗せて言うと、人間達は面を上げた。

 同時に、彼の美貌に少なからず驚いたように固まる。クリスがあまりに美しいので、言葉に詰まってしまったのだろう。女性二人の頬が赤くなった。

 一瞬の不自然な間の後で、思い出したようにもごもごと、返答のようなお礼のような、ええ、ああ、どうぞよろしく、という小声が漏れた。


 そんな人間達の様子をさほど気にもせず、クリスは私の手の方へ腕を差し出した。私は素直に従い、彼の腕へ手を乗せ(ゆだ)ねる。


「それでは、明日の日が沈んだら。また会おう」


 そうして、クリスが場を去る言葉を口にした。

 魔族達は、笑顔でうなずいたり片手をあげたりしていたが、契約者達からは私を値踏みするような冷めた視線を感じた。

 私は会釈し「失礼致します」と告げて、クリスと一緒に後ろを向く。すると、背中により強い目を感じた。


 男爵夫人になるということで、今後は人目にさらされることもより多くなるだろう。気を引き締めなくては。


 そういえば、まだリカルドさんの姿を見ていないな、とちらっと思ったが、式の支度が始まり、忘れてしまった。






 次の日。

 夕方近くになると、館へ続々と客がやって来た。

 総勢五十余人くらいだろうか。ぱっと見た限りでは、おそらく平民がほとんど。リリパルド国の民より他国の人が多い。見た目の男女比は半々。年齢層は不明だが、人間の十代後半から三十代半ばぐらいに見えた。


 魔族達は、男性型も女性型も全て、容姿が整っている。見慣れない美男美女の群れは、ちょっとした迫力があった。


 ふと、ルフェイ家で暮らしていた時間が長くなるにつれ、本邸の皆のことをあまり美形と感じなくなっていたな、慣れとは不思議なものだ、などと思ったりした。


 婚姻式は、館の前の庭で行えるよう準備してあった。つまり屋外だ。


 私はあの緑色の背中が大きく開いた衣裳を着て、髪をうなじが見える形にまとめて結い上げていた。女性が髪を結い上げるのは、既婚者の証だ。

 その頭の上から被るように、白く薄い霞のような長いベールをつけた。それが背中を覆い、足元まですっぽりと私を薄く覆っている。

 そして、金銀の六角形が連なる意匠の腕輪を片方の手首にはめたまま。やはり、他の契約者がつけていた物とよく似ている。


 私は森の館の侍女に案内されて、庭の式場に到着した。

 庭の真ん中には、白い布を掛けたテーブルがあり、その上には灯りのついた燭台と、六つの杯と水差しが乗っていた。

 テーブルのある場所から大人二人が両手を大きく広げたくらいの間をあけて、丸く囲むように背もたれと肘掛け付きの椅子が、等間隔でテーブル側を向いて六つ並べてある。


 何故、杯が? しかも六つもある。それに、この席の並び方は、何だろう?


 更に離れてそれを囲むような位置で、座面だけの椅子が、二重三重に周囲に丸く並んでいた。

 婚姻式で、こんな形に配された会場は今まで見たことが無い。

 女神に祈りを捧げる祭壇も無く、巫女もいないし、教会関係者らしき人も居ない。


 用意してある椅子には、まだ誰も座っていないが、椅子の後ろには、招待客の魔族達が見守るようにずらりと立っていた。


 式場を前に戸惑っていると、クリスがテーブルの横へ進み出てきた。

 そしてクリスの後ろには、他に五人が続いていた。彼等は申し合わせたように、緑色の衣装を身につけていた。


 どういうことだろう。

 てっきり私とクリス、二人の婚姻式だと思っていたのだが。何故、私達二人ではなく、他にも居るのだろうか。


 クリスは私に気付き、テーブルの前まで来ると、こちらの方を向いた。


 彼は私と合わせたような、随分と古風な服を着ていた。まるで神話に出てくる神の御使いのように、くるぶし丈くらいの布を体に巻きつけたような衣装だった。

 背中も開いているが、胸板が半分露わになっているし、二の腕はむき出しだ。巻きつけた布を両肩で留めて優美な曲線の襞を作り、胴回りを色石が連なる幅広い飾り帯で締めている。

 額には雫型の色石が目立つ輪飾り、足元は革で編んだサンダル状の履き物だ。

 ますます教会にある神の御使いの彫刻のようだった。いくら伝統的といっても程がある。


 戸惑う私を彼の傍まで案内した侍女は、クリスの手に私の手を乗せると、説明もなく一礼して下がってしまう。

 これからどうするのか分からなくて、クリスの顔を見上げると、彼は小さく口元に笑みを作り、六脚ある椅子の一つを指した。


「静かに。座って。それが開始の合図なんだ」


 よく分からないが、ともかく私は黙ってうなずき、示された椅子へ慎重に腰を下ろした。そして椅子の隣に立つ彼を再び見上げると、何故か、いつもより彼の体格が大きくなっているように感じた。


 私が座ると、クリスと似たような服装で赤茶色の髪の男性型魔族……名は何だったか……そうだ、オラニオトクスだ……が、契約者の女性の手を引いて、隣の椅子へ連れて来た。彼の契約者も背の開いた衣裳だった。ベールも私のと同じ長いものだ。


 次に、私と似たような服装の、金髪でほっそりした女性型魔族、……多分プリンティナヴィと言ったか……が、クリスと似た服装の男性契約者を促して、私の正面の椅子へ座らせた。契約者の男性はごく薄いベールと似たような生地のマントをまとっていた。

 プリンティナヴィは長いベールを着けていない。代わりに、クリスがしているような輪飾りを額に嵌めていた。そういえば、オラニオトクスも着けている。

 私を挟んでオラニオトクスと反対隣に、黒髪の小柄な女性型魔族、……記憶が曖昧だ。ブロフィダクリヨンだったと思う……が、同じように座らせた契約者の女性に、微笑みかけていた。彼女も額飾りをしていて、ベール姿ではない。対して契約者の女性は長いベールをしていた。


 気付けば、六脚ある椅子には、緑色の衣裳の、人間と思われる男女が腰掛けており、その前にはおそらく契約相手の魔族が立っていた。


 ルルディア様と親しくしていた魔族二人もいて、この六名の魔族は、館へ先に来ていた者達だと思い当たった。

 そして人間の契約者達の手首には、夕闇の中で腕輪が鈍く光っていた。

 ここに至ってやっと私は気がついた。


 これは、もしかして一族の合同婚姻式だったのだろうか?


 女神様の教会が近くに無いような、ものすごく田舎の婚姻式は、巡回で訪れた巫女が一度にまとめて祝福を行うと聞いたことがあった。

 だったら事前にそう教えておいて欲しかった、と心の中で文句を言った。

 いや、ひょっとして誰かが説明したと思われていたのかも。準備中何度も入れ代わり魔族が出入りしていたし。

 勝手な思い込みで、事前にたずねなかった私もちょっと悪いのだろうが。

 しかし、女神教会の巫女が来ていないのはどうして。


 招待客が、空いていた外側の椅子に座り出す。各々好きな場所へ思い思いに座っているようだ。ルルディア様らしき姿や、屋敷の魔族もちらほらと目にした。


 皆が座ったところで、最初にクリスがテーブルまで歩いて行き、杯を一つ取った。

 すると、椅子の前に立っていた他の魔族、緑色の衣装の面々も杯を取りに行く。椅子に腰掛けたの人々は座ったままだ。


 続いてクリスが水差しから杯へ液体を注ぎ、まず自分の口へ杯を当てた。

 他の者も皆、順に液体を注ぐと同様に杯を口元へ持っていく。


 それから、その杯を持ってクリスが私の前まで歩いて戻り、目の前に液体を差し出した。他の魔族も同じく契約者に杯を差し出している。


 クリスが良く通る声で、魔族全員の代表のように告げた。


「“杯を受けよ、契約者。汝の願いは我が手によって叶えられた。汝は契約に従い我が子の『揺りかご』と成りてその身を捧げよ。”……ティー、一気に飲んで」


 小声で最後に言われた通り、私は指先で杯を受け取った。そしてそのまま一息に飲み干した。甘苦い味が口いっぱいに広がる。

 覚えのある味だった。杯の中身は滋養茶だ。後味に渋みが残る程、ずいぶん濃くした味だった。


 何故、ここで滋養茶を。こんなのを飲んだら皆が眠くなってしまうのでは。


 しかし、そう思ったところでもう遅かった。他の人間達も次々と杯をあおって、空にしたところだった。


 と、契約者の一人が、文句を言い出した。


「いいえ、私、願いが叶ってないわ」


 それは女性の声だった。声の方を見ると、ブロフィダクリヨンの契約者が、苛立った様子で一滴も飲まず杯を逆さにし、中身を地へ捨てていた。気の強そうな人だ。

 本人は小声のつもりなのだろうが、儀式の最中であり、静かな夕闇の中では丸聞こえだった。


「私、もっと美しくなりたいって言ったじゃない。美しくなって、皆を見返してやるって」


 すると、ブロフィダクリヨンは空の杯を彼女から取り返し、言い聞かせるような口振りで言った。


「それは契約外だと言ったでしょう。アピリスティアなら、焦らずとも儀式後にはどんどん美しくなっていくはずよ。貴女と契約時に交わした願いは全て叶えたわ。借金の全額返済、家から自由になる、婚約者を奪った義妹の美貌を失わせる。その三つ。貴女も叶ったと認めたはずよ」

「でも、それだけじゃあ足りないのよ。今すぐもっと美しくなって、私を馬鹿にした奴を全員見返してやらないと」

「相変わらずアピリスティアは性急ね……一応聞くけれど、馬鹿にした奴とは、誰かしら」

「もちろんクズな親と、元婚約者と、その家族と、私を嵌めた金貸し屋とその一族と、友達面して裏切った人達と、悪い噂を信じた人達と、助けてくれなかった町の奴ら全員よ!」


 小声ながら語気荒く言い切った女性へ、ブロフィダクリヨンはため息と共に告げた。


「やれやれ。強欲な子だこと。町全体は流石に多いわ。無理ね。以前に比べて貴女は随分と見目良く美しくなったと思うわ。昔の義妹よりもずうっとね。それに、見返すことなら金を全て返した時点で出来ているはずよ? それで納得してくれないかしら」

「駄目よ。私よりキレイな人がいっぱい居ることが許せないの。ここに来てる人達は、みんな美しいじゃないの。この中じゃあ、私なんかてんで普通の女だわ。そういう美人に、また何もかも奪われてしまう……! そんなの嫌よ。町の奴ら全部、いいえ、全ての人が、私より醜くなればいいのに。そうだわ。いっそのこと、そうしちゃってよ!」

「馬鹿なことを。要求が大きすぎる。それは出来ないわ」

「嘘吐き。お願いを叶えてくれるって言ったくせに」

「あなたの願いは、最初に決めた三つだったでしょう? それはきちんと達成したのだから、嘘吐き呼ばわりはやめて下さいな。契約に基づき、私は契約者に対し一度も嘘をついていないわ」

「っ、もういい。お願いを叶えてくれないなら、そんな契約、もうやめる!」

「この()に及んで、本気で言っているの?」

「私はいつだって本気よ!」


 また、ため息を一つ吐くと、ブロフィダクリヨンは首を振った。


「残念だわ。私は貴女の願いを叶えたというのに。契約を守らぬ人間を、もう大切に扱えない。だけど、貴女は私が選んだ個体。他の者には渡せないわ」


 ブロフィダクリヨンは、彼女の顎をつかんで、ぐいと顔を上向けさせた。

 顎をつかむ手を外そうと、彼女は抵抗して暴れたが、がっしりと顎ごと顔を持ち上げられた。魔族に力でかなうはずもなく、体が引っ張られて椅子から腰が離れる。


「やっ、何するの、離して」


 アピリスティアの口からおびえた声が出る。小柄な黒髪の女性型の魔族は、彼女へ顔を寄せて言った。


「仕方ないわね。貴女は卵の『(にえ)』にする」


 噛みつくように口付けた。始め女性は懸命に抵抗したが、段々と力が抜けたようになり、ついには暴れていた手がだらりと下がってしまった。

 深い口づけの果てに、やがてふらふらと力が抜けたようになり、とうとう魔族の腕の中で彼女は意識を失った。


 ブロフィダクリヨンは、ぐったりした女性をドサリと乱暴に椅子へ戻し、親指でついっと口元を拭った。舌先が見えるその仕草が恐ろしく妖艶だった。

 それから、何事も無かったように杯を持ってテーブルへ戻り、静かに元の場所へ返した。


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