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魔族の揺りかご  作者: 広峰
二章 幼体期間

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32/37

偽りの友達


 実りと収穫の季節。

 これから人々は冬のための準備を始める。保存食作りに向け、調味塩が人気になる時期でもある。

 そして、今年のカシィコン領の葡萄は良い出来になったと聞いた。


 カシィコン伯爵領でワインの新酒が出来た頃を見計らい、私は支店へ赴いた。

 今回も護衛と侍女、それとオラニオトクスが同行した。

 同時に伯爵家へ使いを出して、「仕事の途中ですが、少しそちらへお伺いしても大丈夫でしょうか」とたずね、伯爵夫人に会う約束を取り付けた。


 移動中、私は店のことを考えながら頭の片隅で、仕事に打ち込むのは一種の逃げだな、と自分を評していた。悪い癖だ。


 それというのも、『贄』の子、アピリスティプロセフィが脱皮する場に居合わせたせいだ。

 あの衝撃の記憶から逃れるように、私は仕事に没頭した。エクディキシ商店の本店にこもったり、取引先を回ったりしていれば、ひと時だけでもそれを忘れていられた。


 私と一緒に来たオラニオは、エレガーティス領で人気のカシィコン産のワインを、この機会に出来るだけ多く仕入れておきたいと言う。


 夏の前に会った時と同様、オラニオはエレガーティス支店から一人で荷馬車に乗ってやってきた。前と変わらず陽気そうな雰囲気で、赤茶けた髪色の男性型魔族だ。


 彼とはルフェイ家の別邸、森の館で待ち合わせて合流した。

 私を待つ間、ルルディア様とリコフォスに挨拶していたそうだ。

 二人が谷の館へ行くと聞いて、オラニオは「こちらはしばらく静かになりそうですね。谷の館はオミリヒルルディオンを歓迎すると思います。リコフォスもあちらで楽しめると良いですね」と軽く言った。


 まるで泊まりがけで物見遊山に行く人を見送るような感じだ。

 何日もかかって遠い隣国へ旅立ち、いつ戻って来るかも分からないというのに、長命な魔族にとっては、その程度のことなのかと思う。




 今日、カシィコン支店で一つ目の予定は、新しく調合した調味塩をお試しで置いてみること。


 今度の調味塩の試作品は、リンティナ達の魔族の商隊から手に入れた、他国の香辛料を加えて調合したものだ。

 ほんの少し振りかけるだけで、劇的に味が変わる。

 私が現実逃避した結果の品だけど、出来は悪くないし、私は好きだと思ったのだが、どうも万人向けではない。


 この異国風調味塩は、ルフェイ領本店と男爵家の屋敷でまあまあ好評だったのだが、ルフェイ領内の飲食店では賛否が割れた。独特の辛さが嫌だという人と、逆に刺激が良いという人の真っ二つだ。

 また、珍しい輸入品を材料に加えたせいで、少しばかり値が張ってしまう。

 それでもルフェイ領内でなら、小分けにしたら、いくらか買ってくれそうだと思う。


 それで色々考えてみたが、安く売れないなら逆に特別にしてしまおうと思い、他領で売る場合は思い切って高級品扱いするつもりだ。

 その為、より高級感を際立たせようと、ルフェイ領内の工房に声をかけて、美しい小さな容器の見本を作ってもらっている。容器が決まったら少量ずつ詰めて、包装代も上乗せで売る予定だ。


 まあ、その前に、この(しび)れる辛さを本当に人々が受け入れられるのかどうか、ひとまず様子を見ようと思う。


 もう一つの予定は言わずもがな、今年の葡萄酒の出来具合を確かめ、今後の入荷数を決めること。


 ルフェイ男爵家は、結婚前の騒動で和解した際の取り決めで、塩の価格を抑える代わり、伯爵領の特産物の取り引き優先権を得ている。また、領間の通行税がお得になっている。

 そのお陰で、エクディキシ商店はカシィコン領の葡萄酒を他領よりも有利に入手出来るのだ。




 カシィコン支店に着くと、人間の支店長が今年のお酒をいくつも用意して待っていた。


 今年のワインを前に、オラニオが「味見をしておきませんか」と言うので、折角だから一口飲んでみることになった。

 それで、どうせ樽を一つ開けるのなら皆も、とその場に居た店員と常連客に試飲を呼びかけたら、わっと喜ぶ声が上がった。


 店先に台を出して小さめの木の酒杯を並べ、支店長が少しずつワインを注いでいく。酒精の良い香りが満ちて、皆がそわそわしてきた。

 最初は店主様方からどうぞ、と酒杯を手渡され、それでは、とオラニオと軽く縁を合わせて試飲した。


 果実味の強い若い味だ。濃厚だが飲みやすく美味しい。

 オラニオも満足そうに「これなら帝国の王様にも出せそうです」と感想を述べた。期待以上の良品だ。

 私達が笑顔で酒杯を持ち上げると、また歓声が上がった。


 店員も一口飲み、客へ味見酒を振る舞い出すと、見る見るうちに人が集まった。

 更に、新酒を気に入った常連客が購入の注文をし始めて、店は急に大賑わいだ。


 接客で皆が忙しくしている間、私とオラニオは、護衛と侍女にも手伝ってもらいながら、酒樽を荷馬車へ乗せた。

 作業しながらオラニオは、「エクディキシ商店のカシィコン産葡萄酒は、価格が抑えてありますから、他の店でも同じような商品を置いているのに、うちでお買い求めになる方が増えてきました。それに、頼まずとも、子爵令嬢がうちの店を勝手に宣伝して下さるので、噂を聞いたお忍びの貴族客が増えました」と、ほくほく顔で言った。


 彼をエレガーティス支店長代理として雇っているが、実質あちらの支店を切り盛りしているのは彼だ。あちらは既に私の手をほぼ必要としなくなっていて、上手く回っている。

 出来ればこのまま支店長になってもらいたいところだが、迷っている。


 売り上げはずっと右肩上がり。客からの評判も良く、最初の約束通り店内で揉め事も起きていない。

 魔族の店員達も、オラニオの指示に従って真面目に働いている。その上、目利きとくれば大変頼もしい。

 しかし、正式に支店長にしてしまったら、ずっと『揺りかご』を探している彼を一カ所に縛り付けることになってしまう。


 余談だが、エレガーティス領で現地の人手を探す話は、自然と立ち消えになっていた。

 理由は、魔族くらい優秀な人間などいなかったから。というか、下手に人間を雇用したら、魔族達の中に人間が放り込まれるわけで、ちょっと色々と心配だ。

 前は、魔族が人間に何かすることを心配していたが、最近は同じくらい、もし人間に魔族と知られたら、と思うようになった。彼等はそんなしくじりなど絶対しないだろうが。

 そんな主に私の余計な心配と魔族の優秀さのせいで、エレガーティス領の支店は未だに店員が魔族で占められている。


 作業中のお喋りが、売れ筋商品の話になると、「やはりエレガーティス領では、ほどほどに高くて珍しい物が売れますので、本当に我々一族の商隊を頼って他国の良い物を仕入れたらどうですか」と、再度の提案をされた。

 更に「我々一族は約束を守りますから、下手な人間よりずっと信頼できますよ」とも言われた。


 荷を積み終わった後で、それとなく聞けば、カシィコン支店の支店長も、領主の伯爵家がお高い輸入品を買ってくれるので、ちょっと期待しているらしい。


 私だって、もっと稼ぐならそうした方が良いと分かっている。

 でも魔族頼りになってはいけない気がする。正直なところ悩ましい。


(プリンティナヴィとスタヴロドローミなら、知らない人間とか、面倒な商人会とかじゃないし、どっちもティシアが好きだから、大丈夫だと思うよ)

 ……まあ、フォスアンティピナがそう言うなら、やってみる価値はあるか。

 次回リンティナ達に会ったら、仕事の話を持ち掛けてみよう。


 店での用事が終わった後、オラニオは私用があるとかで、別行動したいと言った。

 私も伯爵夫人と会う約束があるので、ここで解散して各々で帰ることにした。


 彼が帰る前、私は試作品の異国風調味塩を預けて、「エレガーティス支店で売れそうか、少し調べて欲しいです」と頼んだ。オラニオは快く引き受けてくれた。




 それから私は予定通り、カシィコン伯爵家の邸宅を訪問した。


 念のため、背後に護衛と侍女に控えていてもらったが、ソストース様は留守中だった。

 会わずにすんで運が良い。内心ほっとした。


 今日の伯爵邸はなんとなく賑やかで、人の多い気配がする。どうもクロディア大奥方様が言っていた繁忙期に突入したらしい。入り口に馬車が二台も停まっている。

 来客があるのに、当主がまだ帰って来れないくらいだ、凄く忙しいのかも知れない。

 こんな日に来たりして悪かっただろうか。


 心配しながら玄関先で名を告げて、静かに待つ。ほどなく伯爵夫人のアミーナさんが出て来た。


 来客を迎えるためか、高位貴族らしく華やかな赤と紫色の衣装を着た彼女は、まるでワインの化身のようだった。よく似合っている。宣伝効果は抜群だろう。

 頭を低くした私に、伯爵夫人は親しげに挨拶してくれた。態度が以前とは雲泥の差だ。

 彼女の甘めのミルクのような香りが、ふわっと鼻先をかすめる。


「良いときにこちらへいらしたわね。お義祖母様も居るし、他にも知り合いが集まっているのよ。中でお茶はいかが? ティピナさんもお話に入ってくれると嬉しいわ」と誘われた。

 ちょうど今、女性達でお茶を楽しんでいたという。


(伯爵夫人、高揚感と闘争心強め。あと、喜んでる)

 フォスアンティピナがささやく。一応歓迎されているようだ。

 お誘いの理由は、中にいるアミーナさんのお友達に、私を新しい友人としてお披露目したいからか、と推測した。


 けれど今日は、生憎(あいにく)と仕事用の簡素な生成色の服の上に、季節を先取りして襟と裾に毛皮をあしらった外套を軽く羽織って来ているだけなので、貴族家の室内へお邪魔するには礼儀に欠ける格好だ。 

 一見、良さそうな外套を脱ぐと、動き易いが、平民の富裕層くらいの見た目になってしまう。応じる訳にはいかない。


 でも、仲良し演技は頑張ろうと思う。

 思い切り残念そうな顔で、「とても有り難いのですが、仕事の途中ですし、義母の体調が思わしくないので」と遠慮した。

 ここ最近、ルルディア様はそういうことになっている。

 アミーナさんは、眉尻を下げて気遣わしげに声を落とした。


「まあ。……噂では聞いていますが、お悪いのですか?」

「ええ……少々」


 私も小声で返し、やや目を伏せた。

 嘘だ。ルルディア様は、うきうきしながら隣国への旅行計画を立てていて、毎日元気でご機嫌だ。


「どうかお大事になさって。貴女も無理しないでね」

「はい。ありがとうございます」


 本当に心配しているような気遣いの言葉に、頭を下げて礼を言った。(だま)してすみません。


 参加しない代わりにと言って、私は出来たばかりのお揃いの手袋が入った箱を贈った。

 伯爵夫人の手の寸法は、魔族の侍女に相談したら、彼等の伝手を使って調べてくれたので、たぶん合っているはずだ。

 そして、あらかじめ着けてきた自分用の黒い手袋をアミーナさんに見せた。手首周りの茶色いフワフワ毛皮が素敵な品だ。

「これとお揃いで、生地は薄茶色と濃赤色の五本指です」と言うと満足したようで、嬉しそうに微笑した。

 今までで最高の仕上がりの手袋だと思うので、気に入ってくれたら私もルフェイ領の職人も嬉しい。


 ついでに、徴収した盤上遊戯の賭けの報酬金も目立たないよう握手のふりをして手渡した。

 ソストース様は口約束ではなく、書面通りの大銀貨二枚を支払っている。それをそのまま、大きめの銀貨二枚を手の中へ滑り込ませた。


 彼女は静かに笑んで握った贈り物を受け取り、それからいかにも名残惜しそうな顔で、時間が出来たらまた来るように、と念押しした。

 私も出来るだけ愛想良く、はい、必ず伺います、と答えた。


 (いとま)しようとすると、思い立ったように「ちょっと待って」と彼女が言った。

 傍らの使用人に命じ、希少な種類の白葡萄から作った、大銀貨二枚以上の値が付く蒸溜酒を一本持ってこさせ、「お返しですわ。内緒よ」と悪い笑みで贈られた。

 滅多に領外へ出してくれない酒だ。これ、ソストース様が泣くやつでは?


 ふと、何処かで嗅いだ、熟した果実の芳香に似た甘い香りがふわりと流れた。


(あれ……何か良い匂いがする)

 フォスアンティピナがつぶやき、同時に視線を感じた。匂いをたどって玄関の奥へ目をやると、見たことのある顔があった。


 若い女性がこちらの様子をうかがうように立っており、驚きのあまり目が飛び出しそうになっている。

 高価そうな光沢のある帝国産の生地を使った桃色の衣装に、派手な赤い花柄の付け袖。未婚らしく下ろした淡い金髪の上には、赤い宝石が光る髪飾り。

 エレガーティス子爵令嬢だった。前に見たときよりも少し背が伸びている。


 えっ? 何故ここに。

 表の馬車は、子爵令嬢の乗ってきたものなのか。来客とは彼女のことだった?

 ……あっ、エレガーティス子爵令嬢は、ソストース様と母親同士が姉妹で従姉妹だったっけ。

 なるほど、新酒が出来る頃を狙って、こうしてあちこちから親戚がやって来るのか。領地の管理に加えて接待もあるとは、まさに繁忙期だ。


 さては、室内でカシィコン家の親戚関連の、面倒な攻防か何かが起きているんだな、と直感が働いたので、あえて気付かない振りを通しそのまま辞去した。

 あの二人に挟まれたくないし、他家の事情に関わりたくない。今回のお友達ごっこはここまでだ。


 それにしても危なかった。

 子爵令嬢と顔を合わせてしまったら、オラニオの引き抜き話が始まったりして面倒なことになりそう。

 この時期にカシィコン伯爵家を訪問するときは気を付けないといけないな。


 ……はっ、もしかしてソストース様も嫁と従姉妹の面倒事から逃げてる?


 フォスアンティピナが面白がっている気配がした。




 帰り道の途中で、食事処「馬の骨」へ寄った。

 カシィコン領を出る前に、家の様子見がてら食事をしておこうと思ったのだが、店が混んでいる時間帯に当たってしまったようだ。


 いつもより賑わっているせいか、珍しくオストアロゴは挨拶しに出てこなかった。

 厨房には居るようだ。美味しそうな匂いがする。

 忙しいだろうから、わざわざ顔を見るために声をかけるのはやめておいた。彼が元気ならそれで良い。


 お好きな席へと言われ、護衛と侍女を連れてどのテーブルにしようかと空いた席を目で探す。

 と、奥の方から聞いたことのある声がした。


「……で、あんまり出歩くなって言うのよ」

「おや。愛されておいでですね。すると、少々不自由なのでは?」


 そちらを見ると、少し前に別れたはずのオラニオが居た。

 なんだ、人と食事する約束だったのか。

 そう思って、向かい合わせに座っている茶色の髪と茶色い目をした中年の女性を見た。


 年のわりに色気のある雰囲気の持ち主だ。薔薇の刺繍が目立つ付け袖を、襟の開いた金茶色のチュニックワンピースに合わせている。ちょっと豊満な胸が目立っているが、下品にならないぎりぎりの派手さ。微妙に贅沢な趣味だ。


「ほんの少しだけ。でも、あの人は私が居ないと不機嫌になっちゃうから、仕方が無いの」

「それはそれは。なんとお優しい。思った通り、貴女は心が広いのですね」

「まあ。やぁだ、オラニオさんたら。照れるじゃない。あははっ」


 開けっぴろげな態度。そして漂う、嗅いだことのある甘く豊かな蜜酒のような香り。

 侍女が気付いたらしく、小声で言った。


「あら、オストアロゴの母親ですね」


 あ、そうだ。見覚えがあると思ったら。

 ええと、何という名前だったっけ。……エ、エラなんとかだったかな。

 思い出せずにいると、フォスアンティピナが教えてくれた。

(うん、エラスティだよ。良い匂いだから、あの個体のこと、私、覚えてた)


 すると、オラニオもこちらに気が付いて、意味深に小さく微笑んだ。

 それだけで察したのか、護衛が耳打ちした。


「若奥様、彼は友人と大事な話のようです。そっとしておきましょう」


 護衛の助言通り、私は彼等を放っておくことにしてうなずいた。少し離れた窓際の空いたテーブルへ行き、静かに座る。


 会話は聞き取れないが、オラニオトクスとオストアロゴの母親は、随分打ち解けているようだ。

 女性は時々笑いながら話しかけ、何か相槌を打つオラニオの綺麗な顔と甘い声に、頬を赤らめうっとりしている。

 テーブルの上には酒杯と取り皿が二つずつ置いてあった。仲良く同じ大皿から取り分け、一緒に料理を食べているようだ。友人にしては距離が近い。いつの間に二人はこんなに親しくなったのだろう。


(やっぱり凄く美味しそうな個体。だけどオラニオトクスは品定めしてる途中みたい。とっておくのかな。狩るのかな?)

 フォスアンティピナが彼等の様子を気にしている。


 どっちでもいい。正直に言えば、私はあの中年女性を助ける気が無い。オストアロゴには悪いが、彼の母親が魔族に狩られても『贄』になっても、きっと可哀想だと感じないだろう。


(ティシアは、オラニオトクスが気に入ってるあの個体、嫌いなの? とっても美味しそうだよ?)

 不思議そうに聞くフォスアンティピナ。

 そうじゃないの。美味しいかどうかではなくて。


 つい、あの女の人が、養父母が死んだ遠因なのでは、と思ってしまうのだ。

 冤罪はあの人が企てた事ではないけれど。あの人は奥方様の毒殺も、トロッフィの店が潰れたのも、何も知らなかったのかもしれないけれど。

 でも、どうしても心がもやもやしてしまう。


 ……うん、直接話したことは無いし、偏見があるのかも知れないが、あの人が嫌いなんだと思う。


(時々ティシアは、昔のことは終わったことって思いながら、不満になってるよね。ちゃんとクリオスアエラスに願いを叶えてもらったはずなのに)

 え、そうだろうか……あぁ、そうかも。

 でもあの時は、前伯爵を世間から追いやるのが、私に出来るぎりぎりのことだったと思う。クロディア大奥方様も言っていた。弁えていたと。

 だからこれは……私の心残りなのかも。


 侍女に頼んで適当におすすめ料理を注文してもらう。

 なんだかすごく疲れた気がして、うつむいて黙々と食事をしていると、若い女の接客係が何かを持ってきた。


 私が顔を上げると「店のおごりです。ご賞味下さい」と言って、林檎の甘煮を薄いパン生地に乗せて焼いた料理をテーブルへ置いた。

 皿からは、熟して食べ頃になった果実の甘い香りが立ち上っている。ごく微かに魔除けの香の燃焼臭を感じて、その薄い残り香が、ついさっきまでこの皿に触れていた人を示していた。

 オストアロゴは私が来ていることに気が付いているらしい。


 それならと、その接客係に試作品の異国風調味塩を渡して言った。


「ありがとうございます。あの、すみません。これをオストアロゴさんに渡して、試作品なので使ってみた感想を後でエクディキシ商店へ教えて下さいませんか、と伝えて下さい。店主のティピナと言えば分かると思います」


 そうお願いすると、接客係の女性はびっくり顔で私を見た。店の大家を知らないとは、新しい店員のようだ。

 が、すぐ顔を引き締めて了承し、下がって行った。


 お料理は凄く美味しかった。甘酸っぱくて香ばしく、一日の疲れが取れる気がした。癒やされる。

 お皿一つで元気が出るなんて、案外私は単純だ。

 よし、戻ったらまた頑張ろう。


 私は、新顔の若い接客係へ食事代を支払って、まだ談笑しているオラニオとカシィコン前伯爵の愛人を横目に、「馬の骨」を後にした。


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