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魔族の揺りかご  作者: 広峰
二章 幼体期間

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31/31

贄の子の脱皮


 荷馬車が森の館に到着したのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。

 私達は門番の魔族の誘導で荷馬車のまま敷地内へ入って行き、本館の鼻先まで小径(こみち)を移動した。

 門番は、私が棺を運んで来たことをクリスへ伝えに行き、私達はそのまま真っ直ぐに別棟の、通称『幼子(おさなご)達の家』へ荷を運び込んだ。

 すぐに世話係の女性型魔族が付き添い、奥の部屋へと案内した。私と侍女が歩く後ろから、護衛が空の棺を軽々と担いで続く。

 廊下には明かりが灯り、静かな夜だった。


 奥の部屋の扉を叩き、先に部屋へ入った世話係が、扉の向こうでロフィーダに説明した。棺を運んで来たことを伝えると、明るい声が開いた戸口から聞こえてきた。


「あら、ちょうど良かったわ。わざわざありがとうございます。まあ、男爵夫人が馬車を出して下さったの?」

「こんばんは……あ。ごめんなさい、お邪魔を」


 つい、ロフィーダの嬉しげな声音につられて部屋へ入りかけたが、中を見て固まった。


 室内の寝台の上には、長い金髪を乱した女性が横向きになって目を閉じていた。半分裸、というか身体の半分くらいまでしか掛け布で覆われていない。無造作に寝台の外へ投げ出された腕の白さが、部屋の灯りに浮き上がっていた。


 あまり見たら失礼になると思い、私は目を逸らして部屋へ入るのを遠慮しようとした。が、ロフィーダは私を招き入れた。


「お気になさらず。ただの食料ですわ」

「えっ?」


 食料?


 ロフィーダは寝台ではなく斜め下の方を見ていた。そちらの方へ視線をずらすと、寝台手前の床で何かがもぞもぞと動いた。

 それは、小柄な人間が手足を縛られた上、布で口を覆われて、雑に転がっている姿だった。


 やや若い感じがする華奢な白金の髪の女の人だ。元は魔族並みに美しい顔立ちだったのだろうが、その左頬から顎にかけて、焼けたような痛々しい傷痕があった。


 床の女性は微かに震えながら、じっとこちらを見ていた。うっかり暗い眼差しと視線が合ってしまい、肩がびくりと跳ねる。


 食料って、まさか幼体の?

 じゃあ、あれは。

 視線を上げて、寝台の女性を改めて見直した。

 背格好と面立ちから、贄のアピリスティアで間違いなかった。が、ひどく血の気が失せており、どこか脆弱(ぜいじゃく)な感じだ。息もしていないような。


(あの子、すごい空腹感。疲れてるし、苛立ってる)

 私の中でフォスアンティピナが言う。

 ひょっとして、あの子とは、アピリスティアの中の幼体のことだろうか?


(そう。あっ、出るよ)

 待って。出るって、何が?


 ふと、微かに掛け布が動いた気がして、目を凝らす。

 同時に、雨後の森林の土のような濃い魔族の香り。微かに混じる生臭い匂い。

 そして、湿った何かを無理矢理引きずり出すような、ずぴちゃ、という音。


 ぐちゅっ、ずず、ぴちゃっ。


「ふぇ……ふぇええん」


 突然、幼い子供の泣き声がした。

 急いでロフィーダが寝台に駆け寄り、横たわる人の上へ身を乗り出す。


「ああ! よしよし、可愛い子。……おいで」


 優しい手つきで彼女が掛け布を少し除けると、甘えるように小さな手が伸びるのが見えた。


 ロフィーダは宝物を抱えるように、ゆっくりそれを持ち上げる。びちゃっ、とまた()れた音がした。


 ふぇふぇと頼りなく泣いてむずがる小さなものは、全裸の子供。


 多分、乳離れした後くらい、人間なら乳歯が揃ったかどうかくらいの大きさだ。水のような体液か何かで体が濡れているらしい。全身しっとりしていて金髪が頭に貼り付き、透明な雫がぽたぽたと流れ落ちている。細長く先が尖った尻尾らしきものさえ無ければ、まるっきり人間の子供とそっくりに見えた。


「まあまあ。お(くる)みの布はこれかしら?」


 私の横から、すっとごく自然に侍女が前へ出て、壁際の物入れの上に重ね置いてあった布を広げ、確かめる。

 それで合っていたのか、布をロフィーダの腕へ渡した。彼女は子供をそれでふんわり包み込んで、心底嬉しそうに笑んだ。


「良かった。無事外に出られたわね。良い子ね、アピリスティプロセフィ。頑張ったわね」


 優しく子供の身体を拭きながら、背中をぽんぼんとするロフィーダ。

 魔族らが次々と近寄って声をかけていく。


「おめでとう。無事に出てこれて何よりですわ」

「おめでとうございます。新しき同胞に幸多かれ。まあ、なんて可愛らしい」

「本当におめでとう。ようこそ若き仲間よ。これは良い外側だ。なかなか整っている」


 私はどうしたら良いのか分からず、棒立ちになっていた。知らず、手が口元を覆う。


 何これ……。こんな……小さい魔族が、人体を……割って、中から。


 私の衝撃をよそに、フォスアンティピナが明るく騒ぐ。

(あの子、すごい達成感と疲労感。それに空腹感。わぁ、外に出るのお腹空くんだ。大変だったんだね)


 これはひょっとして、今、脱皮したばかり? ちょうどよかったって、そういうこと?


(うん。脱皮し終わったみたい。殻から出るの、すごく疲れるんだね。知らなかった)

 フォスアンティピナが肯定する。


 何となく理解したつもりでいたが、こうして目の当たりにすると動揺してしまう。

 脱皮。頭では知っていたはずなのに。


 棺を床に置いた護衛が、転がされている女性を見下ろして聞いた。


()()、わざわざ捕まえたのか?」

「ええ。アピリスティアの義妹(いもうと)よ」


 お包みを抱いて、にこりとロフィーダが笑んで答える。


 義妹?

 そういえば、とかつて儀式の最中、契約に不満を訴えていたアピリスティアを思い出した。

 確かロフィーダは、三つの願いのうちの一つを、アピリスティアの婚約者を奪った義妹の美貌を奪う、とか何とか言っていたような。

 床で震えている女性の顔には、ひどい傷が。


 侍女が驚きの声をあげた。


「まあ。『贄』に配慮したのですか? 良くやりましたわね。まさか隣国まで行って捕らえたのですか?」

「いいえ、こちらへ呼んだのですわ。『アピリスティアが死にそうなので、誰かお身内で来られる人は居ませんか。こっちで彼女が得た財産も有るのですが、受け取れる人は居ますか』と手紙を出したんですの。欲深な親が来るのを期待しましたのに、残念ながら釣れたのはこの個体一つだけでしたわ。もっとも、彼女の財産はこの子だけなのですけど」

「いやいや、中々やるなブロフィダクリヨン。この女、欲をかいたんだな。義姉(あね)の財産とやらを独り占めしたかったんだろう」


 (あざけ)りがにじむ護衛の言い方に、床の女性が頭を上げた。青ざめているが、憎らしそうな目で魔族達を(にら)む。そこだけ見ればアピリスティア並みにけっこう気が強そうだ。


 私の内側でフォスアンティピナが、ロフィーダのやり口に感心しているのが伝わって来る。

(人間って、欲につられやすい。なるほど、上手)


 子供を抱いたまま、ロフィーダは床の女性に近寄ってしゃがんだ。何をするつもりだろう。

 ……いや、何となく想像がつく。


「さあ、アピリスティプロセフィ。貴女の『贄』から全てを奪い取った女、憎むほど愛した男も奪った女よ」


 魔族の子供が小さな手を伸ばす。澄んだ新緑の瞳、色白の肌、はっきりした目鼻立ち、金の髪。あまりにもアピリスティアに似過ぎた子供。


 伸ばした手が届くよう、ロフィーダは抱く位置を調節しながら支える。

 不吉な予感がしたのか、女性は身をよじって嫌がった。


「んん! いあっ、あえ゛ぇー!!」


 多分、嫌、やめてと言ったのだろうが、口がきけないせいで、何を言っても唸り声にしか聞こえない。

 女性の抵抗が(わずら)わしかったのか、ロフィーダは子供を支えていない方の手で、暴れないように肩をぐいっと床に押しつけた。魔族の子供は、ためらい無く嫌がる女の首を、小さな手でぺたりと触れた。


「ん、んぅえー! んーっ!」


 女性はなおも抵抗しようとしたが、押さえられた肩も触られた首も動かせないようだ。往生際悪く足掻(あが)くが魔族の力は強く、びくともしなかった。


「……うぅ、ん……ぁ、ふう……えぇ……」


 じわじわと女性の声から力が消えていき、もがいていた体も動かなくなっていく。

 終いには目を閉じ、ぐったりと力が抜け、ほとんど生気が感じられなくなっていた。


 やがてアピリスティプロセフィは手を離し、満足したようにふうっと息を吐いた。脱皮したばかりなのに、生気の摂り方を知っている。


「あら、もういいの? ……少し食べ残してしまったわね。でも、美味しかったのなら、まだ捨てずに取っておきましょうか?」


 ロフィーダは子供を抱き直し、あやしながら問いかける。魔族の子供……アピリスティプロセフィは、んっ、とうなずいた。


 上手に喋れなさそうだが、言葉はわかるようだ。

 まだ濡れて頭に貼り付いている髪の間から、触角のようなものがちょっぴり見えている。

 まるで魔物のような……違う。最初から人じゃなく、魔族の子供だ。


 ……この事態を認められない私の頭が、まだ混乱している。


 一方で、侍女は物入れの中を探り、いくつか着られそうな子供服を探し出している。

 護衛が棺の蓋を取り、ロフィーダに聞く。


「落ち着いたか? とりあえず片付けよう。こっちに殻を入れても良いか?」

「そうね。後で綺麗に整えるわ」


 護衛はつかつかと寝台に寄り、幼体が出て空っぽになってしまったアピリスティアの体を、掛け布ごと抱え上げて棺へ移し入れた。

 目を背けたいのに見てしまった。布の下の抜け殻は裸身だったが、半透明に透けていて、ちらりと見えた背中側に亀裂があった。ちょうど産卵印があっただろう部分。印は既に消えている。


 世話係の女性型魔族が、生気を奪われて意識の無い女性を軽々と持ち上げ、空いた寝台へアピリスティアの代わりのごとく、そっと乗せた。手足も口も縛られたままだ。

 ふと微かに香る、甘く香ばしい焼き立てのパンに似た匂い。……まだ、餌の女性は生きている。


(あ、美味しそう。でも、少ししかないね)

 フォスアンティピナのつぶやきを聞きながら、私は目の前の光景を呆然と見ていた。


 顔色が悪くなっているであろう私に、ロフィーダが気遣う様子で言う。


「男爵夫人を驚かせてしまったかしら。脱皮を初めてご覧になったのでしょう? もう大丈夫ですわ。今なら満腹ですからご機嫌です。

 ……さ、ご挨拶しましょうね。男爵夫人、この子が私の子、アピリスティプロセフィですわ。アピリスティプロセフィ、こちらは一族の長、クリオスアエラス様のお子の『揺りかご』、ティピナ様ですよ」


 どう見ても小さな子供なのに、ロフィーダは私の幼体のことを丁寧に紹介した。

 はっと我に返る。しっかりしないと。


 魔族の幼児は、新緑に似た色の瞳でこちらを見て、不思議そうに、こてん、と首を傾げた。わずかにつり目なせいで、少し仔猫じみた印象を受ける。見た目はとても可愛らしい。

 しかし、多分人間と同じように扱ってはいけないのだ。


「あー、だぁ?」


(人間だけどティシアは『揺りかご』だよ。味見は駄目だからね。私はフォスアンティピナ。よろしくね)

 上手く話せない幼児に対して、私の中から幼体が挨拶する。

 私も子供と(あなど)らず、真面目に挨拶した。


「私はルフェイ男爵夫人で、エクディキシ商店の店主ティピナ。『揺りかご』です。幼体の名前はフォスアンティピナです。どうぞよろしく」

「あい」


 すると、アピリスティプロセフィはにっこり笑った。頬は淡い薔薇色で柔らかそう。子供らしく手足も白くぷにぷにしている。魔族なのを忘れそうなほど愛嬌があり、つい撫でたくなるほど。


「まあ。可愛い。大きくなったら美人になりそうね」


(あっ、ティシアを美味しそうって思ってる。食べたばかりなのに。食いしん坊だ。あげないよ!)

 美味しそう……。食いしん坊って。

 手を出しかけたが、慌てて引っ込めた。少し頬が引きつる。


 私のおかしな挙動を見て、ロフィーダがクスクスと笑った。


「大丈夫ですわ。贄の子は幼体のときに『贄』の心残りだけは、何となく感じ取っているものよ。この子の場合、奪われる辛さ。だから誰かの大事なものは奪わないと思いますわ」

「そうなんですか」


 話している間に、幼子はお腹が満たされたことと脱皮の疲れとが出てきたのか、うとうとしかけていた。

 小さなあくびが出たところで、ロフィーダが気付いた。


「あらまあ、眠いの? よしよし」


 ロフィーダが魔族の幼子を抱き、あやすようにゆらゆらと動いて眠りに誘う様は、まるで普通の母親のようだった。

 子供が眠ってしまうと、彼女は子供用の寝台へ優しく寝かせた。


 寝顔を幸せそうにしばし眺めた後、ロフィーダは殻の入った棺を、邪魔にならないよう安置所へ移動すると言って、護衛の魔族と一緒に何処かへ持って行た。殻の硬化が進む前に整えるのだそう。

 もしかして、前に私が迷い込んだ妙な小屋が棺の安置所だったのかも。




 少しして、森の館の本館にいたクリスが、様子を見にやって来た。


 彼は、所在なく(たたず)んでいた私を見つけると、すまなそうに言った。


「ティー、ごめんね。手違いがあったんだって? 荷物を運んでくれてありがとう」

「どういたしまして。間に合って良かったわ」


 何故かクリスの顔を見るとほっとした。私が答えると、フォスアンティピナが騒いだ。

(あのね、さっき新しい仲間が出てきたよ! クリオスアエラスも会ってあげて!)


 それが分かったのか、彼は明るい笑みを浮かべた。


「それで、ブロフィダクリヨンは?」


 今、私とクリスの他、この部屋に居るのは『幼子達の家』の世話係と、私と一緒に来た侍女と、小さな子供用寝台で眠っているアピリスティプロセフィだ。


「外です。幼子が眠っている間に殻を整えておくと言っていました」


 魔族の侍女が答えると、クリスはぐるりと部屋を見渡し、世話係の魔族が立つ横に、小さな寝台で穏やかに眠る子供を見つけて微笑んだ。


「……うぅ」


 その時、くぐもったうめき声が聞こえた。寝台の上の女性が目を覚ましたようだ。

 はっとしてそちらを見ると、女性が縛られたまま虚ろな目でこちらを見ていた。

 クリスは気配を感じてちらりと見るも、それだけだ。幼子の方へ行き、すやすや眠るあどけない顔を眺めた。


「あぁ、無事で何よりだ。今日はもう遅いから無理に帰らず、君もこちらで休ませてもらうといい。部屋は整っているはずだ」

「わかったわ。そうします」


 私は努めて寝台を気にしないようにしうなずいた。クリスは私の背中をそっと押しながら、一緒に部屋を出ようとした。


「んんん! んんーっ!!」


 ところが寝台の女性が、身を(よじ)って首を曲げ、こっちへ向かって訴えるような唸り声を懸命に発した。

 思わず私が困った顔をしてしまったからか、クリスはちょっとため息を吐いて、半身だけ振り返った。


「……助けて欲しいのか?」


 にこりともせず、美しい魔族の長が聞いた。僅かな希望を見出し、必死にうなずく女性。


 まさか、魔族の食料にされている人間を、助けることが出来るのだろうか。

 けど、助けることが出来ても、彼女はかなり弱っているし、遠くから一人でやって来た身で、どうやって魔族から逃げ切るというのか。

 いや、長のクリスなら、その方法を知っている?

 どきどきしながら見守った。


「では、まずお前は、アピリスティアから産まれたあの子供に、解放の許しを()え。そして、お前の代わりになるような人間を差し出せ」


 冷たい声だった。女性の眼が大きく見開く。少し希望を持ったのか血の気が戻る。


「許しを得たらその後、お前は喉を焼き言葉を捨てよ。手指を切り文字も捨てよ。そうすれば食われることはない」


 途端に女性の顔色が悪くなる。


「だが、その後、ここから出るため、更なる助けを私に求めるなら、再び命を(あがな)う対価を支払うと心得よ。それが出来なければ、生涯我々の奴隷として生きよ」


 魔族の長は淡々と条件を述べた。相手を観察する緑玉のような瞳は瞬きもしない。


(うん。もっと美味しそうな個体がいたら、アピリスティプロセフィも納得するかもね。でも、魔族を知った人間を、放っておけないもの。狩るか、飼うか、始末する)

 私の中でフォスアンティピナが考えを垂れ流す。


 身一つでここにいる彼女が、今すぐ身代わりを用意するなんて不可能だ。

 それに、ロフィーダの話から察すると、アピリスティプロセフィは奪われることを嫌うはず。まして食いしん坊な子供の魔族が、美味しい獲物を諦めるとは思えない。

 更に、命が助かっても声と手が不自由になるのだ。


 ……無理だ。

 絶望に染まった顔で女性は唸り声と動きを止めた。

 助かる方法なんて、最初から無かったのだ。ここは魔族の拠点で、周りに居るのは魔族。人間の味方はいない。


 彼女の涙が頬を汚して寝台へと伝い落ちていくのを、私はただ黙って見ていた。


 クリスに促されて部屋を出た。


 その晩は森の館の私の部屋で休んだ。

 寝付くまで時間がかかったが、眠りに入れば幼体のお陰か、飛び起きることもなくぐっすりだった。




 翌朝、ルルディア様とリコフォスに挨拶をして、一緒に朝食をいただいた。

 あんなことを見ても、ちゃんと私のお腹が空く。


 二人は新しい仲間が増えたことを喜び、終始上機嫌だ。


 朝食の席で、ルルディア様はほっとしたように言った。


「少し前に『揺りかご』が一人目覚めているの。それで、吟遊詩人の一団はここを出て、冬前に谷の館へ着くように行ってしまったわ。他の『揺りかご』は残念だったけれど、これでもう、誰かの目覚めを待って『幼子達の家』に滞在していた同胞は居なくなった。ブロフィダクリヨンの幼体が最後だったの。やっと肩の荷が下りたわ」

「うん、本当にありがとう。オミヒリルルディオンのお陰で皆も心強くいられたし、ブロフィダクリヨンも無事に幼体の脱皮を迎えられた」


 クリスが礼を言うと、ルルディア様はにっこりした。

 彼女は強請(ねだ)るような上目遣いで、魔族の長である息子を見た。


「あのね、きりが良いから私、そろそろ死んだことにして、しばらく谷の館へ行っていようと思っているの。駄目かしら?」


 驚いて私の手が止まった。

 しかし、リコフォスは平気な顔でもぐもぐやっているし、クリスはちょっと考えただけで、すぐうなずいた。


「ああ、良いと思う。今から準備して……来年の春に出発するかい?」

「ええ。私の葬儀は内輪で簡単にすませましょう。殻はとうの昔に使ったからもう無いし、弔問客に遺骸を見られるのは困るわ」

「分かった。じゃあ、誰も葬儀に参加したくないような、凄く寒い頃が良いかな」


 ぱく、とクリスがパンの最後の一欠片を口に入れる。まるでお使いに行く程度の気安さで了承した。

 私だけが戸惑っている。

 食後のハーブのお茶を飲むリコフォスに、そっと聞く。


「えっ、でも、そうしたらリコさんは」

「もちろん、ルルディアと一緒に行きます」

「そう、ですよね……」


 やっぱり。リコフォスの意思は変わらないらしい。一番はルルディア様だ。徹底している。


 いつもここに居た二人が居なくなったら、とても寂しくなりそうだ。それに、『幼子達の家』とか夏至の儀式準備とか、どうするのだろう。

 私は若干の不安からクリスに聞いた。


「じゃあ、森の館は誰が管理をするの」

「これまで通りさ。我々魔族達がする。館の維持は今までと同じように一族で行う。大事な時には長が出向く。ほら、何も変わらないだろう?」

「あ、そう……」


 思ったのと違う返答に肩透かしを食らった感じだ。館は特に心配ないらしい。


 うふふ、と笑いながらルルディア様が言った。


「私が男爵家に来てから何年経ったと思って? これ以上居座ったら不老不死の化け物になってしまうわ。流石にもう潮時よ」


 それを聞いたクリスとリコフォスは楽しげに笑ったが、本気で冗談にならない。怖い。




 それから何事も無かったかのように、私とクリスはルフェイ家の馬車で本邸へ帰った。


 エクディキシ商店の馬車には、若い女性の遺体が乗せられた。そしてそれは、教会の隅の身寄りの無い平民用墓地へと運ばれて行った。


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