魔族と少女の婚約
クリスに拾われてから約二年半が経過していた。
忙しく過ごしたせいか、飛ぶように時が過ぎて、冬が終わり、花の季節が来ていた。
「そろそろ、いいんじゃないかな」
そんなクリスの言葉と共に、私は公的に正式な彼の婚約者になった。
結婚は私が十八になってからなので、もう少しだけ先だが、国と教会へ申請を出して無事に許可をもらった。
同時に、私は故郷であるカシィコン伯爵領にもエクディキシ商店の支店を出した。
伯爵領の支店は、商店街の中でも隅の方に建てたのだが、開店前からルフェイ男爵領での評判が良い噂となって伝わっていたらしい。そこそこの人気店になった。
儲かってきても私は手を緩めること無く、更に客の要望に応える形で品揃えをどんどん増やし、カシィコン伯爵領内で取引先を獲得していった。
調味料に合う野菜や肉、ハーブの茶類。もっと食事を楽しむための酒類。お茶に合わせた菓子、茶器。食材を調理する道具や盛り付ける食器。食卓を飾る布類、花瓶……といった風に。
だんだん、かつてのトロッフィ商店と品揃えが似てきた。
それもそのはず、品物の仕入れ先は、昔トロッフィ商店が懇意にしていた農家や製造元だ。
彼らのほとんどが、アルパーゾ商人会と取引していた。トロッフィ商店の取引先も奴らはそっくり奪っていたのだ。
トロッフィ商店が潰れた後、カシィコン伯爵家はアルパーゾ商人会を重用し、商人会は伯爵家御用達の肩書を得ていた。
仕入れ先の農家や製造元は、伯爵家の威光をちらつかせるアルパーゾ商人会に、不本意な商取引を強いられていた。
トロッフィ商店が潰れたことで、専属契約をしていた彼らは、商品の買い取り先が無くなっていた。アルパーゾ商人会はそこにつけ込み、彼らの足元を見て品物を買い叩き、安く仕入れるなどしていたのだ。
それを、適正価格で買い取ることで、私は取引先を奪い返した。
意外だったのは、仕入れの交渉に訪れたティピナを見て、ティシアと気がつく人がわずかだがいたことだ。
どうやら、昔お養父様が子供だった私を一緒に連れ歩いて、楽しそうに仕事を教えていた姿が、周囲の印象に残っていたらしい。
私の顔を覚えていたことに驚いた。だいぶ大きくなってしまったし、名前だけでなく店名も違っているのに。
養父母が死んだ後、行方知れずの私がどうなったかと、密かに心配されていた。
「色々あって、今はティピナと名乗っているの。隣のルフェイ領で男爵家のお世話になっています。……お会い出来て嬉しい。懐かしいわ」
そんな人には、寂しげな笑顔を作って小声で言うと、何かを察して黙ってうなずいてくれた。
幸いな事に、取引先は私の素性について口をつぐみ、沈黙することで味方になってくれた。
お養父様の言葉を思い出す。
……うちの財産はみんなの笑顔、儲けより信用……。
そんなお養父様は、たくさんの人に慕われていた。
私は今、かつてのお養父様に助けられていると感じる。胸が痛む。
伯爵領内で私の店、すなわちエクディキシ商店のカシィコン支店が波に乗ってくると、反対にアルパーゾ商人会は陰りを見せてきた。
当然だ。
私にとっては、トロッフィ商店が奪われたものを取り返しているだけ。
けれどそれは同時に、アルパーゾ商人会の損失に繋がるものだから。
しばらくして、伯爵領の支店から報告が届いた。店にガラの悪い客が訪れるようになったそうだ。
最初は一人二人、横柄な態度の買い物客として来て、店の者に怒鳴ったり威張り散らしたりしていた。
それを見た来客が顔をしかめたり、時にはそそくさと帰ったりしていたのだが、段々と大胆になってきて、数人で訪れて難癖をつけ、時には商品をぶちまけたり、店員につかみかかったりするようになってきたという。
どうも、アルパーゾ商人会の嫌がらせらしい。
周囲と客の間では、商人会の悪い噂がささやかれるようになった。
曰く、気に入らない店に対して、時折そういう真似をすると。エクディキシ商店が次の標的になった、と。
私は獲物が餌に食いついたと感じた。
店の場所を商店街の隅の方にした甲斐があった。警邏が頻繁に来ない所なら、きっと何かすると思ったのだ。
私は、意を決して言った。
「クリス。私、カシィコン伯爵領の店の様子を、一度確認しに行こうと思うのだけど」
「うん。じゃあ、同行しようか」
「ありがとう。お願いします」
私はクリスと共に隣領へ出かけた。彼が一緒の方が都合が良い。
屋敷から男性型の魔族が、御者と護衛として二人付いてきてくれた。道中の身の安全については全く心配しなかった。魔族はとても強いというから。
抜き打ちで様子を見たいので先触れは出さない。ごく普通の馬車に乗って店に向かう。
朝に屋敷を出たが、到着は夕方だった。店の真ん前でクリスと馬車を降りた。
お忍びということで、クリスの格好は普段着らしく濃い緑色の胴衣に黒いベルト、その下は生成りの簡素な長袖と、フードの付いた軽めの黒い外衣、足にぴったり合う黒っぽい脚衣、という地味めなものだ。
私の服装もあまり貴族風ではない。仕事の時に着ている、飾り気の少ない足首丈の薄茶色のチュニックワンピースと、髪はお下げの三つ編みで、若草色の肩掛けを羽織る、という身軽な格好だった。ただ、よく見れば生地の素材は上等なのだが。
二人共、ぎりぎり貴族よりも富裕層の平民に見えるという様子だが、これでよい。
突然来た私達に、店の者は馬車で店先に乗り付けるような、平民の上客が来店したと思ったらしい。
店員が一人出て来て、丁寧に一礼した。
「いらっしゃいませ」
「突然でごめんなさい。支店長はいるかしら? ティピナが来たと伝えて下さい」
「! ようこそおいで下さいました。かしこまりました、呼んで参ります」
従業員は、私の手を取っている美貌のクリスに一瞬見蕩れたが、名を告げるとはっとして、再度一礼し支店長を呼びに行った。
そのまま店の入り口で待っていると、人相の悪い大柄な男が数人現れた。
「可愛いお嬢ちゃん、こんなしょうもねえ店でお買い物かい? 他にもいいとこがあるだろう。ここはやめときな」
ニヤニヤしながら男達が店の戸口に立ち塞がった。
「そうですか。でも、どいて下さい」
断ると、男達は声を張り上げて、周囲に聞こえるように言った。
「親切で言ってやってるんだ。素直に聞いとけよ、なあ?」
「ほら、ちょっと歩いたとこにアルパーゾ商人会の店があるだろう。あっちの方がいい。ずっといいもんが揃ってる」
「こっちは何もかもが高くて、その上、客に冷てえ悪い店だ!」
「なら、あなた方がそちらへ行けばよろしいでしょう。私はここに用があるのです」
冷淡に言い放つと、生意気な若い娘と思われたようだ。口を歪めて大声を出した。
「おお、あっちに行くとも。ほら、お嬢ちゃん、あんたも付き合いな!」
「案内してやるから一緒に来いや。なんか旨いもんでも食わせてやろう。そのあとゆっくり遊ぼうや。楽しいぜえ?」
そう言って薄笑いし、私の方へ手を伸ばしてきた。
すかさずクリスがその手を払う。
「彼女に気安く触れるな」
普段の優しい態度と打って変わって、鋭い目で怒りを露わにした。私の前へ出て守るように立ちはだかる。
「どきな若いの。それとも、やんのか?」
握り拳を見せて脅しつける男と、その後ろで肩をいからせる男達。みんな体が大きく、粗野な空気を漂わせている。
「それはこちらの台詞だね。彼女は私の大切な人だ。無理矢理連れて行くと言うなら、容赦しない」
「ハッ、生っ白い若造がおもしれえ。嬢ちゃんにいいとこ見せたいのか? 身の程を知れや!」
男は言うやいなや、思い切り振りかぶると、クリスに殴りかかってきた。
しかしクリスは、ひょいと軽く拳を避けてしまう。
お返しのように、物凄い速さで彼の左手が男を払い除けた。ブン、と風切り音がした。
それだけで、重量のありそうな男が、軽く吹っ飛ぶ。
後ろにいた他の一人が、それにぶつかってどうっと倒れた。
「ひゃっ!」
驚いて、私の喉から変な声が漏れた。
と同時に、ドサッと音がして、残りの男達が地面にうずくまった。
護衛として付いてきた魔族が、知らぬ間に倒していたのだ。
私が目にしたのは、護衛の振り抜いた腕が宙で止まっているところだけだ。
奴らは、それぞれやられた肩と背中を擦りながら、地面でうめいていた。
冷たい目でクリスは転がった男達を見下ろし、御者台に座っていた魔族に命じた。
「捕まえて」
「はい、若様」
御者の魔族は縄を持って来て、男達を縛り上げた。抵抗して男らが暴れると、面倒臭そうにコン、と頭を軽く叩いた。と、あっけなく男は気絶してしまう。
……魔族、ちょっと強すぎではないか。
「警邏に突き出しますか?」
護衛に付いてきた魔族は、クリスへ振り返って聞く。
「うん。お忍びだから、騒ぎ立てないであげるけど、私の名前を出して、きっちり抗議しておいて」
「はい、若様」
荷物でも積むような感じで、護衛は馬車に奴らを放り込んだ。
私は急いで付け足した。
「あの。それから、雇い主がいるはずです。そちらも調べて取り締まって欲しいと、警邏の方にお願いして下さい」
「はい。ティピナ様」
貴族の跡取り予定の子息とその婚約者に、無体を働くところだったのだ。たとえ、それと知らずにやったとしても、厳しく咎められるはずだ。
庶民間でのいざこざではなく、貴族と庶民の場合は、取り扱いに差があり、話が変わってくる。やはりクリスと一緒に来て良かった。
御者と護衛が馬車に乗り込むと、クリスは私に向き合い、安心させるように笑みかけた。
「しばらく店に居ようか。……終わったら迎えに来て」
後半は御者に命じ、私の背中を支えるように押した。
さぞかし仲の良い恋人同士に見えたことだろう。いつの間にか集まっていた野次馬の視線が、生温くてちょっと痛い。
私は最大限努力して、年頃の少女がほっとした時らしき表情を作り、安堵の息を吐いてクリスに寄り添った。
私の来訪と同時に、店の前で起きた騒ぎを聞きつけ、支店長が大あわてで出て来た。そして、無事な私達を見て胸をなで下ろした。彼は現地で雇ったごく普通の人間だ。
とりあえず、支店長は商談用の部屋へ私達を案内してくれた。
私達が、店の様子が心配だったのでちょっと見に来たのだ、と言えば、大層恐縮して頭を下げた。
支店長の話を聞くと、開店直後に「アルパーゾ商人会に入らないか」と誘われたそうだ。その時は私が指示した通り、「本店が他領だから無理だ」と断ったという。しかしその後、どんどんエクディキシ商店が繁盛してきたため、商人会の上層部は不愉快に思ったらしい。
更に、伯爵家が品物を気に入ったのが、癇に障さわったのだろうという。
そこから嫌がらせが始まったようだ。
その伯爵家の、最近一番のお気に入り品というのが、例の塩の入浴剤だそうだ。伯爵の愛人エラスティが夢中なのだという。
最近は、入浴剤に様々な色や香りをつけ、柑橘類の皮の粉末や薬草を混ぜたりして、種類を増やし販売していた。それを日替わりで使っているらしい。作った私が言うのもちょっとあれだが、とても贅沢なことだ。
また、主力商品の調味塩の方は、当主のプロカッロ様が気に入っているらしい。
高級な塊肉にまぶしつけ、時間をかけて漬け込んだものを丸ごとじっくりと焼く料理が特にお気に入りだそうだ。材料の他、料理に合わせて酒やワインも買い上げていく。最近では定期的に予約を入れて、使用人が様々な商品をまとめ買いに来るんだとか。
お陰で、領主一家がお気に召したという話が流れ、店の評判が上がっていた。
実は男爵領の店に比べると、伯爵領の支店は全ての商品が少々お高めの価格設定だ。
その理由としては、男爵領からの輸送費と人件費である。それでも客が訪れ、利益が出ていた。
伯爵家御用達のアルパーゾ商人会が苛つくのも道理だ。
今回、男達が捕まったことで、アルパーゾ商人会に大きな傷がつくだろう。
……これで嫌がらせが止まれば良いが、もし、懲りずにしつこく続いたらどうしようか。
トロッフィだった頃の伝手は無くしたくないので、今のところ伯爵領の店をやめる予定はない。
けれど万が一、今後も嫌がらせが続くとしたらお客様に迷惑だし、店員も、一々対応していたら面倒臭くて疲れるだろう。
「少しお店をお休みにしましょうか」
「おや。どうして?」
クリスが優美に首を傾げる。
「嫌な目にあっていたのに、皆が頑張ってくれたお礼よ。店員の教育と休養も兼ねて、支店の人達全員で良い旅館に泊まって、どこか遊びに行きましょう。たまにご褒美があると、やる気が出て来るものよね。昔、お養父様がそう言っていたの。それに、また彼奴らが来ても、休業中のお店に嫌がらせなんかできないでしょう?」
「なるほど。で?」
私はクリスの美しすぎる顔を見上げた。彼の本当のところは何、と言いたげな様子に、笑顔で答える。
「先代の伯爵様が居る別邸は、どの辺りかわかる? のんびりお過ごしなさっているのでしょう? きっと素敵な土地よね。そういう所なら良いと思うわ」
カシィコン伯爵に養父母の無実と冤罪を訴えるため、伝手か何かを得たい。あわよくば、領主様に目通りを、とも思うが、欲張りすぎか。まずは切っ掛けが欲しい。若様に会えれば大成功だ。
「ああ、いいよ。そちらへ行ってみよう。機会があれば先代伯爵にご挨拶だけでも出来るといいね」
分かった、とクリスが笑顔でうなずくと、支店長が激しく首肯した。
「ありがとうございます。みんな喜びます。……ご褒美!」
先代伯爵のパラドーシ・カシィコン様がお住まいの別邸は、静かな湖畔にあった。
近くに立派な宿屋が一軒あって、お値段はちょっと張るが、行き届いた持てなしをすると評判だった。そこに五日ほど泊まることにした。
一応私の仕事の一環とはいえ、婚約者を一人で行かせるわけがない、と、クリスも一緒だ。おまけに屋敷から魔族の護衛と侍女も連れて来た。
この宿屋は、宿泊だけでなく、予約すれば食事処としての利用も可能らしい。時々、伯爵子息のソストース・カシィコン様が利用していることを、魔族によって調査済みだ。
支店の扉前に「しばらく休業します」の貼り紙をし、近所へは数日間店を閉めますと告げておいた。
ただ、警邏にだけは、留守中何かあったらルフェイ男爵に連絡するようお願いしてある。
あの、私達に絡んできたガラの悪い男達は、警邏の報告によると、やはりアルパーゾ商人会の息がかかっていたそうだ。
それを聞いたクリスは、アルパーゾ商人会へ、ルフェイ男爵領の出入りを禁止すると通告するよう、侍女に指示していた。
まあ、奴らの縄張りはカシィコン伯爵領内なので、出禁など痛くも痒くも無いだろうが、けじめである。
さて。優雅に婚約者と過ごす休暇とあって、私はお嬢様らしくめかし込んだ。
貴族の令嬢が着るような、裾が床近くまであって袖がヒラヒラした青いチュニックドレスは、背中の編み上げ紐を結ぶと腰まわりがしっかり締まって、細く優雅な形を作る。その上、幅広の腰帯と同じ銀と緑色の刺繍が裾にあって、すごく華やかだ。未婚の娘なので髪は結い上げない。両耳の上で細い三つ編みを作り、緑のリボンで括って後ろでまとめ流すだけ。
もちろんクリスも、きちんと貴族らしく装っている。髪を撫でつけ襟足でひとまとめにし、白い長袖と下穿きに黒い脚衣、濃い青地の胴衣は私とお揃いの銀と緑色の刺繍入りで、深い緑色の外衣は光沢が高級感を醸し出していた。
服の色は、私の瞳の色が夜のような暗い青色なのと、クリスの常緑樹のような深い緑の瞳を意識して、それに近い色を合わせたのだろう。私達の仲の良さを主張するものだ。
それなりに着飾った私達は、宿の食堂で夕食を楽しんだ。
ただし、宿が宿泊客のために用意した料理を、普通に注文するのではない。宿の厨房へ食材を持ち込んで、料理のレシピを伝え、調理だけを頼むという、我が儘全開の注文だった。
当然、持ち込み食材として、男爵領から調味塩で加工した燻製肉や腸詰め等々を、大量に運んで来ている。あまり食べないクリスや私だけでなく、店員達の分も含んでいる。
もし食材が余ったら、宿で好きにしていいと言ってあるが、料理人が私達の我が儘に腹を立てなければ良いと思った。
だが、宿の料理人は存外好奇心の方が勝っていたようで、食材を味見して気に入ったらしい。こちらがエクディキシ商店一行だと分かると、食事後に宿の主人が顔を見せ、折り入ってお話が、と食材の仕入れなどの商談が始まってしまった。
降ってわいた大口取引に、支店長が乗り気になった。私は商談を支店長に任せることにした。どうせ取引窓口は支店長になるはずだ。今後を踏まえて頑張って欲しい。
クリスと別のテーブルへ移り、食後のお茶を飲みながら、のんびり宿泊客の観察をすることにした。
「……向こうの壁際の席に、居るね」
カップを静かに持ち上げてクリスが言った。控え目に添えた指先が動いて、食堂の奥を指す。
示された方向へ首を回してそっとうかがうと、金髪の青年が食事をしていた。
旺盛な食欲をしていると見えて、食べ方は上品であったが、食べる速さがもの凄く早い。
よく見れば、彼が口に運んでいるのは、私達が持ち込んだ燻製肉のようだ。お気に召して何より。
「あの方が?」
「うん」
彼がカシィコン伯爵家の御子息、ソストース様らしい。
焦げ茶色っぽい胴衣と生成色の長袖に、脚衣が地味な灰色という、かなり大人しめの装いなのは、お忍びだからか。
容姿は悪くない。ルフェイ家にいる美貌の魔族を見慣れてしまった私だが、御子息様の真面目そうな雰囲気や金髪に理知的な面立ちは、なかなか好感が持てそうだと感じた。
ここは是非、顔を繋ぎたい。
「どうやって知り合いになったらいいかしら? テーブルへご挨拶に行くべきかしら?」
「いいや。お忍びに声をかけるのは良くない。それに、きっと彼からこちらに来るよ。私の顔は知っているからね。ああ、こっそり君を見ているな。……おっと、もうあちらを見ちゃ駄目だよ」
にこりとクリスが笑んで言う。
見られている? カチンと固まって、おそるおそる聞いた。
「私を? もしかして、悪目立ちしている? 何かマナー違反でもした?」
「してない。今日のティーは特別可愛いからね。普段から可愛いけれど、そういう格好もよく似合っている。本当だよ。屋敷の皆もそう思っている」
「まあ、ありがとう。でも、みんなもクリスも、私に甘すぎるわ」
クリスの契約者になると決めた時から、彼は常に私の味方で優しい。かえって私のほうが、良いのだろうかと心配になる。
「それでいいんだ。私は頑張れる子、頑張っている子が好きだからね。その分いっぱい甘やかしてあげないと」
「困るわ。我が儘になってしまうわ」
「もっと我が儘でもいいんだよ?」
他愛も無い談笑をしていると、コホン、と咳払いがすぐ近くで聞こえた。
クリスが口をつぐみ、すっと席から立ち上がった。それに倣って、私も席を立った。