盤上遊戯の賭け 一
「どうしてそんな噂が出回っているの?」
妙な噂に困惑する。聞くと、クリスは教えてくれた。
「以前、君のカシィコン支店へ行った時に、伯爵家の者に見られたらしい。オラニオトクスと一緒だったんだよね?」
「そうだけれど、それで?」
確かに支店で伯爵家のお使いを見たし、オラニオは女性にもてるけれども。
「その後、カシィコン伯爵の異母弟の店で、一緒に食事しただろう?」
「ええ、いつものように。あそこは元々、私の家だから……」
「うん。建物の持ち主は、昔、領主の嫡男を袖にして男爵家に入った女。その店舗を借りているのは現伯爵の異母弟。たまに前伯爵の愛人が様子見にやって来る。前伯爵も庶子を気にしている。だから、あそこは伯爵の祖父がちょっと見張らせている」
「そんなの、全く分からなかったわ」
驚くと、クリスは軽く私の額をつついた。
「想像してごらん。追い出したとはいえ、当主の異母弟の仕事場が、自分達を恨んでいるはずの女の持ち物だと知ったら、放置しておくと思うかい?
しかし今のところ、我が家と伯爵家の関係は対立しておらず、まだましな状態を保っている。ティーは話題の店の主人でもあるし、気軽に手を出すのは良くない。逆に、君を害したら真っ先に疑われるのは伯爵家だ。伯爵の祖父だって、様子見の見張りを置こうとするさ」
じゃあ、いつからか分からないが、伯爵家は平民上がりの女にも一応は気を配っていたということか。
「……伯爵家は私を目障りだと思っているのね」
額を押さえてそう言うと、クリスは口の端を吊り上げるにとどめ、否定しなかった。
「本当はこちらの様子も知りたいのだろうが、我が家は人間の使用人を雇わないから、手の者が入り込めなくて困っているようだ。せいぜい庶子の食事処をうろつくか、君の支店を利用がてら確認するくらいしか出来ないんだろう。歯がゆいだろうね。この前、君達が食事中にした話は、伯爵家へ報告されているんじゃないかな」
オストアロゴの「馬の骨」は、大通りのまあまあ人気がある店だ。だいたい誰かしら客がいた。伯爵家の手の者が紛れ込んでいてもおかしくない。
そうか、どっちも見張られていたのだ。
あの時の誤魔化しながらの会話を盗み聞いて、伯爵家は間違った意味にとらえたのだろう。
「だから、嫌な噂になってしまったのね」
(人間は噂が好きなんだね。本当かどうかも分からないのに話すの)
私の中で幼体が面白そうにつぶやく。クリスは目を細め、私の頭を撫でた。
「もう一つの方だが。ティーのエレガーティス支店は魔族ばかりだ。あの子爵令嬢が気に入るくらい、我々魔族は外側が整っている。エレガーティス子爵令嬢のお陰で、君も外見至上主義者だと決めつけられたのさ。しかも、常に護衛と侍女を連れているから、いつも見目の良い者を侍らせているような女、と噂したんだ」
「うわ、酷い誤解。……店の評判が落ちないかしら?」
顔をしかめると、ふむ、とクリスは顎に指を当てて考えた。
「色々と噂を消す方法はあるが、あまり気にしなくて良いと思うよ。噂なんて流行り物と同じで、目新しい話題が出ればすぐ忘れられてしまう。それに、ちょっとどこかへ私と一緒に出かけたら、すぐ払拭出来るさ」
「一緒に出かけるだけで?」
(クリオスアエラスとお出かけ?)
フォスアンティピナが反応を示した。
「うん。君の為人を知られていないせいで、憶測で物を言われているだけだ。半分以上は妬みだ。ティーはあまり貴族の付き合いに顔を出していないからね」
今まで貴族からのお誘いが無いではなかったが、何か理由をつけて断ってきた。絶対に断れないお城へは夫婦で行ったけれど、庶民出の私は貴族の交流らしいものに参加していない。
「……じゃあ、今度どこか連れて行ってもらおうかしら」
(一緒に連れて行って。狩り場なんでしょう?)
フォスアンティピナが甘えると、溶けるような甘い顔になってクリスは了承した。
「いいよ。私としては、可愛いティーを人目に晒したくないんだけど、君は悪評が立つんじゃないかと心配なのだろう? この先、どのみち貴族も相手にするのなら、社交の場に出ておくべきだしね。
よしよし。それじゃあ、どこかで礼儀作法の復習をしておこうか」
そんなわけで、貴族教育のお復習い目的で、私とクリスは避暑へ出かけることになった。
クリス曰く、実践が最も良い訓練になるという。
行き先は、隣のカシィコン領の湖畔近くにある宿に決まった。まだ私達が婚約していた頃、クリスと一緒にカシィコン支店の店員達を連れて、ご褒美休暇を過ごした場所だ。
お忍びで伯爵家のソストース様が来ていたし、平民の富裕層も利用する質の良い宿だ。私の店と取引の関係があるから融通も利く。程良く近場に有り、仕事を離れ集中が出来ると判断された。
宿で私は、避暑地の貴族に相応しい態度で、優雅に過ごすことになっている。すなわち、貴族らしく着飾って飲み食いし、風流かつ贅沢に遊ぶのである。
お忍びの衣装は、夏らしくゆったりと襟元が開いた水色のチュニックドレスで、肘から先がひらひら広がっている薄絹の付け袖を付けた。胸下に濃緑の幅広帯を締め、細い飾り紐を重ねて結び垂らし、短い手袋を合わせた。既婚者らしく黒髪は結い上げてまとめ、薄いベールをする。仕上げに緑玉の耳飾りをつけた。
クリスの服装は、白の軽い膝丈チュニックだ。全体に緑の濃淡で規則的な葉模様の刺繍がしてある。黒いベルトと脚衣に黒い靴、濃緑の帽子をつけている。ひとまとめにした黒髪が背中に流れ、すっきりした印象だ。彼は何を着ても似合うが、大体どこかに黒か緑色を使う。
宿を訪れるに当たって、クリスは礼儀としてカシィコン伯爵家へ、お忍びで避暑に行くことを伝えておいた。
伝えている時点でお忍びでも何でもない感じだが、所在を明らかにすることで不審な行動では無いことを示し、内々の了解を得るのが大事なんだとか。
宿は借り上げて八日間押さえ、一番良い部屋を夫婦で独占した。他にも、多めの護衛と侍女と、料理人や吟遊詩人や楽士やらも連れて、大人数でやって来ている。勿論みんな魔族だ。
また、特別に教師役として、貴族の心得があるという女性型魔族が同行している。吟遊詩人の一団と一緒に来たそうだが、落ち着いた雰囲気のご夫人だ。先生と呼ぶようにと言われた。
彼等は、長のクリスが「軽く気晴らしも兼ねて行かないか」と誘ったところ、面白そうだと思った者達だそう。
まだ目覚めない『揺りかご』の様子を見ているロフィーダ達や、ルルディア様とリコフォスは来ないが、仲間を待って森の館に長逗留している魔族と、ルフェイ領の手が空いている魔族はだいたい参加している。
仲間の幼体の目覚めをただ待つのも暇なんだろうな。気晴らしか。
などと気楽に考えていたのだが。
宿に到着直後から魔族の先生に、馬車の降り方、案内の受け方、挨拶の仕方、言葉の選び方、所作などで早速の駄目出しをもらった。「間違ってはいませんが、全体的に優雅さに欠けています」と言われてしまい、特訓すると決まってしまった。
女性型魔族の先生は、優しく綺麗な微笑みを浮かべているが、けっこう容赦なく駄目出しする方だった。私が冷や汗を流していても、周囲はにこにこ眺めているだけだ。
全く休暇でも気晴らしでもない。むしろ気が抜けないやつだった。大変だ。
まずは、日常の所作や貴族らしい振る舞いの見直し。優美な歩き方、上品な座り方、美しい食事の作法、身のこなし方。相手の身分に応じた接し方。
それに加えて、貴族なら必須の国内の各領地の知識。そして、うろ覚えだった貴族家の縁戚関係と派閥関係を頭に叩き込むようしごかれた。
途中、雑談しながら休憩をと言われて、宿の近くの湖畔へ先生や護衛達と散策しに行った。
美しい景色に見とれて気を抜いて歩いていると、姿勢を正され動作を注意され、覚えたことの確認が入る。追加で格言、名言、ことわざ、伝承、神話、詩歌。ちょっとした仕草の意味、暗喩、貴族特有の言葉遣い等々の指導。やっぱり全く休憩ではなかった。
最低限のところは出来てはいるが、色々と甘さを突き付けられてがっくりした。
そんな詰め詰めの訓練をして、宿に泊まっている間、クリスはずっと優雅に過ごしていた。
吟遊詩人の魔族に他国の歌を歌わせ、楽器が得意な魔族に伴奏を頼み、音楽を楽しみながら地元産の美食を摘まむ。庶民の想像する贅沢なお貴族様がそこにいた。
フォスアンティピナによると、ご機嫌で楽しんでいる状態だそうだ。
気が向くと彼は、私が教わっている姿を近くで見守ったりした。そんなときは、私が行き詰まったところの助言や知識を与えてくれるのだが、それがかなり高度で驚く。
そして一日の終わりになると、クリスは大袈裟なくらい私の頑張りを褒めてくれた。まるで飴と鞭の飴担当のよう。たくさん先生に注意されてしょんぼりしても、落ち込まずにすんだ。
魔族の先生が言うには「男爵様と対等に語り合えるくらいを目指すこと。教養も品位も足り無いと、他家に侮られますから頑張って下さい」とのことだ。厳しい。
けれど「一度舐められたら、周囲からの無茶な押し付けと搾取が待っています」と脅されては手が抜けない。
後から思えば、教師役の魔族の指導は、基礎的なものを押さえた上で、一段高いところを要求しているような難しさがあった。何となく高位貴族の知識ではないかと思う部分も多々あり、普通の男爵程度の教養ではない気がした。
でも、私の支店の取引先が侯爵領と伯爵領であるからには、このくらい必要と判断したのだろう。
なら、やるしかない。
そうして滞在六日目あたりで、誰が言い出したのやら、せっかく一族が集まっているのだからちょっと宴を開こうか、ということになった。
力を見せつけたい高位貴族ならともかく、田舎の男爵家で酒宴なんかそうそう無い。当然のことだが、魔族がやっていた夏至の宴とは全く違う。
先生に「特にやらなくても良いのでは?」と言って逃げようとしたら、「何事も経験は必要です」と逆に説得されてしまった。
それで急遽、宴会の主催について実践で学ぶことになった。
普通は執事とかが諸々の手配をするのでは? あ、女主人の仕事の知識として全体を把握するため、ですか。はい……。
フォスアンティピナは(嘘じゃないけど、ちょっと口実。皆、遊びたいから)なんて、こっそり言う。
まあ、今回のお忍びは、私の勉強に皆が付き合わされているのだから、要望に応えるか、と折れておくことにした。
(お返し、対価。それは大事なこと)
うんうん、と私の中の幼体が頷いた。
それから、魔族の教師から助言を貰いつつ準備した。
宿に心付けをはずむことで協力を得て、更に私の店に連絡して、足りない食材等を提供するように調整し、どうにか準備を整えた。
正直、費用のことを考えると、浪費でしかないのだが、クリスが気にしなくて良いと言うので、もう考えないことにした。
時折、魔族の先生や護衛と侍女から、小声で「宿の者がこちらを見ていますよ」とか、「隙を見せてはなりません」、「爪先まで優雅に」などと注意された。
宿の使用人はだいたい平民だが、だからこそ侮られてはならない。庶民である彼等の口は軽く、お忍び客に慣れているから評価は厳しい。気が抜けない。
そうして開いた内輪の酒宴は、なかなか凄かった。
喜んだ吟遊詩人の魔族達が、歌を沢山披露して華を添えてくれたのだ。彼等は姿も声も美しかったが、楽器もまた巧みだった。更に踊り子がいたお陰で、一層華やいだ夜になった。素晴らしかった。
音色を聞いて、宿の従業員が仕事の手を止めてこっそり聞きに来る程だ。
更に、彼等はカシィコン領の田舎に伝わる民謡を知っていて、それも歌ってくれた。小さい頃に聞いたきりの曲。懐かしくて嬉しかった。
結果、宴は盛り上がったので成功だろう。
余所から見れば、私達のお忍び滞在は成金貴族の豪遊だったと思う。
優雅に散歩して談笑し、美酒と珍味を飲み食いする。更に、着飾って歌と踊り付きの華やかな宴会を宿を借りきって開いた。太っ腹だ。
当然、私達は領主のカシィコン伯爵家の興味を引いたらしい。
翌日、帰る予定の最終日。
早朝から宿へ新領主のソストース様が伝言を寄こした。「伯爵家の別荘へ行く途中なのだが、少し宿で休憩したい」と言っていると、護衛の一人が聞きつけてきた。
お忍びらしい馬車でこちら方面へ向かっているそうで、ちょっと立ち寄りました、といった呈で来るらしい。
クリスは「想定通り」と言って楽しげに笑った。
「思ったより遅かったな。気にして直ぐにやって来ると予想してたんだが、行動が遅いね。祖父母を口実にし易い、別荘から近い宿にしたのに。
大丈夫だよティー。我々はもう帰るんだから、少し相手するだけだ。
……すぐ出られるよう荷物をまとめて馬車へ積んでおいてくれ」
クリスが魔族の侍女達へ言うと、周囲はきびきびと動き始めた。
「え? 伯爵様のお相手するの?!」
うっかり驚いて声を上げたら、すかさず魔族の先生から「大声はいけません。優雅に」と指導が入った。
フォスアンティピナが(ティシア、まだ勉強中だからね)と注意を促す。
いけない、そうだった。
クリスが首を振る。
「伯爵は高位貴族だから、彼で練習の仕上げといこう。嫌いな人間でも冷静にあしらえるようにね」
そうか。ソストース様は練習台なのか……。まあ、そういうことなら我慢するか。
「ティー様、準備を致しましょう。荷を運んでいる間、のんびりしてはいかがですか。昨日はお疲れでしたでしょう」
気を遣って、侍女がそう提案してくれた。フォスアンティピナがささやく。(ティシア、指示出さなくちゃ)
「そうね。では、宿に頼んで木陰に席を。出発準備が終わるまで休んでいましょう。冷やした飲み物も用意して下さる?」
「かしこまりました」
侍女に頼むと、頭を下げて下がっていった。
まあ良いでしょうという顔で、魔族の先生が微笑んだ。
フォスアンティピナの協力もあって、だいぶ私の振る舞いも改善してきたようだ。
それから大急ぎで帰り支度を済ませ、侍女と一緒に木陰の席へ向かう。と、もうクリスが席に座っていた。
風が程良い加減で穏やかだ。日を遮るちょうど良い感じで、テーブルの上辺りに木が枝を差し伸べている。
魔族の先生もいたので目礼すると、にっこりされた。
「座って、ティー。少しゲームをしないかい」
「まあ。盤上遊戯。持って来ていたのですか?」
テーブルには、木製で艶やかに磨かれた遊戯盤が乗っていた。
「宿のだよ。借りたんだ。先手をどうぞ」
あぁ。時間つぶしというわけか。
それからしばらくして、若きカシィコン伯爵のソストース様がやって来た。
馬車こそお忍び風の目立たないものだったが、装いはしっかり貴族らしい格好をしていた。
青地に金の刺繍を施したチュニック姿で、白い下穿き、茶色い革靴とベルト、青い帽子には白い大きな羽根飾り。金髪によく似合う華やかさだ。
伯爵夫人は同伴しておらず、留守番のようだ。産後間もないのだから当たり前か。他に、執事か何か、男性のお付きを二人連れて来ている。
彼を先頭にした伯爵家の者達がこっちへ近寄って来るにつれ、飼い葉桶の中身ような匂いと、干した茸か蒸れた革袋のような不思議な匂いが漂ってきた。
あんまり私の好きな匂いじゃないかな。
フォスアンティピナが同意した。
(私もそんなに好きじゃない。不味そう。たぶん生気が濁ってて、苦いと思う)
私達は、盤上遊戯のゲームを途中で止めて立ち上がり、その場で深々と頭を下げた。
格上貴族へは、こちらから声をかけない。声をかけられるのを待つのが礼儀だ。
ソストース様は満足そうな声で鷹揚に言った。
「やあ、ルフェイ男爵、夫人。久しぶりだな。ああ、構わない。私もお忍びなのだ。楽にして、どうぞ続けてくれたまえ。……ほう、夫人は盤上遊戯も嗜むのか。それは良いな」
許しが出て私達が顔を上げると、ソストース様は興味深そうに盤を見ていた。
遊戯盤の横には、小振りな杯が一つ空になって置いてある。赤葡萄の果汁を水で割った飲み物だが、だいぶ前に飲み干した痕跡が薄く残っていた。
伯爵家のお付きは少し下がり、ソストース様の後ろの見守る位置に立った。
私達男爵家の方は、いつものように侍女と護衛が離れた木陰で待機している。先生も一緒に並んでいる。
「お久しぶりです、カシィコン様。これはほんの暇つぶしでして。盤上遊戯はお好みでいらっしゃるのですか?」
クリスが視線を下げ遊戯盤を指した。
「ああ、刺激的で面白い。……うん? 夫人が優勢ではないか。なかなか強いのだな。罰杯付きとは面白い」
盤の駒を観察し、ソストース様が楽しそうに言う。
違うのだ。クリスがいつも通りに負けているせいであって、大して強くない。
「ただの果実水ですわ。それに、私は弱いです」
「ふふふ。でも私はティーに勝ったことなど一度も無いよ。まあ、何事にしろ、いつだって可愛い君には勝てやしないのだけれど」
仲の良い夫婦を強調するように、クリスがそんなことを言った。相変わらず大甘だ。
するとソストース様は、なんだかやる気になってしまったらしい。
「夫人、試しに私と遊んでみないか?」
「まあ。おそれ多いことですわ」
慌てて遠慮するが、重ねて迫られる。
「ほんの遊びだ。気にすることは無い、良いではないか。夫人の罰杯は少しだけ、ワイン三口の量で許そう」
彼は勝手に決めると、いそいそと駒を並べ初めてしまった。お付きの執事らは、ひょいと肩をすくめ仕方がないという顔をする。
えっ、どうしよう。
困ってクリスを見ると、小さく頷かれた。
フォスアンティピナの助言が伝わる。(この個体、高揚してるよ。この遊びがとても好きみたい。今、拒否したら、機嫌が悪くなると思う)
それはちょっと困るかも。高位貴族の不興を買ったら後々面倒そうだ。
(頑張って)
仕方なく私は再び腰掛けた。向かい側にソストース様が上機嫌で座る。
侍女が気を利かせて、宿から酒杯とワインを運んで来た。
私の酒杯に少しだけカシィコン産の赤ワインが入って、ソストース様の酒杯にはたっぷりと注いでやっていた。
つい、目の前の嫌いな相手に対し、伏し目がちになってしまう。ソストース様は私をじろじろと眺めて、満足そうに何度も頷いた。
「それにしても、男爵夫人は見違えるほど美しくなったな。夏の夜のごとき黒髪、深い色の瞳、朝露に輝く白薔薇か、女神の御使いのような清らかさだ。何より優美で品がある。麗しい貴婦人になったものだ」
「……恐れ入ります」
向こうにいる魔族の先生が微かに笑む。ソストース様からの評価は上々。淑女の特訓の成果があったようで、なによりだ。
けれど、大げさな社交辞令を受けるのはまだ少し苦手に感じる。
私とソストース様は互いに酒杯を手にし、縁をそっと合わせた。罰杯の確認だ。
とりあえず、面倒だけど試合をすることになった。




