第10話 一歩を踏み出す
柄に手を触れた途端、その感覚はやって来た。
これまでに幾度も体験した――例の、あの感覚。
自分でない何かが、自分の中で目覚める。
僕は躊躇うことなくそれに身を任せ、心を委ねる。
そのたびに、自分の中に、もう一人の――あるいは、
もっと大勢の『何か』が存在することを、実感させられる。
「…ふむ」
引き抜いたその刀身を見て、『彼』は感心しているようだった。
これならば――斬れる。
『彼』の確かな予感が、僕にも伝わってきた。
……
両手でしっかりと柄を握り、剣を構える。
見据える先には、例のあの『装置』が、今もなお
瘴気を吐き出し続けていた。
それが何であるかについては、『彼』はあまり理解していない。
ただ、僕にとって”斬りたいもの”、”斬るべきもの”である
ことは認識しているようだ。
「――我に、斬れぬものなどなし」
……
正に、一瞬の出来事だった。
その太刀筋を確認できたのは、全てが終わった後。
もたらされた”結果”を見て、初めて分かることであった。
四等分に切り裂かれた『装置』は、バランスを失い――
重力に従って、崩れ落ちる。
それに伴い、そこから生み出されていたであろう、何か
モヤモヤとしたものも、プッツリと気配が途切れる。
……
役目を終えた『彼』は、興が削がれたかのように、静かに
僕の元を離れていく。
『僕の元』…という表現が正しいのかどうかは、微妙な所だが。
「や…やった!」
一連の出来事に、呆気にとられていたような顔をしていた
ジウさんが、ハッとしたように歓喜の声を上げた。
その声を合図としたかのように、『彼』によって創り出されていた
ある種異質な空気が、ほどけていくのを感じる。
「良い剣だ。 大事になされよ」
「ふぇっ? あ、はい…どうも」
既にいなくなった『彼』の最後の言葉――というよりは意思を
伝えつつ、剣を持ち主に返す。
『僕』が剣を手にしていた時間はほんの僅かであったが、それでも、
その剣の凄味というか…そういったものは、十分に感じ取れた。
「トりあえずは、一件落着…ダな」
「はい。 そうですね」
色々と言いたいことがありそうな顔のベントさんが、フウッと
一息を吐いた後に呟く。
僕はそれに対し、他人事のように静かな相槌を打った。
ま…実際、”仕事”をしてくれたのは、彼なわけだし。
――【ゲイラーダ】。
それは古代に出現し、世界を荒廃へと導いたドラゴンの
名前であり…。 そして、彼女が背負う剣の名称でもある。
古くから、強靭な皮膚や鱗を持つドラゴン族を打ち倒した
武器は【ドラゴンスレイヤー】と呼ばれ、重宝されてきた。
そして、それぞれのドラゴンスレイヤーは、主にそれによって
打ち滅ぼされたドラゴンの名前が、そのまま武器の名称と
なることが多いらしい。
「ゲイラーダトいえば…竜族最強ト称される、始祖竜エヴィナシオ
にも匹敵する力を持ツト云われるドラゴン…。
随分ト、大層なものを持ッテやがる」
「へへっ、まぁね♪」
相変わらず(多分)マニアックな知識をさらりと披露した
ベントさんに対し、ジウさんは得意げに笑みを浮かべる。
僕はとりあえず、(いつも通り)心のメモ帳にペンを走らせる。
……
「――でまぁ、それはそれとして」
声のトーンが変わり、一転してキリリとした表情になったジウさんが
僕の方を見つめる。
その真剣な様相を感じ取り、僕も僅かに背筋を伸ばした。
「君…これから、どうするの?」
「……」
この小屋に到着するまでの道中で、お互いの素性については
ある程度語り合った。
例えば彼女は、この山の近くにある【レノン】という村の出身であり、
そこで自警団の兵士として務めていることとか…。
そのレノンも含めたこの一帯は、【フォーマス】と呼ばれる国の
領土であり――今その国は、魔王の軍勢に対抗するために、
各地から兵を招集しているのだとか。
そして、残念ながらお呼びが掛からなかったジウさんは、
ちょっと不貞腐れているみたいで…。
「まぁ、一応ざっくりと話は聞いたんだけどさ。 正直なところ…
訳分かんないんだよね」
「…はい。 僕も、そうです」
彼女は眉をひそめ、気遣うような視線をこちらに向ける。
初めて見かけた時の印象は、なんというか……結構その、
感情を剥き出しにするタイプにも思えたのだが。
こうしてじっくり話してみると、案外お姉さん的な雰囲気が、
ないわけでもない。
「何にしてもさ、情報を集めないといけないと思うんだよね。
色んな人と会って、色んな話を聞いて…」
「…はい」
彼女は腕を組み、難しそうに口をヘの字にする。
これまで出会った”二人”と比べると、随分と表情が
豊かな人で、その変化を見ているだけでも面白い。
「ともかくさ、この山を下りて…。 とりあえずはボクの村に、
一緒に来ない? そこで一旦落ち着いてさ、それからの
ことは……ま、ゆっくり考えようよ」
そして彼女について、見逃せないポイントの一つがコレ。
女性でありながら、自分のことを『ボク』と呼ぶ。
そんな人間に出会ったのは、僕の人生において――
これで三度目だろうか。
それだけではない。
女性でありながら、剣士。
黒人に近い、褐色の肌。 鉢巻き。
そこからニョキッと飛び出た、異様にクセのある髪質。
「そんな、心配しなくて大丈夫だよ。 小さな村だけど、
みんな優しくていい人だし…――あ、でも」
「……」
「最近はちょっと、ピリピリしてるとこもあるんだよね。
実は少し前から、近くの山に山賊が出るようになってさ…。
――あ、勿論この山のことじゃないよ?」
別に、性別や人種を差別するわけではないが。
まぁ、なんというか…その。
『ここ』で出会った、明らかな”ヒト”でありながら――。
彼女もまた、僕の心に染み付いた『日常』の枠からは
遠く外れた存在に違いないというか。
なんというか…うん。
――いや、愚痴ばかりこぼしていても仕方がない。
「…よいしょっと」
様々なものが詰められた、布袋を背負う。
中身は干し肉やら木の実やら、薬草やら…といった
食料品などをはじめ、様々な生活用品が入っている。
「結構重そうだねぇ。 大丈夫?」
「あぁ…はい。 全然です」
平均的な体力を持つ15歳の男子であれば、少々ヘビーな
荷物といって差し支えないものであるが。
僕はあいにく、平均的ではないタイプの方にあたる。
「すみません。 こんなに沢山、色んな物を頂いて」
「…いいッツッテんダろ。 さッきから、何度礼を言ッテんだ」
袋に詰め込んである物はほとんど全て、ベントさんが
用意してくれたものだ。
この山に来てからというもの、正しく何から何まで
お世話になってる感が否めない所存である。
「俺よりも、お前に必要そうな物を渡しタダけダ。
俺はこの山デの暮らしに慣れテいるし、お前に渡しタ物の
ほトんドは、その気になりゃ手に入る。 ――が」
ベントさんはそこでいったん言葉を区切り、より鋭い――
けれども温かみを含んだ視線を僕に向ける。
「お前の場合、そうはいかない。 生き物にトッテ何より
大事なのは、必要なものを、必要な時に手に入れられる力ダ。
今の段階じゃ、その力は俺よりも、お前の方が劣ッテいる」
「……」
「施しを受けるのが嫌ダッテんなら、その力を十分に身に付ける
こトダ。 ま…それまデは、恥を忍ぶことも経験の内ダな」
…なるほど。
要するに今の僕は、一人で生き抜いてはいけない。
だから、他人からの施しは素直に受けましょう――
というところだろうか。
辛辣といえば辛辣だが、それだけに心に響く言葉だ。
ま…どれだけ素直で純粋で、自分に厳しい人間であっても、
己の未熟さを己だけで感じ取るのは、難しいものである。
”自他ともに認める”ものになるためには、当然のことながら、
他人からの評価が必要になってくる。
その評価をきちんと下してくれる存在がいるということは、
やはりと言うべきか、幸福なことなのだろう。