第1話 目覚め
目を覚ますと、そこは森の中だった。
――まるで何処かの小説の最初の一文のような台詞であったが、
それが今の僕の、率直な感想である。
そして、今の僕が置かれたこの状況を表す、シンプルで最適な言葉。
「……」
予測の範疇を超えた出来事に襲われたとき、大事なのは冷静になることだ。
冷静に、的確に、状況を見極める。
僕はいつも、こういう時は頭の中にある人物の姿を思い浮かべてしまう。
「…さて」
何はともあれ、自分の身辺のチェックから。
服装は、ジーンズにYシャツ、紺色のジャケット。
僕がいつも身に付けている、なんとも見慣れた服装たち。
履いているシューズも、いつものものだ。
……
腕や足、その他の箇所もいろいろと動かしてみるが、別段異常はなし。
まぁ昔から、体力と健康には自信があるほうだ。
『普通の人なら、死んでいてもおかしくない』――そんな台詞も、
これまでの人生の中で、幾度となく聞いている。
「…よし」
身辺のチェックも済んだので、次はもう少し視野を広げてみる。
いま僕が立っている場所は、草むら。
そして辺りには、僕の身長を遥かに超える高さの木々たちが生い茂っている。
「……」
木々の葉っぱの隙間から見える、雲と青空を瞳に入れた。
なんというか、幻想的で、それでいて清々しい。
とりあえず、気分を上げていくためには、視線を上のほうに向けるのがいい…
とかいう話を、何かの本で読んだ記憶がある。
……
――記憶。
そう、重要なのはそれだ。
記憶を辿りさえすれば、今のこの状況に納得のいく答えが出せるかもしれない。
「…え~と」
昨日はあれから、お風呂に入って…。
恒例の『世界のなんじゃそれ、ミステリー』をしっかり視聴して。
でもって、いつものように漫画を読んだり、ゲームをしたり。
明日の準備、宿題もちゃんとして…。 いや、宿題はもう済ませてあったな。
……
――ダメだ。
ビックリするくらいのほほんとした、ごくごく一般的な
夜の学生のルーティーンだ。
これで朝起きたときに、森の中で目覚めるなんて事態が予測できるはずがない。
「つまりは、アレだね。 僕のほうに、何か非があったというわけじゃなく…」
こういう場合はまぁ、外部的なものの関与を疑うべきなのだろう。
もっとも分かりやすい、考えられる仮説としては、何者かが僕を
ここまで運んできた――というものだが。
僕のこの、身長195cmの体は、そう簡単に持ち運びができるものではない。
少なくとも、平均的な大人の筋力なら、最低でも二人がかりにはなるだろう。
いや、そうは言っても…『手段』であれば、いくらでもやり方は存在する。
問題は――
「動機…だよね」
こんな所に僕を運んできた、その目的。
それは一体、なんなのだろうか。
人気の全くない、こんな森の中に誰かを放置する理由。
まず思いついたのが、『死体遺棄』という言葉だ。
しかし僕は、生憎まだ死んではいないし…死んだと勘違いされるような
身体の異常も見られない。
……
次に思い当たるのが、『誘拐』というカテゴリー。
しかし、ウチはそれほど裕福というわけでもないし…何より、営利目的の
誘拐であれば、僕ほどターゲットに相応しくない人間も珍しいだろう。
ウチには、僕とは違って平均的な女の子(だと思う)の体型をした、
由奈という実の妹がいる。
もしも僕が誘拐犯の立場であれば、10:0でこっちを標的とするだろう。
……
それとも、たまたま見かけた人間をさらっただけなのだろうか?
もしくは、営利目的ではない誘拐…?
例えば――
「人体実験…とか?」
そう考えれば、確かに納得のいく部分はある。
僕は健康優良児であると共に、平均的とは言い難い体格を誇っている。
何かそういう、ミュータント的なものの実験に用いるには、
それなりの好条件が揃っていると言えるのではないか。
いろいろと思案を続けること、体感でおよそ30分。
僕はいつも、これぐらい考えても結論がまるで出そうにない場合、
とりあえず頭のスイッチを切り替える作業を行うことにしている。
「…ふ~む」
結論を導き出すために必要なものは、まずは十分なデータ。
そして次に、それを生かすための知識や閃きが必要となってくる。
まぁ、今の状況を客観的に捉えた場合…とりあえず。
「情報が足りない。 ――ような気がする」
どれだけ頭の賢い人であろうとも、取り組むべきその問題がなんなのかを
把握できないのであれば、お話にならない。
まずは、かき集めなければ。 ――パズルの破片を。
「…はぁ」
何処へでもなく歩みを進めること、体感でおよそ20分。
これでもかというぐらい、特に手掛かりになるようなものは見当たらない。
ただ、一つ気になるのは――
「なんでこんなに、暑いの」
照り付ける陽光からは、ジリジリという擬音が今にも聞こえてきそうなほどの
この熱波。 気温。
確か今、日本は春真っ盛りだったと記憶しているが…。
――というか、めちゃくちゃ鳴り響いている。 蝉の声。
……
要するに、いま僕が居る場所というのは、日本ではない――ということか?
やや短絡的な仮説にも思えるが、気温や天気なんてものは、
誰かの意思によってどうこうできる代物ではない。
この考えには、頭の中のほとんどの僕たちも同意しているようだった。
「う~ん…」
しかし、それが正解にしろ不正解にしろ、だからどうしたという気が
しないでもない。
その部分の白黒がはっきりしたところで、今のこの状況の解決策には
あまり結びつきそうもない気がする。
……
とりあえず、経緯や原因は二の次でもいい。
問題は、僕が昨日までの日常に戻る方法…。
――いや、それも別に最優先事項というわけではない。
「他の人は…どうしてるんだろ?」
そう。 もっとも気がかりなのが、その辺りのことであった。
全然思い当たる節もなく、僕はいま、こんな所でこんな状況に立たされている。
そうなると、その周辺の人々というか…関係者一同にも何かしら
あったのでは――と懸念してしまうことは、自然な発想だろう。
「……」
しかし、それこそ正に――
今のこの状態の僕からすれば、文句なしに『考えても仕方ないこと』
に分類される議題だ。
しばらく散策を続けていると、なんだか開けた場所に出ることができた。
といっても、森林から抜け出たわけではない。
上空から見た場合、恐らく半径5m程度…だろうか?
木々は全く生えておらず、周辺と比べれば、草類の密度も遥かに低い。
「……」
そして何と言っても、目を惹かずにはいられないのが――そのスペースの
中心にそびえ立つ、立派な石像であった。
僕の背丈の約1.5倍はある高さがあり、精巧な細工がされている。
見たところ、『祈りを捧げる天使』…みたいなテーマなのだろうか?
薄い羽衣のような衣服を身にまとった、長い髪の女性の姿。
祈るように組まれた両手に、背中から生えている大きな翼。
これが天使でなければ、何が天使なのかと思うくらいの天使感だ。
「…ふ~む」
ここまで、人工物らしきものが全く見当たらなかった中での、この発見。
素直な嬉しさもある反面、様々な疑問も生まれる。
いったい誰が、いつ――そして何のために、こんな物を作ったのか。
見たところ、あまり大した劣化は見られないように思える。
つまり、ごく最近に作られたものか…もしくは、手入れが
行き届いているものであると推測される。
「……」
となれば、近辺に人がいる可能性が高い…?
少なくとも、無人島の一角にいるといった可能性は低いだろうか。
――いや、まだ結論を急ぐのは早い。
「まぁ、とりあえず…」
せっかくなので、この石像をちょっと調べてみることにした。
有益な情報を得られる可能性は正直低そうな気がしたが、
まぁちょっとした気分転換も兼ねてのものである。
「…う~ん」
とりあえず、一通りの角度から見たり、一通りの部分に
触れてみたりもしたのだが。
やはりと言うべきか、これといって有益な発見をすることはできなかった。
しかし、改めてその像を真正面から見据えたとき――
何か閃くものが、頭の中にあった。
いわゆるビビッときたという、そんな感覚である。
……
何か、見覚えがある。
というか――誰かに似ている。 すごく。
「……」
しかし生憎、僕には天使の知り合いなど存在しない。
ので、とりあえず翼は抜きにして考える。
……
誰――だっただろうか。
なんだか、すごく見慣れた人のようであり…妙な懐かしさを覚える。
しかし記憶の引き出しから、これぞと思うような写真を一枚、
取り出すことはできずにいた。
「なんだかな…。 絶対、見覚えはある気がするんだけど」
人間の記憶の曖昧さというものには、この15年の月日の中だけでも、
散々思い知らされている。
しかし何はともあれ、僕は人間以外の何物でもない。
そんなジレンマを抱えつつ、僕はしばらくその石像をぼんやりと眺めていた。